北辺の星辰 72

 案内されたのは、四畳半の小間だった。
 大広間からはそれなりに離れているので、喧騒もほとんど気にならない。
 妓楼の小間であるからには、そういうことに用いられる部屋なのだろうが、箱館府の首脳の酒宴が開かれるとなって、皆ここを使うのを避けたのだろう、それらしい音どころか、人の気配すら感じられぬ。
 妓女を入れるかとの問いかけに首を振り、中島はどっかと腰を下ろすや、歳三を指し招いた。
「まぁ坐れ。こちらの方がゆっくり呑めるだろう」
「は、それでは」
 歳三が坐ると、それぞれの膳がその前に据えられた。
 新しい銚子が置かれ、仲居が出てゆくと、小間はすっと静かになった。
「……それでは一献」
 銚子を取ってそう云えば、中島はにっと笑って盃を差し出してきた。
「……向こうにいる連中とは、もう良いのか」
「ざっとは済ませましたので」
 幹部とは云え、箱館府の中枢からはやや外れた立ち位置の歳三だ、そう懇ろにしておきたい相手もない――強いて云えば、目の前の中島こそがそれであって。
「淋しい奴め」
「次席のものなど、そんなものでございましょうよ」
「はは、違いない」
 と云うからには、中島も似たような気分であるのだろう。
 それも当然か、中島は、歳三から見ても一回り以上年嵩の四十九歳、留学生であった榎本とは異なり、勝や永井などとも親交があり、またペリー艦隊と応接したりと様々な経験も積んでいる。箱館まで流れてきたのは薩長に対する憤り故で、榎本のような、蝦夷地に徳川の領国をなどと云う甘い夢を見てはいなかったはずだ。
 となれば、自然、榎本ら中枢部とは距離もできようというもので。
「――しかしお前、悔しくはないのか」
 突然そう云われ、一瞬その意味を掴みかねる。
 ややあって、どうやら二股口撤退のことであるらしいとわかったのは、“あの大鳥のせいで”とつけ加えられたからだった。
 思わず肩をすくめて応えを返す。
「敵方は勢いが違いますからねェ」
 どのみち、あれ以上留まり続けたところで、いずれ退かざるを得なかっただろう。何しろ敵は勢いがあり、数も多い。とてもとても、歳三の率いたような小人数で、長期間にわたって食いとめることができるようなものではない。矢不来の大敗で退くことにはなったが、そうでなくとも、いずれあの場所を放棄せざるを得ないことになるのは明白だった。大鳥の敗退は、ただその時期を少しばかり早めただけのことだったのだ。
「だが、あの大鳥が将として無能であるのことは、皆よくわかっていることだろう」
 悔しくないのか、と再度問われ、また肩をすくめる。
「仕方ありませんや。私みたいな野良犬上がりじゃあ、士官連中に示しがつかないとでも思ってるんでしょうよ」
 そう、松平太郎あたりは、特に。
「私は“成り上がり”でございますから――身分を気にされる方なんぞにァ、目障りなんでございましょう」
 それに、そう、伊庭たちのような生粋の旗本にとっても。
 だから、宮古湾海戦の前、歳三の下につくと決まった後の伊庭は、あんなにも噛みついてきたのだろう――将軍の身辺警護を担っていた旗本が、成り上がりの野良犬風情に頭を垂れねばならぬと云うことに、どうしても我慢がならなかったのだろう。
 中島は、微妙な表情になった。
「……しかしお前、本当に、このままここで死ぬつもりか?」
 その問いに、思わず笑いがこぼれた。
「他に、私なんぞがどうすると?」
「だがお前、勝安房に口添えを頼めば、生命くらいは助かるのではないか」
「そんなことなんぞ、できやしませんよ」
「だが、お前……」
 今さらではないか、決戦前夜のこの時に。
 それに、
「私なんぞが頼っていけば、勝さんのお邪魔になるだけでしょうから……」
 それよりも、と云いながら、中島に銚子を差し出す。
「私のようなもんは、ここでぱっと潔く散って、あとの連中をこそ助けて戴かなけりゃあなりません。そのためにも、私のようなもんは、とっととあの世へ逝かなきゃあならないんですよ」
 盃を差し出しながら、中島は首をひねる風だった。
「……そんなものか」
「そんなものですよ。……中島さんこそ、本当にここで死ぬおつもりなのですか?」
 京でさんざんっぱら薩長土肥の浪士どもとやり合ってきた歳三はともかく、中島はそれまであからさまにかれらと敵対してきた事実はないはずだ。そればかりか、一時は長州の桂小五郎を、自宅に居候させていたことがあるとも聞いていた。そのつてを頼っていけば、中島こそ生命は助かるであろうし、海軍の諸事に通じたこの人を、向こうでも手に入れたがっているのではないかと思う。
 だが、中島はにやりと唇を歪めただけだった。
「奸賊ばらに下げる頭は持たんな」
 歳三は唖然とした。
 そして次の瞬間、抑え切れない笑いが肚の底からわき上がる。
「は、ははははは! 中島さんらしいですなァ!!」
「だろう?」
 澄ました顔で云う、それもまたこの人らしい。
 そうとも、この人は、母親と幼い弟のために江戸に残ると云った長男・恒太郎を、抜き身を持って追い回した揚句、遂にこの蝦夷地まで引きずってきたような人物なのだ。激しい、散る火花のような気性であればこそ、薩長の輩と妥協することを考えるのさえ厭わしいのに違いない。
 その中島が、どうしてこの戦いに生き残ることなど考えよう。
「――まァ、そのあたりは、私も似たようなもんですがね」
 中島ほどの苛烈さではないが、歳三も、己の主は己で選びたい人間だ。徳川将軍家が至高とも思いはしないが、薩長土肥がそれに勝るとも思われぬ。それならば、自分はもう“勝の狗”のままで構わぬと、歳三はそう思うのだ。
「――生き延びたとて仕方ない、と云うことか」
「そう云うことなのでございましょうよ」
 まして、生き延びて誰かの助けになれるのならばともかく、ただ斬首されるためだけの生となるとあってはなおのこと。
「……まァ、私なんぞは戦しかできねェ碌でなしです、生き残ったとて、徳川のお役に立つようなことなんざ、何もできやしねェんですよ」
 肩をすくめて云ってやると、
「はは、それは俺も同じことだな」
 中島も静かに笑って、酒を乾した。
 明日からのことを話したのは、それで終わりだった。
 この一戦で散る覚悟であるのは、中島も歳三も同じであり、それがわかっているのなら、もう他に語ることなどありはしなかったからだ。
 それからはぽつぽつと、撤退した仏軍士官たちや、退去していった三藩主たちの話、初めて中島と出逢った江差でのこと、蝦夷全島制覇の宴のことなど、思い出話ばかりを語り合い。
 大広間の宴が果てた子の刻――午前〇時ごろになって、二人は武蔵野楼を出て、それぞれの持ち場へと帰っていった。



 戦端が開かれたのは、夜明け前のことだった。
 まだ明けやらぬ午前三時ごろ、南軍は箱館山の南西、すなわち市街から見ればちょうど裏側、に艦をつけ、寒川、山背泊、尻沢辺あたりから一斉に上陸してきたのだ。
 これまでもっぱら箱館湾内での海戦が多かったため、そちら方面からの上陸は誰の念頭にもなく、山上の見張りのものも十五名と小人数で。早々に持ち場を放棄し、ほうほうの体で弁天台場に逃げこむことになったのだった。
 時を同じくして、箱館湾内には朝陽、春日、甲鉄などの軍艦が入りこみ、蟠龍や浮き砲台である回天、あるいは弁天台場との間で、壮絶な砲撃船がはじまった。
 あわせて敵は、陸兵を七里浜、大森浜から上陸させると云う、文字どおりの総攻撃をしかけてきた。
 その時歳三は五稜郭にいたのだが、夜闇を貫く砲撃の轟きで目を醒まし、敵襲であることを察すると、慌てて跳ね起きた。
 箱館山から敵侵攻、の報がもたらされたのは、その後、夜明け近くになってからのことだった。
 手薄な背後を突かれ、なすすべもなく弁天台場に逃げこんだところで、箱館奉行所の永井玄蕃が、配下のものをともなって、やはり難を避けてやってきたのだと云う。五稜郭よりは弁天台場が奉行所に近かったためであろうが――市中の拠点が弁天台場のみになったと云うことで、そこは完全に孤立してしまったのだ。
 箱館市街戦は、初日にして最大の山場を迎えることになった――つまりは、歳三の望む“大舞台”が、早くも出来上がりつつあると云うことだったのだ。


† † † † †


はいはーい、鬼の北海行、続き。
あと一章!



この辺も、以前にコピーで出した薄い本で書きましたね、こっちは中島さん視点だった!
永井さんで始まり永井さんで終わる(でもっておまけに伊庭と勝さん)薄暗い短編集だったのですが、中島さんだけはっちゃけてて、スゲー愉しかった憶えがありますです。まぁ、壊れた大砲の胴に釘とか鉄片とかと火薬を詰めて、敵が来たらそれに跨ったままで点火させるつもりだった(←死にます)人だからなー。はっちゃけてないわけがない。
中島さんを思い出すと、どうしても佐々木道誉(婆娑羅大名の)を思い出すのですが、まぁつまりそんな感じの人です。
って云うか、何か、屋敷を放棄しなくちゃならない時に、宴席の用意かなんかさせて、そのままの状態で屋敷を明け渡して立ち去った的な逸話があったと思うのですが(←道誉)、中島さんもそう云うとこあるよね、って云うカンジがとてもしております。
まぁ、道誉って云うと、陣/内/孝/則なんですけどね、私的にはね(←大河『太平記』)。確かに大枠で云えば、中島さんもああ云う雰囲気かなー。



ところで全然関係ないのですが、先日二年ぶりくらいに元母方の伯父と会いまして。
割と偏屈な人なのですが(しかし伯父たちの中では一番好きかな、前回会ったのなんか十数年ぶりだったのですが)、しかし割と饒舌だったりするわけですよ。
で、ふと、先生の叔父さんのフランチェスコってこんなカンジだったのかなー、とか思ったり致しました。いや、伯父は結婚したことありますけどね(フランチェスコは結婚しなかったし働いたこともなかった)。まぁ変わり者だったのは確か(一生働かないでも、先生に相続させるほど財産があったわけだから)なんじゃないかと思います。
とりあえず、フランチェスコのことを書く機会があったら、モデルはあの伯父だな、と思いました――作文か。



さてさて、次でラスト! 次回も鬼の話で!