めぐり逢いて 14

 副長の率いる額兵隊、陸軍隊から成る一軍は、二十二日に砂原村、二十三日に鹿部村、二十四日には川汲峠と、特段遭遇する敵もなく、順当に海沿いの道を進軍していた。
 隊のものは誰しもが、このまま何ごともなく五稜郭に入城できるものと、漠然とではあるが、思うようになっていたようだ。
 鉄之助も、もちろんそのように考えていた。
 何と云っても、箱館府は幕府直轄の役所であるのだ。その箱館府にあるものが、よもや幕閣である榎本や大鳥、元陸軍奉行並・松平太郎などの人々に頭を垂れぬわけがないと、そのように思っていたのだ。
 だが、川汲峠に至る前で、副長は、近くにある川汲温泉の宿まで、額兵隊の数人を斥候に出した。あとわずかで、箱館というところでのことだ。
 何故、ここで斥候など出すのかと、額兵隊のものに問われ、副長は片頬を歪めるように笑った。
「今までのこともあるからな、天領だからと云って、こっちの味方かどうか知れたもんじゃねェ――用心するに越したこたァねェのさ」
 果たして。
 川汲温泉の湯本に赴いた斥候は、そこで箱館府兵一個小隊と遭遇した。
 府兵の幾人かが、斥候兵に対し発砲、一人が指を負傷した。
 斥候は、ただちに帰参して、府兵の存在を報告、副長は、額兵隊を派遣して、追撃にあたるよう命令した。
 額兵隊長・星恂太郎が、小隊数隊を率いて出撃。銃撃戦となるも、背後に回りこんだ隊との挟み撃ちで、府兵たちは早々に敗走した。こちら方の負傷者は、結局、指を怪我した斥候兵だけであった。
「ずいぶんと呆気ねェもんだなァ」
 報告を聞いた副長は苦笑いし、この日はこのまま、この温泉場に宿営すると云った。
 翌日は陸軍隊を先鋒とし、箱館府のある五稜郭まであと一里という上湯川まで進軍した。



 事件が起こったのは、その上湯川を発つ時のこと――十月二十六日のことだった。
 仙台以降も引き続き陸軍隊に所属していた野村利三郎が、陸軍隊長である春日左衛門と、抜刀しての争いとなったのだ。
 原因は、春日の号令を待たずに、野村が己の小隊を出立させたと云う、それだけのことだったのだが。
「命令もなく先鋒を務めようとは、どのような了見か! 下がれ、下がって指示を待て!」
 春日は、苛立たしげに叫んだ。やや、癇性を感じさせる声音だった。
「隊長殿は、我らを弱兵と思し召すか!」
 野村も、負けじとばかりに叫び返していた。
「鷲ノ木よりこの方、隊長殿は、一度たりとて我らを先鋒としてお使いにならぬ。せめて、一度なりともお使い下されば良いものを――」
「それを決めるは、私の一存だ。貴様の意のままになることではない、下がれ!」
「隊長殿の一存で、とは、それは軍法を私することではないのか!」
 野村は、云いざま刀を抜き放った。
「そうであれば、今、我らが先鋒するは、軍法違反にあらず、隊長殿の私された軍法を糺していると同じこと。もし、我らを軍法に背くとおおせなら、隊長殿も、軍法を私していると云うことで、罪はおありのはず」
「無礼な! そこへなおれ!」
 春日もまた、刀の鞘を払った。
「良かろう、貴様のごときは、手許においておくわけにはいかん――ここで軍法を破り、令に背くの罪人として斬って捨て、見せしめとしてくれるわ!」
 遂に――と、陸軍隊の誰もが思ったと、鉄之助は後に聞いた。
 陸軍隊長の春日左衛門は、声音のとおりにやや癇性が強く、やや手前勝手な野村とは反りが合わなかった。江戸からここまでの間にも、もう幾度もこのようなやり取りがあり、その度に、相馬や春日周辺の副官たちが宥めていたのだと云うが――どうやら、お互いに、これまで積もり積もったものが爆発したものらしい、今度ばかりは赦さぬと、双方ともに息巻いている。
 副長が割り込んだのは、そのような一触即発の空気の中であった。
「止めねェか、ふたりとも!」
 大喝して、双方の間を大きく分ける。
 今にも切りかからんばかりであった、春日と野村は、慌てて鞘に刀を収めた。
「春日君、野村も、軍法に背くと云うなら、ふたりとも同じことだろう。俺の命に背いて、出立すべき刻限にも、まだ動こうとしてもねぇんだからな。――ともかくも、この一件はひとまず俺が預かる。先陣は、額兵隊に変更だ。異論はあるか」
「――ありません」
「……ございませぬ」
 厳しいまなざしで問われ、ふたりはいかにも渋々と肯首した。
 が、春日は、肚のおさまらぬ様子で、
「――ですが、土方先生、私は野村のこれまでの態度には、いささかならず憤りを覚えておりました。大鳥総督とお目にかかった際には、この旨、必ず注進させて戴きますゆえ」
 と云いながら、野村をじろりと睨みつけた。
「……今は、俺が預かると云ったはずだが」
「――然様で」
 副長は、再び釘をさすようにふたりを見据え、踵を返して、騎馬のもとへと戻ってきた。
「出立!」
 叫びが上がり、額兵隊がゆっくりと動き出す。
 それを眺めながら、島田がそっと副長に耳打ちしているのを、鉄之助は聞いた。
「――野村は、どういたしましょう」
「正直、奴にばかり問題があるってェわけでもなさそうだ――大鳥さん次第だが、俺の下におくことも、考えに入れておくべきだろうなァ」
「その場合には、上に誰を配するかが問題になりましょうな。――野村も、やや依怙地なところがありますからなァ」
 島田が云って、くつくつと笑うと、副長もにやりと唇を歪め、
「なァに、あれくらいなら、かわいいもんだ。要は、あのふたりを一緒にしておかなけりゃあ、何とでもなるんだからな」
「違いありませんな」
「野村はそうとして、相馬の方はどうする」
「本人の希望を聞いてみては? 陸軍隊に留まりたいのであれば、そのままと云うことで」
「……安富が向こうだからなァ、戻ってくれりゃあありがてェが――本人がうんと云わねェなら、仕方ねェなァ」
 と、島田はまた、くくっと笑った。
「何だ」
「心配なさらずとも、相馬は戻りますよ。あいつが、副長の下に戻りたくないわけがありませんや」
「……馬鹿云うねィ」
 照れたように頬に朱を刷く副長の口ぶりは、その言を信じない風であったが、口に上せた島田の方は、まだくつくつと笑っていた。
 鉄之助も、島田の意見に賛成だった。寡黙な相馬は口にはしないが、実はかなり副長に傾倒しているのだと、隊内の誰もが知っていたからだ。知らぬは、副長本人ばかり、なのだ。
 しかし、正直、野村の帰参はありがたくはないが、相馬ならば、鉄之助は歓迎だった。相馬と云う男は、副長が気に入っているように、命をきちんと果たす方であったし、何より、寡黙なため、野村よりも隣りに居ても落ち着ける。
 正直、陸軍隊や額兵隊は、鉄之助には馴染めなかったし、ひとりでも多く、守りとなる人間が副長のそばにいてくれるのはありがたいことだった。
 そのうち、あたりの兵たちがゆっくりと動きはじめる。副長は馬上で、背を伸ばして進軍する。その姿は、さながら一幅の絵のようだと、鉄之助はこっそりと思わずにはいられなかった。
 ともあれ、副長率いる額兵隊・陸軍隊等三百五十余名は、そうしてゆっくりと五稜郭への進軍を開始した。



 十月二十六日、大鳥率いる幕軍本隊は、赤川を経て、五稜郭に入城した。
 箱館府には、府知事の清水谷公孝が在ったのだが、かれは、二十四日のうちに届いた敗戦の報――これは、大鳥軍による、大野村、七重村の戦いの報であった――に恐れをなし、翌二十五日には、外国船二隻に分乗して、兵とともに青森へ逃走していたのだ。
 大鳥軍は、もぬけの殻となった五稜郭に悠々と入城。遅れて到着した土方軍は、宿所が足りないとのことで、その日は城外で野営し、翌日になってからようやく入城することになった。
 前後して、幕軍は回天と蟠龍の二艦を箱館に回航、永井尚志は沖之口運上所と弁天台場を支配下に置くと、箱館市中の警備を行うと宣言する。
 こうして、幕軍は箱館を掌握、こののちは、蝦夷地全島支配を目指し、松前藩攻略を開始することになる。


† † † † †


鉄ちゃんの話の続き。
おお、もう14章目か――そろそろ、テキストで100KB超えるかな?


しかし、仕方ないけど、戦況ばっかり書いてるような気が――戦争の話なんだから、当然と云えば当然なんだけど。つーか、何だろう、資料と首っ引きで書いてるような……
鬼視点だと、結構考える余地がある(作戦を決める際に、鬼が何をどう考えて決めたのかとかね)のですが、鉄ちゃんは、小姓だからなァ――状況を見てるしかないんだよね。難しいよな、そこら辺が……
つーか、鉄ちゃんが考えてることがわからないので、余計にそう感じるのかも知れん。鬼は、結構トレースし易いのですけども。うーん。


ところで、陸軍隊の春日さん、結構キレやすい人だった……?
いや、決して野村のかたを持つわけではないのですが、鳥羽・伏見の後に、飲んだくれてたとかいう記事を読むと、今三つくらい「駄目な上司」疑惑がね……
つーか、部下としてはまぁアレとして、上司には持ちたくないタイプかも――それを云うなら、野村だってそうなんだけどさー。


そうそう、阿呆なので、鬼の懐中時計の鎖(似非)を作ってみました。本物は、きっと銀だったと思うのですが、そんな金はないので、ロジウム加工の普通のチェーンとかで。
後ろに下がってる飾りは、女からの貰いものだという怪情報を貰ったので、銀色の小さい円盤吊るしてます。簪のびらびらの代わり。鎖は4本、けっこう重い……
この鎖(意外にごつい)用に、アシェットの『古の時計』の“粋人”と云うのを買いました。もうちょっと薄手のケースだと良かったんだけど、まぁ文字盤の感じとかは好み。そのうち写真載せてみますか?


この項、終了。