北辺の星辰 41

 榎本の声に、中島がかすかに唇を歪め、一歩身を引いたのがわかった。
 が、榎本は、それには一向気づかぬ風で、その空いたところに身を滑りこませてくる。
「どうですか、土方さん、楽しんで戴いておりますかな?」
 歳三は、一瞬言葉に詰まった。
 まさか、この祝宴を“退屈極まりない”などと、云うこともできまい。
 それ故に、曖昧な笑みを浮かべて、笑みを返してみせる。
「はァ、まァ……」
「それは良かった! ……ブリュネ殿も、いかがですかな?」
「アリガトゥございマス、榎本サン!」
「どうもちまして!」
 にこやかな笑顔――だが、歳三には、それは胡乱な表情であるとしか思えなかった。
 中島にしても、それは同じであるものか、かれの、小さく鼻を鳴らす様は、冷笑的ですらあった。
「土方さんのお蔭をもちまして、こうして各国の公使たちを招いて、我々の力を見せることができました。これでかれらは、我々を、交渉する価値のある“政府”として、認めてくれるでしょう」
 そう云って、榎本は、切子の馬上杯を掲げてきた。
「海外諸国との交渉が成ったなら、主上薩長の輩とて、我らをただの叛徒として扱うわけにもいきますまい。そうなれば、この蝦夷地を徳川の所領として開拓するの願いくらいは、叶えることもできましょう」
 ――本当に、そうか。
 榎本の口舌はなめらかだったが――その言葉には、歳三は首を傾げざるを得なかった。
 鳥羽伏見の戦いの折、幕軍の形勢が不利と見るや、諸藩が雪崩をうって倒幕に転じたように、諸外国も、この国を主導するものが薩長などの勢力であることが固まったと知れば、掌を返してそちらにつくのではないか。
 歳三は、もちろん外交などの“政”に詳しいわけではなかったが、交渉事などの折、彼我の力関係がそこに大きな影を落とすことは、実際の経験からよくわかっているつもりだった。
 結局のところ、この世のすべては、彼と我の力関係によって動いているのだ。かつて京にあったころ、会津藩芹沢鴨よりも近藤勇を選んだことも、もっと大きなところで、薩摩が長州と手を結ぶと決めたことも、それが己の益になると信じればこそのことだったはずだ。
 翻ってこの箱館駐留幕軍を鑑みるに――自分たちの一体何が、諸外国にとって益をもたらすと云うのだろうか。
 もちろん、幕軍の艦隊や兵団は、ある種の“力”ではあるだろうが――薩長が、幕軍以上の“力”を持っていると、諸外国のものたちが判断したなら、かれらはそれこそ雪崩をうって、そちらの方へと顔を向けることになるのではないか。
 そして、そのようになる日は、そう遠くはないのだろう――何しろ、幕軍は、その攻守の要とも云うべき軍艦・開陽を、既に失ってしまっているのだから。
 榎本のことだ、おそらくは、ここに集う諸外国の公使や船将たちには、開陽沈没のことなどはにおわせてもいないに違いない。開陽が失われたと知れれば幕軍の不利益になると、それくらいのことは、かれとてもよくわかっているはずだ。
 だが――人の口に戸は立てられぬ、いずれ、開陽が江差沖に沈んだと、今ここにある人びとにも知れる日がやって来るはずだ。
 その時、榎本はどうやって、かれらの後ろ盾を失わぬよう計らえると云うのだろうか――あるいは、後ろ楯を失ったのち、どのようにして幕軍を支えてゆくつもりなのだろうか。
 ――俺ぁ、奴のあの考えの甘さが、どうにも気にくわねぇんだ。
 また、松本良順医師の言葉が思い出される。
 まったくもって、松本医師の見立ては正確だったと云うことか。
 小さく、溜息がこぼれる。
 とは云え、歳三の最終的な目標が“幕軍の完全なる敗北”である以上は、この男を担ぐのを止めるわけにはゆかぬ。
 それ故に、
「……そう、あらまほしいものですな」
 歳三は、痛烈な皮肉を呑み下し、やっとそれだけを口にした。
 榎本のすこし後ろで、中島が、大きく唇を歪めるのが見えた。
 江差において、榎本を“阿呆”呼ばわりにしたこの人のことだ、その気になれば、榎本を打ちのめすような言葉を三言四言、あるいはそれ以上に投げつけることもできるのだろう。
 だが、中島はそうはせずに、ただ鼻を鳴らし、皮肉な笑みを口許に刷いたにとどまった。
「それくらいのことは、やらねばなりますまい!」
 榎本は、大きく手を広げ、そう云ってきた。
 威嚇するような仕種だと思ったが、あるいは、これが“欧米流”とやら云うものなのかも知れぬ。そう云えば、カズヌーヴたち仏人士官も、このような大仰な仕種をしているのを、幾度も見たように思う。
「そうでなければ、我々がこの蝦夷地までやってきた意味もなくなってしまうでしょう。蝦夷地を開墾し、徳川宗家の禄高を増やして、旗本八万騎を養うの足しとするが、我らの望み。そのためにも、まずは蝦夷地開拓の御許しを戴かねばならんのです」
 朝廷に、その旨の嘆願書は送りました、と、榎本は云うが――
 徳川家取り潰しすら目論んでいたという薩長の輩が、諸外国の圧力があるからと云って、そうたやすく幕軍の嘆願を受け入れるとは思えなかった。
 鳥羽・伏見の戦いの折の、薩長の輩の行動を憶えている。かれらは、いち早く“錦の御旗”を持ち出して、それを押し立て、幕軍を“朝敵”に貶めたのだ。
 そのような小狡い知恵のまわる連中が、こちらに蝦夷地支配の名分を与えるようなことを許すはずがない。
 だが――今、榎本にそれを云ったところで、この男は聞く耳を持たないだろう。
 能天気にもほどがある、とは思わぬでもなかったが、しかし、この男を担ぐと決めたのは、他ならぬ歳三自身なのだ――たとえそれが、幕軍敗北までのわずかな間であるとは云え。
「……おっしゃるとおりにございますな」
 その打算故に、歳三は、にこりと笑いかけてやった。
 中島が、くっと失笑したのがわかる。さもあろう、歳三とても、苦笑したい気分であるのは同様だ。
 だが、まさか当人を前に、そのようなことをするわけにもゆくまい――まして、歳三は、榎本を半ば欺くようにして、蝦夷渡航の背を押したのだ。
「土方さんも、そう思われますか!」
 榎本は、勢いこんでそう云った。顔が、喜色に輝いている。
「いやあ、同意して戴けるとはありがたい。実は、蝦夷地開拓は、江戸を脱する以前から思案していたことで――なかなか賛同戴ける方もなかったのですが、やはり私は間違ってはいなかったと云うことですな!」
 ――何と扱いやすい御仁だ。
 笑うよりないではないか――このような男が、この先、幕府陸海両軍の指針を決する立場にあろうとは。
 このように軽い人物であっては、この先の幕軍の定めも、どうなるものやら知れたものではない。
 だが――仕方がない、これが、歳三の選んだ途なのだ。
 選びとったからには、何ごとも甘んじて受け入れねばなるまい。
「榎本さんの先見の明には、まこと、敬服いたすより他ございませぬよ」
 中島が、呆れたような顔をするのにも構わず、云ってやる。
 幕軍が真に敗北するその日まで、榎本には、先頭に立って踊ってもらわねばならぬのだ。決戦の秋まで士気を高く保ち続けるために、遺恨を残さぬ敗北のために。
 照れたように頬を染める榎本に向かって、にこりと笑んで。
 歳三は、馬上杯をわずかにかかげ、赤い葡萄酒を一息に干した。


† † † † †


鬼の北海行、続き。まだ祝賀会。


まァ、とってもバレバレだと思いますが、どうも私、釜さんとか海軍組が好きじゃないんだよなァ。中島さんや甲賀さんは好きなんだけどね、海軍組でもね。
何かこう、過去に軋轢があったかのように、好きじゃない――まァ、それはかっちゃんに対してもそうなんだけど。うん、かっちゃんも好かん。っつーか嫌い。
タロさんは、いろいろあって、最近何だか気の毒で堪らないのですが、しかし、好きってのとは違うしなー。
箱館組は、小説とかで悪く描かれることが多い、と(先日参加したアンソロに)ありましたが――うん、でもまァ、その辺は仕方ないよ、だって良く描ける(大きな)ネタがないんだもん、とか思っちゃいかんのか。
だけどなー、松岡磐吉の件(松前城先制攻撃)とか、釜さんの件(必要もないのに開陽出撃させて、挙句座礁させた)とか、マイナスポイントしか見れないよ? その辺はどうなのかと思わずにはいられません。
と云うわけで、釜さん+海軍組がお好きな方には、今後とも大変残念な展開しかないと思われますが、宜しければお付き合い下さいませ。


そう云えば、こないだちらっと書いた、「BARAGA鬼」コス根本さん掲載の「電撃Layers」が出てますが――
うーん、予告チラシの写真の方が良かったなァ……何か、髪が短くなってるのを立て気味にセットして写してるのですが、それがビミョー……
確かに鬼の写真もオールバックだったさ、でも、髪が長めだったからあそこまでつんつんとはしてないと云うか――ビミョー。
職場のOさんは「舞台を生で見ちゃったからじゃない?」とおっしゃいましたが、うーん、やっぱチラシ写真の方が良かったなァ。うーん。
あ、「薄桜鬼」の鬼の洋装型紙、のモデルの人も、和装時の人の方が良かった――同じ人、じゃあないよ、ね? うーん……


ところで、先週発売のプレジデント、歴史・古典特集(こう云うの好きだよね、プレジデントって)だったのですが。
表紙に載っけてる肖像のチョイスが……謎。
いや、神君・家康公と西郷どどん、山本五十六はともかくとして(おっさんって、この辺好きだからな)、高橋是清と鬼、ってのはどうなの。特に鬼。経営に何か関係ありますか、鬼。
表紙に名前のある他の人、例えば篤子さんとか、今なら直江とか、経営オヤジのアイドル・上杉鷹山公(←最近気になる……)とか、いろいろあるじゃん。
とりあえず売れ売れなので、何でもいいんだけど。残が少なくなってきたので、営業さんにプレッシャーかけて(←……)直送で追加かけてもらったけど(直送=要は宅×便で入れてもらうこと。通常=取次経由だと、中1営業日以上かかるのですが、直送だと翌日入荷する)。そんなおっきな店舗でもないのにな……ふふふふふ……


この項、終了。
次はルネサンス――どのへん書きましょうかね……