幕末長州紀行 その2

あるいは、下関・萩、高杉晋作追っかけ行。
お暇と興味がおありの方は、下からどうぞ〜。


でもって二日目。
7時くらい(や、まァ目覚まし鳴ってから、しばらくうだうだしてたんで)に起床、8時くらいに飯。ホテルなので、バイキング形式での朝食です。
私は洋食系(朝はコーヒーがないと目が醒めない)、沖田番は和食系で攻める。旅行時の常として、いつもの朝ご飯よりたっぷりめで。
で、おかずに魚の一夜干しを取ってきてた沖田番が、目をきらりと輝かせる。


「この一夜干し、ふぐじゃねェですかい」
「あ? そうなのか? (それは取ってきてねェなァ)」
「そうですよ! いやァ、流石門司港ですねェ、朝っぱらからふぐたァ、豪勢だ。(もぐもぐ)……もう一回、取ってきても構いませんかねェ? (そわそわ)」
「バイキングなんだ、食やァいいだろ」
「じゃあ、ちっと取ってきまさァ」


と云って、ふぐだけおかわり。
デザート? のヨーグルトまできっちり戴いて、いざチェックアウト。11時までいられるんだけど、下関観光したいからねー。


荷物を持って連絡船に乗り、下関へ。
昨日チェックしておいた、連絡船の切符売場にあるコインロッカー(¥600-だけど、容量がでかい)に荷物をつめる――おお、二人分の荷物が収まった! よし、別個に借りるより安い!
で、身軽になったところで、観光へGO。
まずは亀山八幡へ。ここには、世界一大きなふぐの像があるのです。
境内は工事中だけど、お参りはできました。
沖田番が、再びふぐと写真を撮りたがったので、今回はデジカメにてぱちり。
で、裏(?)階段から出て、今度は赤間大神宮――の前に、日清戦争下関講和条約締結の地として有名な春帆楼へ。と云っても中には入りません。資料館はあるんだけど、李鴻章と俊輔(いや、この時は博文か)にはそれほど興味がない――安彦さんの『王道の狗』は面白かったけどね。
はー、まだ営業してるんだ、とはためく幟に感心しながら(しかし、ここでふぐ食べると、一体いくらかかるんだろ……)、前を通り過ぎる、の前に、そうそう、この辺の本陣の跡を見たんでした。
龍馬が新婚旅行で泊まったとか何とか、いろいろ書いてあったんだけど、可笑しかったのは聞多が何かやらかしたとこだって云う説明文があったこと……何だっけな、沖田番のデジカメには、説明文の詳細が入ってるんだけど――まァいいや(←人形の首を斬っちゃって大後悔したらしい――ホントに“大後悔”って書いてあった、そう云えば)。


で、そこからちょこっと行くと、赤間大神宮。源平の合戦の折、壇ノ浦で入水した安徳天皇を祀った神社です。
っても、建物とかは結構新しい。っつーか、ぶっちゃけこれ、コンクリでできてね? 赤の色とか、鮮やか過ぎね?
お宮としての造りは、水天宮造りと云うらしい。竜宮城みたいな、アレですね。
いろいろ見てみると、明治期になって、元々はお寺だったのを、神社のかたちに変えたらしい――その前は、“阿弥陀寺”と云ったようです。まだ、地名には残ってるけどね。廃仏毀釈の波は、こんなとこまで来てたんだなァ、と思いますね。
何と云うか、風情も何もねー(だって、コンクリだぜ?)とか思いつつ、お参り。左側にあるこんもりとした山と云うか丘と云うか、の安徳天皇陵と、その脇にちんまりとある平家の墓、それから例の“耳なし芳一”のお堂も昔からのものみたいです。
そう云やァ、耳なし芳一って、琵琶法師的な話だっけね、と改めて思い出しましたが、昨日の夜の妙な気配とか思いだすと、確かに何かあってもおかしくはない土地柄ですよねェ。
ちなみにこの赤間大神宮、参道を下ってすぐ下のところに、船着き場的に海辺が開けてて、建物はない――駐車場があるんだけど、海からの風は遮られませんねェ。大きな道沿いだから、建ってても不思議はないはずだけど、何かあって建てられないのかなァと、いろいろ勘ぐってみたり。


しかし、この赤間大神宮=阿弥陀寺、昔奇兵隊の屯所と云うか本陣と云うか、があった(多分、四境戦争とかの時?)らしいのですが――境内には、そんなことはほとんど書いてない。
っつーか、下関(市、ではなく、駅周辺〜唐戸地区)って、ふぐか源平の合戦か、巌流島かで、四境戦争とかそういうのって、全然ピックアップされてないよね。杉の最期の地とかがあるから、駅の北の方=新地の方には、いろいろ(最期の地碑とか、桜山招魂社とか)あるらしいんですが。
ご当地ピンズも、杉絡みの探したんですが、あるのは源平+巌流島+ふぐ、のみ……悲しいなァ、杉よ……


で。新地まわる時間的余裕はない(12:30の電車に乗らないと、萩に着くのが夕方越えちゃう)ので、せめて、と、日和山に立つ杉の像を見に行こうと画策。
旧秋田商会ビルの中に、下関観光情報センターがあると云うので、そこに道を聞きに行く。
と、そこにいたねーさんは、地図を指して「この、“港の見える丘の径”を行くといいんじゃないかしら」とおっしゃる。
お礼を云って外に出て、教えられたとおりにてくてく歩く、と、小さな公園があって、そこに標識が――“港の見える丘の径”、これか!
てくてくと細い道を歩いてゆく、が、何かこれ、住宅地の小さな路地みたいなんですけれども……
それでも、途中の路上に“港の見える丘の径”と云うタイルが埋め込んであるので、一応これがそうなんだな、と思って歩いてゆく。
が! 永福寺と云うお寺のあたりで、遂にその標識を見失ってしまう――この後、どっちだよ!
仕方なく、一般道に戻り、たまたまいた電気工事のにーさんに、“日和山ってどっちですか”と訊く。と、「次の信号を右に曲がって、ずーっと行くとタクシー乗り場があるから、その横の道を入る」と教えてくれます。
で、次の信号を右に曲がったら――迷った。何か、道が違うっぽい。
沖田番、函館に続いて、蜜蜂の羽音警報発令。ぎゃ!


「何だって、俺がこんな目に合わなきゃならねェんですかい!」
「お、落ち着け! (汗)」
「一発殴らせなせェよ!」
「厭だ! (逃げる)」
「なら杉だ! 杉を殴ってやる〜!!」
「杉なら構わんから、俺は殴るな〜!」


……とりあえず、宥めすかしてさらに歩いて、大きな道に出たところで、畳屋のおじさん(おじいさん?)にもう一度訊くと。
「ああ、この道を上がって、ふたつ目の信号のところに、××タクシー(名前忘れた)って云うのがあるから、そこの横の道を入ると行けるよ」とのこと。
そのとおりに歩いていくと、畳屋から20分弱? で日和山公園に到着しました――遠かった……


公園の中をぐるっと散策。人もあんまりいない(車は結構停まってるのに)。
杉はどこだー、と云いながら回る、と、海向きの斜面に、またも杉の立像が――東行庵のもそうだけど、ここの像も陶像らしい。
あとで説明を見ると、これも元は銅像だったんだけど、第二次世界大戦中の金属供出のせいで、もとの像は溶かされて何かに使われちゃったらしい。そう云やァ、伊達の殿の騎馬像もそうなんだよね。尤もあれは、バストアップ部分は供出されなかったらしくて、現在は仙台市博物館前に設置されてるんですが。


とにかく写真を撮って(ついでに、山南役と、元同僚のE君に写メ)、日和山公園を後にする。
と、“港の見える丘の径”のタイルが、道に……


「……おい、これ……」
「……一応ここまで続いてたってことですかい」
「だろ。どこをどうやって、ここまで続いてたんだかなァ(途中で消えてたからなァ)」
「……辿って行ってみましょう」
「あ?」
「だって、悔しいじゃねェですかい、どうあっても、道順確かめなきゃあ気が済みませんぜ」


と沖田番が主張したので、“港の見える丘の径”を逆に辿ってみることに。


……えーと、暫くは住宅街の中の道(若干私道っぽいような)を通っていたのですが、ふと気がつくと、例の畳屋の前の通りに出てくる。よく見ると、道の脇に、史跡に立ってるような石の標が立っていて、そこに文字が……“港の見える丘の径”。えーと、じゃあこの道を進めと?
道なりに歩いてゆくと、また角のところに同じ標が。どうやら左折するらしい(←一般道のままです)。
で、ずーっと一般道をてくてく歩いてゆくと、途中で、丘(?)の方に上がっていく細い階段のところに、同じような標が……あれ、ここ、先刻迷ったあたりじゃん!
っつーかさ、下関市、ちょっとあれ不親切だよ! 道にライン状に目印が入れてあるならともかく、ポイントポイントにしか標識がなく(しかも、その標識がまた不親切)、しかもまったく整備してないところと一般道とを、混ぜて歩かせるなんて……!
沖田番は、最初に道を教えてくれた、下関観光情報センターのねーさんにキレていて、「禿増しのキス(されると禿が増してゆく、世にも恐ろしいキス。投げキスでも効果があるらしい……)でもしてやりましょうかい」と云っていたのですが、流石に気の毒だと思った(責任は、どちらかと云えば下関市にあるわけだし)のか、断念してましたが。


ともかく、12時ちょっと前に唐戸地区に帰りつき、荷物を回収して、タクシーで(歩く気力と時間がなかった)下関駅へ。
まだすこし時間がある+歩きどおしで疲れた&空腹につき、駅構内のヴィ.ド.フ.ラ.ン.スにてお茶。ポイントカードが使えない……秋のキャンペーンカードはもらえたけど。
これから暫く車窓の旅なので、腹ごしらえしとかないとね。
しかし、駅すぱでは下関〜萩間は¥1,890-と出てたけど、切符売場の地図では、長門市までしかわからない……仕方がないので(どうせ精算すりゃあいいや、と思ったし)、手前の適当な金額で切符を買い、12:30発の山陽本線で、まずは厚狭まで。宇部の2駅手前。
30分ほどで厚狭に到着(車中で、沖田番がちょこっと転寝)、次は美祢線長門市まで。
これが、1両編成のワンマンカー(しかも、山口に多い回数券方式)の電車でびっくり。これに1時間ほど乗るらしい――遠いなァ……でも、このルートが、最速で萩に着くんですよねェ(所要時間151分――うち、乗車時間は132分)。
その上、美祢線は単線だった――行き合う電車もない。観光客らしき人も何組かあるけど、ほとんどは地元の人のような。


ともかく、始発〜終点まで乗りっぱなしなので、はじめこそお喋りしたり、昨日の行程をメモしたりしていましたが、やがて疲れてくる――うとうとしたりね。
そうこうしている内に(っても、えらいかかったけど)、長門市に到着。向かいのホームから、萩方面の電車が出るらしい。20分ばかり待つ。
やってきたのは、またしても1両編成の電車――もう慣れてきた。奈古(東萩の3駅先らしい)行き。
ここからは山陰本線になります――って、単線なんだけど。
山陰本線は海際をずーっと走るので、日本海がよく見える。でも、自分の慣れ親しんだ日本海とは、結構違うカンジ(北陸〜京都あたりなんで)。そう云えば、美祢線走ってた最中思ったけど、田園風景も中部地方(北陸〜名古屋)とはずいぶん違いますね。何だろう、もうすこし、田園風景が自然に侵食されそうになってる感じがすると云うか。田畑と山林の境がせめぎ合ってる感じ。やっぱりそれって南の方だからなんでしょうかねェ。


ともあれ、がたごとと30分で、無事東萩駅に着きました。
さて、これからどうやってお宿へ――と思っていたら、ちょうど目の前に、お宿の名前の入ったバンが。おお、偶然! (他のお客さんを迎えに来てたらしいのです)
旅行行程表(代理店で貰ったやつ)を見せて、一緒に乗せてもらい、本日のお宿へ――宵待ちの宿・萩一輪と云うところ。
とりあえず、車窓から見た××年ぶりの萩の街は――何か、変わったような、変わらないような。
お宿は菊ヶ浜の傍に建っていて、コンパクトな感じでした。とりあえずチェックイン後、荷物を置いて、ちょこっと散策。
菊ヶ浜、懐かしいなァ。昔、修学旅行で来た時には、(レンタサイクルで回ってたので)この辺に自転車停めて、浜辺でだらだらしたっけね。その時のお宿は、確か萩観光ホテルだったけど。
浜辺に来た時のお約束として、波打ち際で貝を拾う。貝に混じって、緑色のかけら(どうやら雲丹の殻らしい)とか、ふじつぼっぽいものやらも落ちている。巻貝が好きなので、巻貝を集中的に。桜貝も落ちてたので、それも。シーグラスはない……ああ云うのは、やっぱ鎌倉とかかァ。


で、そののち(夕食前に)ひと風呂浴びて、落ち着いたところでご飯。旅館(一応)なので、部屋食です。
沖田番がアンケートの食事評価で選んだので、期待はそれなりにしていたのですが、うん、美味しかった。流石に、“檄美味”評価にはなりませんが、まァまずまず。後悔はしない、っつーか、基本完食で。デザートまで美味しかった。
お酒も戴きました――私だけね。「さくらさくら」と云う名の日本酒。アルコール度が低く(8%くらい――普通の日本酒は12%程度)、呑み味もすっきりしてて、女性向け。がっつり呑みたい人には向かないけど、まァまァ。
満腹になって、更に風呂。で、この日は沈没。また明日〜。


……この項、終了。
翌日の萩市内観光に続きます。
今回、1日の記述がえらい長いなァ……