幕末長州紀行 その3

あるいは、下関・萩、高杉晋作追っかけ行。
お暇と興味がおありの方は、続きからどうぞ〜。



3日目は、いよいよ萩市内観光。
朝食後、9時に自転車で出発。まずは近場の萩城址へ。


ここは、自転車のまま入れるんだよね。移動が楽。
奥の毛利神社(? まァ、御社)にお参りして、その後たらたらと自転車をこぐ。私は毎日往復8kmのチャリ通だが、普段自転車に乗らない沖田番、ちょっとよろよろしております――MTBならいけるんだよな(馬ならペダル踏まなくていいのに! って、貸馬屋はありませんがな)。
城主のお茶室(土日祝にはお茶を飲ませてくれるらしい)、天守閣跡と回る。
天守閣跡から御堀を見つつ、「この辺、杉とか飛び込んでそうだよね」などと云う――あれ、杉病弱だったんだっけ?
まァでも、うさぎちゃん(=桂さん)も、川(そう云やァ、どこの川だろ?)で河童ごっこして、船頭におでこ割られたらしいし、男の子って、何だかんだでやんちゃするもんでしょう。


「まァねェ、人に卵投げつけるってのも、大概なやんちゃですしねェ?」
「……何が云いてェんだ」
「いやいや、やんちゃができるっていいですよねェって云うだけですよ」
「云いてェことがあるなら、はっきり云え〜! (怒)」
「何も云ってねェじゃあねェですかい、勘ぐりすぎですよ、やだなァ(にこ)」


……って! 誰のことを引き合いに出してやがるんだ!


ともかく、ぐるっと一周したら、城を出て城下町へ。
の前に、城の石垣の突端に佇む五位鷺っぽい鳥が。ぐっと力強く足を踏みしめ、何かかなたの宙空を睨んでいるかのよう。
「杉だ!」とか云って、喜んでじっと見ていると、暫くののち、疲れたみたいに去っていった――歩いて。何か「もういいよ、見んなよ」みたいな感じで、またおかしい。


で、チャリでたらたらと外堀の内側をよぎり、まずは萩市博物館へ。例の、東行庵の展示の半分が来てるところです。
外堀のホントに際のところにあるんだけど、この辺がまた綺麗に整備されてて――昔来た時は、こんなの影もかたちもなかったよなァ、と思いながら入る。修学旅行だか、遠足だかの学生さんもぞろぞろと。


えーと、今回の企画展は、戊辰戦争140年、なのかな? 「明治維新の光と影」(確か)と云う展示でした。
流石に長州、維新の大立者を輩出しているだけあって、メンツが豪華と云うか何と云うか。
まァ、どこまで行っても佐幕派の私ども(沖田番も元は東北だし、お互い住処は多摩の部類だしね)、はーほーふーんと云うカンジで拝見。
勝ち組はいいよねー(←僻みです)とか思いながら史料を見たり、映像展示を見たり。
でも、萩の乱とかあったわけだし、長州自体は、やっぱり御一新の波にうまく乗り損ねた連中の方が多かったみたいだけどね。
そう云う意味では、やっぱり中央に近い分、幕臣の方が仕事にありつけたのかもね(釜さんや鳥さんもそうだし、ねェ)。まァ、元々所謂キャリア的な連中も多かったわけだし、実際国政動かすのは、ぽっと出の連中には難しかっただろうからなァ。
でもまァ、長州(及び薩摩)の連中的には、戦国の世的、“勝ったからには、この国は俺らのもん!”と云う感覚の人間も(中央から離れているが故に)多かっただろうから、その辺の目論見と、現実の落差で、いろんな乱が起きちゃったんでしょうけどね――だって、維新後の乱の起きてるところって、割と薩長土肥(土佐はなかったっけ)に集中してるんだもん。とらぬ狸の皮算用が、どんだけ膨れ上がってたのって感じですかねェ。


と、あ、こんなところに姫(=阿倍正弘殿)の肖像が! 何か、最新の西洋技術の展示? のところに、姫が……! ええ、姫、開明派でしたからね。学習漫画とかでは無能呼ばわりされてますけど、ホントはすごい人なんですからね!
で、続きの展示のところに、山川健次郎さん(王子=山川大蔵、の弟)の名前が――え、何、健次郎さんって、前原一誠が育てたんだ? ……それで健次郎さん、あの兄妹(=王子+捨松さん)と気質が若干違うんでしょうか……しかし、前原一誠だって、温厚なタイプにゃ見えねーけどなー。あのライオンヘア、っつーかボンバーヘッド。今いてもどうよ、って感じは(若干)しますよね。どうなんでしょ。


で、いよいよ杉の展示(ホントは、杉のを先に見たんだけどね)。
……杉よ、御神酒にいっぺんやった瓢箪、「やっぱ返せ」って、それどうなのよ。まァ杉っぽいんだけど。正直、何をどう見ても、杉のイメージって変わんないよなァと云うか。
あと、大野右仲と仲良しの手紙も見ました。あん時は松野某、だったのかな? 昌平黌時代に仲良くなったらしいのですが。それでも、大野は箱館行っちゃうんだから、杉と仲がいいのと、主義主張っつーか忠義心とは別ものなんだなァホントに、とは思わずにはいられませんでした。
まァ個人的に、杉が好きでも、御神酒とかは好きじゃないし、杉や桂さんが好きでも、松陰先生の説には同意できないところはあるからなー。それと好悪はまた別だもんね。


展示をあらかた見終わって、ふと見ると、何か貝殻がたくさんあるところがある――萩の自然を知る、的なコーナーらしい。
見ると、“お持ち帰りは、おひとり様一袋まで”の言葉書きの横に、小さな紙の袋が。おお、持ちかえりOKなんだ。
と云うことで、沖田番としばらく貝あさり。とにかく小さくてきれいな完品の貝! と、がさがさと漁る。大きいのは、結構持ち去られてるのですが、小さいのは面倒くさいのか、結構残ってる。
小さなふじつぼとか、白いサンゴの枝になってるのとか、まっ白い巻貝とか。もちろん、縞々の貝も何種類も。
……結局40分くらいかけて貝を漁り、二人で紙袋半分(だって、極小だから!)を貰って帰る。菊ヶ浜の分と一緒に、萩の思い出に。


そうそう、博物館の売店で、例の「幕末維新ねつけ」のペリー以外を見ました、が――買おうかどうしようかと思ってた勝さん、桂さん、顔が似てないので止めました。龍馬とどどんはいけると思う、けど、どっちもあんまり好きじゃないんだよねェ。
他にもいろいろ関連書籍とかもあったけど、ここでは何も買わず。
博物館を出て、今度こそ城下町地区へ。


で、チャリでまっすぐ東へ進むと、そこはもう城下町地区です。っつーかまァ、博物館、外堀ぎりぎりにあるからねェ。
この辺はいろいろありますが、まずは杉んちから。っても、¥100-払って、庭先だけなんだけど。まァいい。
朝はこの辺、ツアー客が多い(萩で宿泊→津和野とかへ行く、と云う行程が多いみたい)のですが、流石に昼近くになると、人気もまばら。
受付に人がいなかったので、百円をお皿において、杉の略歴を貰って、庭先へ。
古い盃やら書簡のコピーやら、の展示の横に、修正済(笑)の杉の肖像が。
「写真撮りまさァ!」と沖田番が云うので、縁側に座らせ、そこで一枚写真を撮る。ついでに、山南役宛に写メ。
ちょこっと庭先とか撮って、さらに門の前(杉んち、と云う石碑が立ってる)で沖田番を一枚。
……これがね――何かいろいろと怪しげな写真が撮れました。
や、あとで、この辺の写真をピクセル当倍でチェックした(下関の一件もありますからねェ)のですが。


「……なァ」
「何ですよ?」
「おめェの写ってるこの写真、何か、髪の毛おかしなことになってねェか?」
「えェ? 気のせいでしょう、風の悪戯ですって」


……しかし、風の悪戯では、風上に向かって、しかも地面と水平にぴんと伸びた髪の毛の筋、ってのは、できないと思うんだけどな?
しかも、縁側で撮った方も、変なところの髪が一筋、風や寝癖じゃない感じで流れている――これ、誰かに摘まれてる感じじゃね?
ちなみに、山南役に送った写メも、何か、杉の写真の右側の方に、小さな人影っぽいのがいくつも写ってたり。
……何か、こう、遊ばれてますか的な感じが、紛々と。


で、そのまま次の次の通りにある、うさぎちゃん=桂さんちへ。
桂さんちは広いです。杉んちは自転車停める場所がなかったんだけど、桂さんちは庭に停められる――しかも、桂さんちは一部二階建。広いよ。
しかし、二階建の部分、天井がめっさ低いんだ……二階は立ち入り禁止だったけど、階段の下からひょっと覗くと、部屋の奥の壁の上の方は見える(私、身長162cmでございます)。どんだけ低いんだ、二階の床も。しかしこれじゃあ、うさぎちゃん、いっつも身をかがめて歩いてたんだろうなァ。昔の家って、鴨居も低いもんなァ。
とりあえず、桂さん誕生の部屋と門の先で写真を撮る。で、一応チェック……こちらでは何ともない。


そうこうしているうちに空腹になってきたので、商店街へ移動、目についた蕎麦屋で蕎麦を戴き(蕎麦湯までちゃんと出た)、ついでに沖田番のデジカメのメモリが心許ないのでデオデオで買い、そののち松陰神社へ。
私2度目ですが、昔来た時より随分綺麗になってるなァ――って、××年ぶり(すごい昔だよ)だから、変わってて当然か。
えーと、神社でお参り、の前に、松下村塾へ。ここはまァ、全然変わってないよね、当然。
建物の様子をぱしゃぱしゃと撮り、さて、沖田番が「松陰先生と撮って下せェよ」と一言。
じゃあ、と云って、撮ったのが……本日の写真でございます。サイズ変更以外、画像加工は一切しておりません。カットソーの色(マゼンダっぽい濃いピンク)も飛んでますねー。もう一枚撮ったのですが、そっちは、目だけ写ってる(しかも、前に立ってた私を映しこんでるので、虹彩が縦っぽく見え)“猫娘”ver.。
村塾の前で、ひとしきり大笑い。


「……の、のっぺらぼうに猫娘……(笑)」
「ぎゃはははは、何ですかいこれ! (笑)」
「な、何か、おめェと写りたくねェみてェだな、松陰先生は? (爆笑)」
「ははは、そんなわけァありますかい! もいっぺん写しなせェよ! (笑)」


ま、確かにそんなわけァねェ。単に、講堂の奥が暗すぎるだけなんですが。
と云うわけで、今度は沖田番に照準を合わせてぱちり。……はい、今度はちゃんと写りました。松陰先生は、イマイチだったけど。


で、そののちお社へ――松陰先生にお参り。
それから、入院中の沖田番母と山南役(こっちはレーシック後、目の状態が宜しくない)にそれぞれ御守を。
でもって、「和紙みくじ」なるものがあったので、ひとつ引いてみる。グレーっぽい紫のを引いたら、中からピンク系の鈴が――おみくじ自体は“吉”。“苦労が多く、何ごとも簡単には決着しませんが、段々良い方向へ向かうので、挫けず頑張りなさい”とのこと。
……えーと、それって今の職場のこと、それともこっちの長年の野望(笑)のこと、それとも、あっちの大がかりなあれこれのこと?
まァ、いずれにしても“段々と良い方向へ”いくらしいので、じゃあまァ、じっくり腰を据えて行きましょうかねェ。


そののち、駐輪所の傍のお店で、松陰団子なるものを戴く――うーん、まァこんなもんか。もうちょいしっかりした団子だったら良かったなァ。あるいは、もっとぱりっと焼けてれば。
それから、隣りの土産物屋で、うっかり見つけた“山口限定 高杉晋作”ストラップ(人形と一緒についてるチャームが、ハート形で可愛い)と、ここにもあった“幕末維新ねつけ 高杉晋作”をGET。杉は、職場の結束切りに、釜さん(の木札)と一緒につけようと云う肚。
そして、一番駐車場に近いお店で夏ミカンジュースを戴き、松陰神社を後に。


そこからちょっと行くと俊輔(博文)んちだと云うので、じゃあついでに一応ね、とチャリを走らせる。
と、偶然(ホントに偶然)、稔麿んち跡の看板が――「まろん!」とか云いながら、ここでも沖田番をぱちり。……チェックしたら、沖田番の前髪が、不自然に上に持ち上がってる……ねェ、何の厭がらせ……? (また、杉と稔麿んとこってのがね……いかにもやりそうな二人だし)


で、もうちょっと行って、こんどこそ俊輔んち。しかし、中には入らなくてもいいや、と云うことで、駐輪所に立つ俊輔の像だけ撮って、撤収。さて、次は……誰んとこだっけ。
えーと、そうだ、入江さんち(跡)に行って、それから野山獄に行ったのでした。
野山獄、バス停が“野山獄前”なのね! すげェ!
しかも、もっと驚いたのが、野山獄の“野山”って、人名だったんだー、と云う……お向かいの岩倉獄も同じなのね、知らなかったよ……(野山の中とか岩場の中とかにあるんだと思ってた……←阿呆)
一応書いときますと、昔、お向かい同士の野山さんと岩倉さんは何やら確執があったらしく、ある日、酒に酔った岩倉さんが、野山さんちに斬りこんで、一家を惨殺しちゃったんだとか。で、野山さんも岩倉さんもお家断絶、っつーかお取り潰しになって、屋敷は接収され、野山さんちの方が上士用の牢獄兼刑場に、岩倉さんちの方はそれ以下の軽卒〜民草用の牢獄に、それぞれされたんだとか。成り立ちがすごいよ、この牢屋。
杉も入った野山獄跡で、また沖田番をぱちり(今度は何にもなかった)。


で、暮れてきたし、一辺は使っとこう、と云うので、温泉パスポートで入浴に――野山獄からほど近い(?)萩グランドホテルへ。
大浴場に入った(一番風呂?)のですが……源泉かけ流しとか書いてあったのに、お湯が若干塩素くさい感じが。確かに設備は新しく、備品もゴージャスだったけど、うーん、ここにしなくて正解だったね、と沖田番と話す。いや、ホテルがおっき過ぎてさ……いまいち、何かねェ。泊まったとこは、小さいけど、その分行きとどいてる感じがして良かったなァ。小さいけど、お風呂が3つあったしね。っつーか、こっちのお湯の方が塩素のにおいしなかったぞ。それもどうだ。


ぬくぬくとしたら、もう夕方――っても、流石に西の方だけあって、まだまだ明るい。っても、東京に較べたらですが(福岡と東京は、日の入りがほぼ一時間違うらしい。と、おかんがよく云っている)。
とは云え、街灯なんかはこちらの方が圧倒的にまばらなので、もっと暮れてきたら、女の子とかは怖いかも知れません。
で、たらたらと宿へ戻る途中、そう云えば、杉の遊んだと云う近所の寺(円政寺)に行ってなかったなーと思って、そっちへ回ってみる――が、もう閉まってた! (17時で閉まる)
仕方がない、明日も半日あるし、と、本日は断念。
お宿に戻り、ひと風呂浴びて夕食。また盛りだくさん――でも美味しい。夏ミカンサワーを一杯だけ戴く。これもよし。


この項、終了。
最終日に続きます。