めぐり逢いて 2

 だが、そんな穏やかな時間など、実際にはほとんどありはしなかった。
 鉄之助が入隊してすぐ、明けて慶応四年、鳥羽・伏見の戦いがあった。
 戦力的には、幕軍の圧倒的優位にはじまったはずのこの戦いは、しかし、薩長連合軍のがむしゃらな戦いぶりと、それに投入された洋式銃の投入、そして何より、将軍・徳川慶喜の江戸帰還により、一気に薩長側に流れを奪われるかたちになった。
 開戦から三日目にして、幕軍は総崩れとなり、薩長軍の追撃をかわすだけとなっていた。
 逃げ惑う幕軍を、鉄之助は、副長のそば近くで、呆然と見つめた。
 ――これが、戦うと云うことなのか。
 戦いとは、こんなものであったのか。
 隊列を乱し、てんでに逃げてゆく兵士たち、その後ろから飛来する鉛弾。硝煙と血のにおい、累々たる屍の山、それを踏み越え、逃げるものと追い立てるもの。
 その中で、新撰組は、わずかでも士気を盛り返そうと、敵陣に切り込みをくり返してはいたが――それも、無駄な足掻きでしかないようだった。
 新撰組は、この戦いで十余名を失った。そのうちには、試衛館時代からの幹部であった、六番隊組長・井上源三郎も含まれていた。
「――源さん……」
 井上の戦死の報を耳にした副長は、それだけを口にして、じっと足許を見つめていた。涙を堪えていることは、傍付きになって日の浅い鉄之助にも察せられた。
 やがて、かれは顔を上げて、朱に染まりゆく西の空を見た。
「――新撰組は、崩れるな……」
 小さな呟きが、その唇からこぼれた。
 崩れる。新撰組が。
 鉄之助は――呆然とそれを聞いていた。
 そんなことがあり得るものか。新撰組を束ねているのは、この“鬼の副長”土方歳三ではないか。
 まだ、このひとがいる。局長も、沖田も大坂にいる――崩れるなどと、まだはやい、まだ、早すぎる。
 だが。
 確かに、この戦いで、新撰組は大きな打撃を受けた。
 井上のほかに、監察方の山崎蒸が重傷を負い、大坂から江戸に向かう船中で死亡。
 局長・近藤は負傷の身、一番隊組長・沖田は病気療養中。無事な幹部も、原田、永倉などはあからさまに士気の低下が見られていた。
 副長は――大坂からの船中、考えこんでいる姿をよく目にするようになった。
 鉄之助は、そんなとき、何ができるわけでもない。仕方なく、沖田の見舞いに行っては、何くれとなく面倒を見るようにしていた。
「土方さんは、どうしてます?」
 沖田は、青白い顔をして、それでも微笑みながら、よく訊いてきた。
「俺なんか、大坂に置いてっちまえば良かったのに――あの人も酔狂ですよねぇ、碌に剣も握れやしねぇの、大事に連れて帰ろうってんだから……まぁ、近藤さんも、身内にゃ甘い人だから、そういうのもあるんだろうけど……」
「……そんなこと、云わないで下さい!」
 自嘲の滲む沖田の言葉に、鉄之助は、耐え難い気持ちになって、そう返した。
「副長には……沖田さんが必要なんです。だから、だから俺……」
 だから、自分が沖田を支えるのだと、そう思ってここに来ているのに。
 鉄之助を苛む、わけのわからぬ後ろめたさと罪悪感。
 この人を支えなければならないと、そのたびに思うのだ。支えて、副長のために生かさなくてはならないと感じるのだ。そうでなければ、自分は何のために、今この時、この人たちとともにあるために生まれてきたのかと。
「――副長のためなんです、だから……どうか、そんなことは云わないで、早く良くなって下さいよ……」
 あの人の、孤独に沈む背中を見ずに済むように、二度とこの人たちが引き裂かれることのないように――それこそが、己が今、生きている本当の意味なのだと、そう思い定めてここまで来たのだ。それだから。
「……本当に、君は可愛いね、鉄之助君」
 沖田は、そう云って微笑んだ。
「そんなに一生懸命にされると、何だか弄りたくなっちゃうんだよなぁ。そんなこと、云われたことないかい?」
「そんなこと、沖田さんしか云いませんよ。って――ひひゃいでぇしゅって!」
 頬を引っ張られ、くすくすと笑われる、だがそれは、本当に深刻な話から、鉄之助の目を逸らさせようと云う、沖田なりの気遣いだったのかも知れなかった。
 品川に上陸してからのち、隊内は、昔のような整然とした趣ではなくなっていた。
 井上源三郎の欠けた穴は、本当に大きかったのだと、鉄之助にもわずかにではあったが理解されてきた。
 新撰組は、そもそも一枚岩の組織ではなかったのだ。近藤・土方両名を筆頭に、旧試衛館組が中枢を押さえていたが、中では原田・永倉が近藤派、斉藤一が土方派、沖田と井上が中立、という図式であったようだ。ようだ、と云うのは、斉藤は、端から見ている分には必ずしも土方派ではなかったからなのだが、すくなくとも近藤派ではないと云う意味においては、土方寄りと見なしても良かっただろう。監察方は、副長直属で、必ずしも局長に心服しているわけではない。
 この“鉄の組織”は、沖田、井上の仲介があってはじめて、“鉄の組織”たり得ていたのだ。
 だが、沖田は病に伏し、井上は死んだ。副長・土方は変わらないように見えたが、局長・近藤は浮ついている。組織は、ぐらつきはじめていた――あの落日の刻、土方が「新撰組は崩れる」と云ったのは、まさにこのことを指していたのだった。
 事実、組長格の局長・副長に対する不満は、日に日に明らかになってきていた。 
 厳密には、それは“副長への不満”ではなかったのかもしれない。何故なら、彼ら――主に原田や永倉――は、“鬼の副長”に対しては、それほど親近感を抱いていなかったようだったからだ。
 だが、副長寄りではないからこそ、近藤派であったからこそ、彼らは、局長のその浮つきよう、御大尽ぶった様子、などを怒りをこめて見つめていたのかもしれなかった。
 例えば井上が存命していたなら――試衛館時代からの重鎮であったこの人は、大名気分の近藤をたしなめてもくれただろう。年下の土方と違って、井上の云うことは、近藤も耳を傾けないわけにはいかなかったから、隊内は、今しばらくは何とか平穏を保てただろう。
 あるいは、沖田が健康であったなら、かれが隊内に睨みをきかせ、離反する兆しを事前に摘み取ることができただろう。
 間が悪かったのだ。何もかも、そうだ。
 だが、この時の鉄之助は、はっきりとはわからぬままに、新撰組の崩壊していく音を耳にしていたのだった。
 江戸に帰り着いて、三月、新撰組は、幕府の命により、甲陽鎮撫隊に参加、中仙道を京へとのぼっていった――甲州で、迫り来る薩長の軍勢と戦うように、との命だったが、その実は、無血開城を決めていた勝海舟あたりが、江戸で浪士どもに暴れられては困るとの思惑から云いだしたことであったようだ。
 その甲陽鎮撫隊の、甲州への道中がもうまずかった。
 紋付姿の局長は、とおりがかる郷里へ錦を飾るつもりなのか、駕籠に乗っての御大名ぶり、洋式軍服に総髪姿の副長とは、甚だ趣を異にしていた。
 その上、内藤新宿で一夜を過ごし、娼を呼んでの馬鹿騒ぎだ。
 鉄之助ならずとも、これは本当に戦場に赴く軍勢なのだろうかと、首を傾げたくもなっただろう。
「――近藤さんは、本当にどうかしちまったようだ」
 鉄之助は、夜半、副長がこっそりと吐き捨てるのを聞いた。相手は、三番隊組長・斉藤一でもあっただろうか。
「俺が云っても、聞きゃあしねぇだろうよ――源さんがいたらばなぁ、叱り飛ばしてくれただろうに」
 そう云う副長は、局長のそのような行動に、もはやなす術もないようだった。
 ただ、底光りするようなまなざしで、じっと局長をみつめている――まるで、いつこの男を切り捨てようかと、思案しているかのように。
 ――沖田さん……
 鉄之助は、身震いしながら考えた。
 ――新撰組は、一体どうなるんでしょう……?
 しかし、それを問いかけようにも、沖田は江戸で療養している。体調が悪化し、もはや碌に立って歩くこともできなくなっていたのだ。
 沖田がいない今、新撰組は崩壊寸前だった。隊士たちもいつのまにやら消え、二百人以上いたはずの甲陽鎮撫隊は、薩長軍と対峙するころには、わずか百二十一人に減っていた。
 三月六日、兵力不足を補うため、副長は単身、江戸へと向かった。
 あるいは、かれは甲陽鎮撫隊の敗北を予期していたのかもしれない。それ故に、敗北の様を目にしたくないと思って、援軍を頼みに行くと申し出たのかも知れない。
 甲陽鎮撫隊薩長軍と激突したのは、まさにその三月六日、戦いらしい戦いにもならぬ、ひどい負け戦だった。
 敗戦後、新撰組は、ますます縮小していった。
 試衛館以来の同志であった、永倉新八原田左之助の両副長助勤が、近藤・土方と袂を分かったのだ。
 慶応四年、三月十日のことだった。

† † † † †


鉄ちゃんの話の続き。並べ換え済み。


スピリチュアル系って、まぁ転生ネタ。誰と誰と誰の転生ネタかって……ふふふふふ。わかったらすごいわー。とりあえず、信長公ではありません(笑)。


つーか、過去に鋼錬で戦闘シーンを書きましたが、鳥羽・伏見は何か想像がし辛いと云うか、散漫になりがちと云うか。きっと、一万五千対五千とか云う数が、ひと目で見渡せる範囲を超えてるからだな。小部隊の局地戦の方が、書いてて書きやすいんだけど。
戦争の描写って、やっぱ難しいわ……
しかし、図を見て文章を読むのでなく、キャラの視点に立つと、何で鳥羽・伏見で幕軍が負けたのか、わかるような気もするな……
結局、兵のひとりひとりが、戦況全体を掴めないから、逃げ腰になると総崩れになるんだよね。人数で勝ってても、戦場が広すぎちゃ、前線では、何がどうなってるかわからないもんな。
そう考えると、作戦の基本が一個小隊レヴェルだってのは、極めて理に適ってるのかも知れないなぁ――一個小隊レヴェルなら、一兵卒でも、どっちに勢いがあるかを見ながら戦えるもんね……ま、戦場が個別化しすぎると、全体が負けててもわからないと云う欠点はあるんですけどもね……


しかし、変な書き方してるな、自分……
つぅか、総司が外れてからの新撰組って、資料を当たらないと書けないよ……読み違いなんかは勘弁してください、今回資料少ないんで……(汗)
しかも、あと2回くらい、じゃ済まねぇよ……(汗) おいィィ! まだ流山までも行ってねぇ……函館は遠いわ……