イタリア紀行 その6

7日目。
暇と興味の以下同文。


7日目。今日がいよいよクライマックス! 『最後の晩餐』の日です。


朝食後、早々にバスでミラノ市街地へ。バスの中からかるく市街地見物をし、いざサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院へ。
あれ、入口って、聖堂と一緒じゃないんだ。
と思いつつ、中へ。チケットが(多分)5枚ひと綴りで『最後の晩餐』の写真を使ってます。私の分はキリストのところ、沖田番はヨハネとユダのところ。――どうして大ヤコブ(先生の自画像と云われている)とピリポ(多分サライがモデル)のところじゃないんだーっ!
と云っても仕方がない。ともかく時間なので、旧食堂の中へ。
うーん、これがそうかぁ……と、意外に感慨がない(ごめん/汗)のは、今まで画集etc.で腐るほどこの絵面を見てきたからか。うむ、まぁこんなもんだろう。
つーか、不思議なんだけど、そう云えば『受胎告知』もあんまり感動がなかった……『ドーニの聖家族』は、やっぱり腐るほど見てたのに、何か感慨があったんだけどなぁ。うぅうむ。
まぁいい。
売店で、でっかいポストカード(B5くらい)を一枚買う。記念。


でもって、バスでスカラ座の前へ移動。
皆がスカラ座について説明を受けているときに、沖田番を走らせ、先生の像の写真を撮らせる。
台座に四人の弟子が彫られているのは有名な話なので、それをチェックしたいが、時間がないので肉眼では無理そうだ。
デジカメを覗き込む――チェーザレ・ダ・セスト、マルコ・ドッジョーノ、アントニオ・ボルトラッフィオ、アンドレア・サライーノ……は?
何でフランチェスコ・メルツィがいないの、つーか、
アンドレア・サライーノって誰ですか?
……いや、“サライーノ”は、サライが間違って伝えられたんだとしても良い。良いけど、フランチ外すのは何でだ!? だって、先生の後継者だぞ? えええええ?
つーか、ボルトラッフィオなんか弟子だったっけ? (いや、工房にいた時期はあったろうけど) チェーザレ・ダ・セストやマルコ・ドッジョーノだって、厳密には弟子じゃないだろう。ええええええ!
……しかし、(昔の)ロシアの作家が書いた『レオナルド・ダ・ヴィンチ物語』(最近出た新訳のタイトル。昔は違うタイトルだった……)の“アンドレア・サライーノ”の謎は解けたな……あの作家、資料を当たらずにこの像見て話を書いたんだ。きっとそうだ。
ううううん、謎は解けたけど、何か釈然としない……


その後、ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世のガッレリアを抜けて、ミラノのドゥオモへ。
ここも検査が厳しい。鞄の中を見せて、中へ。
おお、ゴシック建築。今までの他の都市のドゥオモとは趣が違います。高い天井、壁にはステンドグラス。すごいすごい。
何か、ステンドグラスとか、最後のを嵌めこんだのは第二次世界大戦後なんだそうで……ミラノは爆撃されてるからなー。一部のステンドグラスは、枠から外されて、疎開してたのだそう。あと、ナポレオンの撃った祝砲で割られたのもあるとかないとか。すごいなぁ。でも、このドゥオモ完成させたのもナポレオンですが(笑)。作って、真っ先に壊したわけね(笑)。


ドゥオモの中だけざっと見て、昼食、の後、解散。
もう一度ドゥオモに戻り、6ユーロ払って、ELでドゥオモの上へ。階段は4ユーロなのですが、小雨がぱらつく中を階段で上がる気力はなかった……
上って、屋根の上をぐるっと歩く。屋根の天辺はまだ上にある――だらだらと歩いている内に、おや、雲がちょこっと切れてきたぞ。
急いで屋根の天辺へ。
「ほら、あっちがフィレンツェだよ!」
と、沖田番が南を指し示す――ミケとサライごっこですね(←と云うシーンを、ミケ話の中で書いたのです。未UPですがね)。
が、フィレンツェが見えるわけもない、つーかそれ以前に、ミラノの端っこも見えません。ミケがこの辺にいたかも、な時期(1524年〜1525年頃)は、ミラノの端っこは、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院のすぐ傍だったんだけど……今や、あそこも中心部だもんなぁ。ルネサンスは、本当に遠くになりましたね。


クーポラならぬ尖塔の写真も撮り、時間がないので、アンブロジアナ絵画館へ。
歩いて1分、とガイドにはあったのに、思いっきり迷う。観光客やら、フランス人らしきひとやらに道を訊き、何とか絵画館へ。
ここは、図書館も併設されていて、そっちの方に先生のアトランティコ手稿が収蔵されているのです――もちろん、普通に見られるわけではありませんが。
絵画館の方には、『音楽家の肖像』――弟子が平面的に塗っているだの、実は贋作だの云われてるあれ。でも、顔と手は本物だと思うんだけどね。
それを見に行ったのですが。
何と! ミラノでは見られないと思っていた、ベルナルディーノ・ルイーニの絵が3枚も! 先生の『聖アンナ』のカルトン(ロンドンにあるあれ)から着想を得ただろう『聖家族』と、こっちは親子3人の『聖家族』(『ドーニの聖家族』と人員は同じ)、それからどっかで見た顔の『洗礼者ヨハネ』。マリアたちとヨハネが――サライだよ! 同じ顔だ!
と思ったら、ちょっと先の展示室に、サライの描いた(と云うことになっている)『洗礼者ヨハネ』が! うはははは、すごい巻毛だ! 少女漫画みたい! ルーブルの『ヨハネ』と同じ構図だけど、やっぱり顔が違ったり、デッサンがすこしおかしい。でもあれと同じ。
サライの描いた絵って云うと、『裸のウェヌス』と云う名で呼ばれてる、アヴァンギャルドな絵が思い出されるのですが――これは先生の下書きがあるな。サライが一から描いたんじゃないよ(笑)。
と、最初の2室だけでおなか一杯(笑)。
あとはカラヴァッジョとかヴェネツィア派の絵とか、古代ローマの発掘品とか、を流し見して(そう云や、中庭を囲む回廊の2階に、先生の胸像があった――あのひげで、一発でわかるね!)、3時にはそそくさと絵画館を出る。あ、ルイーニとサライと先生と、あと先生が手伝ったと云う噂のプレディス画の婦人像、の葉書を買いました。1枚¢50-はお買い得。


そうして、いよいよスフォルツェコ――スフォルッツァ城へ。
ここには、先生が装飾したサーラ・デッラ・アッセ、“アッセの間”と、ミケランジェロの最後のピエタ、『ロンダニーニのピエタ』があるのです。
スフォルッツァ城、広い! 要塞だからか、何だかがらんとしたカンジの広場を抜け、何とかチケットを買い(場所がよくわからんのです)、Museoの中へ。
……だだっ広い。夕方近くだからか(チケット係の挨拶が「Buonasera!(こんばんは)」だった……三時ちょい過ぎで!)、人影もまばら。寒い上にがらんとしてて、なんとももの淋しいカンジ。
今はなき教会の遺構やら、聖像やらファサードの飾りやら、を眺めつついくと、おお! ここがアッセの間か! 桑だか月桂樹だかの木が、壁から天井へと繁る装飾が! 今は結構色が褪せちゃってるのですが(先生、フレスコ嫌いだから……/苦笑)、出来た当初は、鮮やかな緑で、さぞかし斬新だったんだろうなぁ。
などと云いつつ、さらに奥へ。
ホントに展示の最後のあたりで、やっと『ロンダニーニのピエタ』とご対面。
うわ……ホントに未完成、って感じだ……
まずはぐるりと一周し、途中で縮小されたキリストの身体と、元の大きさの腕、足を見る。
ひとしきり眺めて、正面に置かれたベンチに坐る――と、沖田番が、また電波情報的ミケ話を……ううう、か、悲しい……そうだよな、89じゃあ身体もうまく動かないよな……先生もラファエッロも死んで、取り残されたみたいな気分で鑿を持ち続けるって辛いよな……
と、ぼそぼそと語られるミケ話を聞き、うっかりマジ泣き――誰もいなくて(いや、学芸員はいたけどさ)良かったーっ(泣)。
でもでもだって、可哀想だよミケランジェロ! 身体中が軋んで、目も見えなくなって、それでも鑿を握らずにはいられなくって。「もういいだろう」「もう明日には終りが来るだろう」って思いながら、目が覚めるとまた今日が始まる、って、ああああ、淋しすぎるよーっ!(泣←騙されてますか)
結局15分くらい、ぼそぼそ語るのと、ぼろぼろ泣くのとで坐りこんでました――ホントにアヤしい人たちだ……(汗)


本当は、他にも絵画の展示があるのですが、『ロンダニーニのピエタ』でもう満足し、また売店で、『ロンダニーニ』の葉書とブックマーク、アッセの間のブックマーク、を買って、再びドゥオモへ。
また検査を受けて中に入り、撮り損ねた写真を撮る。
そのあとまったりして、ドゥオモ近くのデパート、リナシェンテでお土産を買い、地下鉄でホテルへ戻る。
沖田番が風邪っ引きなので、隣りのスーパーでまたしてもブラッドオレンジジュース(今度は100%)、カマンベール、サラミetc.のハム関係、デニッシュ、などを買って、部屋で晩御飯。カマンベールが当たりで♥


でもって、7日目は終了。
あとちょっと!