北辺の星辰 37

 松前藩兵の放った火によって、城下はかなりの広範囲が焼け、その後始末もあって、歳三たち陸軍兵は五日ほど、この松前城下に宿陣した。
 後始末と云っても、投降してきた松前藩兵の処遇を決めたり、炊き出しの手筈を整えたりする程度のことで、実際に焼け落ちた町をどうこうすることなどできようはずもない。
 それに、城下に火を放って逃走した藩兵たちの掃討のこともある。
 捕虜となった松前藩兵によれば、この先の江差より東に入ったところに、先年より築いていた新たな城があるのだと云うことだった。
 館城と呼ばれるその城に、逃亡した藩兵が立て籠もって抵抗を続けるつもりであるらしい。
「だが、館城と云えば、後続が攻める予定にしてたところじゃあなかったか?」
 歳三が、事前に聞いていた攻略計画を思い返しながら呟くと、
「確かに、そのように聞いておりますな」
 衝鋒隊を率いる永井蠖伸斎が、そう云って頷いてきた。
 何やらでたらめなことになりつつある松前攻略が、どこまで事前の了承を踏まえて進行しているのかは定かではなかったが――連絡のない以上は、その了承がまだ生きているものと考えて進軍しなくては仕方がない。もちろん、既にそれが破られる事態に遭遇している以上、今後も予定とは異なる状況で戦うことになる、と云う覚悟はしておかねばならなかったのだが。
「……まァ、この雪のこともある、後続隊が遅れると云う前提で、館城攻略には臨むべきなのだろうな」
 歳三が云うと、永井のみならず星や春日、渋沢なども、真剣な面持ちで頷いた。
 確かに、“兵は拙速を尊ぶ”と云う。ぐずぐずして相手に守備をかためられるよりは、後続隊のことなど勘定に入れず、今ある兵力ですべてを攻略する方が正しいには違いあるまい。
 もとより、焼け落ちた松前を押さえておく意味など、今の段階ではありはしないのだ。
 そうと決めれば、動くのみ。
 十一月十一日、幕府陸軍松前を発し、江差・館城へと進軍を開始した。
 先鋒は衝鋒隊と額兵隊、本隊を彰義隊と砲兵隊で構成し、陸軍隊は松前に残しての行軍となった。
 春日は、陸軍隊の松前残留を聞いた時には、若干微妙な表情ではあったのだが、後事を託されたのだと思い直したものか、さほど難色を示しはしなかった。
松前のことはお任せ下さい」
 そう云って春日が残留を承諾してくれた時には、歳三は心底安堵したものだ。
 その代わりと云うのも何だが、歳三は、江差進軍の前に、陸軍隊の火種であるところの野村利三郎を、島田率いる守衛隊に引き取ることにした。
 何しろ、とことんまで反りの合わぬ春日と野村だ。歳三の目がなくなる江差進軍後、この二人を一緒にしておいては、松前の治安がどうなるものだか知れたものではない。
 ついでに、やはり陸軍隊に所属していた相馬主計に去就を訊ねると、こちらも守衛隊への編入を望んだので、野村と一緒に引き抜くことになった。
 春日にそれを伝えると、相馬についてはやや心残りのあるようではあったのだが、野村に関しては二つ返事で承諾されたため、歳三は思わず苦笑をこぼしてしまった。
 やはりこの二人、心底反りが合わぬと見える。
 野村はと云えば、島田の下に入ることに、鼻歌でも歌い出しそうな勢いだった。
「ああ、やっとあいつの顔とおさらばできる!」
 などと、さも嬉しそうに云っている。
「野村君!」
 生真面目な相馬は、それをたしなめてはいるものの、島田たち、古参中心の守衛隊一同は、にやにやと笑っているものがほとんどだ。
「野村、あんまり勝手をするんじゃねェぞ」
 あまりの浮かれように、歳三は釘を刺してやった。
「春日さんが少々奇矯だってェのァわからなくもねェが、お前だって全面的に正しいわけじゃあねェ。そもそも、おめェの命が今あるのだって、榎本さんの温情故だ。勝手をすると――わかってるだろうな?」
「わ、わかっております!」
 片目を眇めてやれば、野村は途端に姿勢を正した。
「本当にわかってるんだろうな……」
 溜息がこぼれ落ちる。
 そもそもこの野村と云う男、京で新撰組に加わった、今となっては古株の隊士だったのだが、素行にやや難があった。まだ平の隊士であった時分に、ひとりの女にうつつを抜かし、金をせっせと貢いだ挙句、間男に、金と女をともども奪い取られてしまったのだ。
 しかも、単に金を貢いだならまだしも、女とともにひそかに京を出る約束をしていた――それも結局は裏切られたわけだが――と云うから、呆れたものだ。
 局を脱すれば切腹、の新撰組で、そのような約束をかわすとは、よほど度胸が据わっているか、あるいはよほどの阿呆に違いない――歳三の見るところでは、野村はどうも“阿呆”の方であるようだったのだが。
 とは云え、野村は人を寄せる気性をしている。仲間も多く、人脈と云うには弱いが、縦横の繋がりもある。そして、榎本が見たとおり、侠気とも云うべき可愛げも。
 それを惜しんだからこそ、歳三も、割合野村には甘くしていたのだが。
 ――この後もこの調子じゃあ、いろいろ考えちまうなァ……
 ともかくも、小隊の一つも任せるには、この向こう見ずさは問題だ。
 そう云う意味では、相馬主計の方が、使い勝手が良いのは確かだったが――こちらはやや生真面目に過ぎ、どちらも一長一短あり、と云うところか。
 ――ま、それもこれも、無事に箱館へ戻れればの話だがな。
 そう、まだ戦闘は終わったわけではない。まだ、江差・館城の攻略が残っている。
 十三日、先鋒の額兵隊が、江差の手前、大滝山で松前藩兵と交戦したとの報告があった。
 大滝山は、海にほど近い位置に聳える山で、街道は、この山の中腹、起伏の激しい峡谷部を貫いて続いていた。何しろ山あいの道のことだ、左右に折れ、蛇行して、まったくもって行軍には不向きな場所であった。
 この場所に、松前藩兵が陣取り、大砲を何基か据えて、こちらを砲撃してきたのだと云う。
 先方の額兵・衝鋒両隊は、狭いところでの砲撃に攻めあぐねていたが、星恂太郎の機転により、額兵隊が大滝山を大きく迂回、松前藩兵を背後から攻撃し、遂には敗走せしめたのだと聞いた。
 この後は、ほぼ敵方の攻撃もないまま、全軍は順調に進撃し、十五日には先鋒隊は江差へ到着した。
 江差松前藩兵は、さしたる数でもなかったようだ。先鋒隊は、回航してきた開陽丸の援護を受けて、江差を陥落させた。敵の残党は、さらに北の熊石方面へと落ち延びていったと云うことだった。
 翌十六日、まずまず順調な戦果に気をよくして江差入りした歳三を待っていたのは、しかし、衝撃的な光景だった。
 榎本海軍の誇る最新鋭艦・開陽丸の、座礁し、傾いた無残な姿だったのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。いよいよ江差
ってことは、そろそろ中島さんが登場……まではまだあるかなーっ。多分開陽が(以下略)の時に初めて会ったと思ったんだけど。……この章内じゃあ無理か……


っつーかこの辺、福山町史のサイトと「新選組日誌」下巻(最近出た「箱館戦争全史」は使えねェので)とを見てますが、どうも何がどう進んだのかがさっぱりわからん。
鬼は大して実戦には参加できてない(まァ、総督だからな)とは思うのですが、その辺の戦いの進捗状況とかがね……星さんとか永井(蠖伸斎)さんとかが頑張ってくれたんじゃあないかなァ、とは思うんですけども。多分、春日さんと陸軍隊は居残り。その後の行軍記録がないから。
まァ、できる部下の上前を撥ねるってのが正しい上司の道ですから(笑)、松前攻略戦の鬼もそんなもんだったんでしょうけどもねー。その代わりに、何かあったら責任は取る、と。
っつーかまァ、松前城攻略の時の、自分で城壁越えて攻め入っちゃうっての、総督としてはなしだもんな、ホントはな。鬼はまァあんなだから(笑)仕方ないんだけども、総指揮官としてはアウト。駄目な上司だよね、ホントにね……


あ、鉄ちゃんの話の加筆修正版、本館でUPしました。まだようやく慶応四年一月五日が終わったくらい。大坂にも着いてませんね、五章目なのに……
おっかしいなァ、第一稿では(伏見奉行所からだったとは云え)二章目で江戸に戻ってたはずなのに……
多分、この先も大幅に加筆することになる(例の、勝さんとのあれこれとか)ので、大体、えーと……ば、倍で終わればいいなー、と……ってことは六十章かい! ……それで終わるかな……?
まァ、鬼の話書いてるうちにわかってきたこともたくさんありますからねェ……ははははは。
頑張りたいです。うん。
っつーか、もうじき次の章が書き上がっちゃうよ……伏見〜淀踏破してから、進みが早くなったなァ……ふふ。


この項、終了。
次はルネサンス。そろそろもうちょっとどうにか進めたいわ……