北辺の星辰 43

 箱館府の体裁も無事整った。
 明けてからは、いよいよ本格的な蝦夷地支配に乗り出そうかと云う、この年の瀬に、本土より、桑名家中のものがやってきた。
「我が主、松平越中守の進退について、幕軍の方々にご相談いたしたき儀がございます」
 桑名の家老であるという酒井孫八郎は、そのように云って、歳三をまっすぐに見据えてきた。
 歳三も、負けずに酒井をじっと見据える。
「ほう、それはいかなる儀でございましょうか。幕軍総裁たる榎本に代わり、不肖ながらそれがしが承りましょう」
 かるく頭を垂れながら、歳三は、己が何故、このような場に遣わされたのかに、苦笑とともに納得していた。
 なるほど、桑名家中の人間が、この蝦夷地までやってくると云うことは、十中八、九、当主定敬を蝦夷地より脱出させ、恭順するよう説得したいというのが用件であるのだろう。
 榎本たちとしては、徳川宗家より人を迎えることもかなわぬ以上、今ここで同道する三大名を失うことはできない、と考えているのだろう。
 そうであれば、ここは下手にくだくだと理屈を戦わせるよりも――そうなれば、事態が長引くことは、目に見えている――、強面の歳三に一任して、暗に武力をちらつかせて、酒井らを追い払おうと云う肚であるに違いない。
 だが、
 ――そう上手く、ことが運ぶものか。
 まだ若い――聞けば、二十四だと云う――酒井は、しかしながら、藩の重鎮と云うに相応しい態度で、歳三相手に一歩も引かぬ構えである。
 さもありなん、この厳冬の最中に、荒れる海を乗り越えて本土より渡ってくるほどの人物である。いかな京師にて名を轟かせた歳三と云えど、酒井にとっては何するものぞ、と考えているに違いあるまい。
「我が桑名家中のものは、世子・万之助様とともに、既に朝廷に恭順の意を示しております。万之助様は蟄居なされ、桑名城は無血開場、桑名家中と呼ぶべきものは、今現在ござりませぬ。然るに昨今、朝廷より、越中守の進退如何によっては、桑名松平家の再興もあり得る、との書状が参り申した――このままここで、主が抵抗を続ければ、その機会も失われ、二度と巡ってくることがなくなるやも知れませぬ。そうなるより前に、主に恭順の意を示して戴けるよう、説得する機会を戴きたいのです」
 なるほど、やはりそうか。
 だが、歳三にも、箱館府のものにも、それに関しては異論がある。
「しかしながら、越中守様とて、生半な覚悟で蝦夷渡航されたわけではございますまい。その上、越中守様は、京都所司代を務められたほど、徳川への忠に厚い御方。その御方が、何の面目あって薩長へ頭を垂れられようかとお思いになられるのは当然のこと。酒井殿は、そのあたりをいかがお考えか」
「だが、殿の実兄に当たられる会津中将様は、恭順に転じられたではござらぬか!」
 酒井の口調は激しくなった。
会津松平家と云えば親徳川の牙城、その主たる会津中将様さえ恭順降伏なさったとあっては、もはや抗戦致すはこの箱館の幕軍のみ。であれば、いずれはこちらとて、恭順降伏に転じねばならぬ時がやって来るはず――そこまで殿がこちらにおわしては、桑名家中は消え去るより他なくなりましょう!」
 酒井のそのもの云いには、さしもの歳三もかちんときた。
「……ここで、会津中将様のことを云々なさるな」
 低くした声音で云いながら、相手をじろりと睨みつける。
「あの方にはあの方のお立場がある――貴殿ごときに言挙げされることではない、慎まれよ」
 つい半年ほど前までは、歳三とても、会津に従うものであったのだ。今は袂を分かったとは云え、旧主と云ってもよい人物に対する批判は、やはり聞き捨てならなかった。
「それはご無礼致した」
 と云いながら、酒井の方は、悪びれる風もない。己の“善”を確信しているかのようなその態度に、歳三は苛立ちを覚えずにはいられなかった。
 確かに、桑名家中のものからしてみれば、松平定敬は、御家の存続と云う第一の義務を放擲した慮外者であるに違いない。
 だが、かつて“一会桑”と呼びならわされたほど一橋家に近く、それ故に将軍・慶喜公に近しかった桑名であることを思えば、定敬の行動が間違っているなどとは、決して云えようはずがないと云うのに――
 ――どうも、この男は戴けねェ。
 若さ故か、はたまた元よりの性根の故か――酒井の傲慢とも云える“正しさ”への確信は、歳三の最も嫌う“武家の傲慢さ”と映った。
 実際、酒井は歳三のことを歯牙にもかけぬ風であったから、それがまた、さらなる苛立ちを煽りたてたところはあるのかも知れなかった。
会津中将様のことは措くとして――我ら桑名家中のものどもの心中もお察し願いたい。桑名藩の再興がかなわねば、路頭に迷うものも少なからず出ることになるのです。越中守様には、是非にもその段御再考戴いて、家中のもののためにも桑名にお戻り戴きたいのです」
越中守様におかれては、今のところ、そのようなお考えはないと伺っておりますが」
「だからこそ!」
 酒井は、ずいと身を乗り出してきた。
「貴殿らの力添えを戴きたいのです。我ら家中の者の云うことなど、殿には口幅ったいと思されているとは思いますが――」
「それで、我々の口より、越中守様を説き伏せよ、と」
 問い返せば、頷きが返った。
「ここまで共に行軍されてきた貴殿らの言であれば、殿とても耳を傾けて下さるに相違ないですからな」
 ――何とも虫の良い……
 とは云え、御家の存亡の危機に立たされている酒井としては、どんな手段を講じてでも、定敬が戻ってくれればそれで良い、と云うことなのではあっただろうが。
 しかしながら、
「たとえ我らがお力添え致したにせよ、越中守様が諾と仰せられるかどうかは、わからぬ話」
 その上、榎本ら首脳陣が、未だ藩主たちに利用する価値があると考えていれば、なおのことだ。
「だからこそ、貴殿ら幕臣諸兄のお力をお借りしたいと申しておるのです!」
「我らとしては、越中守様がおわすことに、心を強くしている兵どもも多うございます故、貴殿の申されることに諾とは申しかねるのですがな」
「だが、このようなことが、いつまでも続くはずはござりますまい!」
 酒井の声に、歳三はすいと片目を眇めた。
「とは、いかなることにございましょうや?」
「戯言を云われるおつもりか――今や、日本国中が、薩長の軍門に下り申した。であるからには、貴殿らに与力するものなど、もはやありはしない。されば、貴殿らが薩長の輩と一戦交えれば、いずれ敗北することになるは必至でござらぬか!」
 そうだ、確かに、幕軍の敗北は避けられぬことだ。それは、歳三自身、よく弁えている――と云うよりもむしろ、敗北するために、この蝦夷地まで流れてきたと云った方が正確だ。
 榎本がどう考えているのであれ、幕軍の敗北は不可避であり、必然でもあった。歳三の思惑としては、なるべく戦の災禍を最小限に抑えることと、ぎりぎりまで抗戦すること、この二つを満たすための北走であった。
 ただ、なし崩しに薩長に降伏するのでなく、でき得る限りは抵抗し、力尽きるまで戦ってから敗北を受け入れたい――それが、ここまでやってきた兵たちの望みであるとも考えていたからだ。
 だが、いかに敗北が不可避であると知っていようとも、それを今、酒井などと云う部外のものに、云いたてられて愉快であるはずもない。
「……貴殿の申されように、私が諾と頷かれるとお思いか」
 目を細めるようにして睨みつけてやれば、酒井は、流石に怯んだ様子を見せた。
「話にならんな。もうすこし切り込み方を考えてから、出直してきてもらおうか」
 桑名家中の窮状を語って、こちらを切り崩そうとするのならばともかく――誹謗するようなもの云いをされて、誰が力添えをしてやろうなどと思うものか。
「こちらの云い分も満足に聞かず、何と無礼な……」
 酒井は、それでも強気に云い募ってきたが、それを聞き続ける心は、歳三の中からきれいさっぱり消え失せていた。
「無礼はこちらの云うことだ。――ともかく、本日のところはここまでだ。失礼致す」
 云い捨てて立ち上がり、身を翻す。
 その背なへ、
「……諦めませぬぞ!」
 酒井の声が、飛礫のように投げられてきたが。
 歳三は、振り返りもせずに、会談の場を後にした。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
暇な日々? ――いや、暇じゃねェだろ、これ。


桑名藩家老・酒井孫八郎くん登場。今後、ちまちまと出てくることになるかも。
っつーか、酒井孫八郎くんは、この辺の件だけじゃなくて森(常吉っつーか彌一左衛門っつーか)さんのウラミもあるので、遡及的に扱いが(以下略)なんですけどもォ。
それはともかく、桑名の世子・定教さん(文中では“万之助”)って、実際この当時、何て呼ばれてたんだろう――御歳十二(明治元年時)のはずなので、普通に云えば元服前なんだけど、こう云う火急の時なわけだしなァ。元服――してたって、しかし、朝廷から役職貰ってるわけじゃないので、義理パパみたいに“越中守様”とか云う呼び名はないはずだし。う〜ん、どうなんだ……


そう云えば、今回サクッと続きの出たOh! Super Jump。「サンクチュアリ」、げ、源さんがカッコいい……! 何だあの礼儀正しい源さん! (私の中の源さんは、基本的にぞんざい/苦笑……いや、対外的には礼儀正しいらしいんですが) 「謹んで学ばせて戴こう」って!
何かこう、まとめてがっつり読ましてくれって感じでいっぱいです――いや、決して進行は遅くないんだけど、謎が多過ぎてさ(笑)。
なのに次が10月って、何の焦らしプレイだよって云うか――せめて月刊にしてくれって云うか、先月今月のアレは何だったのって云うか。くそう、本屋泣かせの刊行ペースだぜ(って、うちの店舗には入らないんですけどー)。L表記なんて大嫌いだ!


で。
夏の舞踏会で貰ってきた幕末明治オンリーのちらしを見たら、ちょっと書きたくなった話があるので、本出すかも。ええ、同人ですが。
箱館市街戦前夜〜五稜郭降伏を、一日一人のSSで、オムニバス形式で語り継ぐ、ってのはどうだろうと思いまして。
とりあえず、5/10はまァアレとして、11日のタロさんから、じわっと書きだしてます。安富、相馬、島田の新撰組メンツから、森常吉(彌一左衛門)さん、中島三郎助さんあたりのマイナー(泣)組まで、4000〜5000文字で一話、で8話で完結、とか。うぅん、遠大な野望だわ……
ぶっちゃけ「北辺」の周辺の話になりますので、箱館市街戦と、同時に鬼の死の周辺の話になるかと思われ。立場の違いで、鬼の死の受け取り方も違うんだぜ的な。
まァ、鬼が視点じゃないので、また完璧な“小説”として書くことになるわけで――ちょっとリハビリが必要(下書きがないとだし)なので、ゆるゆる書いていきますかねェ。
……さァ、書いちゃったぜ。首締めついでに、オンリーも申し込んどくか……?


この項、終了。
次はルネサンス――えーと、またちょっと、ぬるいアレコレ?