榧の追憶 前篇

 稽古場に、いつもの顔が揃っていないことに気づき、沖田惣次郎は、そっと溜息をついた。
 ――面倒くさい。
 正直に云えば、それだけのことだった。
 あの男がここに来ていれば、用事はいっぺんに片付いたと云うのに――
 ――出稽古に行くんなら、あいつの様子を見てきてくれ。
 そう云って惣次郎を送り出したのは、かれの“家”である剣術道場・試衛館の“若先生”近藤勇と、“小父さん”と呼んで親しんできた井上源三郎のふたりだった。
 自分の大事なふたりもが、あの男を気にかけて、様子を見て来いと云うだなど――あんな、
 ――甘ったれた、碌でなしなんかに!
 それは確かに、あの男がいれば、“師範代”として気負いがちな惣次郎相手に軽口を叩き、手荒い稽古に怖気づく他の弟子たちを、すこしばかり和ませていただろうことは確かだったが。
 だからと云って、それを感謝するには、あの男に対する惣次郎の心持は、あまりにも複雑だった。
「お、お願いしますっ」
 そう云って木刀を構える、どう見ても年上の“弟子”は、引きつった顔で挑んでくる。
 それを手酷く叩きのめしてやりながら、惣次郎は、また溜息をついた。
 ――ああ、面倒くさい。
 この稽古場の持ち主である佐藤彦五郎が、微苦笑を向けてくるのにも腹が立つ。
 どうせ、この人も、用件は同じなのだ。
 あの男の様子を見てきてくれと、言葉になる前に、その顔が物語っていて。
 惣次郎は溜息をついて、挑みかかってくる弟子を、苛立ちまぎれに叩き伏せた。



 案の定、彦五郎からも同じことを頼まれて。
 惣次郎はてくてくと、用水沿いの畦道を、すこし南の石田村へと歩いていった。
 目指すは、石田村の“お大尽”、土方家――と云っても、あのあたりには“土方”を名乗る家など山とあるのだが。
 日野宿の脇本陣の主・佐藤彦五郎の妻女のさとが、その“お大尽”の土方家なのだ――そうして、かれや、“若先生”たちから様子を見てくれと頼まれた相手の男も、また。
 ――面倒くさい。
 出稽古先は日野宿だと云うのに、何だって自分は、一里も離れた石田まで、わざわざ出向いてやらねばならぬのか。
 それもこれも、あの男のせいだ――惣次郎は、がつがつと歩いて往きながら、唇をつよく噛みしめた。
 あの男――石田村の土方歳蔵ゆえに、自分はこんなところまで足を運ばねばならないのだ。
 歳蔵と云う男は、惣次郎より七つ年長の、益体もないことばかりしている男だった――すくなくとも、惣次郎にとってはそのような男だった。
 背は高く、色の白い男前で、すこしふざけたところのある男――否、ふざけた男を装っているのだ、あの男は。歳蔵が何かをがむしゃらにやっているところなど、知りあってこの方、惣次郎は見たことがなかった。
 歳蔵は、これまでに二度、奉公に出されたと云うが、いずれも務めきらずに舞い戻ってきたのだと聞いていた。そしてそれからは、家業である散薬を売り歩いて、何とか実家に置いてもらっているような有様だと云うことだった。
 だが、そのような素行であるから、家長である次兄夫婦との折り合いは悪く、いつも喧嘩をしては家を飛び出しているような具合で――“若先生”や井上源三郎、そして佐藤彦五郎があの男の様子を気にかけるのは、そんなことども故であるのは、想像に難くなかった。
 だが、
 ――置いてもらえる家があるだけましだって云うのに、何贅沢云ってやがるんだ、あの人は!
 口減らしのために幼い時分に家を出され、井上の家から近藤の道場へと、流されるように生きてこなければならなかった惣次郎には、あの男の屈託が、酷く我儘であるように感じられてならなかったのだ。
 あの男は、選べるではないか――奉公に出るも、戻ってくるも、実家に残るも、出て行くも。選ぶ余地があるではないか。
 それに引き替え、惣次郎には何もないのだ、選択の余地などどこにもない。家を出されたのも、惣次郎自身の意志などお構いなしだった。剣を取ることに否やはなかったが、しかしそれとても、決して望んではじめたことではなかったのだ。
 ――それは、今じゃあ剣を握らない自分なんて、想像もつかないけれど……
 剣でこの世を渡ってゆく――それが、仕官の道であれ、あるいは道場主としての道であれ――ことが、多分、惣次郎が生まれて初めて己で“選んだ”生き方であったのだ。剣の才能を認められた時に、はじめて手にした“選択の余地”がそれだった。
 そう思えば、まったく歳蔵のやっていることは、子どもの駄々の延長でしかなく。
 選ぶことのできなかった惣次郎を、ひどく苛々とさせるのだった――むろん、八つ当たりに近い心情だと云うことは、惣次郎自身、とてもよくわかっていたのだが。
 とは云え、惣次郎もまだ大人とは云い難い。それ故に、かれは、苛立ちを抱えたままで、石田村の土方家を訪れたのだった。
「ごめんください!」
 肚の底から声を上げ、長屋門をくぐる。
「沖田惣次郎です、歳蔵さんはおられますか!」
 いつもならば、そう名乗りを上げると、あの男が、ふらりと現れ惣次郎を小突くのだ――「おゥ、威勢がいいこったなァ」などと云いながら。
 だが。
 ――……あれ?
 それらしい気配も声もなく、かわりに母屋から出てきたのは、顰め面をした歳蔵の兄、喜六であった。
 歳蔵と、15歳の離れたこの喜六とは、もともとの性が合わぬものか、いつも些細なことで喧嘩をしては、まわりのものを心配させていた。そもそも今回の惣次郎の“おつかい”も、喜六との間を案じた近藤や井上の配慮故であったのだ。
 正直――惣次郎も、この喜六と云う男が苦手だった。
 この男は、何と云うべきだろう、己の知る“よい生き様”以外は認めぬ狭量さがあると、惣次郎には思えたのだ。
 喜六の、惣次郎を見る目には、弟を悪の道に引きずりこむものだとでも云うような、独特の嫌悪がひそんでいて――それが、かれと相対する度に、惣次郎の心を逆撫でにするのだった。
 しかも、今日は日が悪かったと見える。
「……歳蔵はおらんが、何か」
 そう云う声音は、不機嫌極まりない。
 惣次郎は、しまった、と思ったが、今さら後戻りするわけにもゆかぬ。
「いえ、近藤先生と源さん――井上さんに、歳蔵さんの様子を見てくるよう云われていたものですから。……いないと云うことは、どちらかへ行商に?」
 歳蔵は、奉公先から舞い戻った後、わずかにでも食い扶持を稼ぐために、家伝の薬・石田散薬を売り歩いていたのだ。薬箱を担いで、それに竹刀をくくりつけて。
 行商かたがた、剣の腕も磨くのだと云って、方々の道場へ飛び込んでは、手あわせを願って回っているのだと聞いていた。そのために、歳蔵の剣は、ひどく我流のものになってしまっていたが――それでも、その剣の鋭さと気迫の凄まじさは、どうして並の弟子たちを凌ぐものだった。
 だが、この喜六と云う男は、下手に歳蔵が剣を遣えることに、不満めいたものを感じているらしい――いっそ箸にも棒にもかからなければ、不肖の弟が真っ当な道に戻ることもできたはずだと、そのように考えているようだった。
 大方、今こうして機嫌が悪いのも、そんなあれやこれやで歳蔵ともめたばかりであるのに違いなかった。
 となれば――歳蔵が“いない”と云うのは、行商などではあるまい。
 案の定、
「知らん」
 喜六から返った言葉は、素っ気ないを通り越して、刺々しくすらあった。
「あれが、薬箱を担いで出ていったのは見たが、そのあとはどうしたか知ったことじゃない。探したいなら、勝手に探せ」
 云いざま、くるりと踵を返し、母屋の方へと消えてしまう。
「あー、あー、あー……」
 近藤や井上の心配は、見事に“大当たり”だったと云うわけか。
 それにしても、飛び出していく歳蔵も歳蔵だが、ああやって不機嫌な喜六も、大概大人気ないと思う。
 どうせ、どちらも意地っ張りで頑固な兄弟だ、仲裁してやらねば、いつまでこじれ続けるか知れたものではない。
 仕方がない、歳蔵を探しに行くか、と考える惣次郎の前に、いきなり壁が立ちはだかった。
 否、壁ではない。
 背の高い、禿頭の男が、惣次郎の行く手を遮るように立っていたのだ。
「おう、惣次郎か」
 半ば面白がるような声が、かれを呼んだ。
「……為次郎さん」
「どうした、歳蔵に用があったか」
 にやにやと云うこの男は、歳蔵の長兄である為次郎だ。
 盲目故に、家督を次男の喜六に譲り、本人は俳諧浄瑠璃三昧で暮している。歳蔵とは二十三歳が離れているので、兄と云うよりは、むしろ父親のような存在であったろう。
 喜六に対するのとは違う意味で、惣次郎は、為次郎のことが苦手だった。
 この人は、盲目ではあったが気性は激しく、口と同時に手が出ると云う、中々に荒っぽい人物であったのだ。何しろ、惣次郎の、この人に対する最初の記憶と云えば、おそらく歳蔵に揶揄われて口論をしていた時に、頭上からごちんと食らった拳骨の痛み、であったのだから。
 その上、ただそこにいるだけで、他を圧倒するような存在感を放っている――喜六が隣りに立つと、かれを下男か用人、為次郎を主と見てしまうほど、平たく云えば“偉そう”な気をまとった男だった。
 ――あの人の偉そうなのは、あれは血だよな。
 為次郎を見るたびに、惣次郎は思うのだ。土方の家の人間の半分――すなわち、為次郎、佐藤彦五郎の妻・のぶ、そして歳蔵――は、すぐに手の出る気性の荒さと、他を圧する威圧感の持ち主だなのだと。
 そう云う意味では、残り半分であるところの喜六は、気の毒だと云えなくもない――しかし、本人の性格はとても好きになれそうにもなかったのだが。
「……はぁ、まぁ……」
 惣次郎が曖昧に頷くと、為次郎は、またにやりと笑みを浮かべてきた。
「そんならちょうどいい、歳蔵の奴、また喜六とやりあって、飛び出していっちまったんでな。ついでにちょっと捜してやってくれねぇか」
 ほら、これでもやるから、と云って惣次郎の掌に落しこまれたのは、金いろの飴玉が二つ三つ。
 子どもの駄賃ですか、とは思うが、ここで逆らうと拳骨が降ってきそうな気がして、惣次郎は唯々諾々と頷いた。
「わかりました」
「すまねぇな。ま、あいつのことだ、どうせそう遠くにぁいっちゃいめぇよ」
 宜しく頼まぁ、と云って、為次郎はすたすたと自分の部屋へ戻って行ってしまう。
 いよいよ仕方がない。
 惣次郎は溜息をついて、土方家を後にした。
 確かに、為次郎の云うとおり、飛び出して云った歳蔵が行くところなど、いくつもありはしないのだ。行商に行くのでなければ、後は日野宿の佐藤家か試衛館かだが、いかな“鬼足”の歳蔵でも、これから江戸まで行けはするまいし、佐藤家であれば薬箱など持ち出すまい。
 あとは、と云えば――
 ――あそこかな……
 惣次郎がまだ幼かった折、幾度か歳蔵に手を引かれて行った場所――大きな榧の木のある、村外れの墓場ではないか。
 ――ま、外れたら、その時はそれだよな。
 見つけて帰れなかったとて、別段誰に咎められるわけでもないのだし。
 自分にこくりと頷いて、惣次郎は、東の方に大きく見える、榧の木のもとへ向かって歩きはじめた。


† † † † †


突発昔語り。タイトル、まァこんなカンジで……
しかしそう云やァ、多摩時代の話なんか、今まで書いてなかったなァ……
それにしても、どんどん伸びていくのはどうしたことか……


えーと、総司が“惣次郎”で、鬼が“歳蔵”だったころの話――ってこたァ、総司が15〜19、鬼は22〜26のころですね。この当時の名前は、ちょっとダサ目のチョイスで参りたく。
こないだ、石田寺の榧の木と戯れて、それからふと思いついた(……っつーか)話です。
鬼が駄目な大人(大人じゃねェだろ、これ)です――まァでも、先生よりはまし? 10歳と対等に喧嘩のできる30代後半の大人、って云うのは、本当に駄目だ……まァ、先生、殿(伊達の)、鬼、と並べると――駄目具合あんま変わんねェか(苦笑)。先生が断トツで駄目ですが、その辺はまァ、大天才様だからなァ……ふふふ……


ところで、あの時代の盲目の人(男)って、頭剃ってたような気がしたけど、気のせいですかね? 何となく、網野善彦の著作に出てくるみたいな、禿頭で鹿杖(じゃなかったっけ、T字型の杖)をついてるイメージだったんですが……何とか検校とか、座頭とか。
江戸時代って、割と事細かに職業や年齢で髪型・服装が決まってたから――って、為次郎兄は、仕事してなかったっけ、そう云えば。さて、どうだったかなァ……
とりあえず、アヤしい記憶の糸を手繰ってみた感じでは、為次郎兄は禿頭でガタイが宜しく(でも骨張ってる)非常に偉そう、喜六兄は小柄(〜中背)でちょい器の小さい感じ(小役人っぽいと云うか、“御大尽”っぽくないと云うか)、なのですが。
まァ、他に確かめようもないわけだし、このアヤしい記憶を頼りに書いていきますよ。


この項、まだまだ続き……たいんだけど、流石に長いのと、年跨ぎそうなのとで、ここで一旦切ります。
年を跨いで、後編へ……(汗) 年明けから続きを書きますよ……
年末年始は、資料一覧なんかでお茶を濁す感じで……(汗)