2014-01-01から1年間の記事一覧

熊野往還記。 三 +おまけ。

熊野紀行、最終日+おまけのかるい考察的な。 考察メインなので畳まないですー。 えー、最終日はもう時間がない(何しろ、13:18に乗り損ねると次が16:05で、東京着が22:00近くになり、自宅着は24:00近くになってしまう……)ので、ゆっくりに朝ご飯食べて、ちょ…

熊野往還記。 二

熊野紀行、二日目。 松本峠と花の窟、那智の滝と補陀洛山寺。 興味とお暇のある方は下からどうぞ。

熊野往還記。 一

久々に紀行。 ホントは神社系なので、紀行にできないんじゃないかと思ったんですが(出雲とか鹿島とか香取とか、全然書いてないもんな)、熊野はちょっと書かないと(自分が)おさまりがつかないカンジなので。 興味とお暇のある方は下からどうぞ。

左手の聖母 16

「散歩がしたい。ミラノ市内を案内しろ」 翌朝、朝食が終わってすぐにそう云ったのは、半分はサライを家の外に引きずり出すためだった。 「ああ? ……別にいいけど」 そう応えるサライは、昨夜のことが夢だったとでも云うように、ごく自然な様子をしている。 …

左手の聖母 15

ミケランジェロが選んだのは、サライの部屋のすぐ隣り――レオナルドのものだと云う部屋とは反対側の――だった。 南東に開いた窓からは、葡萄園と市壁、緑の野と遠い森、その向こうの空に霞むように、かすかに青く山の峰が見える。 「中々いいところだろ」 と、…

左手の聖母 14

サライの建てたと云う家は、確かに葡萄園の南よりの場所にあった。 二階建ての、決して大きくはない――けれど、二人ばかりの人間が生活するには、充分すぎるほどの家。 だが、そこはひっそりと静まり返り、人の気配は感じられなかった。 本当に、サライはここ…

左手の聖母 13

右手が動かなくなる徴候は、実は冬あたりから出ていたのかもしれない。槌を握る手にかすかな違和感を感じたのは、もうかなり前だったような気がするからだ。 本当に気づいたのは、三月ごろ――ウルビーノ公ロレンツォの柩にのせる“曙”と“黄昏”の整形をはじめた…

左手の聖母 12

ジュリアーノの時と違って、レオナルドの死を悲しむ暇は与えられなかった。 知らせを聞いたと同じ一五一六年六月、枢機卿ジュリオ・デ・メディチ――現在の、フィレンツェの統治者である――によって、サン・ロレンツォ聖堂に聖具室を新しく作り、そこに、ロレン…

左手の聖母 11

ジュリアーノの死の知らせを聞いた時、ミケランジェロは、彼にぴったりとはりついていた青白い翳が、遂にジュリアーノを呑みこんでしまったのだと思った。 ――畜生、何だって、あんないい奴が…… モーゼ像に鑿を入れながら、ミケランジェロはぼろぼろと泣いた…

左手の聖母 10

一五一五年、ジュリアーノ・デ・メディチが結婚した。相手は、フランス王ルイ十二世――ジュリアーノがローマを発った丁度その頃に崩御した――の妹でフィリベルト・ド・サヴォア、完全な政略結婚であることは、誰の目にも明らかな二人だった。 これにより、ジュ…

左手の聖母 9

とは云うものの。 それから暫くは、概ね平穏な日々が続いていた。平穏――とある男のことを除いては。 「おい、クソがき!!」 叫んで扉を開けると、中にいた巻毛の青年は、驚きもあらわにこちらを見た。 「……まさか、本当に来るとは思わなかった」 「何だ、その…

左手の聖母 8

再会のときは、案外早くに訪れた――但し、相手はレオナルドではなかったが。 ユリウス二世の墓廟に関する契約のため、ヴァチカーノのベルデヴェーレ宮殿を訪れていたミケランジェロは、ふと、中庭をよぎってゆく、丈高い影を見つけ、足を止めた。 豹の毛皮の…

左手の聖母 7

システィーナ礼拝堂天井画の完成後すぐ――翌年二月二十一日、ユリウス二世が逝去した。69歳だった。 次に法王に選出されたのは、ミケランジェロの幼なじみ――ロレンツォ・イル・マニフィコの次男、ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿だった。 ジョヴァンニ――新…