北辺の星辰 47

 二月に入ると、歳三は若干の閑を得るようになった。
 まず、酒井孫八郎が、ようやく主・松平定敬との面談にこぎ着け、歳三から離れたこと、また、海の向こうの薩長の動きも特にはなく、陸軍奉行並としての仕事もなかったこと、などが主だった理由であった。
 とは云え、その閑を、何か有益なことに使い得たと云うわけでは、もちろんない。
 結局のところ、箱館市中取締として、何がなくとも箱館奉行所に詰めていなくてはならなかったし、そうでない時でも、“軍議”などと称して、五稜郭での会議に出席しなければならないこともあった。
 正直に云えば、歳三としては、“軍議”なぞは榎本と松平が取り仕切って、どうでも好きにやってくれ、と云う気分だった。
 何しろ、出席したところで、碌に意見を陳述する場も与えられないのだ。何にでも首を突っこみたい質の歳三は、会議の内容についても、あれこれと質問することが多かったのだが、榎本や松平などには、それが鬱陶しくてならないようで、特に松平からは、不機嫌そうなまなざしを向けられることもしばしばであった。
 まぁ実際、榎本たちの肚は決まっていたのであろうから、歳三などに、後からあれやこれやと云われたくはなかったのだろう――朝廷へは、蝦夷地を徳川の所領として開墾したい旨の嘆願書を送っていたし、諸外国の領事たちにも、自分たちがこの地の実質的な支配者である、との訴えかけを欠かしてはいなかったのだから。
 だが、もしも本気でこの先も蝦夷地を支配し続けるつもりであるならば、貨幣の改鋳は慎重に行うべきではなかったか、とは思わずにはいられなかった。
 松平が中心となって推し進めた貨幣の改鋳によって、幕軍は――額面上の、であるが――財政の不安からは、多少なりとも回復したかに思われた。
 だがそれは、あくまでも財政面のみの話であって――現実に箱館市中へ出てみれば、この“改鋳”によって、多くの混乱と揉め事が引き起こされたのを見ることになっただろう。
 何しろ、幕軍の給与は、改鋳された貨幣で支払われる。一分銀、二分銀や小判など、金銀の含有量の少ない金――箱館市中で商いをするものたちは、それを嫌って“脱走金”などと呼んでいるらしい――が、兵たちの飲み食いや遊興などの支払いにあてられるのだ。
 だが、受け取る方の商人たちとしては、そんな金では話にならない、と云うのだ。
 なるほど、改鋳された粗悪な“金”は、青森など“外”では使いものにならぬ。こちらが“二分”と云い張っても、金銀の含有量が少なければ、“一分”と云われて買い叩かれることにもなる。
 ただでさえ、幕軍が箱館に腰を据えたことによって、他藩との商売が滞りがちになっていると云うのに、その上、肝心かなめの貨幣の価値が低いでは、商人どもとしては、まったく堪ったものではあるまい。
 だが、幕軍としても、ただでさえ金を食う兵卒を引き連れているのだ。その上、江戸脱走時に持ち出した軍資金も底をついたような状態では、金の水増しでも何でもやって、とにかく兵を養わなくてはならぬ、と云う気持ちになるのも、致し方のないことであると云えただろう。
 もちろん、歳三自身は、幕軍の金銭出納に携わっているわけではないが――そう云うことが、規模の大小を問わず、このような武に傾いた集団では起こりがちであることを、京にあった時代に、骨身に沁みて感じていたので、一概に悪であると切って捨てることはできなかったのだった。
 とは云え、やはり悪貨と知って使うには抵抗があり、歳三が街へ出ることは、いよいよ稀になった。
 否――正直に云えば、“悪貨”を使うことの倫理云々よりも、それを支払いに出した時に店のものから向けられる、蔑みと憎しみと怒りの入り混じったまなざしに、歳三が耐え難かっただけなのだ。
「何故、尋常な喜びを求めようとなさらないのです」
 島田魁などはそう云って、歳三が市街へ女遊びや酒呑みなどに出かけぬことを心配する様子であった。だが、何のことはない、箱館の町衆のまなざしを恐れただけのことだったのだ。
 それは確かに、以前よりは美食を楽しもうという気も薄くなった部分はあるにはあったが――しかし、この最果ての土地では、歳三の好む類の“旨いもの”はあまりなく、それも手伝って、呑み食いに手間暇かけようと思わなくなったところはあった。
 女の方はと云えば、これはもう、京に置いてきた経師屋の後家のことを思うと、あまり“浮気”をするのも憚られた、という一点に尽きた。何しろあの女は、才色兼備の天女のような女ではあったが、それなりに悋気持ちでもあったので。
 それに、あの後家を超える女など、そうそう見つかりはしなかったので、そう云う意味においても、女に心が動かなくなってもいたのだった。
 だが、そう云ってやっても、島田は納得する様子がなかった。
「よもや、生きることを投げ出そうとなさっているのではありますまいな?」
 しつこく食い下がってくるのに、思わず溜息が出る。
「何だって、俺を死に狂いのように云いやがるんだ」
 そう云って睨みつけてやるが、島田は怯む様子もなく切り返してきた。
「そのように見えるからこそ、申し上げているのです!」
「……俺ァ、今、生きてることが愉しくてたまらねェんだがな」
 そうではないか、たかが武州多摩の富農の子が、遂に脱走したとは云え、幕軍の指揮を任される立場にまで成り上がったのだ。
 しかも、そもそもここまで来る時に、歳三にそれを命じたのは、幕府軍事取扱の勝海舟その人なのだ。本来ならば雲上の人に命を受け、その企図に沿って、己で判断し、大軍を動かす――それのどこが愉しくないと云うのだろう。
 それを云って、にっと笑いかけてやる。
「これ以上ねェくらいに愉しいじゃねェか、なァ?」
 島田はそのようなことを云いたいのではない、と云うことも、歳三にはよくわかっていたが、まともに話をすれば、危険なことになるのはわかっていたので、わざと話を逸らしてやる。
 実際、歳三は、今が愉しくてならなかった。
 本来ならば接点などなかったはずの中島三郎助に出会えたのも、幕軍とともに北上し、この蝦夷地まで来たればこそだ。虫の好かない松平太郎と云い争えるのも、ここまで来て、陸軍奉行並と云う地位を得たればこそ。
 その上、いずれ起こるだろう薩長との戦いにおいては、鳥羽伏見からの雪辱を、わずかなりとも晴らせる場が与えられるときている。それも、自分の思うとおりの用兵で、だ。
 このような立場を得て、それを愉しまぬことがあり得るだろうか。
 島田は、まだ不満そうな面持ちではあったのだが――それでも、これについては口をつぐみ、以後、問いかけをしてこようとはしなかった。
 箱館市中では、改鋳した貨幣をめぐっての小さなごたごたが絶えなかったが――それでも冬の間は、概ね平和であったと云っても良かっただろう。
 蝦夷地の冬は厳しかったが、その厳寒のゆえに、薩長軍も攻撃を仕掛けてはこれなかったからだ。もともと薩長土肥は南の方の藩国であるから、余計にこの寒さに対して、二の足三の足を踏んでしまったのだろう。
 だが、春になれば――春になって氷が解け、寒さが和らいでくれば、かれらは必ず攻め寄せてくる。猶予は、氷の解けるまでの、ほんのわずかな時間でしかないのだ。
 歳三も、否、幕軍の誰しもが、そのような予感を胸に秘めながら、わずかな安寧の日々を送っていたのだった。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
暇になってきた感じの2月。


う〜んと、「新選組日誌」とか新人物の「全史」とかでは、特に2月は特記事項なし、って云う扱いなのですが。
えーと、実際に酒井孫八郎君の日記をチェックしたわけでもないけれど、こうだったろうってことで書いてます。いや、それ以外に、鬼んとこに来なくなった理由が思いつかんので。
っつーか、2月ってホントに暇だったのねー……念のため「箱館戦争史料集」もチェックしましたが、ホントに2月には何もない。どの史料も、2月は存在しなかったかのようにすぱっと抜けてる(あ、いや、苟生日記とか、函館戦記とかにはちみっと記録があるけど、大した記事じゃあないし)んですよねー。
あ、貨幣改鋳のごたごたは、そう云えば特に記事にはありませんでしたが――まァ、もめたって話はいろいろあるようなので、それに従って書いてますよー。


で、鬼が何か、“食にも女にも興味がなくなった”云々についてのアレコレとか。
や、結構、お金の絡みじゃないかと思う部分はあるんですよねェ、しかも例の“脱走金”の絡みじゃないかと。
だってさァ、やっぱヤじゃん、金払って白い目で見られんの。しかも、そもそも店に入った段階で、“脱走が来た”とかヤな顔されるんだぜ。飯食った気分しねェって。そんなら、飯のヴァリエーション少なくても、白眼視されない方がずっと良いよなー。
って思うんだけど、それって少数派なの? でもでも、おいしいご飯は気持ちよく食べてこそ、だと思うんだけどなァ。
伊庭とかどうしてたんだろ。あの食いしん坊万歳め。


そうそう、たらたらと書いてた「黒猫」、第二稿上がりました、が、本館参謀殿からはまだ駄目出しが……ううう、一遍放って、別のから手をつけよう。冷静に見れるようになったら、また修正。うん、そうしよう。
とりあえず、txtで30kb程度になりましたよ――勝さんががつっと出てる話なので、個人的には楽しかったけど、ううぅぅうん……手直し難しいですね……
あ、「北辺拾遺」の方は、島田の話が打ち込みまで終了。こちらも本館参謀殿のチェック待ち。一発でクリア、は難しかろうなァ……
本編(?)はあと3本かァ――次が中島三郎助さんなので、とにかくさっさと校了したいですね……


この項、とりあえず終了。
次はルネサンス、う、馬、か……?