めぐり逢いて 1

「君、齢を偽っているだろう」
 云われて、びくりと身が縮むのを覚えた。
 京都、伏見の奉行所のうち。
 美濃大垣の家を、兄とともに飛び出して、新撰組の隊士募集に応じたのだが。
「十九には見えん。――幼すぎる」
 目の前の床几に坐るひとは、じろりとこちらを見、
「だが、君はすこし沖田に似ている――それに免じて、採ってやろう。……次」
 瞬間、云われた意味がわからなかった。
 “採ってやる”――それでは、自分は新撰組に入れるのか。このひとの傍ではたらくことができるのか。
「……いいんですか?」
 問うと、そのひとはふと笑った。
「採ってやる、と云ったんだ。二言はない。不服か?」
「い、いえ」
 慌てて首を振り、ぴょこりとひとつ礼をする。
 そのまま踵を返すと、兄の待つところへ駆け戻る――跳ね上がる胸を喜びで満たしながら。



 市村鉄之助、と云う。齢は十五、美濃大垣藩のものだった――すこし前までのことだ、今は脱藩してしまっていたから。
 そもそも、京都へ行こうと云い出したのは、兄の辰之助の方だった。
「俺は、京へ行くぞ、鉄」
 兄は、佩刀を握りしめて、そう鉄之助に云ったのだ。
「今の武士は、京だ。志を立てて、京で名を上げるんだ。――お前もくるか、鉄?」
 頷いたのは、深い心があってのことではなかった。兄の唱える言葉の魔力――と云うよりは、“京”と云う土地の、名にすらこもった魔力に捉えられたからかも知れない。
 とにかく、鉄之助は、兄とともに郷里を抜け出し、京都へ向かった。慶応三年の暮れのこと。
 京都は、勤皇の志士たちであふれかえっていると云う話は聞いていた。この年の冬、将軍慶喜公は大政を奉還し、志士たちは勢いづいていた。
 勤皇攘夷、幕府打倒、と叫ぶ声の中、新撰組に入ろうと思ったのは、馬上のあのひとを見たからだ。
 周囲に隊士たちを従えて、背筋を伸ばしたすっきりとした姿で街道を往く、新撰組副長・土方歳三を。
 その姿を見たとき感じた心持を、何と表せばいいのか、未だに鉄之助にはわからない。
 憧憬や慕わしさ、それから、不思議な既視感のようなもの。
 このひとを知っている、と、何故だか思った。知っている、とおい昔、はるか以前、自分はきっと、あのひととともにあったはずだ。あのひとのそばで、ともに生きた時間があったはずなのだ。
 この心持の意味を知りたいと思った。
 だから、渋る兄を引きずって、伏見の奉行所の門をくぐったのだ。時勢はもはや佐幕に不利と、わかってはいたのだけれど。
 兄は知らず、鉄之助は喜んでいた。
 これで、あのひとのもとではたらける。
 しかも、鉄之助に与えられた役は、副長付の小姓――あのひとのそばだ。誰よりも近く、あのひとをたすけてはたらくことができるのだ。
「大丈夫か、鉄」
 兄は心配そうに云ったけれど、鉄之助は首を振った。
 心配してもらうことなどない。自分はもう十五なのだし、自分の身くらいは自分で処せる。
 それに、副長は、巷で云われているほど鬼でも蛇でもない。普段の仕事振りは静かなものだし、長州や土佐、薩摩などの志士たちに対しても、いっそ弱腰に見えるほどに慎重な応対なのだ――もちろん、いざいくさ場となれば、鬼神のごときはたらきではあったのだが。
 その副長が、鉄之助を連れて行ったのが、一番隊組長、沖田総司のもと。
「総司、俺の小姓だ」
 そう云って押し出され、
市村鉄之助です、宜しくお願い致します」
 頭を下げて、そのひとを見、鉄之助ははっとした。
「市村君ですか。沖田です。宜しくお願いします」
 京人形のような、つくりものめいて整った顔――白くやつれたそのひとを見たときの、あの胸苦しさは何だったのか。
 懐かしく、だが同時に胸を締め上げる、苦い思い――強いて云うなら、罪悪感のような。
「市村君、土方さんの小姓は大変でしょう。何しろ、とんでもない我儘ですからね」
「総司! おめぇに云われる筋合いはねぇぞ! 鍵屋の葛きりが食いたい、食わなきゃもう飯も喉を通らねぇって、さんざっぱらごねやがって……ありゃ、えれぇ高ぇんだぞ。しかも、副長の俺を使いっぱしりにしやがって……」
「やだなぁ、土方さん。俺は別に、そこまでしてくれなんて、云っちゃあいないでしょう」
「そういう出鱈目を、どの口がぬかしやがるんだ、えぇ?」
「この可愛い口ですよ? って、あいた! もう、乱暴だなぁ、副長は」
「うるせぇ!」
 そんな罵りあいのような言葉をかわしながら。
 彼らはひどく楽しそうだった。
 ――ああ……
 不思議な感慨が、こみ上げてくる。
 あなたたちは、今、こうしているのですね、ふたりで、しあわせなのですね――安堵のように、そう思う。
 おかしな話だ、鉄之助は、沖田と会うのはこれが初めてだ。無論、副長とも、伏見ちかくの街道筋で見かける前は、顔も名前も知りはしなかった。
 だが、そう、確かに鉄之助は、彼らふたりを知っていた。今ではない、とおい昔――例えば、生まれるずっと前にでも。
 しかし、それをふたりに告げることは、もちろん鉄之助にはできはしなかった。云えば、すこし頭の緩い子供だと思われてしまいだろう。
 だからかれは、こみ上げるものを笑いにまぎらせて云った。
「ずいぶんと、仲がお宜しいのですね」
「腐れ縁ってやつですよ。ねぇ、土方さん?」
「ああ、まったくだ」
 仏頂面で頷いて、副長は片頬をゆがめるように笑いかけてきた。
「市村君、俺ぁ時々しかこいつの見舞いにきてやれんのだ。だから、俺が来れん時には、様子だけ見に来てやってくれ。但し、こいつの云うあれこれは、いちいち俺に伝えんでも構わんぞ。碌なことを云って遣しやがらねぇからな」
「ひどいことをおっしゃいますね、副長どの?」
 云い返す沖田は、しかしくつくつと含み笑う様子だ。きっと、彼らはいつも、こんなやりとりをしてきたのだろう。
「市村君」
 沖田は、喉を鳴らすように笑ったあと、ふと真顔になって、つけ加えてきた。
「私は労咳です。副長が云われたからといって、あまりみだりに近づかないで下さいね。感染ると悪いですから」
「俺はちっとも感染らねぇがな」
「土方さんは、“鬼の副長”ですからねぇ。病も裸足で逃げていきまさぁ」
「この野郎」
 副長は、そう云って拳を振り上げる素振りをしたが、沖田には通じなかったようだった。
「やだなぁ、そうやって、すぐむきになるんだから。子供みたいですよ、土方さんてば」
「やかましい」
 不機嫌そうに眉を寄せる副長を尻目に、沖田はにこにこと鉄之助をさしまねき、饅頭をひとつ与えてくれた――近所の子供に菓子を与えるかのように。
「いいなぁ、市村君は。本当に可愛いね」
 それから訪ねて行くたびに、沖田はにこにことして、鉄之助にとってはあまり嬉しくないことを云ってきた。武で身を立てようという人間に向かって、“可愛い”などと――そんなことを云われても、嬉しくもなんともないではないか。
 だが、あるいはこれは、沖田の鉄之助に対するからかいであったのかも知れなかった。そんなことを云う沖田こそが、少女のように愛らしい顔立ちをしていたのだから。
「弟がいたら、こんな風だったのかな。俺には、男兄弟はいないから――碌でもない“兄貴分”は、山のようにいるんだけどねぇ」
 と云うのは、江戸をたつ前から一緒にいたと云う、試衛館時代の仲間たちのことだろう。その中には、近藤局長や各隊の組長、もちろん副長のことも含まれているに違いなかった。
「土方さんの様子はどう?」
 ときどき、そんなことを問われることもあった。
「あのひとはね、ちょっと、自分ががむしゃらにやれば、何とかなるって思い込んでるところがあるから――そういう時は、止めてあげてくださいね。どうにもならないときにはどうにもならないって、あのひとに教えてあげる人がいなけりゃならないんだから」
 だが、鉄之助に一体なにができると云うのだろう? 鉄之助は隊士見習で、副長の小姓で――それだけの存在でしかないというのに。
「――はやくお元気になって、隊務に戻られてください、沖田隊長」
 鉄之助は、噛みしめるように云った。
「僕には無理です。沖田さんでなければ……」
 自分にはできない――とおい昔、同じことを思ったことがあったはずだ。この人でなければ、あのひとを支えることはできないのだと、苦く思い知った日々があったはずなのだ。
 鉄之助の苦い気持ちを知ってか知らずか。
「無理でも、やってもらいますよ」
 沖田は、噛んで含めるようにそう云った。
「俺が動けない間は、それは君の役目です。俺が任せるんです――やれますね?」
 有無を云わさぬ口調だった。
 鉄之助は、引き込まれるように頷いてから、それでも反論を口にした。
「でも、副長が何とおっしゃるか……」
 だが、その言葉は、沖田の強い腕と声とに遮られた。
「君にならできる。俺が見込んだのだからね」
「……はい」
 そうだ、この人こそが、本当は誰よりも副長のそばにいたいはずなのだ。
 副長と一番隊組長の仲のよさは、誰もが知るところだ。本来なら、この人とて、副長の隣りの位置を明け渡したくなぞないに違いない。
 それでも、鉄之助にそれを譲ってくれるのは、身体がそれを許さないのと、
 ――俺になら、完全に取って代わられることもないと思っているのかな。
 入隊したての見習ならば。
 だが、それを怒る気にはなれなかった。
 それでいい――沖田がそういうつもりなら、その期待に沿うように努めよう。沖田の居場所を守りきり、見事にかれが返り咲いたそのときには、きれいにそこに収まれるよう、沖田に限りなく近く、他のものが入り込めぬよう、かのひとの隣りに居続けよう。
「そのかわり、約束してください。必ず、よくなられて、隊務に戻られるのだと」
 あのひとの隣りに戻るのだと。
 鉄之助が云うと、沖田はすこし目を見開き、ややあって、
「――うん。約束するよ」
 にっこり笑って頷いた。


 † † † † †


鉄ちゃんの話。殴り書きだ。
鉄ちゃん、史実がよくわかりません。ので、『燃えよ剣』設定で。Wikiの記事も矛盾があるし、『PEACEMAKER』もちょっとアレだし。
ノリとしては、ちょっとスピリチュアル系で。つっても、別に超能力とかは出ませんよ?
まだ続きますよ。この項に書き足すつもりだったけど、長くなりそうなので分割します。
そのうち、きちんと書き直して、サイトUPでもしてみるかな……


あ、一応この話、3話くらいで終わる予定ですよー。