幕末・戌辰戦争追想行 その1

と、云うわけで、京都旅行記
お暇と心の余裕がおありの方は、下からどうぞ〜。


格安ツアーで京都。
なので、乗りそびれると乗車券から自腹の恐怖。
「死の予告電話」をアラームに(ホントに怖いんだよ、この着メロ)、何とか7:03のひかりに乗車。


「良かったですねェ、間に合って。間に合わなかったら、ぶっ飛ばしてやるところだったですぜ(ニコ)」


ってさァ!
あんまりそんなこと云うと、さくら餅ちろるやんないぞ?


「……(にこ)」


……わかったよ、やるよ!(汗)


そんなこんなで、新幹線は順調に京都へ。10時前には到着しました。
まずは前回も泊まった京都ロイヤルホテル&スパへ。荷物を預け、京阪三条へ――伏見稲荷へ行くのです。
昨年は踏んだり蹴ったりの沖田番、お祓いをしてからでないとどこにも行かないと云い張るので――
が。


「……ねェ」
「あァ?」
「俺ァ一体、どのお祓いをしたら良いんでしょうねェ?」


云われてお祓いの項目を見てみると、家内安全、身体健康、心願成就――高幡不動であった“災厄消除”とかがないぞ?
“厄払い”はあるけど、


「それは、厄年の方のためのもので……」


そ、そうですか。
仕方がないので、“家内安全”でお祓いして戴くことに。


お祓い済んだら、まずはお稲荷さんの御山を踏破!
こないだの四辻→清明舎→一の峰→四辻ルートではなく、反対の四辻→一の峰→四辻、で清明舎は経由しないルート。
……やっぱ左回りのルートの方が楽です。長い上りは苦しい! が、膝が痛い人は長い下りになるのでそれはそれで、って、足が痛い人は、そもそも御山登りなんかしないよな……
今日は、旧暦の初午だと云うことで、御山の中のあちこちで祭祀が行われておりました。が、それを横目に、さくさくと踏破――何故ならば、この後、またしても淀に行くつもりだからです。
駅近くの菓子屋で狐面煎餅と五色豆をGet。
でもって、またしても京阪で淀駅へ。


二度目の淀は、源さんの首の埋葬場所を求めて、だったのですが。
まずはその前に、こないだの府道13号線沿いの慰霊碑へ。やっぱ、あそこ、どうしても気になる。
とか云いつつ、「多分こっち」と云う沖田番の言葉に導かれ、(多分)古い街道へと逸れていくと、ありゃ、こんなところに淀小橋跡の碑が。ってことは、この道をずっと行くと、(多分京阪の線路沿いのどこかで)千本松に至る訳だな。
古い地図と今の市街地図を照らし合わせて見ると、今の横大路(地名)の南の方に“横大路沼”と云う沼があって、そこと宇治川の間にあったのが千本松らしいのですが。
ってことは、13号線(どう考えても新道)の際にあった、あの慰霊碑は何だ?


「……まァ、この辺、もっとふるゥい戦場でもあったわけですしねェ、混ざってるのかも知れませんぜ?」
「“幕末戌辰 鳥羽伏見戦争幕軍無縁仏慰霊塔”って書いてあるのにか?」


そう、慰霊碑には、きっぱりはっきり“鳥羽伏見戦争”と書いてあるのです。そして昭和47年10月に建立されたとも書いてある。
まァ、建立の日付はあれとしても、何で新道沿いにこんなもんが? しかも、1月の時もそうだったけど、今回もまた新しい花が供えてある――それって、今も何かリアルにあるってこと? (だって、建立から37年経ってるのに……)
慰霊碑の立っている脇道を奥へ進んで行く、と、あれ、団地だ――って、団地の向こうの方に電車の線路が見えるんですけども。
地図で確認すると、どうもこの団地、千両松の戦場跡に敷地がかかってるっぽい。
沖田番は、“見える”人間ではないのですが、何か、聞こえない音が聞こえるような感じの人間なのですが。


「この先、何かすげェボルテージが高いみたいなんですけど」


って、ライブ会場にでもいるような感じの発言はどうよ。
まァでもフィーリングはわかる――何て云うか、アレだ、人口(?)密度が高くて、ざわめきが喧噪に近くなってる感じに近いとか。
つまりは、そんだけ何か(今はもう生きてないナニか)の密度が高いと云うことなんだろ?
沖田番、団地の入口までは行ったが、この先はもう行きたくないと云う。何やら、すっげ血腥いらしい――もちろん、私は何にもわかりません。が、何かさっきから、首の後ろはちりちりするぞ。おっかしいなァ、1月は何もなかったんだけど。
まァ、再度地図を見て確認すると、団地の敷地が千両松にかかってる(多分)のと、鳥羽での戦いの後の敗走ルートに、多分新道がかかってるんだろう(本来の街道は、多分もっと桂川寄りなのですが)と云うことで、双方の敗残兵の逃走経路にかかってる可能性があるのではないか、と云うことに。
ま、道の上だけしか逃げられないわけじゃないし、1月なら(旧暦でも)田圃に水は入ってないはずだから、結構田圃の中逃げた奴もいるんじゃないかと。


で、ともかく(新道脇の)慰霊碑に手を合わせて、淀駅(京都方面)へ。
途中、源さんの資料館のサイトに載ってた、埋葬されたお寺の跡らしきところに行きつきましたが――何となくだけど、あれ、新道沿いじゃなく、旧道沿いの方じゃないのかな? 淀小橋があの辺なら(っつーか、いろいろ考えると、淀小橋って、あの石碑から、納所の交差点のところに架かってたんじゃないかと思うんですが――あくまでも私見)、地図的にはそっちの方が――ま、実際の古地図を見たわけじゃないからなー(あくまでも現在の京都都市図と、歴史群像の「幕末戊辰〜」の戦場図の対応からなので)。
それに、考えてみたら、今、私が源さんの首の埋まってる場所を探すのって、何かヘンなカンジがする(……まァ、いろいろと)ので、最終的にはどうでもいいや、とか云いながら、京都方面行の京阪電車に乗る。


と。
電車が京都競馬場を過ぎるあたりで、沖田番が「この辺!」と云いだす。
どうやら、先刻云ってた“ボルテージの高い場所”のことらしい――って、ふと北側の窓の外を見ると、高架下に花が――あれが千両松の慰霊碑か!
なるほど、京都競馬場のちょい先の高架下でした。そこまでは行かなかったけど。例の団地の敷地にも近い。まだまだ引っ張ってるんだなァ――150年って、意外と短いもんなのか。風化してないんだねー。


えー、京阪で祇園四条まで行き、そこからちょこっと歩いて、四条河原町から阪急に。四条大宮へ――恒例となりつつある、南さんの墓参りに。
沖田番は、ちょこっと緊張している――や、こないだも墓参してきたけど、特に何もなかったし(←そこじゃないだろう)。
考えてみたら、私も壬生はようやっと3回目だもんなー。ちょうど1年前に、初めて壬生界隈に足を踏み入れたんだよね。それまでは、四条大宮って通過地点だったもんなァ。
えーと、まずは壬生寺(閉門が早いので)、と思って、綾小路通りをてくてく歩く。こないだのカフェ、SANNAMIJI.に行こうと思ってたら、本日はお休みだって。ちぇー。
ので、まっすぐに壬生寺へ行き、本堂でお参り。壬生塚はアウトだった(時間がね)ので、そのまま光縁寺へ。
が、途中の酒屋で引っかかる。や、行きに気になってたんですけどね、誠ワイン。
ハーフが\630-だったので、清酒の“維新の風”とともに、赤白一本づつ買う――ワインは、袖章ストラップ付(笑)。今夜の夜のおともだ(笑)。


で、光縁寺。
今回は、門扉のベルが鳴ったせいか、ご住職が出てこられ。
「初めてですか」と訊かれて「いいえ」と応えられるほどには余裕ができたな、自分。まァ、3度目だもんなァ。
御線香を手に、裏手の墓地へ。南さんの墓と、松原君や田内知(河合耆三郎も一緒に葬ってあるのね)なんかの墓に、手を合わせたり頭を垂れたり。“沖田氏縁者”の墓は、相変わらずスルーで。
沖田番は、かなりどきどきしてたらしいですが、まァ、御陵衛士墓所に行くよりはましなのでは? (昔々、某陰陽道系少女漫画にはまってた時に、当時の仲間たちと行こうとして、迷って挫折したことが)


でもって、四条大宮から再び四条河原町へ戻り、ホテルへ戻る、までに、梅園でお茶。みたらし団子と礒辺巻き、じゃない磯巻き(こっちではこう云うのね)を戴く。磯巻きについてた花林糖が美味しかったので、それを夜のつまみ用に一袋購入。
さて、ホテルへ、と再び歩き出した矢先、こないだも入った古本屋(河原町通り沿いの)の店先で、勝海舟全集6、7巻が、2冊で\1,000-で出ているのに遭遇。
「買うしかねェ!」と、速攻Get。内容は「吹塵録」1、2。「吹塵録」は全4巻なので、ホントに一部なんですけどもね。っつーか、これいいから、日記の3、4買えばいいのに自分。


ホテルに近づいたところで、また寄り道、っつーか、ネットではいつもお世話になっております、サンパウロのショップに――いや、ホテルに隣接して、教会とショップがあるのです。前回来た時は、どうもタイミングがあわず、一度も入れなかったのですが、今回は開いてた!
いそいそとショップ内に入り、中をうろうろ。
いつも探しているセンターメダイや十字架のトップはあんまなかったのですが、編み上がってるロザリオの中に、木製の赤いロザリオを発見。十字架も木製で、金色で簡略にキリストの磔刑図が描かれている――こ、これはいいよ!
と云うわけで、それをGet。\735-。安い。
他にもうろうろと見てたら、陳列してあるプレートの中に、“Lord's Prayer”と云う文字とともに、祈る男性の手(だけ)の絵が――
あれ、これって、私の買った十字架と同じモチーフだ(私のは、十字架の交差部に、祈る男性の手がついている)。類似のもの見たことがないと思ってたのに!
この十字架、個人的に勝手に“猊下の手”とか呼んでたのですが。


「“Lord's Prayer”ってこたァ、“君主の祈り”ってことか?」
「や、この“Lord”は偉い坊さんのことで正しいんじゃねェですかい? あんたの云うとおり、“猊下の手”で構わねェと思いますぜ」


と云うことらしい――とりあえず、謎の半分くらいは解けたかも。


で、ホテルに荷物を置き(もちろん、酒類は冷蔵庫へ)、晩ご飯を食べに街へ繰り出す。ガイドは持ってるけど、何だかんだで見ない主義。
たらたらと歩いてると、


「……あれ、ここァ池田屋か」
「ホントですねェ」


はじめて見た池田屋は、元パチンコ屋だった建物の前にひっそりと碑が建っているだけ、でなくて、その扉に解説書きが貼ってあった――来る人多いの?
さらっと流して歩いていくと、今度は“坂本龍馬寓居跡”――や、龍馬どうでもいいんだけど。そう云えば、先刻河原町んとことかで、中岡さんの寓居跡の碑も見たなァ。
しかし、史跡の碑は見つかれども、旨そうな店はなかなかない。いや、なくはないんだけど、今の気分の店じゃないというか。


「お、あの“れんこん屋”ってなァ何だ?」
「えェ? ……あァ、あれですかい。何でしょうねェ」
「ちょっと見てみるか」


と云って、高瀬川に架かる橋を渡った、ところで、“彦根藩邸跡”の碑をみつけたりとか(あ、れんこん屋は、普通の呑み屋でした――っても、若向けではない感じでしたが)。何、彦にゃんにアピールされた? “おい、ここじゃ、ここ!”とか云われてる感じ?


結局、ホテル近くまで戻って(そしたら、ますじと佐久間象山の殉難の地、の碑も見つけた……)、京野菜を使った料理の出る居酒屋(名前忘れた……)に入りました。
が、結構揚げものとか頼んじゃった+思ってたよりボリュームが、で、腹が破裂しそうになり。大して頼まずに晩飯終了。
ホテルへ戻って、「維新の風」を開けるも、湯呑一杯分しか呑めず、この日は撃沈。
そう云えば、兎ちゃん=桂さん、の寓居跡の碑は、結局見つけられなかったわ……相変わらず、逃げ回られてる感じが何とも。
まァいいや。


翌日に続きます〜。