二月に入ると、歳三は若干の閑を得るようになった。 まず、酒井孫八郎が、ようやく主・松平定敬との面談にこぎ着け、歳三から離れたこと、また、海の向こうの薩長の動きも特にはなく、陸軍奉行並としての仕事もなかったこと、などが主だった理由であった。 …
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