幕末長州紀行 その4

あるいは、下関・萩、高杉晋作追っかけ行。
お暇と興味がおありの方は、続きからどうぞ〜。


いよいよ最終日。
本日は、朝食の前に、バスで外堀の内側を観光するのです。
ガイドは、お宿の会長さんだそうで――結構なお歳の方。口癖は「何と、皆様!」「何と云うことでしょう、皆様!」……はいはい。
えーと、旧厚狭毛利家長屋とか、旧周布家長屋門とか、口羽家住宅とかを、バスの車窓からぐるぐるっと。……後の観光の参考にしよう。
しかし、何と云うか、このガイドの会長さんが若干……「今のこの平和で豊かな日本は、この萩から出た人々が作ったのです!」ってアナタ、萩から出た連中が作ったのは、“大東亜戦争”に至る“帝国日本”でしょ! 日清→日露→日中→第二次世界大戦と、戦争への道まっしぐらじゃん。正直に云って、杉はすごく好きだし、桂さんも大した人だと思ってるけど、御神酒やガタは好かん。私は結局、勝さんのシンパで、そう云う意味では、長州閥の敷いた戦争への道はまったく支持しないので。
なもので、このバス観光は、大変苛っとしました。まァ、所詮佐幕派だしね。うん。長州でも、「誠」に山型の新撰組ねつけつけてたしな。


で、お宿に戻って、宴会場で朝食。
気がついたのですが、このお宿、日にちによって食事のメニューが違うのではなく、宿泊の日数によって、あらかじめメニューが定められているらしい――何故かと云うと、我々が前日に食べたのと同じメニューを、他のテーブルの人たちが食べてたから。1日目は和風メインですが、2日目はやや洋風に。
しかし、相変わらず量が多い――でも完食。意地でも完食するさ!
で、一旦部屋に戻り、チェックアウト後、荷物を預け+またしても自転車を借りて、再び萩市中へ。だって、飛行機午後だし、予約した乗り合いタクシーは昼過ぎだったので。


で、まずは昨日のリベンジ! (←え) 円政寺へ。
ここは桂さんちとか杉んちのご近所で、病弱だったらしき杉が、“強い子になるように”とでっかい天狗のお面を見せられて脅された(……)お寺です。あと、杉と俊輔が乗って(……)遊んだと云う木馬のあるところでもある――っつーか、ご近所なのに、桂さんの武勇譚はないね、そう云えば。
天狗のお面は写真で見たとおり、木馬は、白い塗料が残ってて、馬そのものもきれい。但し、杉の話を聞いた観光客がみんな触っていくものと見えて、鼻づらがちょっと減ってましたが。
とりあえず、神社かお寺かに(両方あるのですよ)お参りして、さくっと次へ。再び杉んち。
本日は、(写真を撮らなかったせいもあると思うけど)特に何もなく。
しかし、やっぱ午前中の城下町地区は混んでますね。昨日より、断然混んでた。まァ、皆さんさらっと流してる感じだったけど。


時間があるので、久坂さんちは? とか云いながら、外堀の内側をチャリでたらたらと。
と、沖田番が羽虫に爆撃(違)され。


「俺の目が大惨事でさァ!」
「あ? どうした?」
「目に羽虫が入って、ばらばらになったんで!」
「それァ、虫が大惨事だなァ!」


と云ったら、沖田番がキレる。
いやでも、この場合は“大惨事”と云ったら虫でしょう! だって、沖田番は別に目を傷めたわけじゃないもん。
しかし、昨日(車に三回もぶつかりかけた)の件から引っ張っている沖田番、かなりむくれ気味。


「俺ァ、待遇の改善を要求しますぜ!」


などと云いながら、口をきかないと云って、走ってゆく――うん、まァ、笑ったのは悪かったけど、でも笑うしかないだろう、あの場合!
暫くの押し問答的やり取りの末、一応決着した(沖田番は“様子見”と云っている)ら、久坂さんちに行かずに(何か、迷ったので)、再び松陰神社へ。
さらっとお参りして、駐輪所へ戻ったら、ちょっと離れたところに、シャムっぽい野良猫が。シャムにしては毛並みが、何か……悠々としてましたよ。


で、何となく気が向いたので、1kmほど離れたところにある、毛利家の菩提寺、東光寺へ。
松陰神社のすこし先の角を山の方へ――えっちらおっちら上る。10分足らずで、東光寺に到着です。
ここは、歴代長州藩主、の、奇数代の墓所があるのです。っても、輝元君のお墓は別のところなので、ここにあるのは、3、5、7、9、11代の各藩主のお墓だけなのですが(って、そう云やァ、奇数が東光寺なら、偶数代の藩主のお墓はどこにあるんだろ)。
山門を入ったところで拝観料を払って、中へ。何となく侘びた感じ――しかし、萩って、萩焼きはあるけど、お茶事で有名な殿さまは輩出してないんだよね、そう云えば(彦根の彦にゃんや、松江の不昧公みたいな人はね)。萩城の茶室も、田舎家を模して作った侘びの極み、と云うよりは、単にふつーに田舎家っぽかったもんな。
が、流石にお寺ですから、佇まいはやっぱりちょっと風情があります。


本堂はスルー(だって、別途拝観料が必要だったから)して、歴代藩主のお墓へ――これがなかなか。
……えーと、山の斜面に沿って、正面にずらっと藩主夫妻の墓が並んでおり。それに、殉死したのかな、家臣の墓と思しき墓標がずらーっと奥まで並んでいる――それぞれの家臣たちの墓標の間が参道になっていて、そこを抜けて殿さまのお墓に至る、みたいな。
それが5つもあると、それだけで壮観です。
壮観なんだけど、しかし、何だろう、やっぱすこし淋しいような気も……正直、毛利って、ぎりぎり輝元君までって感じがしちゃうんだよね。オクラ、もとい元就が築いた中国王国を、輝元が持ちこたえられずに長州あたりに減封されちゃったわけだし、そっから幕末に至るまで、著名な藩主は(いかなる意味においても)出なかったわけだしね。まァ、その代わりのように、明治期には、元勲と呼ばれる連中がたくさん出たわけだけど、それも朝のツアー云々の中で書いたとおりだし。
そう考えると、かなり微妙だよな、長州。


東光寺から、また城下町地区へ戻り(自転車&歩行者専用道? 使用。途中、沖田番が銀杏爆撃にやられかける――ホント、今回はイマイチ運がないな?)、昨日から気になってたカフェに入る。菊屋住宅の斜め前くらいのところ。スコーン(っつーかカップケーキ的な)+アイスカフェラテ――結構なボリューム。


で、一息ついたら菊屋住宅へGO。ここは見学料が¥500-……若干高い。
ここは何か、毛利の殿さまと縁の深い豪商なのだそうで、何か、輝元君が飛ばされた時に、一緒に萩に下ってきたんだとか。そう云う付き合いなので、無論拝領品なんかもいっぱいある。しかし、軸は若干胡散臭いものもあるような――ま、殿さまってその辺はちゃっかりしてるから、「これは××の作ぞ」とか云いながら偽もん掴ませたり、平気でするもんなー。まァいいけど。
えーと、とにかく庭が立派。あと、いろいろ面白い生活品があったりする。あ、昔懐かし電話室なんてものもありましたね。流石に豪商、電話は三番だった(昔の電話は、町での重要度順に、1、2、……と番号を振っていたらしい。今おかんの叔母さんの酒屋は、その町の十番だったとか)。
で、畳み敷きのトイレとか、風呂場とかを見つつ、金蔵の中に入る。床は瓦地のタイル張り、地面に掘った千両箱の保管庫(トレビの泉宜しく、小銭が投げ込まれてる)も、まわりの壁は石造り、で、随分と頑丈そう。これは、火や泥棒から金を守るためなのだそうで……昔の人の知恵も、中々凄いなァと思わずにはいられませんでしたよ。
普通の蔵の方は、昔の地図とか、江戸名所図会とか、源氏とか百人一首とかがぞろぞろと。うーん、金持ち。
ただ、全体的に、文化の香りはやや薄いんだよなァ。その辺が長州の特徴なのか? 明治の元勲たちにしても、理念とかはあっても、文化的な素養は低いよね、そう云えば。その辺で、岩崎弥太郎さんとかは、やっぱすごいんだよなァ、例の静嘉堂文庫とか。そこら辺が、土佐と長州の違いかァ――でも、土佐だって、そうすんごい文化が花開いたわけでもないんだけどね。ねェ?
で、奥の庭をぐるっと一周したら、菊屋住宅見学は終了。


で、時間もちょうどだしと、お宿へ戻る。
沖田番、母上のミッションにより、荷物のほとんどを宅急便で送ることに――それで、閉まってた売店をわざわざ開けてもらったりと、大騒動。でも、お蔭で足りないお土産買えて良かったけどね。
何とか荷物を出し終わった頃に、乗り合いタクシーが。我々が最初の乗客なので、一番後ろに坐る――結構人数乗りそうな感じ。
4、5ヶ所回ってぎちぎちに乗り(10人くらい?)、いざ山口宇部空港へ。約90分の道程です。
っつーかあれですよ、萩は車の方が近いよね。厚狭〜東萩間が100分程度かかったことを考えると、90分でお宿〜空港、は速いですよ。ただ、要予約なのと、割高(片道一人¥3,500-だったかな?)なのがアレですけども。


車中すこしばかりうとうとして(流石にね)、空港に到着。
帰りはANA、チケットレスは若干怖い……
で、チェックインを済ませたか済んでるの確認したか、で、二階のロビーへ――帰りも荷物は預けません。
が。土産物チェック(職場の人とかにね)していたら、凄いものが……
まずはお約束の「長州ファイブ」――但し、焼酎ではなく、赤ワイン。欲しかった、けど、今はもう買えない……
あと、もうひとつ面白かったのが、同じ店にあった「幕末ファン専用醤油 薩長同盟」。これがですね――有名どころの似顔絵が描かれたラベルの醤油なんですけれど、メンツが勝さん、どどん、杉、桂さん、龍馬、中岡さんの六種類。で、勝さん、どどん+長州組は、主家の家紋なんですけども、龍馬+中岡さんだけ個人の紋が入ってるのです。さらに面白いのが、勝さん、どどん+土佐組は“薩長同盟”なんですけれども、長州組は“長薩同盟”と書かれてる……


「こ、これ欲しいなァ……!」
「“長薩”ってのがいいですねェ――でも、醤油なんぞ買って帰って、どうするんで?」
「うちは、博多醤油使ってるんで、こっちの醤油と味ァ似てるからいけるぜ」
「……でも、もう預けられませんぜ」
「…………」


そうなんだよなァ、と云うことで、ここでは断念。中に入っちまえば液体も買えるので、中の売店にあれば、と思っていたのですが、


「……ねェ!」


中の店には、醤油もワインもなかった……(泣)
まァ、次回(がもしあれば)買うことにしよう――うん。
その代りに、昔、前の職場でも扱ってた「月刊松下村塾」(ファイルマガジン的な、あれです)の、稔麿んの号をGET。だって、桂さんや杉の本は出回ってるけど、稔麿んはないからさ!
で、そのまま帰途に。4時半くらいの飛行機で。
宇部は晴れてましたが、羽田に着いたら雨だった――しかし、いつもの通勤利用駅に着いたら、既に雨は上がってました。どんだけ遠いのか……
そして、家に着いたのは8時半くらいでしたよ……


† † † † †


今回の旅日記は、これにて終了。
さてさて、次は久々の阿呆話――どのネタにしましょうかねェ……