北辺の星辰 44

 酒井孫八郎は、本当に諦めなかった。
 年が明けて、まだ松の内の一月六日には、もう歳三を訪ねて来て、またくどくどと松平定敬の処遇について云ってきたのだ。
 しかも、聞けば日中には、五稜郭へ榎本を訪ねたのだと云う。
 その時は、歳三は箱館奉行所へ出向いて留守だったのだが――所要があって、本当に良かった、と胸をなで下ろさずにはいられなかった。
 もしも五稜郭に留まっていたならば、まず間違いなく会談の席へ呼び出され、そのまま交渉を引き継ぐことになっただろうからだ。
 とは云え、こうして夜になってから訪ねて来られて、くどくどと話をされたのでは、昼に会っていた方がましだったかとも思われる。
 しかも、酒井とこうして話をするのは、今年に入ってこれが初めて、と云うわけでもないのだった。
 実は元旦に、歳三は市中見廻を兼ねて、探索方頭取の小芝長之助とともに、酒井の許を訪れたのだ。新年の挨拶回りの意味をこめて、さらりと引き上げるつもりで、最後、日が暮れてからの訪問としたのだが。
 案の定と云うべきか、そこで小芝ともども捉って、長々と話を聞かされることになったのだ。
 解放されたのは、もう夜も遅くなってからのこと。
「あの方相手の交渉とは、土方先生も大変なことですな」
 巻きこまれたかたちになった小芝は、苦笑しながらそう云ったが――まったく、迷惑極まりないことだ。
 しかも、それでしばらくおとなしくしているかと思えば、この今日の訪問だ。
 それは、箱館府そのものは、江戸の官吏と同じ四日に仕事始めとしていたのだが、それにしても、世間的には松の内であると云うこの時期に、もう交渉をはじめようと云う酒井の態度は、仕事熱心で結構なことと云うべきか。
 だがしかし、酒井のくどくどとした“陳情”を、延々と聞かされるこちらの身にもなってもらいたい。
「……と云うわけなので、一刻も早く越中守様には、桑名にお戻り戴き、御家再興のためにも、新政府に対し、恭順を表して戴きたいのです」
 と、切々と訴えようとしてくるのだが。
 しかし、その声が、どうにも胸に響いてこないのだ。
「悪いが、そう一朝一夕に、何もかもがぱっと進むわけがないでしょう」
 言葉だけはぎりぎり慇懃に、表情は礼を失するぎりぎりまで不遜にする。
「桑名家中の方々も、この蝦夷地への渡航のために、新撰組などへ加入されております。越中守様の説得をなさるなら、そちらとも会合を持たれた方が宜しいのでは。“将を射んとすれば、まず馬を得よ”と申すではございませぬか」
 だが、この言葉に対する酒井の言葉は、驚くほど冷やかだった。
「主に諫言もせず、のこのことこのような最果ての地まで参りたる愚かな輩、不忠ものの極みにござる。そのような奴輩と話をしたとて、何の益になりましょうや」
 この言葉には、流石に歳三も、怒りを胸の裡に留めることができなかった。
「主君の身辺をお守りせんとて幕軍に身を投じたものたちに対し、仮にも家老職にある御方とは思えぬおっしゃり様。貴殿の忠義とは異なろうとも、かれらもまた、忠義の士に違いはありますまいに」
 それを、賢しら顔で批難しようとは、まったく人の上に立つものとも思われぬ。
 そのように云って、ぐっと相手を睨みつけてやれば、酒井はぐっと言葉を呑んで、反論を探しているようだった。
 やがて、
「……ともかくも、越中守様の御意向をお伺い致したい。我ら桑名家中のものの意思は、お伝え戴けたのでしょうな?」
 と云ってきたということは、反駁を思いつかなかったものか。
「榎本総裁から、越中守様にお話があった、とだけ聞いておりますが。特段、私の方へは申し送りもございませんので、これ以上は何とも。……日中に、総裁からお話はなかったのですか」
「榎本殿は、のらりくらりとしておられる!」
 と云った酒井の口調は、いかにも不満げだった。
「いや、はぐらかすおつもりではないのやも知れぬが、箱館府の意義について懇切丁寧に説明戴いても、我らとしては、頷くことしかできぬでしょう。お訊き致したいのは、越中守様を我らの元にお戻し戴けるかどうか、その一点であると云うのに……」
 憤然とした酒井の様子に、歳三は吹き出しかけ、慌てて笑いを呑み下した。
 なるほど、榎本の微妙に空気を読まないところが、酒井の苛立ちを煽っているものか。
 あるいはそれは、三侯を手離したくないと考えているらしき、松平太郎の入れ知恵なのかも知れなかったが――ともかくも、榎本は、酒井と真剣に話をするつもりはないようだ。
 となると、やはり主たる交渉役は、引き続き歳三に任されたままと云うことか。
 ――まったく、どうしてくれようか。
 役職三つ兼任の上に、このような厄介事まで振られようとは――どうせ、これも松平太郎あたりの采配に違いない。
 それは確かに、薩長が現実に攻め寄せてくるまでは、陸軍奉行並としての仕事は練兵くらいのもの――しかも、それとても大半は仏人士官たちに委ねられている――であるし、箱館市中取締も、小芝などの人材があればさほど仕事も回ってはくるまい。陸海裁判局頭取は、そもそも歳三ひとりの役職でなし、その上、各部隊の上官による処分、では済まぬ事例となると、これまたそう多いとも思われぬ。
 そう云う意味では、確かに歳三は暇だと云っても差支えないのだが――しかし、それ以上に暇を持て余しているに違いない大鳥や、海軍奉行・荒井郁之助などのことを考えると、もやもやとしたものがこみ上げてくるのも、無理からぬことと云っても許されるはずだ。
「――ともかくも」
 段々面倒になってきて、歳三は強引に話を終わらせにかかった。
越中守様の御意志がわからぬ今、ここで我々だけが云々しても仕方ありますまい。まずは越中守様の御決断を待ち、その上で我々がいかに協力していき得るかを話し合った方が、より無駄な軋轢を生むこともなくて良いのではないかと思われますが、如何か」
「我々桑名家中のものには時間がないのです!」
 酒井は、激しい調子で噛みついてきた。
桑名藩存亡の折、そのような悠長なことなど云ってはおれませぬ! 越中守様の御意志はひとまず措いて、帰藩の手段を講じるが先決ではござらぬか!」
越中守様は、ともに会津戦線を戦い、蝦夷地まで渡航してこられた――畏れ多いことだが、我ら、同志のようにも存じており申す。そのような御方を、いかな家中の方とは云え、売り渡したりはできませぬな」
 そう云って、歳三は、鎖を引いて懐中時計を取り出し、刻限を確かめた。
「そろそろ十時をまわりますぞ。つまりは亥の刻ですな。お休みにならねば、明日に差し障りがあるのでは?」
 やんわりと退出を求めると、流石に遅くなったと思ってか、かれは慌ただしく立ち上がった。
「これはしたり、かような刻限とは、思い至りも致しませなんだ」
 そんな言葉と簡単な挨拶のあと、酒井はそそくさと宿へ戻っていった。
「また参ります」
 と、歳三には迷惑極まりない一言を、置き土産にして。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
酒井孫八郎君も続いてます。ちっ。


えーと、酒井孫八郎君のスケジュールは、ホントにこんな。っつーか、はじめ「新選組日誌」下巻(新人物往来社)を見てた時、1月6日から“面談”って、まだ松の内なのに御苦労なこったなーとか、ちょっと呑気に考えてたのですが。
よく見たら、1月1日のところにも“面談”って書いてあるじゃん! 元旦じゃん! どんだけ!! 巻きこまれた小芝長之助さん的には、超↑迷惑な話ですよねー。
しかも、これだけでは終わらない! この後も、5日〜1週間ごとに“面談”の文字が入ってるのですよ。何よそれ、と思わずにはいられませんね。
とりあえず、早く孫八郎君追い返して、中島さんのナンパに総力を費やしたいです。


「北辺拾遺」、安富の話がタロさんの話を軽くoverして、何気に凹。
これは確実に8000文字越えだなー、っつーか、いくら安富の話が(以下略)だからって、この文字数はねェだろうと云うか。
とりあえず、次の中島登はドライな感じになると思われるので、ページ数も――へ、減るといいな……(汗) とか云って、既に自分内既定の枚数の半分を超えてる(のに、話はまだ……)段階で、ちょっとこの先不安なんですけど! 仕上りの頁数どうなるんだ!! (汗)
まァでも、書くのは楽しい(ってのも変だけど)ので、伸びたら伸びたで諦めよう……


でもって、気になることがあったので、見て参りました、安富の手紙。
気になること、と云うのは、とあるサイトを見ておりましたら、この手紙の書かれたのが5月16日だとか云う説が載ってまして。「新選組日誌」では12日だったので、現品見て確かめよう、と云うことだったのですが。
えーと、結論から云いますと、すくなくとも本文の書かれたのは、5月12日の方で間違いないかと思われます。
資料館の説明文では16日になってるんですが、これは、表書きの部分(手紙の最後の部分をそのまま折って、外包みの代わりにしてるのですが、その差出人の部分)が結構虫に喰われていて、それを表装する際に裏打ちしてるので、“十□日”ってカンジで、日付の下ひと桁が判読できないのですよね。
それを、虫喰いをないものとして読むと、16日と読めるので、そのせいだと思われ。
ただまァ内容的には、やっぱり16日だともっと切羽詰ってるよね、って感じがあるので&16日になっちゃうと、立川と沢は落ち延びられなかったと思うので、本文も表書きも12日でいいんじゃないかしら、と思いました。
しかし私、かなり不穏な気配を放っていたらしく、資料館入口で入館料徴収していた姉さんに、軽く引かれちゃいましたよ……こないだは、お巡りさんにも避けられちゃったしな、ふふふふふ……
もちろん、榧の木とも戯れて参りました。今度は、もっと凹んだ時にこようっと。


あ、そうそう、先月出てたので、うっかり買っちゃいました「新帝都物語 維新国生み篇」上下巻(角川文庫)。
実は、帝都物語って読むの初めて(や、昔の映画の、島田久作の怪人・加藤は、インパクトが凄かったんですが)だったのですが、ほら、表紙が田島照宇で、鬼も描いてあったので――っつーか、容赦ない描き方だよね、田島照宇の鬼って。
まァともかく、会津蝦夷地まで、途中につぼのいしぶみだの何だの、と云う民俗学っつーかトンデモ系古代史(……まァ、トンデモとは限らないんだけどね)っつーか、なアレコレを挟みつつ、のスーパーバトルが繰り広げられてて、結構面白かったですよ。
こないだ会津いったばっかなので、飯盛山の八門遁甲の術がどうとか、さざえ堂がどうとか、って云うのもリアルに想像できたしね。
しかし、加藤保憲は、小説で読んでもすげーわ、って云うか、それをヴィジュアル的にきっちり演技に起こせた島田久作が凄いのか。
結構(うちみたいな店舗でも)売れてるっぽいので、やっぱ面白そうなんだろうなァ、とか思いながら棚を見てました。
とりあえず、鬼の最期(?)はカッコ良かった――っつーか、半分くらい田村幸四郎に持ってかれてたけどね(笑)。
超蘊蓄ものがOKなら、お勧めですよ〜。


この項、終了。
次はルネサンス話、やっとカテリーナが来る……