北辺の星辰 21

 九月十五日、大鳥圭介が仙台に到着した。
 聞けば、幕軍は、会津籠城戦の折、鶴ヶ城内へ入ることを許されず、仕方なく、会津領の外へと転戦することになったのだと云う。
 今、大鳥のみが早駕籠で仙台に入ってきたのは、幕府海軍を率いる榎本と図って、今後の幕軍の転進をどうするかを決するためなのだと云うことだった。
「幕軍本隊は、白石城下を発したところだ」
 と、榎本のもとで顔を合わせた大鳥は云った。
「だが、ここにつくなり、仙台が、薩長に恭順の意を表し、謝罪嘆願書を差し出したと云うではないか。私はもう、悔しくて悔しくてならない……!」
 そう云うと、かれは、あふれる涙を拳で拭った。
 ――まったく、素直なおひとだぜ。
 歳三は、胸中でそっと苦笑をこぼした。
 仙台藩の謝罪嘆願書提出のことは、歳三もつい今ほど、榎本から聞いたところだったが――落胆こそしたものの、歳三の中には、涕泣するほどの悔しさなどありはしなかった。
 あるいはそれは、歳三が、ここ半月近く、奥州諸藩の動向を見つめ続けていたためであったのかも知れぬ。
 奥州同盟は有名無実のものと化し、諸藩はなだれをうって、恭順へと意を傾けつつある。そのことを、先日の同盟会議の一件以来、ずっと感じていたからなのかも。
 対する大鳥は、つい先日まで、幕軍を率い、会津近隣を彷徨っていたのだ。
 そうして、会津が籠城戦に突入したからには、頼みの綱は奥州同盟のみと、そう思い定めて仙台へやって来たのに違いない。
 だからこそ、涙を流すほどに、同盟諸藩の翻意が悔しいのだろう――希望があったからこそ、なおさらに。
 だが、歳三はそこまで感情を露にすることはできなかった。悔し涙を流すには、かれはあまりにも“新撰組の鬼の副長”であり続けすぎた。謀略をめぐらせ、目前の敵を排除するために画策する、そのような人間には、感情的になることなど不要であった、否、むしろ感傷など邪魔にしかならなかったと云うべきか。
 それは、今にしても変わりはしない。歳三に求められているのは、同盟の瓦解を嘆くことではなく、その先へどう動いてゆくか、幕軍をどう導いてゆくべきかを考えることであるのだろうから。
 その幕軍の進退について、榎本は、もはや本土での戦いを見限ったようだった。
 さもありなん、ここ奥州は、佐幕派にとって、唯一残された拠点となるべき土地だった。その奥州列藩が恭順に意を固めつつある以上、この土地に、幕軍の腰を据え得るところなど見出せはしないだろう。恭順を示すには、江戸開城に異を唱えてここまで戦ってきた陸軍や、徳川家の駿府転封に承服できずに脱走した海軍艦隊などの存在は、邪魔になるばかりであろうから。
「私は、この先、蝦夷地に向かおうと思っている」
 進退について問われた榎本は、そう云って、歳三や大鳥にまなざしを向けてきた。
蝦夷箱館は、先だっての開国の条約に基いて、英米などの商館がつくられ、そこで貿易をしていると聞き及ぶ。また、それを統括するために、幕府直轄の箱館奉行所も設けられている――蝦夷地の実質支配は、昔から松前藩が行っているが、それとても、蝦夷地全島のほんの一部分を治めるのみだ。私は、そこに勝機があるのではないかと思うのだよ――いや、戦をすると云うことだけでなく、我々が腰を据え得る、と云う意味でだがね」
 蝦夷地。
 その土地がどのようなところであるのか、歳三には皆目見当もつかなかった。
 何しろ、江戸より北に来たのも、この行軍が初めてのことだ。まだ九月であるのに、朝夕の冷え込みは江戸のそれより厳しく、ここが北の地であるのだと思い知らせてくる。
 ここ仙台ですらそのような気候であると云うのに、ましてこれより北の蝦夷地ではどのような寒さであることか――その土地に、これから冬になろうかというこの時期に渡航して、果たしてそのまま滞留し続けることが可能なのか。
 そしてまた、天領となっている箱館はともかくとして、松前藩が、幕軍の蝦夷地入りをどのように捉えるのか、その上で、どのように対応しようとしてくるのか――疑問は尽きなかった。
 ちらりと、榎本の隣りに坐る松平太郎にまなざしをむけると、かれは、ひどく渋い表情で、滔々と語る男の話を聞いていた。どうやらかれは、この案に反対であるようだ。
 さもありなん――歳三とても、同じ想いだった。
 もはや、日本中が倒幕勤皇に傾いているからには、幕府陸海軍が合わさって、蝦夷地ひとつを押さえたとて、この状況がひっくり返せるとは思えなかった。
 だが。
「――それも、ひとつの手ではあるやも知れませんな」
 歳三が頷いたのは、そうした冷静な状況判断とはまた別の、歳三なりの思惑の故だった。
 幕府の再興は、もはやならぬ――それは、厳然とした事実となりつつあった。
 幕軍がどれほど戦いを求め、薩長の打倒を求めようと、時節は移ろい、勝機は去った。幕軍が勝利をおさめ、徳川家が再びこの国を支配することは、もはやない。
 それならば、歳三は、勝から与えられたいまひとつの命を果たさねばならぬ――すなわち、幕軍を、遺恨を残さぬかたちで敗北させると云う命を。
 ――おめぇさん、俺に生命を預けるつもりがあるかえ?
 勝のあの言葉は、すなわち、もしも幕軍の存在が、徳川家存続に障りがあるような事態になったなら、歳三に、幕軍を敗北させて死んでこい、という意味を含んでいたのだ。
 もちろん、歳三には否やはなかった。
 それが勝の望むことであったのならば――そしてそれが、すこしでも勝のためになると云うのならば。
 士は、己を知るもののために死すと云う――歳三は、自身をそれほどのものと思ってはいなかったが、それでも、自分を買ってくれた勝のためならば、一命を賭すことも厭うまいとは考えていた。
 今、幕軍が戦い続けることが、徳川家の、曳いては勝のためにならぬと云うのならば――歳三のなすべきは、幕軍と共に戦い、最高の時機に最高のかたちで、敗れ、死ぬことではないか。
 それ故に、歳三は、幕軍をここでなし崩しに降伏させるべきではないと、そのように思っていた。
 だからこそ、
「徳川の御恩に報いるには、蝦夷地を開拓し、その土地を幕臣のものとしてお上に許可戴くと云うのであれば――あるいは、徳川の今の窮状を打開し得るやも知れませぬ」
 榎本を騙すようではあったのだが、このような言葉を続けたのだ。
 だが、松平は、この言葉に潜む欺瞞に気づいたようだった。眉を吊り上げるように、歳三を睨みつけてくる。
 だが、歳三とても、伊達に会津公用方と渡り合い、新撰組の権益を確保してきたわけではなかった。はったりならば、いくらでもきく。それでどう判断をつけるかは、松平ではない。実際に幕軍艦隊の指揮権を握る、軍艦奉行の榎本が諾と云えば、いかな元陸軍奉行と云えども、それに抗うことなどできはすまい。
 案の定、
「おぉ、それは良い案ですな!」
 榎本は、手を打って喜んだ。
「幸い、陸軍は、大鳥さん、土方さんと逸材もある。たとい薩長を退けることが叶わなくとも、蝦夷地を徳川のために得ることならば……」
「榎本さん」
 松平が、眉を寄せつつ言葉をかけた。
「おわかりなのですか、薩長とことを構えれば、御咎めは上様にも及びます。――まこと、蝦夷地を目指されると?」
「だが、他に道もないでしょう」
 榎本は云って、松平の手をしっかりと握りしめた。
「貴方も、此度のことでは、ずいぶんと歯噛みなされたのではありませんか。……これは、最後の機会なのです。蝦夷地で、ともに徳川をもり立てるため、戦ってゆきましょうぞ」
 きらきらしいまなざしに、松平はひとつ溜息をつき――やがて、止むを得ずとでも云うように、眉間にしわを寄せつつ頷いた。
 榎本は、それを見るなり破顔して、
「やぁ、ありがたい! 大鳥さんも、土方さんも、ひとつ宜しくお願いいたしますよ」
 云いながら、次々に居並ぶ人間の手を握る。
 その手を受けながら。
 ――ずいぶんと、軽々としたおひとだな。
 苦笑まじりに、歳三は考えた。
 だが、この榎本の軽さこそが、かれを、この陸海軍を最終的に統括させることになるのかも知れなかった。
 この軽やかさと、誰にでも頭を下げられる腰の低さ、これこそが、あるいは榎本の将の器であるのかも知れなかった。
 勝には遠く及ばない、だが、榎本もまた、一個の“人物”なのだろう。
 それならば。
 ――この人に、賭けてみるか。
 たとえそれが、はじめから負けを目指した賭けであれ。
 歳三が、そのような心で榎本を見つめている様を。
 松平太郎の冷やかな目が、明確な不快感を滲ませて、睨みつけていた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
鳥さん仙台到着〜。安富とは、次の章での合流になりそうだ……


何かこの辺、イマイチコメントが書き辛いと云うか。大体、書きたいことは文中で書いちゃってるし、鉄ちゃんの時と違って、細かいところまで書いてるからなァ……
まァ、“勝さんの命”の残り半分も出てきたことですし、それに照準を合わせていく鬼のスタンスも、じっくり書いていきたいと思います。
あァ、でも、タロさんの怒りのわけは、この辺でちょこっとわかって戴けたかしら。つーか、いつも鬼が酷い奴ですが、まァ仕方がないのだ、こんなんだから。
最近、もう爽やか系の鬼が駄目で(苦笑)、『風光る』の今回の話(雑誌掲載分ね)なんか、ぐあぁァァ! と云って放りだしそうに(苦笑)。駄目っぽいですねー。
まァ、自分内、鬼こういうタイプの酷い奴なので、別にいいんですけども。つーか、学園ものチック(と『KINO』と云う雑誌に書いてあった)な新撰組は、どうも自分のイメージと合わないんで……ははははは。


しかし、鉄ちゃんの話では、仙台篇は3章だったのに、鬼の話では既に4章目に突入して、まだ安富とは合流してない……
何か、段々倍くらいのペースなんじゃないかと思わずにはいられなくなってきました、が、それだとこの話、ほぼ60章で終了と云うことに……! つーか、60で収まるのか、本当に? (汗)
鉄ちゃんの話で、松前攻略とか宮古湾海戦とかを簡単に書いてるので、それがどこまで伸びるかにもかかってるなァ。
あァあ、はやく中島さんとも遭遇したい……大好きだ、勝さんと源さんの次くらいに。


あ、えーと、「あの子と同居バトン」入れ替え篇は、投票があったぽっいので、書いてUPします――そのうち。
と云うのは、沖田番が、現在、負傷中の親の介護でいっぱいいっぱいなので、なんですけども。
とりあえず、前回のほどお互い容赦なく何かやる感じにはならないと思います――鬼のTVっ子っぷりは、また変わるかも知れませんが(苦笑)。


この項、一応終了で。
次は鉄ちゃんの話――つ、次で終われるかッ?