めぐり逢いて 27

 そうして、鉄之助は日野本陣の客人となった。
 とは云え、それは、虜囚にも似た日々のはじまりでもあったのだが。
 官軍の、旧幕臣残党狩りが厳しいと云うことで、鉄之助は、日中はほとんどずっと、館の控えの間のひとつ――北向きの、一番奥の六畳間――で過ごしていた。
 主・佐藤彦五郎は、手が空いているときには鉄之助の許を訪れ、手習いや素読などを教えてくれた。
 鉄之助とても、これまでそれらを学ばずにきたわけではなかったが、しかし、ここしばらくくぐり抜けてきた戦渦の中では、習い覚えたことを骨身にする暇などありはしなかったのも確かなことで。
 鉄之助は四苦八苦しながら、古い記憶を引きずり出して、新しく教わったことどもを身につけていった。
 主の息子・源之助は、鉄之助より二つばかり年長だったが、よくかれとともに学んでくれ、鉄之助はそのことにずいぶん助けられもした。やはり、ともに学ぶものがなくては張り合いがない。そうとも、源之助と自分との間に、学問の修得に関して、どれほどの開きがあろうとも。
 学問ばかりではない。主は、鉄之助に剣の手ほどきもしてくれた。
 この家の敷地の中――ちょうど、門を入ってすぐのあたり――には、小さな道場が設けてあり、月に何度かは、天然理心流の師範代が、近隣の若者に指南しに訪れるのだと云うことだった。
「君も、剣はそれなりに遣うのだろう?」
 主は云って、鉄之助に太い木刀を手渡してきた。
「天然理心流は、知ってのとおり、君たちの局長だった近藤勇の流派でもある――君がどの流派の遣い手かは知らないが、身につけて邪魔になるものではない、ここにいる間だけでも、鍛錬していくといい」
「はい、ありがとうございます」
 鉄之助が頭を下げると、主は片頬でふと笑った。
「何、もともとは私の道楽ではじめた道場だ。――それに、歳三もな、ここで天然理心流を学んだのだよ。もっとも、あれは我流ばかりで、結局は目録どまりだったのだがね」
「――副長が」
 そう云えば、新撰組創設期の幹部は、大半が、局長の開いていた試衛館と云う道場の門下であったのだと聞いたことがあった。
 もちろん、鉄之助が入隊した頃も、隊内で諸々の武芸を教える師範たちはあったのだが――天然理心流の師範と云うべき沖田総司は、そのころ既に病を得ており、鉄之助たちは、もっぱら斉藤一の無外流を中心に学んでいた。
 初めて教わった天然理心流は、かつて聞いたとおり、やはり泥臭い流儀ではあった――ただし、他の流派、例えば北辰一刀流のような、やや華美な技を競うきらいのある道場剣術とは異なり、まったくの実戦派の剣であることもまた、間違いのないことだった。
 道場でまずやることと云えば、指が回りきらぬほど太い木刀を、ひたすら気合とともに振るうばかり。形云々よりも前に、声が腹の底から出ていなければ、鋭い軌跡で木刀が飛んでくる。
 流石に、鉄之助も実戦で場数を踏んでいなくもなかったので、この攻撃にやられてしまうことはなかったが、それにしても、この荒々しい稽古には、驚かされずにはいられなかった。
 そうしてまた、稽古を重ねてゆくにつれ、沖田や斉藤がいかに非凡であったのか、また、副長が、我流ながらもいかに強かったのかを思い知り、鉄之助はほろ苦い思いを噛みしめるのだった。
 ――あのひとたちが生きてあれば。
 沖田や斉藤や――副長が、生きてあれば。
 そうであったなら、箱館の戦いは、また異なった様相を見せていただろう、と、鉄之助は漠然と考えていた。
 否、そもそもかれらが健在であれば――新撰組は完全に崩れてしまうことなどなく、局長と副長が袂を分かつこともなく、隊は京にあった頃以上に大きくなり、そして……
 ――そして……?
 だが、そのような“新撰組”など、鉄之助には想像もつかなかった。
 副長なら、おそらくは、あれはあれで良かったのだと云っただろう。生きて蝦夷地を離れることはないと、心に誓ったあのひとであれば。
 どちらにしても――あのひとたちはもういないのだ。今生でまみえることは、二度と再びありはしないのだ。
 そうだ、鉄之助が過去の罪過を購う機会は、失われてしまった。あのひとたちとめぐり逢ってからずっと、遠い過去生の過ちを償うために生きてきたと云うのに――それがなくなってのち、どうやって生きてゆけばいいというのだろう?
 せめて、果てるべきいくさ場があれば――そればかりが、鉄之助の望みになっていた。
 自ら生命を絶つことはできなかった。副長が、松木が、さまざまな人びとが生かしてくれた己の身を、今さら自身の手で終わらせることは、かれらの尽力を無駄にするようで――さりとて、力強くこの世を生き抜くには、鉄之助の中に、生への手がかりがあまりにも希薄になっていた。
 だが、いくさ場であれば、まだしも、生命を燃やして死ぬこともできるはずだ。
 幸いにと云うべきか、まだ戦乱の火種は各地で燻っているはずだ。箱館が落ちたとは云え、薩長に抗う輩が消えたわけではない、それがいつかいくさの焔へと変じる時――その時には、この身を戦火の中へ投じよう。
 いずれ、戦場で果てる、それをよすがに、鉄之助は剣の稽古に励んだ。
 はじめのうちは、道場に通ってきている日野近隣の若者たちは、鉄之助の熱心さに打たれて、よく相手をしてくれたが――そのうち、あまりに鬼気迫るかれの鍛錬のさまに、怖れをなしたかのように近づいてはこなくなった。
「何ゆえ、そう力を求める」
 師範代はそう云って、かれのがむしゃらなさまを窘めてきたが、鉄之助は聞き入れはしなかった。
 云って、わかろうはずはない。力を求めているわけではないのだと――ただ、来るべき日のために、腕を磨いておかねばならぬのだと、そうでなければ、己の手のうちの空虚さに、押し潰されてしまいそうになるのだと。
 他に、何をなすべきことがあろう。力など、守るべきものがない今、求めても詮無いものに成り下がった。
 欲するのは、力ではない。散り果てるべき戦場と――そこに至るまでの長い空漠を埋めるための、何か。
 それは何でも構わなかった、剣でも勉学でも、とにかく、いま、このときを忘れさせてくれるものであれば。
 鉄之助は、ひたすら剣と勉学に打ちこみ、己の足許の空虚から目を逸らし続けた。それが、生命を存えるために、どうしても必要であったから。



 そうして――夢の中を彷徨うようなうちに、二年の時が過ぎていったのだった。


† † † † †


鉄ちゃんの話の続き。
もう一息。


やっとここの話の初手の方の改稿をはじめたのですが、これが結構いろいろ……
実は鉄ちゃんの入隊が、最初書いてたより約1年はやく、油小路から書かないといけなくってぐっは……! か、書き辛い……
仙台以降は、ほとんど改稿の必要がないのでいいんですが、それまでが結構……いろいろ直しが……
と、とりあえずちまちまと直していきますが、直したら本館にUPだな……


ちょこっと、例の「明治維新をひっくり返せ! 脳外シミュレーション」の絡みで考えてたのですが。
例の“士道不覚悟”っての――鬼は、計算尽で“士道”って云ったんだろうなァ、やっぱり……
正直、アレはかっしーみたいな士分の人間からすれば、ちゃんちゃらおかしいものだったとは思うんだけど、新撰組隊士の半分以上を占める浪人、町人上がりなんかにしてみれば、“士道”って云われたら、やっぱり震えるような思いがあったと思うんだよね、“野良犬”だからこそ、なお一層。
だから、“侍”であるからには“士道”に背けば切腹、と云う隊規を、かれら=野良犬上がりの隊士たち、は受け入れられたんじゃないかしら。その隊規を守ることが、すなわち“侍”としての誇りである、と云う論理に基いて。
まァ、実際は士分だって“士道”なんてものァないわけで、まァ、それを敢えて“士道不覚悟”って言葉でコントロールしちゃったってのは、鬼の性格の悪さが滲み出てるよなァ、と思うのですが――
いや、鬼、侍に“憧れて”、“士道不覚悟”なんて云い出すような可愛いタマじゃねェわ。何なの、この人間不信っぷり。どこまで恐怖政治系なんだ。
まァしかし、昨今の年金着服問題なんか見てると、鬼のやり方の方が(ある意味で)正しいのかも、とは思いますね。アラブの格言にもあったよね、“野放図な自由よりは、圧制の下の秩序が良い”みたいなの。“徳なくして恐怖は忌まわしく、恐怖なくして徳は無力だ”――結局はこういうことなのかなァ……
まァとりあえず、箱館戦争後も鬼が生きてて、新政府内に喰いこんでたら、日本のその後は多分すっごい変わってたんだろうなァ……いや、あの男、はっきり云って安倍某とか石原某とかより、何千倍もヤバいですよ……? 唯一の救い? は、万人に公平に恐怖政治系だと云うことかな……


ところで唐突に、安彦さんの鬼が見てみたい! とか思っちゃった……『燃えよ剣』みたいなカッコいいのじゃなく、若干へたれ系で……み、見てみたいなァ、それでもカッコいいんだろうけども(笑)。


この項、終了。
鉄ちゃんの話は、多分あと1〜2回で終了だな。
次は阿呆話、か……どのネタにしようかな……