神さまの左手 3

 レオナルドは、行き詰っていた。
 何に? ――スフォルッツァ公騎馬像に、だ。
 もちろん、レオナルドとても、ブロンズ像の鋳造に携わったことがないではない。だがそれは、あくまでも師であった故・ヴェロッキオの手伝いが主であって、自分が主体となってやったわけではなかった――これがひとつ。
 そしてもうひとつは、レオナルドが、自分の造る騎馬像を、ありがちな単なる騎馬の図にすることを拒んでいたためだった。
 ヴェロッキオが最後に制作したコッレオーニ騎馬像――ベルガモの領主であり、傭兵隊長としてヴェネツィアのために尽力した――には、レオナルドもかなりの力を注いだが、にも拘らず、そのかたちは単なる騎馬行図以上のものではあり得なかったのだ。
 レオナルドは、そのことに満足できなかった。かれは、馬の身体の美しさをこよなく愛していたし、コッレオーニ騎馬像は、歩行する騎馬の像としては、文句なしに美しい姿態に仕上がっていると云える出来ではあったが――しかし、馬本来の持つ、躍動的な美しさとなると、まったくそれを殺してしまっていると云うことも、また否定できない事実であったのだ。
 レオナルドの野心は、馬を、その躍動的な美を備えたままの姿で表現することだった。
 だが、そこで問題になるのは、ブロンズ像の重心と、それを支える方法だった。
 騎馬像が、基本的に歩行中の馬の姿を描いているのには、もちろん理由がある。ただでさえ、馬の四肢は細いと云うのに、無理な姿勢をとらせれば、その足のうち、一本乃至は二本で全重量を支えねばならないと云うことになってしまう。
 だが、無論そんなことは不可能に近い。それ故に、大概の騎馬像制作者は、三本の脚を地につけることのできる、歩行時の馬の姿を描くことになるのだ。
 レオナルドは、その静的な姿を、動的なそれへと変えたかった。馬という生きものがどのような動きで跳ね上がるのか、それに騎乗する人が、どのように身体を支え、馬と一体になって馳せてゆくのか、その姿を広く知らしめたかったのだ。
 紙の上に、後ろ脚で立つ馬の姿を赤チョークで描く。上に乗る人には剣を持たせ、馬上でバランスを取りながら敵に挑みかからんとする姿を描き出す。
 だが、
 ――駄目だ……
 この姿の騎馬像を作ることができれば、人びとは故・スフォルッツァ公とイル・モーロ、そして制作者たるレオナルドに、惜しみない歓呼の声を上げるだろうが、しかし、そのためには、先刻からの問題、つまりはどうその重量を支えるか、と云う点が出てきてしまうのだ。
 何か解決策があるはずなのだ――レオナルドは思い、腕を組んで騎馬図を見つめた。
 と、
「何やってんの、先生」
 声とともに、少年が、レオナルドの肩越しに、ひょいと絵図を覗きこんできた。
「! 驚かすな、サライ!」
「俺は、“サライ”なんて名前じゃないよ」
 少年は、口の中でなにかをもぐもぐと噛みながら、そのような口を叩く。ポケットの中で、小銭がちゃらちゃらと音をたてている――どうやらその小銭で、外で買い食いをしてきたらしい、が、
「――私は、お前に金をやった覚えはないのだがな?」
 そう云えば、机の上に、財布にしまい損ねた小銭を置いておいたはずだが――
 ちらりと机の方へ視線を走らせると、案の定、小銭はきれいになくなっていた。
 再び少年へまなざしを戻すと、かれは悪びれた風もなく、
「ああ、小銭が落ちてたからさ」
 と云って、ポケットを揺すった。
「あれは、置いておいたんだ! この“小悪魔”め!」
 だから、呼び名は“サライ=小悪魔”で充分だと云ってやれば、
「そうかりかりすんなよ」
 にこっと笑って、少年は、彼の伸ばした髭に接吻した。
「!!! サライ!」
「あれ、嬉しくないの? あんた、俺の顔が好きだって云ったじゃん」
 しょうがないなぁ、などと云いながら、少年は、ポケットから小銭を取り出し、レオナルドの手の中にちゃらりと落としこんできた。
「はい。あんたにやるよ」
「もともとこれは、私のものだ!」
「かたいこと云うなよ」
サライ!」
 怒鳴ってやっても、少年はびくともしない。笑いながら、手近の椅子に坐り込み、足をぶらぶらさせている。
 その拍子に、少年の巻毛がふさふさと揺れ、その動きにレオナルドは目を奪われた。
 茶色の巻毛は、光のあたるところは明るい色に、巻いた奥は黒に近い焦げ茶に、まるで斑であるかのような色あいを見せている。
 その様は、不可思議な獣の毛並みのよう――
 知らず、手が、紙と赤チョークに伸びた。
 そのまま、紙の上に、少年の横顔を描いてゆく。なだらかな額の線からのびやかに続く鼻梁、ふっくりとした唇を経て、なめらかな線を描く喉元へ。
 くるくると巻いた髪のかたちを写し取っていると、少年が、訝しげな顔で、レオナルドを見つめてきた。
「何描いてんのさ」
 と、椅子をおりて近づいてこようとする。
「動くな!」
 制止の声を上げると、少年はぴたりと立ち止まり、渋々ながらに、椅子に坐りなおした。
「俺を描いてるんだ?」
 また、足をぶらぶらさせながら、ポケットから菓子らしきものを掴み出し、ぽんと口に放り込む。
「そうだ。わかっているなら、そのままじっとしていなさい」
「はいはーい」
 適当な返事をしてくる少年を、レオナルドは真剣にスケッチした。
 美しく渦を巻く少年の髪。獣の鬣のような、あるいは植物の蔓のような、自然なそのかたち。いくら鏝などで整えようと、ここまで美しい巻毛を作りだすことは、ひとの手には難しかろう。
 美の神は、時に奇跡のように美しい生きものを、この世に送り出すことがあるものだ――レオナルドは、半ば陶然としながら、少年の毛並みを紙の上に写し取っていった。
 線の上に線を重ね、影の上に影を刷く。
 やがて、少年の姿が、鮮やかな陰影をともなって、紙の上に浮かび上がり――
 と、椅子の上の少年の首が、かくんと前にのめるように落ちた。
 おやと思って見つめると、かすかに、寝息と思しき音が聞こえてきた。
 さては、じっとしている退屈さのあまり、眠ってしまったものか。
「――生意気を云っても、まだまだ子どもか……」
 レオナルドの唇から、苦笑がこぼれた。
 紙の上の少年は、生き生きとしたまなざしで前を見つめていると云うのに。
 ――まぁいい。
 いずれ、この子も大人になる。大人になれば、レオナルドの助手として、様々なことどもをともに為していくことになるだろう。
 ――その時が楽しみだな。
 レオナルドは含み笑い、眠る少年に、そっと上着を着せかけてやった。


† † † † †


ルネサンス話、続きー。
馬の話、だけじゃない。


何か、はじめに立ててた計画とは、ちょっと違う進行状況になってまいりました。意外にさくさく進めてるような。が、まァどうせ途中が延びるんだもんな……
えーと、作中のコッレオーニ騎馬像は、完成品がヴェネツィアのサン・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場にあるようです。そう云えば、ここには行ってない。
先生は馬が大好き(馬のデッサンの多いこと!)ですが、そう云えば果たして馬に乗れたんだろうか……350年後の誰かさんは、しょっちゅう落馬してたそうだが、40年後くらいの誰かさんはもちろん馬に乗ってたもんなァ。さて。


それにしても、こんな先生とサライ。これで28歳差です――やられまくってますよ、先生。
そして、世間のイメージよりも、格段に怒りっぽい先生。と、小銭泥棒サライのコンビ――果たして、女性向け展開に至るのはいつのことやら。
あ、髭にキスくらいは普通ですよね、ね?
えーと、まァ、今後もこんな感じで、大人げなさ全開の先生でいくことになります。だって大人げないからさ……


そうそう、大河の『独眼竜政宗』完全版DVDボックスをGET致しました♥ 1・2合わせてごまんななせんえん。安い! (密林さんでは、第壱集だけで¥58,000-してたからにゃー) 見る可能性は低いと云われつつ、ここで手に入れなかったら、もう二度とこの値段では出ないのは明白だったので……!
で、まったく見ないのも(「きっと見ませんよ」と云われたのが本当になるのもなー)アレなので、小田原参陣のあたり(Disc6)を見てみたのですが。
……何だ、この羞恥プレイ。いや、史実をよく調べてあるとは聞いていたのですが――実際、渡.辺.謙の演技で見せつけられると、身につまされると云うか、恥かしいと云うか(汗)。わーわー、こっ恥かしいよー!!!!! (羞) 渡.辺.謙はカッコいいけど、殿のやってることって……! すっげ恥かしいわ……
とりあえず、最後の方とか見たら、多分封印。
しかし、長.塚.京.三とか、佐.野.史.郎とか、大.和.田.伸.也とか出てたのね――相変わらずゴージャスだ、大河。
しかし、いくらゴージャスでも、組! は買わない(実は、一緒に第弐集だけ出てた――¥22,000-でした)けどね……青春群像劇な新撰組はいらん。


さて。
この項、終了。
次は阿呆話ですな……