北辺の星辰 28

 十月十日、幕軍は、折ヶ浜に碇泊する開陽、回天、蟠龍、神速、長鯨、大江、鳳凰の各艦船に乗りこみ、船中で二泊ののち、蝦夷地へ向けて出発した。
 新撰組は、このうちの大江丸に乗りこんでいた。
 大江丸は、開陽や回天などと違い、通常の輸送船で、その意味では、戦艦よりも居住性は優れていたのだが、如何せん、乗員の数が多過ぎた。
 ほぼ千人を七艦に分乗させての渡航であるから、単純に計算しても、一艦あたり一五〇人ほどが乗り組むことになる。
 しかも、七艦のうち、開陽、回天、蟠龍、神速の四艦は軍艦であったから、やや居住空間が狭く作られている。
 必然的に、輸送船である残り三隻――長鯨、大江、鳳凰――に、あぶれた人間が回されてき、艦内は足の踏み場もないような有様になった。
 これが、艦内にあるのが人間だけであったなら、これほどまでの混雑にはならなかっただろう。
 だが、かれらは軍であり、そうである以上、兵とともに装備品や銃砲、輜重などもともに運ばねばならぬ。そうすると、ただでさえ狭い船内は、人とものとで溢れかえってしまうのだった。
「こりゃあ、寝るのも一苦労だなァ」
 坐れば膝があたるような船内を見回し、歳三は思わずそうこぼしていた。
 もちろん、輸送船に乗りこむことになると聞いた時から、快適な道中になるなどとは思ってもいなかったが、それにしてもこの状態は、
 ――いくら何でもあんまりだろう。
 無論、歳三たち幹部連ともなれば、個別の部屋が与えられていたが、平隊士たちは、満足に眠ることすらままなるまい。
 ともかくも、寝床くらいは確保してやらねばならぬ。
 折ヶ浜停泊中の二日間に、歳三は、平隊士たちの休眠の時間割を定めた。すなわち、大江丸に乗り組む全兵士をいくつかに分け、ひとつが眠っている間は、他を船上で見張りなどの仕事に割り当てたのだ。
「これで、どうにか足を伸ばして眠れるだろう」
 歳三が云うと、今は新撰組隊長となった森常吉は、わずかに眉を寄せた。
「ですが、夜に見張りに立つものは、いささか辛いものがありましょうな。もう神無月、ましてや、これより先は北辺の寒冷の地です。順繰りに、夜番を回してやらねば……」
「そうですな。そのあたりは、考えましょう。――とは云え、船上にあるのもほんのわずかのことです。すこしは我慢してもらわねばなりますまい」
「……蝦夷地では、すぐに戦になるのでしょうか」
 森の表情は、不安げだった。
 さもあろう、歳三たちの誰ひとりとして、蝦夷地がどのようなところであるのか、どれくらいの人間が居住していて、どのように生活しているのかを知らないのだ。松前藩がどのような藩意をもって幕軍を迎えるのか――ことによっては、渡航後すぐの戦闘も覚悟せねばなるまい。
 それでも、歳三などは、比較的蝦夷地のことを知っている部類に入るのだろう。袂を分かったかつての同志・永倉新八松前藩の脱藩浪士だった。歳三と永倉は、それほど仲が良いわけではなかったが、それでも、試衛館時代の酒の席などで、ぽつぽつと話される語りの中で、この北辺の地のことも耳にしたことがあった。果てもなく続く白い大地、荒々しい北の海、暗い冬空、凍てつく風雪――
 異郷であるのは確かだが、しかしそれでも、同じ人の住む土地なのだ。
「……状況次第でございましょうな」
 歳三は、暗い予想を敢えて語りはしなかった。
 そう、同じ人の住む土地である以上――どこでも、云えることは同じなのだ。すなわち、行って、あたってみなければわからぬのだと。
「あまり構えて行っても、徒に揉め事を引き起こすだけでございましょう。夷人でもありますまい、話し合いができぬと云うわけではないでしょうから」
「左様でございますな」
 森は、ほうと息をついた。
「ともかくも、私は内部の統制をとることに専念致しましょう。――どうも、あの松山の依田と申すもの、とかくまわりと衝突しがちで……いささか、今後に不安がございますな」
「やはり……」
 あの依田織衛と云う男、森にすらも従わぬか。
 年長であり、また元の立場も上であるはずの森にもそうでは、この先がますますもって思いやられる。
「いかが致しましょう、土方殿」
 伺いを立ててくる森に向かって、
「今の新撰組の隊長は森殿なのですから、宜しいようにお計らい下さい」
 歳三は、にこりと笑んで、そう答えた。
 そう、森に隊長を任せたからには、新撰組内の差配はすべて、森のやり易いように行ってもらうのが筋と云うものだ。
 それに、森も京都守護職公用人まで務めた人物だ、その差配に、そうそう間違いがあろうとも思えない。そうであれば、島田や安富などの旧新撰組の隊士たちも、森の差配に抗うことはあるまい――依田織衛は、どうなるとも知れなかったが。
「宜しいのですか」
「勿論でございますとも」
「しからば、左様計らうようにさせて戴きましょう」
 そう云って戻っていった森は、その後、依田と、それに同調する松山藩士数名にそれなりの処罰を与えたようだったが――島田などから聞いた限りにおいては、特に隊士たちからの反発はなかったようだった。もちろん、当の依田らは、まだいろいろに不平を云っていたようではあったのだが。
 ともあれ、二日間は無事に過ぎ、幕府艦隊は、いよいよ蝦夷地へと出港した。
 出港の翌十三日には、艦隊は宮古湾鍬ヶ崎に入港し、輜重の補給をし、同時に、船倉に押し込められていた兵たちに羽根を伸ばさせるため、暫、この地に碇泊することにした。
 その間も、歳三は、輜重の調達のために走り回り、ほとんど休みらしい休みもとれぬほどだった。
 やがて、補給も完了した十七日、幕軍は再び洋上に出て、今度は一路蝦夷地を目指して帆走する。
 北へ向かうにつれて、風は激しさを増し、それに伴って波も大きく高くなっていた。船体はたやすく波風に翻弄され、船酔いで蒼白な顔を見せているものも少なからずあった。歳三も、酷い船酔いこそしなかったものの、あまりの足許の不確かさに、船室から出ることもままならず、小さな窓から荒天の海上を眺めるよりなかった。
 そして、出港から七日の後の、十月十九日。
 雪混じりの風を透かして、歳三たちが見たものは、黒々とした海の向こうに浮かぶ、白に染まった山々の影だった。
 幕府艦隊はこの日、遂に蝦夷地へと辿りついたのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
やっと蝦夷渡航〜。


鉄ちゃんの話のこの辺で、秋月さんと一緒だったように書いてますが、これは嘘だ……秋月さん、蝦夷には行ってません、っつーか、そもそも戦線復帰してないよ。怪我が治り切らなかったのかな? 会津城下に行けば、秋月さんのお墓があるらしいので、いつ頃亡くなったとかがわかると思うんですけども。まァ、そこまでの気力がない、っつーか、会津ってどうも(以下略)。
あと、船の構造については、イマイチ実感がないのですが、以前見た映画(何だっけ、海洋もので、早川から原作の出てるやつ、ジ.ャ.ッ.ク・オ.ー.ブ.リ.ーだ)の船のサイズのイメージで。多分、あれはもうちょい前の話(まだカッターとかの、完璧帆船の時代の話だからなー)だと思うんですが、木造の蒸気船(開陽とかはそうです)だと思うと、蒸気機関を収めるスペースとか考えたら、やっぱ船室は狭いよねーと云う感じが。
まァ、ネ.ズ.ミ.ー.ラ.ン.ドの蒸気船とか見てると、結構な人数乗れそうですが、しかし、軍艦でなおかつそこで寝起きすると考えると、やっぱちょっとねェ……
でもって、輸送船の三隻は、いっそ昔の奴隷運搬船に近いノリだったんじゃあないかと。いや、トラックの荷台で生活するようなもんでしょう。
違ってたらすみません、が、軍隊の兵士の輸送なんて、基本快適さとは無縁だと思うんで、これはこれであながち間違いじゃあないと思っております。
これで釜さんたちが超↑快適な船旅だったら、今さらですがちょっと絞めちゃうかもね。ふふふふふふふ……


さて。
阿部さん熱は継続中で、うっかり先週発売の「ステラ」買っちゃいました――草刈正弘さんのインタビューがちょこっと載ってたので! 阿部さん、本が少ない(こないだ買った『すべて』も、どうやら版元では切れてる模様)ので、草刈正弘でも萌えが補給されます、と云うか、それくらいしか……!
とか云って、『開国への布石 評伝・老中首座阿部正弘』(土居良三 未來社)も買っちゃいました。どんだけ謎在庫抱えてるんだ、うち……まァ、お蔭で萌え補充できたんだけど。この本いいですよ。結構深く掘り下げてあるし。阿部さん好きによる評伝と云うカンジ。本の状態も良かったしね。
とりあえず、谷中にお墓参りに行ってきます……
既に勝さんのお墓(洗足池のほとり)にはお参りしてるので、それはそれでOKなんですけども。とりあえず、お墓福山じゃあなくって、本当に良かった……
とりあえずは、独りで行ってきます。姫! 姫って云うのは、ホント、阿部さんみたいな人のことを云うんですよ!!


この項、終了。
次はルネサンス話〜。