めぐり逢いて 29

 兄・辰之助は、ともかくもと、鉄之助と供のものを、家の中へと招じ入れた。
 鉄之助にとっては、ほぼ六年ぶりとなる我が家である。
 兄は、いつの間にやら娶ったらしき妻女に、茶を入れさせてくれた。美しい女ではないが、あたたかみのある面ざしの、ふっくらとした女だった。
「お前と別れてから、まっすぐにこちらへ戻ってな。帰参しようかとも考えたのだが、何しろ俺は、脱藩浪人だ。その上、御一新の波の中では……新撰組にいたなどと、大っぴらに云えるものでもない。大垣は、官軍についていたからな」
 兄は、声を潜めるようにして、“新撰組”の名を口にした。その名を口にした声は、ほとんど囁きのようでもあった。
 鉄之助は――供についてきてくれた、日野の吉右衛門のことを思うと、兄の様子に、腹立たしいものを感じはしたが――しかしまた、兄にも兄なりの事情があるのだと、諦めとともに思い直した。
 そうだ、鉄之助は、この三年と云うもの、日野の佐藤家で、ゆき届いた暮らしをおくっていたのだ。主や妻女に気遣われての三年間は、確かに禁足状態ではあったにせよ、安楽な暮らしぶりでもあっただろう。
 だが、兄は。
 鉄之助が日野で過ごしていた三年間、いや、あるいは江戸から会津、仙台、箱館と転戦を続けていた間も、かつての敵であった薩長に歩を揃えた大垣の地で、どれほどの労苦の末に、今のような暮らしを手に入れることができたのだろう。
「――それでな、細い昔の縁故を頼ると、このてるの父御にいきついてな。正直に窮状を話すと、娘を下された上、田畑の世話までして下さってな。……てるは、見てのとおり、器量はそれほどでもないが、気立てのよい女でな。俺も、偶に用心棒などの仕事も請け負いつつ、田畑を耕して、どうにかかつかつ食って行っているというわけさ」
 なぁてる、と兄が妻女に同意を求めると、てると呼ばれた女は、かすかに頬を染めて、けれどはっきりと頷いてきた。
「――そうですか。俺はあの後、副長のお供をして、結局、蝦夷地まで参りました……」
 そう、口に上せながら。
 鉄之助は、ふと、果たして自分は、この家に“帰って”きてもよかったのだろうかと自問した。
 兄にとっては、新撰組のことなど、四年も昔の、しかも今となっては葬り去りたい過去であるはずだ。
 だが、自分がいる限り、それは、決して葬り去ることのできないものになるだろう。
 何より、鉄之助が、新撰組を――副長を忘れて、その記憶を葬って生きることなど、できはしないからだ。
 そうだ、鉄之助にとっては、この五年の間、新撰組が、そして副長が、人生のすべてだったのだ。あのまま箱館に居続けていたならば、おそらくは、副長の盾となって散っただろうと、否、そうありたかったと思うほどには。
 その鉄之助と、すっかり大垣の郷士然として、妻を娶り、この土地に腰を据えた兄とでは、生きる姿勢からして、まったく異なるものになってしまったのではあるまいか――そのようなふたりが、これから先、“兄弟”として、ともに同じ屋根の下で暮らしていくことができるのか。
「――そうか……お前もお前で、苦労したのだなぁ」
 兄は、そのように感慨深げに云いはするが――彼我の間の深い溝を、どうやって埋めていったらいいと云うのだろう。
「だが、これからは、もう、武士だ何だと云う時代ではない。脱藩浪人だ何だと云われることもないのだ。そうであるからには、俺たち兄弟力を合せ、せめてこの家だけは、子々孫々伝えて行かなくてはならないんだ。――お前も嫁取りをして、皆で市村の家をもり立てていこう」
「……えぇ」
 微笑んでそう返しながら。
 ――帰ってくるべきではなかった……
 苦い思いが、肚の底からじわりとわき上がるのを感じる。
 帰ってくるべきではなかった。自分は、所詮はいくさ場に生きるものとなったのだ。兄とは違う――新撰組を、副長を捨てて、ただ田畑を耕して生きることなどできはしない。それには、鉄之助は、あまりにも箱館に、あの人のところに心を残し過ぎていた。
 だが、そう、それでも、鉄之助には他に行くべきところなどありはしなかった。戊辰の戦いは箱館の地で終息し、もはや散るべきいくさ場もない。ここより他に、居るべきところもありはしないのだ。
 だから。
「――俺も、精一杯、市村の家のために働く所存です」
 鉄之助は云って、兄に深く頭を下げた。



 大垣までついてきてくれた吉右衛門が、日野への帰途についた。大垣へ着いてから十日ほど経ってのことだった。
「主どのと御内儀に、くれぐれも宜しくお伝えください」
 鉄之助の言葉に、
「ええ、もちろんですとも。無事お送り致しましたと、そのようにお伝え致しますよ」
 柔和に笑んで、吉右衛門は頷いた。
 兄が昔新撰組にいたことも、それを離れる時に何やらあったことも、吉右衛門には察せられただろうに――だが、かれは、何も聞かなかったことにして日野に戻るのだろう。聞いてしまえば、日野へ戻った時に、何かしら態度に出てしまう。そして、それは日野の佐藤家の主とその妻を、傷つけることになるやも知れぬ。
 それ故に吉右衛門は、何も聞かず、何も知らずに帰ろうとしているのだろう。
 その心遣いに、鉄之助は感謝するより他になかった。
 礼の言葉をもう一度口にしようとして。
 ごほり――
 胸の底からこみ上げる咳が、鉄之助の喉を塞いだ。
「おや、風邪ですか」
 吉右衛門は眉を寄せた。
「そう云えば、日野からずっと、風邪気味でしたな。お疲れ故、なかなか治らんのでしょう。郷里へ戻られたからには、しっかり養生されなくては」
「――はい」
 鉄之助は微笑んで、今度はかるく、けほりと咳きこんだ。
吉右衛門どのも、お元気で」
「市村さんも。――日野においでの際には、どうぞまたお寄り下さい」
「はい、是非」
 吉右衛門は、幾度も振り返りながら、大垣を去って行った。
 ――けほり。
 咳がひとつ、鉄之助の胸を震わせる。
 明治五年夏――世に戦の気配はなく、鉄之助の、剣を抱いて死すべき場所は未だありはしなかった。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。まだ終わんないよぅ(汗)。
でも、こんどこそ次の章くらいで最後だろう! (希望) そして、大体最後も見えてきた感じで……


ここらへんを書くにあたって、そう云や大垣って、佐幕派だっけ、倒幕派だっけと思って、『図説 幕末戊辰西南戦争』(学研 歴史群像シリーズ)を見直したら、何と、大垣倒幕派じゃん。
そりゃあ辰之助も、郷里に戻ってからが大変だったんだろうなァと思って、まァ適当にでっち上げてみました。
だってさ、佐幕派の上に元・新撰組隊士って、脱藩浪人と合わせて三重苦って感じじゃないですか。
まァ、もちろん“大垣藩士”に戻れるわきゃあねェので、郷士と云うか、ほとんど農民みたいな感じにしてみましたよ。それならとりあえず食ってけるからな。
嫁は、まァこんな風になったら、どっかから世話して貰ったろうと云うことで。やや難あり(=美人じゃない)ってのは、まァこういう場合はねェ。ねェ。


そう云えば。
月末の篤姫フェア用に、更に何点か加えたうちの1冊に『山岡鉄舟の武士道』(角川ソフィア文庫)があったのですが。
これ、山岡鉄舟の武士道講義録に、勝さんが注釈をつけているものでして。その勝さんの注釈がまァ、すごいと云うか何と云うか。“何処かの塾長”って、そりゃ諭吉さんのことですな、みたいな! しかもかなり辛口。
しかし、この人(=勝さん)が切れる人だなァって思ったのは、その中で、「これから二、三十年もしたら、世の中は危ないよ」的な発言をしてる(注釈の聞き取りは、明治三十二年らしい)のがね――それって丁度、日中戦争大東亜戦争あたりの話だよね、と思うと、この人の眼力ってのは、つくづくすげェなァ、としか云えません。こんな政治家、今いないよねェ。ホントに、目先のことばっかだ――まァ、何もこれは政治家に限ったことじゃあありませんがね。


この項、終了で。
次は阿呆話、勝さん、のつもりだったけど……