めぐり逢いて 8

 足を負傷した副長を、背負って運んだのは島田魁だった。
 六尺あまりの大きな背に負われた副長は、何故だかひどく小さく見えた。傷の痛みのせいか、あるいは発熱しているものか、目を閉じてうとうととしているようだった。
 鉄之助は、副長の差料を抱えて歩きながら、不安な心持で、副長の顔をみつめていた。
 足の骨が砕けてはいるようだが、怪我そのものは致命的なものではない。だが、弾はまだ皮膚の下に埋まったままだ。止血はしているが、鉛弾が身体の中にあっては、なかなか傷も治るまい。そうして、傷の直りが遅ければ、そこからどんな事態になるともわからない。
 全軍は会津へ転進していたが、無事会津にたどり着ければよし、さもなくば――万が一ということも、ないとは云えぬ。
 鉄之助がちいさく身を振るわせると、島田がそれに気づいて、わずかに笑みをみせた。
「――大丈夫だ、市村。副長は、回復されるさ」
「……そう、ですよね」
 そうとも、こんなところでこの人が死ぬわけはない。沖田も追いつかぬ前に、こんなところで副長が斃れるなど、そんなことがあるわけが。
 自分にそう云い聞かせながら、鉄之助は、島田の隣りをただ黙々と歩いた。
 鉄之助たちが会津にたどり着いたのは、宇都宮陥落から五日後の、四月二十九日のことだった。
 会津には既に、流山から斉藤一に率いられてきた新撰組隊士たちが到着していたが、副長は歩くことが困難なため、指揮は引き続き斉藤に任されることになった。
 その、到着した会津で、鉄之助たちは、局長・近藤勇の刑死を知ったのだ。
 武士としてのかたちを保った切腹ではなく、ただの罪人と同じ、斬首による死であった。
 泣き崩れる隊士たちと異なり、副長は、硬い表情で、その報を聞いていた。
 会津侯が、若松の天寧寺に局長の墓を建立してくれたと聞いたときにも、ただ、
「――そうか」
 と頷いたのみで、特段涙を見せることもなかった。
 自分まで崩れては、隊士の士気が下がると考えて、あのように冷静に振舞っているのだろう――会津で合流した隊士たちは、そう噂したが、鉄之助にはわかっていた。
 ――あんたを、新撰組から解き放ってやる……だが、腹は切らせねぇ。
 流山で、副長の口から出た、あの冷たく熱い憎しみの声を憶えている。
 副長は、決して涙を見せはしないだろう。それは、隊士の動揺を抑えるためとも、あるいはあの憎しみを肚に呑んでいるがためとも、知れはしなかったが。
 ともかくも、鉄之助は、副長につき従って、会津若松で過ごすことになった。
 島田たちは、新撰組本隊と合流し、斉藤――この時には、既に山口二郎と変名していた――の指揮の下、白河口へと戦いに赴いた。
「斉藤の指揮なら大丈夫だ。あいつァ、生半の兵法家じゃあねぇからな」
 副長は笑いながら云ったが――その顔が、どこか翳りを含んでいることは、鉄之助にも見て取れた。
 局長を見殺しにしたも同然であることが、その胸中に翳を落としているものか――だが、それともまた違う何かが、その翳の中にはあるように思われた。
 ――……土方さんって、実は結構背負いこむ質なんだよねぇ。
 不意に。
 かつて、沖田に云われた言葉が、脳裏をよぎった。
 ――土方さんが、へんな風に何もかんもを背負いこんでたら、君が背中を蹴飛ばしてあげて下さいね。
 ああ、そうだ、沖田にそんなことを云われたのだ、今はもう遠い日に。けれど、まだあれからわずか一月ばかりしか経ってはいないのだ。
 ――沖田さん……俺には無理です……
 褥の中で丸くなる、副長の背を見つめながら、鉄之助は思った。
 自分には無理だ、この人の背中を蹴飛ばしたりはできない。それが出来るのは、許されるのは沖田だけだ。沖田しか、この人の背中を蹴りつけることはできないのだ。
 沖田がもし、ここにいたら。
 そうしたらかれは、すこし唇を歪めて笑い、副長を爪先で蹴りつけただろう。怒って振り返る副長に向かって、「何へこんでやがるんです、みっともねぇなァ」と笑いかけて、返る拳をひらりひらりとかわして見せたろう。それを怒鳴りつけているうちに、副長の顔にも精彩が戻ってきたのだろう。
 だが、それは沖田にだけ許されたことであって、たとえば島田などの隊士たちや、まして鉄之助などには、決して許されることではないのだ。
 ――沖田さん……
 鉄之助は、あらためて、沖田のいないその穴の大きさを噛みしめていた。
 病床の副長を見舞いに、様々な人が宿を訪れたが、副長は、誰にも言葉少なで、自分の考えに沈みこんでいるようだった。
 幕臣の望月光蔵が訪れたとき――副長は、まだ発熱が収まらず、横臥したままでかれと会ったのだが、
「ともに戦え」
 と云う副長に、望月は、
「私は文官ですから、文で会津に貢献したいと思います」
 と云った。
 副長の眉が、きつく寄ったのがわかった。
「臆しているのか」
 嘲笑まじりに、副長は云った。
会津まで来て、“文で”たァ片腹痛ェ。文で貢献する、何がここにあると云うんだ。何のために、あんたは江戸を抜けたんだ。文で貢献するんなら、おとなしく江戸にいりゃあよかったじゃねぇか。それを、何だってわざわざ、会津くんだりまで来たってぇ云うんだ? 薩長と剣で戦う、そのためじゃあねぇのか――それで今さらそんなことを云う、あんたはまったく臆病者だな」
 望月は、顔を真っ赤にして黙りこんだ。
「――それを云うなら、あなただって臆病者だろう」
 やがてかれは、軋る歯の間から、そのような言葉を吐き出した。
「あなただって臆病者じゃないか――私を臆病と云うなら、なぜあなたは、宇都宮を再び攻めて、陥落させようとはしなかったんだ。あなただって、敵前で逃げ出したのではないか。それを、臆病者と云うのではないのか」
「……あの場にいなかったあんたに、そんなことを云われる筋合いはねぇ」
 副長の声は、怒りに満ちていた。
「あそこでどんな戦いがあったか、知りもしねぇあんたに……」
「だが、あなたの論でいけば、あの宇都宮の壊走も、臆病ゆえのことではないのか」
「……黙れ!」
 副長は、恐ろしいまなざしで望月を睨みつけた。
「あんたの無駄口を聞いてると、俺の具合が悪くならぁ。戯言は聞き飽きた、さっさと出て行きやがれ」
「私の言が正しいと、お認めになるのですな」
「出て行け!!」
 望月は肩をすくめ、一礼して部屋を出て行った。
 副長は、怒りがおさまらぬ風で、かれのせなへ枕を投げつけた後、顔を背けるようにして、
「――何も知りやがらねぇくせに……」
 と呟いた。
 鉄之助にも、副長の気持ちは察せられた。
 あの場に居もしなかったものに、宇都宮の敗戦のことを云々されたくはない。
 決して、怯惰ゆえに負けたのではない。薩長の大軍と、幕軍は互角以上に戦った。ただ、運がなかった、それだけのことであると云うのに――臆病などと、それは、全軍の兵たちに対する侮辱にも等しいではないか。
 ――何も知らぬくせに……
 それは、鉄之助の心でもあったのだ。
 沈みこむ副長に、何か言葉をかけたい、けれど、何を云えばいいのかわからない。
 鉄之助は、途方にくれたまま、ただじっと、副長の傍にいることしかできないでいた。



 副長が、ふたたび新撰組の指揮を執るようになったのは、会津についてから二月あまり経った、七月朔日になってのことだった。
 だが、その間に、戦況は悪化の一途を辿っていた。
 会津・仙台を中心とした奥州列藩同盟軍は、白河の戦いで、薩長軍に大敗を帰していたのだ。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。


鬼、うだうだしてます。うだうだ。
何か、よくシチュエーションを考えてみると、枕投げってこんなんだったんじゃ? と云うカンジが。
つーか、冷静に考えてさ、文官が江戸から会津へ来て、文で何やるって云うんだろうね。枕投げたのは確かに悪かったけど、望月さんの云い様もどうかとおもう――文で貢献するとか云うんなら、おとなしく勝さんの下で働いてりゃ良かったんじゃん! 会津まで来たんなら、普通剣とって戦うだろ! 気概だけでも見せないってのは、本当にただの臆病者じゃねぇかよ!
……いやいや、エキサイトするところではない。
けど、まぁ、こんなカンジだったんじゃないのかなぁ。美化してないとは云わないけど(すみませんね)。
でもさ、自分のことだけ云われたら、まだ黙って俯いてるだけだと思うんだよね。枕投げたってことは、望月さんの科白が、死んでいった兵士を馬鹿にするようなところがあったんだと思うんだけど――って、どうですかねぇ?


この項、これにて終了。