北辺の星辰 14

 歳三が戦線に復帰したのは、七月六日、福良村でのことだった。
 とは云え、ここでの歳三は、あくまでも幕軍本隊の参謀的な立場に留まり、新撰組の統括は、相変わらず斉藤一が行っていた。
「今の新撰組の隊長は俺だ」
 斉藤は、いつになく強い口調でそう云った。
「そうであるからには、新撰組の動向は、俺が決める――俺は、新撰組とともに、会津のために戦うさ。あんたは、大鳥さんの補佐をしてくれればいい」
 そう云われた時、歳三は、さほどの驚きもなくその言葉を受け止めた。
 そうだ、斉藤は、ひどく会津候に心を寄せていた。ここ最近の話ではなく、新撰組に入ってからこのかた、ずっとそうであったのだ。あるいはかれは、心のうちで、会津候を己が仕えるべき主君と考えていたのかも知れぬ。
 そうであれば、かれがこのようなことを云い出したとて、何の不思議もないではないか。
 しかしながら、と歳三は思う。
 かれにとても、使命はあるのだ。勝から託された、幕軍を保持しつつ、奥州列藩との同盟を果たし、薩長に対抗できる勢力を作るという使命が。そのためには、必ずしも新撰組の統率者である必要はないが、かと云って、参謀の位置に甘んじていてもならぬのだ。
 だが、歳三が部隊を率いて戦線に参加することは許されなかった。
 大鳥からも、やんわりとした言葉ではあったが、新撰組と行動をともにするようにとの通達があったからだ。
 歳三は、自分の立場が宙に浮いたものになったのを感じた。
 とは云え、斉藤が新撰組の指揮権を渡さないわけは、歳三にもわかっていた。
 斉藤は、大鳥と反りがあわないのだ。
 もともと斉藤は、命令を下しても、かれのやりたい流儀でさせなければ、命を果たそうとはしない男だった。それをわからぬ近藤に命を下されて、動かずに歳三が調停に駆り出されたことも二度三度ではなかった。
 対する大鳥は、幕軍の士官たちばかりを相手にしてきたところがあり、また、本人も作戦を細かくたてて行動を起こす質であるためか、部下が勝手に判断して動いていくことに慣れていないようだった。
 自然、大鳥は締め付けを厳しくしようとし、斉藤はそれに反発する、と云う悪循環が生じていたのだ。
 それを調整しようにも、斉藤はすっかり依怙地になっている。こうなっては、歳三にはお手上げだ。
 だが、それでも何とかなっているのは、ひとえに斉藤の、会津に対する愛着ゆえであっただろう。
 ここで大鳥と、本格的にことを構えれば、戦況そのものに、ひいては会津の命運にも関わることになる――そう、斉藤が自覚していればこそ、かれはかれなりにおとなしくしているのだ。
 ともあれ、こうなっては、歳三の出る幕ではない。おとなしく新撰組に――客分として――付き従いながら、幕軍の参謀として、気づいたことを上申するくらいのことしかできないのだ。
 歳三は、福良に腰を落ち着け、新撰組本隊とはしばしば別行動をとった。その方が、隊内に無駄な混乱を招くことがないと考えたからだ。
 幸い、と云うべきか、自身が隊を率いて参戦していない分だけ、戦場全体の勢力の変化や、布陣の穴、敵の攻略予想などをじっくり考えることができる。かれの助言を、大鳥や会津の首脳が聞き入れるかどうかは微妙なところだったが、それでも、できることはやらねばなるまい。
 とは云え――やはり、実際の戦闘に参加できないことは、歳三としてはどうにも歯痒いことだった。
 もともと、配下が動くのを、後ろでどっしりと構えて見ていられる質ではない。たとえそういうことになったとしても、結局は我慢ならずに斬り込んでいってしまうのが、歳三と云う男だ。
 そのかれにとっては、会津まで来てのこの立場と云うのは、ひどくもどかしいものでしかなかった。
 歳三の、そのような胸中をよそに。
 新撰組本隊は、猪苗代湖の南東、諏訪峠を越えた町守屋に陣を進めていた。
 だが、七月二十六日、隣藩である三春藩守山藩が降伏すると、かれらは郡山への転陣を図ることになる。
 歳三も、もちろんそれと行動をともにせざるを得なかった。
 だが、人馬の都合がつかず、また、二十八日に会津軍が本宮の戦いに敗れ、また二十九日に二本松城が陥落すると、郡山へ行くこともできず、再び湖南方面の三代へ転陣する。
 ――俺ならば、こんな転陣はしねェ……
 隊と行動をともにしながら、歳三は胸中で呟いた。
 自分ならば、ここで三代には行かないだろう。
 自分が新撰組の進退を任されていれば、自分が全軍を指揮する立場であれば――だが、それは、歳三の頭の中で繰り広げられる戦略でしかないのだ。かれの思う作戦が実行されることは、決してありはしないのだ。
 もちろん、隊を離れて、会津上層部や、あるいは幕軍本隊の大鳥などと折衝することもあったが――所詮は、“新撰組”あっての歳三なのだ。かれが単独でことをおこすには、あまりにも何もかもが足りなかった。人も、力も、名声も――かれを見こんで後押ししてくれる人物すら。
 それでも、歳三は、自分なりに戦況を見、彼我の戦力を計り、方策を考えて上申することしかできなかった。他に、できることも、するべきこともなかったから。
 だが、それらの上申は、とるに足らぬものとして打ち捨てられ、あるいは戦時の混乱の中で失われ、いずれも取り上げられることはなかった。
 八月十七日、二本松奪還のための戦端が開き、三代から転戦していた新撰組にも、翌十八日、出兵要請がくる。新撰組は猪苗代・亀ヶ城に宿陣、歳三はひとり、中地から福良の本陣に移る。
 そして八月十九日、新撰組の母成峠出陣が決する。
 戦況は、会津側に不利なまま、大きく動き出そうとしていた。 


† † † † †


鬼の北海行、続き。


この辺、電波が微弱だと思ってたら、いきなりキた。つーか、来るときはいきなり生っぽい(風化した記憶ではなく)感情がくるので、いつもながら厳しい――つーか、何でこう、ダークな感情だけ生で強いんだろう。山南さん(切腹のネタ)の時もそうだったんだけども。
喉を塞ぐようなくら(昏、あるいは冥)い感情、ってのはどうなんだ。
つぅか、このまま行くと、鉄ちゃんの話で書いたのとは、展開が変わってきそうなカンジが致しますよ……母成峠後は、結構いろいろあったみたいな気がします。


とりあえず、一ちゃんは会津寄り(本人の言のとおり)、鬼は勝さんの狗で。
……この鬼、すげェヤな奴じゃね? でも、鬱々としてると碌なことを考えないので、まァこんなカンジだったんでしょうさァ。
とりあえず、(よく別行動をとりつつも)母成峠までは一緒に転戦してたらしいと云う(怪)情報が。このころアップダウン激しかったそうです……ええ、そうでしょうとも。
つーか、例の白虎隊との話(書いてませんが)は、一部は鬼、一部は一ちゃん、一部は島田、と云うことらしいです(噂)。えーと、馬に乗ったままで云々ってェのは、誰だ? 馬術系なら安富か? ……まァ、確かにあの時期は“副長”だけどもさ!
ところで、この時期にいたと云う“会津のすごい美形”って誰? 暗い話ばっかの中で、これだけがやけにひっかかってるんですけど……どういう立場のひととか、手がかりはねーのか、オイ!


全然話とは関係ないのですが、沖田番と話してて思ったこと。
鬼って、食いっぱぐれてひもじい思いをしたこととか、今日眠るための布団の心配したこととかないよね、そう云えば!
総司は結構貧乏で、食べてけないから里子に出されてますが、鬼は実家でモラトリアム(笑)だもんなァ。そりゃあ“何甘ったれてんだ、この人”(by総司)と思われても仕方がないよな――ええ、すいませんねェ、甘ったれですよ! あたしもな! ……畜生。
でもまァ、何かをする(=思い立つ)ためには、ある程度の経済的余裕がないと厳しい部分はあるんだろうなァ。衣食足りて礼節を知る、じゃあないですが、ある程度の経済的な、あるいは知的な土台がないと、上のランクに進んだりとかはできないのかも。
そう云や、先生も、貴族じゃないけど裕福な家の出だし、殿(伊達の)は云わずもがなだァね。そしてみんな甘ったれだよ……ちっ。
でも、鬼が単独では前に進めないように、総司だってひとりでは歴史に名が残りはしなかったと思うんだけどね――残ったから何だってわけじゃあありませんが。
結局、総司にとって、鬼と出会ったことは良かったのか、悪かったのか。――評価の分かれるところですかねェ……


ところで、十数年来の呑み友だちふたりが、実は鬼好き+勝さん好きだったことが、つい先日判明し、驚愕しております。
そういえば、私がこのブログはじめたあたりはあんまり会ってなかったから、こういう話題も出なかったもんなァ。
しかし、勝さんはともかく、鬼……好きですか、そうですか……何かビミョーな気分なのは何でだろう。まァ、かっちゃん好きでないだけマシか、な? マシなのかな……(汗)


この項、一応終了で。