奈良古代紀行 1

長らく放置、スミマセン……
どうしても先生の話の続きに詰まっている(流れではなくて)ので、自分的気分転換込みで、紀行です。前回の記事は、一遍削除致しました……


ってわけで、奈良。大人の修学旅行的な。
宜しければ、続きをどうぞ〜。





この間から行こう行こうと思っていたので、奈良。
残念ながら奈良ホテルは取れなかったのですが(まぁ、予約したの二週間前だったしね)、ホテル日航奈良(JR奈良駅直結)が取れたので、それで。
奈良久し振り! 前回は、初高野山の前に、東大寺興福寺元興寺だけちょろっと行ったカンジだったもんなぁ……
今見たら、2011年のGWの話、つまりは五年前のことでした。結構前……



えー、6:50の新幹線で京都まで、それからそのままJRで奈良まで。
昼前には着きそうなので、ホテルに荷物を預けて、初日は(沖田番の希望で)法隆寺まわりを探索しようと云うハラ。
9時ちょっと過ぎに京都に着いたので、それから暫待ち、みやこ路快速で奈良についたのは10時半前でした。
駅そばのホテルなので、お約束のようにクロークに荷物を預け、もう一度JRに乗って法隆寺まで。



昔来た時(=修学旅行時)は、当然バスなので、法隆寺駅からとか初!
でもまぁ、駅から1.5kmくらいらしいので、それなら散歩にもならんくらい(沖田番の“散歩”は5kmくらいなのですよ)だろうと、歩いて参ります。
商店街とか、結構大きな道(県道? 国道?)をてくてく歩き、ほどなく法隆寺へ。
しかし、朝飯5時台で、その後ちょっと食べたけど、11時では早空腹……この後歩くしね、とか云いながら、ビジターセンターっぽいところでうどんを戴く。沖田番はきつね、わたしはわかめ。そういう気分。あったかくてうまうま。
腹ごしらえが済んだら、いざ伽藍へ!



えーと、まぁ、伽藍は昔見たとおりでした。
けど、中高生のころだったからか、何か小さくなったようにも感じる――そんなに身長変わってないはずなんですが。
修学旅行の時は、まっすぐ伽藍に入ってお参りし、その後夢殿に行ったはず。多分。ものすごく昔の話なので、詳細忘れた……
沖田番は、こないだ(っていつだ)来たそうですが。
ただ今中門改修中で、覆いに遮られちゃってるのが艶消し。とは云え、伽藍の中は普通らしいので、入場料、じゃないや拝観料払って中へ。高いなーと思ったら、宝物館つーか大宝蔵院や、夢殿もある東院伽藍の分も含めた金額でした。それならこんなもんか。
えーと、この西院伽藍って、結構建物の間隔がきちきち……? 何となく圧迫感を感じる、のは、こないだ大阪の四天王寺の伽藍を見てきたあとだからか。四天王寺の伽藍は、何か知らないけどスカスカな感じがしたのですが、ここは生きて動いてる伽藍だなぁと云うカンジ。


「信仰が生きてるからなんじゃねぇですかい、聖徳太子に対する信仰が」


などと沖田番は云いますが、さてどうなんだか。
あ、圧迫感感じるもう一つの理由は、最近よく行ってたのが高野山の壇上伽藍とかだったからかも知れない。あそこはだだっ広い(しかし、信仰の気配と云うか、へんなポテンシャルは凄いからなー)から、あれと較べると圧迫感感じるのかも。



えー、写真を(スタッフの方に)撮って戴いたらば、まずは五重塔
昔見たはずなんだけど、中の多分漆喰の涅槃図とか何とかを見る。上からかぶさってるの、須弥山とかそう云うイメージなのかな、窟屋にいるみたいなお釈迦さまとその弟子たち。
なるほど、初転法輪とかそう云うの(多分)とか、細かい! よく作ってあるなぁ、と感心しながらぐるっと。
でもって、次は金堂。ちらっと見ると、壁面に描かれた仏の絵が! うわ、結構きれいに残ってるなぁ、って云うか、よく写真で見るアレ、画像修正してたわけじゃなかったんだなぁ、とびっくり。
釈迦三尊像もまぁ見たとおりで、1300年以上経ってることを思うと、大事にされてきたんだなぁとしみじみ致しました。
ところで、この金堂には、内陣の外に庇があって、そこがぐるりと回廊のようになっているのですが。法隆寺聖徳太子の研究で有名な上原和氏が、この庇の部分で、僧侶たちが経を誦しながら、ぐるぐる巡り歩いたのではないか、と云う説を述べられておりましたが、確かにそんな感じに使えそうだなぁと云うカンジが致しましたです。
大講堂もお参りして、次は宝物館へ。



しかし、西院伽藍の回廊の柱はエンタシス、と云うのは、例の和辻哲郎氏が云ったことだそう(『古寺巡礼』は読んでない)ですが、これ、エンタシスかなぁ……まぁ、膨らんでるっちゃ膨らんでるけど、そうかなぁ……
個人的には、五重塔とかの雲形臂木が玉虫厨子の装飾的な臂木を元にした、と云う上原氏の説の方が、何となく納得はできた(両方見たしね)んですが。
まぁ、確かにちょっと膨らんでる方がどーんと太いよりはカッコいいのかもしれないけど。そう云うとこなのかも知れないけど。でも、エンタシスって云われるとなー。どうなのかなー。
ホント、どうなんでしょうかね……



さて、西院伽藍を出て、てくてく東へ。次は大宝蔵院。
国宝や重文がもりもりあります。
がまぁ、目当ては玉虫厨子とかなのですが。
夢違観音像とかにお参りしつつ、古い仏像にきゃっきゃする私ども。
沖田番似の仏像とか、ちょっと私似の仏像とかあるのは、白鳳期の“六菩薩”とやら。
しかし、個人的に自分に一番似てるのは、夢殿にあるはずの秘仏・救世観音像なのですが。全体的に似てるので、今度写真をしぷのプロフ画像に使おうかな、とか思うくらい。大体あんな顔です。残念。
玉虫厨子の捨身飼虎図とかをガン見し、橘夫人厨子の大きさに驚愕し(玉虫厨子くらいかと思ってた!)、そう云や橘夫人って光明子のお母さんだったっけなー、とか思いつつ、百万塔陀羅尼(は称徳天皇=つまりは聖武の娘、が作らせた)とか見て、だらっと大宝蔵院を出る。
次は東院伽藍=夢殿。



夢殿の秘仏・救世観音像は、春先の公開なので厨子は閉まってました。
が、内陣にぐるっと経机が置いてあり、その上にはお経が、でもってほんのりお香のにおいがする。ああ、ちゃんといつも誦経されてるんだなぁ。
救世観音に関しては、まぁ聖徳太子の呪い封じとか何とかいろいろ説がありますが、個人的には、太子本人の呪いとかは、まぁ後世の人の気のせいだと思います。
間違いなく好き勝手やってた人だと思うので。隋の煬帝に喧嘩売ったり(「日出処天子云々」)とか、冠位十二階とか。
『女帝推古と聖徳太子』(中村修也 光文社新書)じゃないですが、息子の竹田皇子推しの気性の激しい叔母さんに、「面倒なんであの人帝でいんじゃない?」とか云ってそうだし。馬子にΣ(-д-;)的な顔されてそうな感じがします。個人的意見です。
何かこう、有能だったんだろうけど、加×和江さん描く太子みたいな、ああ云う性格の悪さとかねー、と云うか。多分摂政になったのだって、気性激しすぎて推古怖い、みたいになった重臣たちの推しでなったんじゃないかと思う(で、云われて"しょうがないなぁ(にやり)"的なカンジの出馬)ので、まぁイイ性格してたんじゃないかなぁ、きっとそうやって推されたからやりたい放題だったろうなぁ、とか思うので。
そういう人が怨霊はねぇわ、と思うのです。イマイチ性格に問題があったんじゃないか(頼家的な意味で)と思われる山背大兄は怨霊になりそうに思えたかもしれませんが。
まぁ、若草伽藍が燃えた(らしい)ことを怨霊の仕業ととったならそれもありかなーとか思うのですが、しかし多分再建しただろう天智の方がよっぽど(以下略)なので、まぁ結局はのちの世のひとの思いこみで成り立ってるんだろうなぁと。
別に普通にきれいなところですよね、法隆寺。いろんな意味で。



中宮寺とか北室院とかを外から見た後、龍田神社に行こうぜ! となったので、西大門へとたらたら歩く。
と、中門前で、修学旅行生の手段に遭遇。おお、良かった、ぶつからずに済んだぜ。
たらたらと行くと、どこからか人の声がするような気がする。
何だろうと思って、声のする方に行ってみると、おお、八角形? のお堂から誦経の声が! そう云や西円堂で修二会があるとか、入口あたりに書いてあったけな。
西円堂まで上がり、お参りしつつ、暫く誦経の声を聞く。何かやっぱお経の読み方(漢音か唐音か、イントネーションとか)全然違うなぁとか思いつつ、そこを離れて龍田神社へ。



コ×ミルの地図で見ると、法隆寺のずっと西→南へ折れて大きな道路のところ、みたいに書いてあるので、西大門を出てまっすぐまっすぐ。
しかし、地図と違って細かいクランクがあったりするので、途中で沖田番に道を訊かせつつ(またか)、ずっと西へ。
途中古墳が! 藤ノ木古墳ですね。住宅街の中にいきなり古墳があるところが奈良です。
現在は公園として整備されてるので、ちょっと覗いてみる、と、石室に続く通路が、人感センサーによりちょこっとの間照明されるようになっている。おお、新設設計!
まぁ、あんまりよく見えなかった(ガラスが汚れ気味とかね)のですが、雰囲気だけ味わいました。
で、下っていくと、何か偉そうな建物が。屋根にスピーカーがついてるが、つくりは奈良時代の寺院建築風。


「きっと役場ですぜ」


との言葉どおり、斑鳩町役場でした。
それを通り越して、さらに西。結構な距離歩いた先に、龍田神社はありました。
が、まぁ仕方ないけど、建物がごく新しい――つか鉄筋コンクリート? ちょっと風情がね……と云いつつお参り。
で、国道25線を今度は東――法輪寺に参ります。



法輪寺は、山背大兄が太子の病気治癒を祈念して建てた寺なのだとか。
法隆寺の一角から1kmほど離れた、民家からもほど遠い場所にあります。
飛鳥仏の薬師如来もあるそうなのですが、そろそろ陽も傾いてきたし、法起寺に行きたいのでかるくお参り。
でも、するっと行っちゃいましたが、伽藍はそこそこ大きかったですよ。しかし、お参りする人がやや少ない(法起寺よりも交通の便が……)せいか、若干雰囲気が――いや、悪いわけではないんだけど、ちょっと寂しい感じでした。
講堂も(建立された年月はともかく)オーソドックスな奈良とかの様式(だから、創建当時のままではないんだろう)で、良いのは良かったです。



でもって、さらにてくてく歩いて法起寺
どうでも良くない話ですが、今地図見直したら、法起寺って大和小泉駅に近い! 法隆寺駅よりも近い! そっちまで歩いた方が良かったんじゃないの……
まぁともかく法起寺。ここも世界遺産だそうで……
ここも山背大兄の絡みで、岡本宮を山背大兄が太子の遺命により寺に変えたのがはじまりとか。
お寺として生きてる感は、正直法輪寺の方があったのですが、しかし、ここは何と云うかコンパクトで良い感じ。
昔の私寺ってこんなカンジかなぁ(しかし、多分法起寺は私寺ではないだろう)と云う感じのする、雰囲気の良いところでした。
しかし、ここの収蔵庫的なところにも、愛染明王とか不動明王とか阿闍梨の像が……聖徳宗って、真言関係ないのでは!? ……奈良六宗に阿闍梨の及ぼしたアレコレって大きかったんだなぁと、つくづく思いましたです。そう云や、華厳も伝来当初とはちょっと教義が違っちゃってるとか何とか。この辺は、阿闍梨の、と云うよりも、最澄の脅威が凄かった、と云うべきなのか……
ともかくも、たらっと回って、ここからまたてくてくと法隆寺駅へ戻ります。



奈良に戻り、チェックイン、の前に駅ビル(ビエラ奈良と云うらしい)で、おかんに勧められた吉野葛の天極堂カフェで、お茶。糖分足りぬ。
沖田番は葛ブリュレを、私は葛ぜんざいを戴く。やわらかい甘みが身に沁みます。うまうま。
同じフロアのSeriaでネイルチップケースを買ったり(レジンでアレコレするパーツを入れる用。別府で見つけていたのですが、近所のにはなかった……)とか、カラーのレジンを買ったりとかした後、ホテルへ。
客室は9階、奈良公園側(だったはず)。ちょっと広めの部屋で、ソファが大きい! 部屋に興福寺関係の書籍がたくさんありました。けど、結局ほとんど読まなかった……てへ。



夕食は、三条通のKURAと云うお店。
JR奈良駅から興福寺までを行ったり来たりしつつ、ここいんじゃないかで決めました。
地産地消の緑の提灯の下がってるお店。
ここの売りは地酒! と云うか、利き酒セットがあって、いろんな種類の地酒が飲めます。1セットでほぼ一合、で三種類のお酒が飲める。
酒好きの私どもと致しましては、そりゃあいろいろ頼みますわね。と云っても4セットで9種類で終わりましたが。
ご飯もおいしく、お値段もリーズナブルで良かった! また行ってもいいなと思いました(いや、他にも気になったお店があるのでね……)



ホテルに戻って、大浴場でお風呂。ここは温泉ではないのですが、6Fに大浴場があり(〜23:00)、のびのび入れるのです。お蔭で翌日の夜が非常にありがたかった……筋肉痛になりそうな時は、部屋風呂より大浴場ですよね……
でもって、だらだらとTVとか見て(主に私)、12:00過ぎに寝た、はず。



二日目に続きます。