雪花

 寒いと思っていたら、案の定だった。
 灰色に曇った空から舞い落ちてくる、白い花。あるいは羽毛のような、雪の花だ。
 ――天気予報は、最近は外れねェんだな。
 苦笑とともに思いながら、懐中時計をポケットから引きずり出し、時刻表と交互に見る。次のバスは、予定では10分先だ。
 携帯で連絡を入れると、同居している後輩が、跳ね上がるような声で応えてきた。
〈せんぱーい、おかえんなさい! 今、どこっすか?〉
「駅のところのバス停だ」
〈バス、じきに来そうっすかね?〉
「当分来そうにないな――時刻表どおりなら、あと10分だが」
 しかし、電光掲示の画面は真っ黒で、この次の到着予定時刻など、まったく出てはいない。大方、この雪で、ダイヤも大幅に乱れているに違いない。
〈こっちはもう、結構積もってますよー。気をつけて帰ってきてくださいねー。今日は、寒いからおでんですぜ〉
「おう、そうか。楽しみにしてるぜ」
〈熱々にして待ってまさぁ〉
 通話を終えても、バスの到着予定は真っ黒のままだった。
 ――こりゃあ、長くなりそうだぜ。
 携帯をしまい、鞄の中から革手袋を出してはめる。
 停留所には屋根があるから、傘をさす必要はないけれど、身を切るような風雪で、すぐにも凍えてしまいそうだったから。
 手袋をした掌をこすり合せるようにしながら、降りしきる雪の向こうを透かし見る。
 人通りの少ない街路は、既に真っ白に塗り替えられている。かすかに見える自転車の轍、まばらに散る足跡の陰影も、降り積む雪に紛れて消えてゆくのだろう。
 見上げる空から、大粒の雪――昔、遠い昔に、北の地で見たような。
 今は雪の降る土曜の夜、バス停には他に人影もなく、道に車の影もまばらで、まるでエアポケットに落ちこんだようで――
 ふと、取り残されたような気分になるのだ。
 おかしな話だ――“今の”自分を云うのなら、帰宅途中にただバスを待っているのだし、もっと“昔”のことを云うのなら、そう、取り残したのは自分の方であると云うのに。
 遠い昔、こんな風に降りしきる雪の中、自分は、大勢の仲間たちと進軍していたはずだ。北の果ての地で、敗北に向かって突き進みながら、ただ前へ前へと走り続けていたはずなのだ。
 自分の前後には、数多くの軍勢があって、跨った馬の蹄の音と、行軍する兵士たちの帯びた銃刀のかち合う音で、雪中であると云うのに、どこかざわついていたものだった。戦いのその先は見えなかったけれど、自分も、ともにあったものたちも、不思議な高揚感に捉われながら、凍てつく白い大地を踏みしめて歩いていた。
 あの時の、震えるような躍動感も、氷雪を焦がすような高揚感も、この胸の内にはない。ただ、冷えた記憶と、ぽつんとした孤独があるばかり。
 あの時隣りにいた仲間たちは、もう誰もない。自分が、かれらを生の中へ置き去って、挙句に今、この時を生きているのだ――かれらは、誰もそれを望んではいなかったのだろうに。
 かれらは、笑うだろうか? かれらを置き去って行ったはずの自分が、今、この遠い時のこちらで、あの北での日々を悔やんでいると知ったなら。
 ――後悔なんぞ、しねェと思ったはずなんだがなァ……
 北へ行ったことも、その先で敗れて死んだことも、すべては納得の上でのことだったはずだ。自分がいきて死に、仲間たちが敗北することで、何かにひとつけりがつくはずだと、そう思えばこその選択だったはずだ。
 それを、今さら悔やむなど――愚かしいにも程がある。
 だが、今この記憶を抱えるものが、自分ひとりだからこそ、その愚かしい考えにはまりこむのだろう。もしも、顔をあわせて、あの時のことを語らうものがあったなら――かれは、愚かな後悔を抱えるばかりの自分に対して、「馬鹿だなぁ」と云ってくれるだろうか。
 と。
 黙を裂くように、着信音が鳴った。この音は、後輩からか。
「……もしもし」
〈あ、せんぱーい、バスまだですかぁ?〉
 能天気な声が、受話器から聞こえてきた。
「あぁ、まだだが」
〈だったら良かった、実はお願いがあってぇ〉
「……何だよ?」
〈今見たら、からしが切れちゃってて――途中で買ってきてもらえません?〉
「……わかった」
 苦笑がこぼれる。
 同時に、安堵の溜息も。
 そうだ、これが現実だ――この些細な、どうにもくだらない会話こそが、今ここで生きている証。
 今は、あの激動のときではない。自分は戦いの中に生きるものではなく、生きているこの土地にも、すくなくとも間近には、戦い血を流す場所などありはしない。平和で平穏で、すこし自堕落なほどに穏やかな日々。
 その中には、かつてともにいくさ場を駆け抜けたひともなく。
「コンビニのでいいんだな?」
 そんな応えの穏やかさが、どうしようもなく後ろめたくて。
〈あー、もう、ぜんっぜんOKで〜。特上がいいとか何とか、そんな贅沢云いませんから〉
「わかった。――お」
 いつの間にか、雪の彼方に、バスのヘッドライトと、LEDのオレンジがかった文字が見える。かなり向こうだが、そう遠い距離でもない。遮断機が下りなければ、あと2分と云うところか。
「バス、もうじきくるぜ。ああ、もう前の停留所を出たみたいだ」
〈じゃあ、じきにつきますね。足許気をつけて下さいよー〉
「あぁ、わかってるって」
 バスを降りたらコンビニによって、からしと、何かつまむものも買って帰ろう。
 部屋に戻れば、酒好きの後輩が、熱々のおでんとともに、きっと熱燗もつけて、待っていてくれるだろう。炬燵に足を突っ込んで、おでんと熱燗で一日をしめる、そんな平凡な今日の終わり。
 その幸せを噛みしめながら、同じ胸の片隅には、わだかまる後悔もあるのだけれど。
 ――まァ、考えても仕方ねェか。
 遠い昔の罪過までを、今悔やんでも仕方がない。悔やんでも、取り返すことはかなわないのだ――この生を、ただ前へと進むしか。
 バスが、雪をかき分けるように、目の前に滑り込んできた。
 ドアが開き、蛍光灯の明かりと、あたたかい空気が冷えた身体を打つ――これが、自分の“今”だ。生きている、生きるべき場所なのだ。
 ステップを上がり、背中で閉まるドアを感じながら、かれは、旧い感傷を、冷たい雪の気配とともに断ち切った。


† † † † †


突発読切SS、転生変(この変換好き)。前のアレの続きと云うか。よくわかんない話でごめんなさい〜。フィーリング、フィーリング。
えぇと、何か気分がアレなので、こんな話なのですよ。雪も降ってるし、寒いし、誕生日近辺はnervousになってるし――うん、多分人恋しいんだ。そうに違いない。
古馴染みの腰回りに絡みついて、うだうだできたらいいのになァ。うだうだしたい、うだうだ。


下(とその下)の項のアレコレ、実はみんな知ってるっぽいようです――「また背負いこんでばたばたしてんのか」と、本山さん(仮)と中島さん(仮)に笑われたようだ……
何か、去年の今頃も、昔馴染みに「勝手に他人のことまで背負いこんでんじゃねぇ」って云われたのですが、今年も繰り返してますよ――冬の寒さがいけないんだ(←八つ当たり)。


ううぅぅん、多分ね、もう決して取り返しのつかないことだから、後悔するんだと思うんですよ。これが、今の自分に何とかできることなら、後悔ももっと軽いもんな。生きていれば取り返せるし、今の自分と一続きなら、「これだって、今の自分を作る糧になるんだ」と、(云い方は悪いけど)開き直れるもんな。
でも、もう終って、手も出せないところまで過ぎ去ったことに関しては、触れられないからこそ後悔するんだと思う――したって仕方がないんだけどもね。
今を生きているからこその感傷なんだと思うんだけど、それがプラスになるわけでも何でもないんだけど、やっぱり、ちょっと考えるよな――とかやってると、「勝手に背負いこんでる」って笑われるんだよ。ちぇっ。


まぁ、あの人たちがあれでいいんなら、私は全然OKなんですけどね。うん。やっちゃったこと自体は、(実は)後悔してないんだし。
勝手に背負いこむのは、多分、本当のところ、昔の仲間とちゃんと気持ちがひとつではなかった(っつーか、基本的に共感能力低いので)から、かれらの心がわかんないので、なんだろうなァとは思うんですけども。本能とか、直感とか、そう云うのがうまく働いてないんだよね。だから、いろいろ想像して、勝手にくるくる回るんだ。多分そう。だから皆に笑われるんだよ――狐なのは、そのせいもあるんだと思うけど。
もういいや、燻されて無様に踊りますよ。そんな人間でもいいんだったら、それでいいや。
ちょっとnervous。ちぇーっ。


次――次こそ、休日編、か、ルネサンスを……! そろそろ明るくなりたいなァ……