北辺の星辰 15

 八月二十日、二本松城奪回に向かった幕軍が敗退したとの報があり、進攻してくる薩長軍を食い止めるため、新撰組などの守備隊が、母成峠に集結した。
 歳三は、福良から母成峠の第三台場――会津と旧幕同盟軍の本部の置かれた――に移ってきていた。
 ここには、会津側の守備隊の首脳とともに、大鳥ら幕軍本隊も宿陣していたが、その大鳥は、どこかぴりぴりした様子で、軍議に参加していた。
「大鳥先生は、この布陣がお気に召さないようなのです」
 大鳥の副官である大川正次郎が、こっそりと歳三に囁きかけてきた。
会津の方々は、どうも連絡が緊密でないご様子で――先だっての二本松奪回作戦の折に、先導の二本松兵が道に迷ったり何だりと、どうも連携が上手くなく……この度の布陣も、二本松攻めの二の舞になるのではないかと、そう思われているようで……」
「……なるほど」
 それは、何となく得心がいった。
 正直、大鳥の指揮官としての能力には、いささか疑問を覚えずにはいられなかったが、しかし、こと戦略については――机上の空論のきらいはあるにせよ――、歳三は、大鳥の目を信じていた。
 あの男が嫌う布陣であれば、確かに問題があるのだろう。
 今回の布陣は、二本松からの道沿いに、手前の萩岡に第一台場、玉ノ井からの道の交わるあたり、中軍山と呼ばれるところに第二台場を、そしてもっとも奥、ちょうど母成峠のあたりにこの第三台場を、それぞれ築き、各隊をそここに配置している。新撰組は、そのいずれでもなく、石筵川沿いの勝岩に布陣しているとのことだった。
 幕軍・会津軍などの同盟軍は、その数およそ八百。しかも、母成峠のあたりは、険峻な地形が天然の要害を生み出している。会津軍の首脳は、この地形があれば、会津薩長などに破られることはないと高をくくっているのだろうと思われた。
 だが、
 ――どこまで持ちこたえられるもんだかな。
 と、歳三が冷ややかな心持で考えたのは、やはり、同盟軍内部の連携の悪さが気に懸かっていたからだった。
 実は、この同盟軍は、幕軍・会津だけで構成されていたのではなかったのだ。二本松藩仙台藩などの兵も交えた、いわば“奥州列藩同盟軍”とでも云うべきものが、この守備隊だった。
 だが、その混成軍であることこそが、この軍の弱点でもあったのだ。
 同盟軍の総督は大鳥だったが、かれと各部隊の連絡は、歳三の目から見ても、緊密であるとは云いがたかった。
 もともと、会津内部でも、指令系統が統一されていないのは、これまでの戦いの中で知ってはいたが、それに加えて他藩の兵までが在るとなれば――大鳥の命が果たして末端まで正確に伝わるものか、はなはだ怪しく思われたのだ。
 ――それに、大鳥さんは、戦力の読みがどうも甘いところがあるからなァ。
 たとえ作戦自体がよくできたものであっても、実際に動く兵の能力にそぐわないものであるならば、戦いには敗れることになる。
 ともあれ、参謀としてここにあるからには、大鳥の見落としたところを抑えることが、自分に与えられた仕事と云うことになるのだろう。
 戦端は、朝の九時ごろに開かれた。二本松方面から石筵に、板垣退助伊地知正治率いる薩長軍約二千が押し寄せてきたのだ。
 最新式の銃を携えた薩長軍の前に、同盟軍はほとんど反撃すらできなかった。
 母成峠の本陣から見下ろす歳三には、萩岡あたりで上がる砲煙や土煙、遠いざわめきのような怒号と砲声の轟きが感じ取れた。
 それらのものは、徐々にこちらへ移動してきているように見えた。同盟軍の敗色は、早くも明らかだった。
 ――一旦退いて、第三台場を厚くするべきか。
 だが、この本陣まで響くほどの砲声を考えれば、もはやそのような策で対抗することすら難しいのではないか。
 そして実際には、歳三には、策を練って伝達する暇すらも与えられはしなかった。
 第一台場はあっけなく陥落、薩長軍は、第二台場へ殺到してきた。怒号と砲声が、より近くで聞こえてくる。
 そうこうしているうちに、今度は勝岩へ布陣している新撰組へ、玉ノ井方面から、谷干城の率いる別部隊が押し寄せてきた。
 勝岩は、歳三のいる第三台場にもほど近い。見下ろした山の中腹あたりでは、砲声が絶え間なく聞こえる。砲煙と土煙が、木々の深緑をかすませるほどに上がっている。
 その砲声が、自軍の砲撃によるものではないことは、もはや誰の目にも明らかだった。
「大鳥さん、全軍をここまで撤退させた方がいい」
 陣幕の中に駆け戻り、大鳥に向かって云う。
「勝岩と第二台場も、もう危ういようだ。ここで持ち堪えさせるつもりならば、他の陣は捨てるしかねェだろう」
「わかっている! 今、伝令を出したところだ」
 大鳥は、苛々と叫んできた。
 会津など諸藩のものとの連携がうまくいかぬこともあって、相当苛立っているようだ。
会津方にも、援軍の要請をしている――来るかどうかは、知れたものではないがな!」
 まったくそのとおりだ、と歳三も胸中で頷く。
「敵は、かなりの大軍のようだ。ここで持ちこたえられねェと……」
「猪苗代まで突破されるか」
「援軍が来れば、変わるかも知れんが――おそらくは」
「ならば、是非にもここで破らねばならん」
「――大鳥さん」
「何だね」
「俺も出してくれませんか。ここでじっとしてるのァ性に合わねェ、前線で戦いたいんですよ」
「駄目だ!」
 語気も荒く、大鳥は云った。
「君は、全軍の参謀と云う仕事があるだろう! それを投げ出して前線に出るなど、正気の沙汰とも思えん!」
「……わかりました」
 大鳥が反対する以上、歳三とともに撃って出る兵卒などは与えられるまい。
 歳三がなす術もなく見守る中で。
 薩長の兵は同盟軍を打ち砕き、勝岩、第二台場ともに抜かれてしまった。
「いかん、本陣をかためろ!」
 伝令を出すも、それらは各部隊へ届くことすらなかったようだった。
 新撰組をはじめ、どの部隊も第三台場へ至ることなく、薩長軍が襲来し。
 わずかな戦闘の後、大鳥は、第三台場と母成峠自体の放棄を決定し、伝令を走らせ、陣を撤収する。
 時刻は夕方の四時にかかるころ――開戦から七時間後のことだった。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
やっとこ母成峠の戦い


ここの戦いは凄かったそうですね。土煙で前は見えないわ、人の腕やら何やらは飛んでくるわ、雨かと思ったら内臓だったとか――
何と云うか、新撰組の面々的にも、強烈な印象の戦いだったみたいですね。まァ、京都で攘夷浪士と戦ってた時は、街中だったし、刀が中心の武装(鉄砲や大砲は、街中ではメイワクです)だったので、↑こういうすさまじい戦い、つーか近代戦と云うべき? な戦いは、経験してなかっただろうしね。
鬼は別働。っつーか、×棧敷なので、戦ってすらいないって云うカンジ。ホント、いる意味ねーっつーかさァ……(溜息)
とりあえず、すっごい書きにくい……何もできないまんまで敗戦、だもんなァ……この後の、一ちゃんとのあれこれを書く方が、よっぽどラクチンだよ……


ところで、売場のI嬢に借りて、ちょこっと戦国BA/SA/RA/2などをやってみたのですが。
伊達の殿が……何と云うか、恥しいやらイタいやら、しかも「……近い」って云う、何とも居たたまれない気分でいっぱいです。いや、そもそも伊達の殿って、自分と性格が非常に良く似ているので……(ぐだぐだなところとか、酒癖が以下略なところとか……)
うん、「おい、小十郎、勝ち鬨を上げろ」って、そんな感じ。新しいもの好きなので、あの当時英語がきてたら、きっと喋ってたと思います(恥)。
しかも、この殿、柄が悪くって、むしろ鬼っぽい……(「奥州筆頭伊達政宗、推して参る!」……ははははは) 小十郎は、じゃあ源さんでお願いします。顔は違うけど、何となく小十郎と源さんってイメージが被ります。「歳、勝った後、気を引き締めてけってぇ、あれほど……」って、説教してくる源さん。鬼は、殿ほど傍若無人じゃないので、「いつもの小言は聞き飽きたぜ」などとは云わず、普通にあやまってくれ。
と思ったのですが、ごめん、鬼は多分「大丈夫だって。まったく、源さんァ心配しすぎなんだよ」って云うな。でもって、その後でまた背後から一撃くらうんだ。きっとそう。
しかし、殿と、真田幸村前田慶次が同格なんだ……真田はともかく、慶次……小十郎がキレそうだよな、「我が殿を何と思し召すか!」とか云って。まァ、大名の格としては、家康・利家ほどではないにしても、それに準ずるくらいではあったもんなァ……
って、何の話をしてるんだ……


この項、終了。ちょっとサドンデスっぽい……