めぐり逢いて 23

 鉄之助が連れて行かれたのは、一本木関門の向こう、外国人居留地の波止場に係留された、英国船だった。
「君の部屋はここだ――途中寄港する土地では、官軍の査察が入るかも知れん。君は、この部屋から出ないようにな」
 松木と云う名の通詞は云って、かれを隅の小さな船室に誘った。
「食事などは、船の人間が持ってくる。みな英国人ばかりだが、日本語がわかるものもいる、迂闊なことは口にしない方が良い」
「――副長は、俺をどこまで、と……?」
「聞いたのではなかったかね? 横濱までだ。横濱で、私は君を、大東屋の使いに引き渡すことになっている。それから先は――君自身が、土方先生から聞いたのだろう?」
 鉄之助は、黙りこんだ。
 そうだ、確かに聞いた。
 ――君は箱館を出ろ。そして、日野の本陣で、佐藤彦五郎兄に、俺の言伝を……
 日野へ、行かねばならぬとあのひとは云った。あのひとの姉とその夫に、自分のことを伝えろと。
 だが、それは決して自分の望みではない。自分の望みは、あのひとのそばで、あのひとの生命を守るために戦い、散っていくこと、それだけだったと云うのに。
「……俺は――やはり、戻ります」
 鉄之助は云って、踵を返そうとし――松木に腕を掴まれた。
「馬鹿なことを云うんじゃない!」
 松木は、厳しい顔で云ってきた。
「君は、箱館の状況をわからないから、そのようなことが云えるのだ! いいか、この街の命運は、もはや風前の灯火だ――青森に、どれほどの官軍の艦船が集結しているか、それにどれだけの兵が乗り込んでいるか、知っているか! 箱館はじきに陥落する。土方先生は、若い君の生命を惜しんで、私に頼むと云われたのだぞ!」
「だからこそ!」
 鉄之助は、噛み付くように云い返した。
「だからこそ、お傍にありたいのではないですか! 俺は、生命に代えてもあのひとを守ると、約束したのに……」
 今は亡き、沖田総司と。
 自分が生きてあのひとの傍にあるからには、生命を賭して守り抜かねばならぬと思っていた。それが、沖田との約束であったのだから、自分は、何が何でも副長の傍にあって、その生命を守らねばならなかったのだ。
 それを、副長の命とは云え、投げ出して――これでどうして、死して後、冥土で沖田に見えられようか。
「では、土方先生から託された、その書付はどうするつもりだ」
 鋭い声が問いかけてきた。
「土方先生は、君に、親族の方に対する言伝を頼まれたのだろう。そのことは、どうするのだ。土方先生のお心を、誰が郷里に伝えると云うのだ」
 云われて、鉄之助は黙りこんだ。
 そうだ、副長の姉夫婦があるという、日野の佐藤家には、鉄之助以外に赴くものなどない。それは、確かに副長から託された、鉄之助の使命ではあった。
 だが――だが。
 俯いて沈黙するばかりの鉄之助の肩を、松木がぽんと叩いてきた。
「聞き分けなさい。君は、この船で横濱へ行かねばならないのだから。――明後日には、この船は箱館を出る予定だ。沖へ出れば、横濱までは数日だ。月の半ば過ぎには、君は江戸に入っているだろう」
 そして、松木は目線を下げて、鉄之助の目を覗きこんできた。
「いいかね、くれぐれもここでおとなしくしているんだ。それが、君と、土方先生のためでもあるんだからな」
 そう云うなり、かれは鉄之助を残し、船室を出て行った。
 鉄之助は、副長から託された包みを抱きしめたまま、ただじっと俯くより他になかった。



 二日後に出航と聞いていたアルビオン号は、航行に支障が出たと云うことで、出航を延べ延べにしていた。
 その数日の間に、鉄之助は幾度も、五稜郭への帰還を試みた。
 副長が二股口の守備に出ていることは知っていた。五稜郭には、今は、副長はいないのだ。
 だが、こんなところ――外国人居留地に接岸した船の中――ではなく、五稜郭まで行き着けば、せめて新撰組の駐屯する弁天台場まででも辿りつければ、そこから再び、副長の傍に戻ることもできるはずだ。もっとも、“命を受けられぬと云うなら、斬って捨てる”と云うあの言葉を考えれば、たとい帰り着いたとしても、そのまま命果てることになる可能性は高かったのだが。
 それでも、どうしても鉄之助は、副長の許に戻りたかったのだ。今生は、あのひとを守って死んでゆく、そればかりが自分の望みであったのだ。だからこそ。
 だが、鉄之助の脱走は、船員たちにすぐに察知され、幾度かの逃亡は、その都度あえなく失敗することになった。
 背の高い異国の水夫たちは、すばやく鉄之助を探し当て、船室に連れ帰ると、松木にその旨を報告していた。
 松木は、その度に鉄之助の船室を訪れて、くどいほどに叱りつけてきた。
「土方先生の命を忘れたのか!」
 激しい声音が叩きつけられる。
「土方先生が、どんな思いで君に命を与えたのかを! ――いいか、もうじき船が出る、それまで決して、ここから出るんじゃあないぞ」
 そう云われても、鉄之助は諦めなかった。
 あのひとの傍で、あのひとのために死ぬこと、もはや、それ以外に望みなどなかった。
 副長の命に背くことになったとしても、かれは、あのひとの楯となって死にたかったのだ。
 だが、幾度かの脱走未遂ののち、四月十五日――アルビオン号は、ようやく準備が整い、箱館を出航した。
 揺れだした船体を感じながら、鉄之助は、副長から預けられた包みを抱きしめて涙をこぼした。
 これで、かれの望みは潰えたのだ。鉄之助は、副長のために死ぬことはできなくなった。この上は、あのひとから託された命を果たすことしかできないのだ。
 そう思うと、たまらない気持ちになって、鉄之助は、食事を摂ることすらせずに泣き続けた。
「――あれは、どうしたんだ」
「さて……主でも亡くしたのかも知れませんなぁ」
 英国人の船員が、客と思しき日本人と、そんな言葉を交わしながらこちらを見やってきた。
 鉄之助は、それを涙に濡れた目できっと睨みつけた。
 ――まだ亡くしていない!
 まだ、あのひとは生きている。まだ――だが、それは“まだ”でしかないのだ。
 あのひとは死ぬ。すくなくとも、死ぬつもりでいるのだ。二度と、生きて蝦夷を離れまいと。
 ――副長……
 できることならば。
 あのひとの訃報を、一生耳にすることがなければ良いと思った。
 ――便りのないうちは、生きてるんだと……
 かつて、沖田の死の知らせを受け取ったときの、副長の口にした言葉が耳朶に甦る。
 今になって、鉄之助にもわかった。
 副長の死の知らせなど、己の耳に届かねば良い。そうであれば、副長は生きて戦い続けているのだと思って、鉄之助も生きてゆける。そうでなければ――そののち、かれはどうやって生きていったらいいと云うのだろう。
 鉄之助は、包みを強く抱きしめて、涙の流れるままに嘆き続けた。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。
いよいよ日野へ――この辺、ホンット資料ないんですけども! 電波も通じない(携帯みたいですな/笑)ので、想像! 想像あるのみ!
……あ、ちょっと(怪)情報はあるか――ちょこっとだけだけどねー。入手できたの、本当に偶然だしなァ。


あ、そうそう、通詞の人の名前、今回から“松木”に変更してます。“松本”か“松木”か迷ったんだけど(字面的に、どっちかだと思うんだ)、多分そうだろうと云う話なので“松木”さんで。
船の名前は、複数情報で“アルビヨ”“ハルビヨ”と云う名前だと聞いたので、“アルビオン”で。四月六日に寄港した英国商艦“アルヒヲント”乃至は“アラヒラン”と同一かと思われ。この四つの音を総合して考えると、今発音なら“アルビオン”だよね? Albion――英国の雅称で、“white land”の意味の言葉だし。


ところで、デアゴの『日本の100人』の釜さんの巻を読んで、つらつらと考えてみるに――勝さん、もしかして鬼のこと惜しんでくれてた? だから、開陽を沈めて、何もできないままに生き残った釜さんに、いろいろ厭味を云ったりしたのかな? 鬼に指示出しした、とは(表立っては)云えないだろうから、それでちくちくの厭味だったのかな――中島さんだって(一応)元同僚だったわけだしね。勝さんから見りゃ、“何で、あいつらは死んだのに、おめぇはのうのうとしてやがるんだ”って感じだったのかなァ。う〜ん。
どうなんでしょう、そうなのかな――そうだといいなァ……


これはまったく関係のない話なのですが――津/本/陽って、話書くの下手? つーか、『独眼龍政宗』を読んだのですが、人物が全然生きてない……佐/々/木/譲の『くろふね』もそんなところがありますね、そう云えば。この人は、『幕臣たちの技術立国』なんかは面白いので、多分小説向きじゃないんだと思います。が、いずれにせよ、何か、小説じゃなくて資料を書きかえてるだけ、みたいなカンジ。
殿の話は、学陽書房のと学研の(両方とも文庫)が面白かったです。ちゃんと人物が見える感じで。
話の面白さに、ネームバリューは関係ないのかァ、と思ったら、「またこの人膾斬りにしてるよ」と云われちまいましたが。
だって、小説は人物書けてないとねー。駄目だよねー、小説としてはねー。


明日=10日から、ちょこっと箱館、いやいや函館です。沖田番(函館は初めてじゃない)を引きずって。野村と玉ちゃんと中島さんの墓参りしてきますぜ。ふふふふふ。
この項、終了。