神さまの左手 20

※若干性的に直截な表現がございます(ぬるいので畳みませんが)。閲覧の際は、自己責任でお願い致します。


 レオナルドはそう好色な質ではないのだが、こればっかりは勘弁してほしい、とサライは思う。
 何をと云えば、その最中に、急に思い立ってデッサン帳を取り出すことを、だ。
「……何してんだよ、レオ」
 こちとら、追い上げられて切羽詰ってきていると云うのに、それを放り出して何をはじめるのかと思えば、
「いや、今の陰茎の状態を観察しておきたくてな」
 ――って、またそう云うことかよ!!
 普通、こういう局面では、いきなり観察をはじめたりはしない、と云うか、できないと思うのだが。
 レオナルドには、本能やら肉欲やらが足りないらしい――並の男なら、サライをここまで追い上げるうちに、自分の方も抑制がきかなくなって、止めようとしてもそのまま最後までいってしまうものなのだろうに。
 肉欲の衝動を凌駕する好奇心、とは、流石は大天才様だと云うべきなのかどうか。
 しかし、それよりも、
「ちょ、俺はどうすんの、こんな半端なとこで止めやがって……」
「描き終わったら続きをしてやるから、しばらく待ちなさい」
 ――待てるかー!!
「キツいんだけど」
「もうすこしだから、待ちなさい」
「待てねぇ!」
「待て!」
 そんなやりとりをしているうちに、レオナルドはスケッチを描き上げて。
 そのまま戻ってくるのかと思いきや、机の方へ行って、書きものをはじめてしまった。どうせ、人体の機能の不思議について、くだくだと考察を書き連ねているに違いない。
 こうなったら、しばらくは無理だ。
 仕方なく、サライは自分で昂りを始末して、掛布を被って目をつぶった。
 まぁ実際、よくこんな男につき合っているものだと思う。正直、これがそう好きでもない相手と、例えば金目当ての男とであったなら、サライは「ふざけんな!」と一喝して、相手を部屋から叩き出していたに違いない。
 世間の恋人同士がどのようなものであるのかを、サライはまったく知り得なかったのだが、それにしても、レオナルドのこの振る舞いは、普通に考えて、まったく奇矯なもの、と云って良かっただろう。
 レオナルドにぞっこんのサライは、あまりそのことを重大に捉えてはいなかったのだが――ちょっとばかり不満を覚えたとて、仕方のないところだ、と思わずにはいられなかった。
 ――でもまぁ、云ったって、仕方ないんだよなぁ、実際……
 もぞりと身じろいで、溜息をつく。
 そう、云ってなおるなら、もうとっくになおっていてもいいはずの頃合いだ。何しろ、こういう“ことの最中の脱線”は、一度や二度の話ではないのだから――改めようという気が本人にあれば、もうとっくに何かが変わっていてもいいはずなのだ。
 もちろんサライは、女がそうであるようには“雰囲気”には拘らない質ではあったのだが、それにしても、構わないにも限度がある、とは、云っても許されるのではないか。
 ――何か、レオのこう云うところをどうにかする手立てってな、ないもんかねぇ。
 レオナルドがサライのことを放り出しっぱなしにしない、そのようにさせない巧い手段はないものか。
 ――俺がレオを食う、とか……?
 ふと思いついて、それからふぅと溜息をつく。
 自分がレオナルドを押し倒す? 考えとしては悪くはないが、すくなくとも今の段階では、体格的に無理な相談だ。
 レオナルドは割合長身で、腕力もかなりある。対するサライはと云えば、まだ十三の子どもで、レオナルドを組み伏せるどころの話ではない。
 せめてもう五年、あるいは――近隣の少年たちの体格を見れば――最低でもあと三年、その間によく食べてよく眠れば、レオナルドを追い越すこともできるかも知れない。
 そうだ、サライの体格が良くなることに関しては、他にも利点がある。
 あちこち動いてじっとしていないレオナルドの供をするのにも、云いつけられた荷物を担いで行くのにも、身体が大きいに越したことはないのだ。意外に転んで怪我をしやすいレオナルドを、例えば負ぶって帰ることも。
 とは云え、無論一朝一夕に叶うことではなかったから、当分はこのままで、いろいろと不自由を味わったりもしなければならないのだが。
 ――でもまァ、目標にするにはいいかもな。
 レオナルドを超える背丈を手に入れて、遂にはかれを抱えて運ぶこともできるぐらいになればいい。
 そうすれば、レオナルドは、この先サライの容色が衰えるようなことがあっても、かれを必要としてくれるだろうし、そうなれば、この先もずっと傍にいることもできるだろう。
 ――よし、頑張ろう。
 とりあえずは、そこからだ。
 そう思い定めれば、眠気がじわりと忍び寄ってきた。
 ふわ、とひとつ、欠伸して。
 うとうとと眠りの海に漕ぎだしたサライを、戻ってきたレオナルドが起こすのは、今しばらく先のことだった。



 その手紙が届いたのは、春も終わり頃になってのことだった。
「は? 誰が来るって?」
 配膳の手を止めて、サライは問い返した。
「母が」
 そう返してきたレオナルドに、サライは心底驚いた。
 ――いたんだ。
 レオナルドにも、母親と云うものが。
 そもそもレオナルドは、肉親についてほとんど話さない人間だったので、サライは、かれにそう云う人間があったことすら忘れがちだったのだ。
 トスカーナのヴィンチと云う村の出身であること、継母が何人かいたこと、父は公証人で、あまり反りがあわなかったこと、兄弟もいるはずだが、ほとんど顔を合わせたことがないこと――ヴィンチ村にいると云う叔父のことは、懐かしそうに話していたけれど、それ以外の親族とは、まったく没交渉であるようで、話が出てくることすら稀だったのだ。
 それが、いきなり母親が来る、とは、
「――って云うか、おふくろさんって、いたのかよ?」
 つい、そう云ってしまうのも、仕方のないことだっただろう。
 と、レオナルドは、むっとしたように眉を寄せた。
「私にだって、母親くらいはいる!」
「そりゃ、あんただって、木の股から生まれたわけじゃあねぇだろうけどさ――」
 時々、そうだと思える時はなくもなかったのだが。
「……でも、その、生きてたんだ、ってさ――」
 継母がいると聞いていたから、てっきり実の母親とは死別したのだとばかり思っていたのだ。
「生きている。母は、父とは結婚しなかったからな――私を産んだあと、村の別の男の許へ嫁いだのだ。それで、父は、最初の継母と結婚したと云うわけだな」
「はぁ……」
 その二つの結婚には、さぞいろいろと裏があったに違いない。馬鹿高い持参金の立て替えだとか、レオナルドの母と結婚した男に対する援助だとか。
「それで、何でそのおふくろさんが来るんだよ?」
 トスカーナ、と云うことは、花の都と謳われるフィレンツェの近くなのだろう。
 フィレンツェとミラノとは、かなり遠く隔たっている。そんなところからわざわざ来ると云うのは、単なる物見遊山などではあり得ないだろう。
「母の夫が亡くなったので、身を寄せるところがなくなったらしいのだ」
 レオナルドは、微妙な表情で、手紙に目を落とした。
「それで、私のところへ来たいと云ってきたのだ。……まぁ、私も、母を養えるくらいの給金を得ることができるようになったわけだし――断る理由もないからな」
「……ふぅん」
 レオナルドの言葉を、サライは若干首をかしげながら聞いていた。
 別の男のところへ嫁いで、最初の子どもがもうこんな歳になるくらいなのだから、その次の子ども――その、別の男との間の――だって、大概いい歳になっているのだろうに。
 それで、トスカーナから、わざわざこの遠いミラノまでやってくる、と云うのは、
 ――体よく、そのおふくろさんを押しつけられたってことじゃねぇの?
 大方、その夫だった男との間の子どもが貧窮していて、そこでミラノで活躍しているというレオナルドの風聞を小耳にはさみ、それならばと羽振りの良さそうなレオナルドに押し付けてきた、というところではないのか。
 とは云え、
「しかし、母が来るとなると、部屋をひとつ空けなくてはならないな。片づけやすい部屋と云えば、階段の傍の小部屋くらいか……」
 などと思案するレオナルドは、どこか浮き浮きとしているようにも見える。
 ――ま、仕方ないのかな……
 肉親との縁が薄かったらしきレオナルドには、生き別れの母と再会し、その上一緒に住むことができる、と云うのは、喜ばしいことであるに違いないのだから。
 ――がっかりするようなことにならなきゃいいんだけどな……
 肉親に関して、良い思い出のないサライなどは、ついそのようなことを考えてしまう。
 ――ま、万が一レオががっくりしたら、俺が慰めてやりゃあいいか。
 せいぜいそれが、自分にできる精一杯のことなのだから。
「よし、では片づけに入るぞ、サライ!」
 嬉しそうに云うレオナルドにまなざしを向け。
「おう!」
 サライは応えて、わだかまるものを胸底に沈めた。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
今回は“女性向き”ですらない――何だこの××シーンって。


いやでも、これはですね、実際に何かそう云う手稿(パリ手稿だっけ?)が残ってて、「誰のを観察した!」とか云ってたとこから出てきてるんですが。まァ、多分絶対サライだよね、他にいないよね。自分のは無理だろう、冷静に観察できるわけがない。
まァ、性衝動に左右されにくい、と云うのは、サライじゃないけど“流石は大天才様”と云うべきか――しかし、そんなことで証明される天才、ってのもどうだ。
っつーか、うん、これはサライじゃなきゃ付き合えなかったよなー。これが女だったら、スケッチブック持ってきた段で、平手食らわされて、叩きだされるor女の方が出てっちゃう、だろう、間違いなく。
そう思うと、本当によく付き合ったよな、サライ。忍耐強い。
かどうかは、まだ先があるので(笑)あれとしておきますが。
しかしまァ、こんだけ先生のイメージ崩しまくってる話も少ない、ような気が。っつーか、うちだけ?
まァまァ、許せる方だけお付き合い戴けりゃあ、それでいいやー。


そして、やってくるくる、カテリーナ。
うううむ、当初の予定の倍以上に……何てこった。
まァまァ、今後もこのペースで延び延びになっていくこと請け合い――って、そりゃこの話も60章越えってことかよ!
……まァ、何とかそれより短く収めたい、けど――難しいだろうなァ、ううぅぅぅん。
が、頑張って参りたいと思います〜(汗)。


この項、終了。
次は阿呆話――誰のネタにするかなー。