神さまの左手 26

 コモ湖までは、徒歩でほぼ一日の道のりだった。
 なるほど、ミラノ貴族の保養地としては、絶妙な距離だ。すぐに呼び戻すには、使者の往復に二日を要する――もちろん、火急の使者となれば、馬で半日もあれば行きつくだろうが――が、さりとて遠過ぎて帰還が困難と云うほどでもない。
 それに、ここに着いてみて感じたのは、この空気の清澄さだった。
 深い緑のかおりと、水面を渡る涼やかな風のかおりが、肺をいっぱいに満たしてゆく。それは、目の前に広がる湖水の深い青と、両岸の緑、彼方の山の青く滲む稜線と、その上いっぱいの蒼穹とも相まって、ここに身を置くものに深い安らぎを与えていた。
「――すげぇなぁ……」
 道中はまだ不満げな様子を見せていた少年も、この美しい光景には心を奪われたと見えて、やや呆然と、そればかりを呟いた。
「そうだろう!」
 少年の感想に、何となくレオナルドは胸を張る。
 この地を推薦してくれたのは、同じくイル・モーロに仕える技師、ダミアーノ・デ・パッサーノだった。
 ――とにかく素晴らしいところなのですよ!
 湖水地方の出身だと云うダミアーノは、目を輝かせて云ったものだった。
 ――私は、あのあたりの出身なのですが、隣りのルガノ湖よりも洗練されていると云うか……とにかく、一度ご覧になってみればおわかりになりますよ!
 力を入れてそう云われ、ちょうど“馬”制作の作業にも厭きていたところだったので、話半分でも良かろうと思いながらのコモ湖行だったのだが。
 これは、来た甲斐があった、とレオナルドはしみじみと考えた。
 コモ湖は細長く南北に延びた湖で、東西の幅は狭い。アルプスの山から流れ出した大河のようにも見える。この“大河”は、途中で二股に分かれているのだと云うことで、その西端にコモの街が、東端にはレッコと云う街があるのだと云う。
 レオナルドはもちろん、コモの方に来ているのだ。
 このコモの街は、保養地として栄えているとのことで、確かに、湖岸の緑の間のそこここから、貴族の館と思しき屋根や尖塔が覗いている。
 なるほど、都市の喧騒に倦んだ貴族たちが逃避するには、この美しい空気と景色は確かに良い、と、レオナルドはしみじみと考えた。
 もちろんそれは、レオナルドが自然を敬愛してやまぬが故の感慨であったかもしれないが――しかしながら、これだけ多くの城館が、このコモ湖の畔に建っていると云うことが、レオナルドの感慨を裏付けているようだった。
 ダミアーノによれば、このコモ湖の奥の方には、美しい滝があるとのことだったが、それが本当であれば、ぜひともこの目で見てみたいものだと思う。自然の手になる美しい水の落下は、人造の滝や噴水などとはまったく異なる神秘を、目の前に顕現させてくれるに違いない。
 それに、そもそもこのコモ湖が、アルプスから広がる途中で二股に分かれていると云うのなら、その様をも確かめてみたいのだ。
 幸い、湖岸の東側の向こうの方に、小高い山のようなものが見えている。あの位置であれば、あるいは湖の二股に分かれる様を観察することも適うのではないか。
 あるいは、船に乗って湖上を渡り、両岸の様子を眺めるのでも良い。野山を歩き、ミラノより北に位置するこの場所の、植生を観察してみると云うのも楽しみだ。
 ――これは、退屈する暇もないな。
 保養地と聞いた時には、景色が美しいばかりで、何をするでもなく日々を過ごすことになるのではないかと思わぬでもなかったのだが――すべては杞憂に過ぎなかったようだ。
 ともかくも、レオナルドはサライを伴って、当面の宿となる、とある城館に赴いた。
 ここは、ダミアーノとの共通の知人である、人文学者のサンドロ・スペッキオの別荘だった。
 スペッキオ本人は、もちろんミラノのイル・モーロの宮廷に伺候中であったのだが、レオナルドがこちらに来てみたいと云うと、ふたつ返事でこの別荘を貸してくれたのだ。
 ――どのみち、夏の別荘として使っているのですから、今時期は誰も参りませんよ。どうぞご随意に。
 にこやかにそう云ったスペッキオに、レオナルドは心からの感謝の言葉を口にした。
 スペッキオのような人物の好意なしには、レオナルドのような貧乏絵描き――とは云え、収入はフィレンツェ時代よりも大幅に増えてはいたのだが――は、いろいろと立ち行かぬのだ。特にレオナルドは、イル・モーロに仕える画家のうちでも、書物収集に金をかけている方であったから、そのために、他の何かが犠牲になるのは已むを得ぬことではあった――書物の一冊は、絹の衣一枚よりも高価であるのだから。
 まあ尤も、その書物収集のお蔭で、レオナルドは人に語って聞かせる物語を知り、それによって例えばダミアーノやスペッキオなどの人々とも親しくなり得たのであるから、何がどう幸いするかなど知れたことではなかったのだが。
 さて、明日から、どれをどうはじめようか――考えると、レオナルドの心は浮き立った。
 とりあえず、ここには十日ばかり滞在する予定にしているのだ。十日と云う期間は、決して長くはないが、短いとも云えぬのだ。
 もちろん、“馬”のお披露目のある、十一月末の結婚式――ドイツ皇帝マクシミリアンと、ビアンカ・マリア・スフォルッツァの――に間に合うようにするためには、そうそうここで自儘にしているわけにはいかないが、しかし、それにしても、十日もあれば、やれることはたくさんあるだろう。例えば、遠出はできずとも、この城館の周辺を歩き回ることくらいならば、楽にできる。
 どうやら、サライもここを気に入ったようでもあるし――と思いながら、青い湖面をきらきらとしたまなざしで見つめる少年に、そっと笑みをこぼす。
 ここへ来る計画を告げた当初は、少年はひどく渋っていたのだ。レオナルドの手が遅いのを云い立てて、“馬”が終わってからにすればいいのに、とも云ってきた。
 半ば無理やり引っ張ってきたのではあったけれど、この小旅行は、少年にとってもいい気分転換になるに違いない。
「……ホントにすげぇな、レオ!」
 少年は、振り返って、嬉しそうにそう云った。
 考えてみれば、少年はずっとパヴィアの街中で暮らしてきて、レオナルドに引き取られてからも、ミラノの街中にばかりいたのだった。レオナルドがそこここへ連れ出すので、田園部へ出かけることはままあったのだが――このような湖水のそばや、まして海などには、一度も出かけたことがなかったのだろう。
 少年が本当に嬉しそうであったので、レオナルドは、そのことにもひどく満足した。
「凄いだろう! 気に入ったか!」
「うん、俺、ここ好きかもしんない」
「そうか」
 頷いて、荷物を担ぎ上げる。
 そろそろ陽が落ちかけている。暗くなる前に、城館へたどり着かなくては。
「さて、ともかく、宿へ落ち着かなくてはなるまい。明日からは、忙しいぞ」
「うん!」
 仔犬のように跳ね上がって、少年も荷物を担ぎ上げる。
 その足取りが軽やかであるのを確かめて、レオナルドは、教えられていた道を歩きはじめた。


† † † † †


ルネサンス話、久々に。
コモ湖行き――結局資料が揃わんので、超見切り発車です。
あ、ダミアーノ・デ・パッサーノやサンドロ・スペッキオ(スペッキオ=鏡!)ってのは、もちろん架空の人物ですぜ。っつーか、イタリア人の名前としてどうなのかは、結構謎なんですが。ありですかね?


コモ湖とミラノは、結局50kmくらいしか離れてないっぽい――今の私の通勤距離よりちょっと遠いくらい? (旧北多摩郡江東区間って、直線距離で30kmくらいだしな)
しかし、50kmってことは、下手したら一日で行けちゃったよな、昔の人は1日30〜40kmは平気で歩いたわけだし(明治期に、例の深雪大夫が「まだ七、八里(≒21〜24km)は行ける」とか云ってるってことを考えると――この話の時点で、深雪大夫70くらいだし)。我々だって、旅行中は、ちんたらしつつ15kmとかざらに歩くしね。
うまく荷馬車とかの端っこにでも乗せてもらえれば、割と楽に行けたんじゃないかと思います。
っつーか、ルガノ湖がどうとかダミアーノ氏に云わせてますが、ルガノ湖はもっと謎なので、実際どうなのかは……ま、コモ湖の方が多分有名なので、そっちの方がきれいなんじゃね? って云う、それだけのアレコレ。


あ、そうそう、ボルゲーゼ美術館展、行って参りました。2回も! や、最初は沖田番と行ったのですが、こないだ山南役が代休を取った時に、長谷川等伯展を拒否られたので、そっちに参りまして。どっちも格安チケットを買ったので、計¥1,900-で行きましたよ。ふふ。
えーと、感想としては、やっぱラファエッロって巧いんだ! って云う、当たり前の感想が……
や、だって最近の自分基準は、先生とみけらにょろなんで……“巧い”って云うと、あの二人クラスなんだよね。でもって、ラファエッロってちょっと落ちる(だって、構図パクリばっかだし)イメージなんだよね、って云う。
でもまァ、確かにいろんな意味で巧いのは巧かった――やっぱ構図パクリだけど(笑)。あと、肖像の表情が硬いんだよね。同じ硬いでも、先生の「ジネヴラ・ベンチの肖像」の方が個性が出てると云うか。若干やっつけ仕事テイスト? そう云えば、ドーニ夫妻の肖像(ちなみに、このドーニ夫妻のために描かれたのが、みけらにょろの「ドーニの聖家族」です)も硬いもんなー。
あ、みけはみけでもミケランジェロ・カラヴァッジョ(デとかデルとか入ったっけ?)は、「どうだァ! 巧いぜ俺様!!」ってカンジが、どうも……香.川.照.之の芝居見てるみたいな、何とも云い難い厭らしさがありました。巧いのはわかる、けどさァ、って云いたくなるような、そんなカンジ?
ちなみに一番心に残った絵は、レアンドロ・バッサーノと云う人の描いた「聖三位一体」でした――個人の礼拝用にあったらいいなァ、と云うキリスト磔刑図と云うか。山南役も同意見でした。葉書なかったのが残念。
あ、先生のレダの模写と、マルコ・ドッジョーノの「祝福のキリスト」、あと「一角獣を抱く貴婦人」の絵葉書は買いましたよー。


そう云えば、先日のバンチで、漫画大賞の入賞作で「ダ・ヴィンチの弟子」と云うのが掲載されてましたが。
えーと、選評のとおり、絵は巧いけど、人物描写が平凡だと思いました。っつーか、もっとみけが激情家で、サライが碌でなしじゃないと――って云うか、サライが絵を描いてるのがそもそも違和感だったんだ! あれは、時期的なものとかも考えると、ベルナルディーノ・ルイーニとかの方が良かったと思うよ……ルイーニは、絵描きとしても定評があるし(土田何とか云う日本画家が好きだったそうですね、ルイーニ)、構図なんかも先生の流用してる(アンブロジアナ絵画館で見た聖家族とかね)のもあるので、ハマると思うんだけど。や、ソドマでもマルコ・ドッジョーノでもいいんだけどさ。
っつーか、あの話、ラストが巧く落としたようで落ち切ってないので、主役ルイーニの方が(そう云う実作が残ってるから)すとんと落とせたんじゃないかなァ。
個人的には、そんなこんなもあったせいか、食い足りないカンジが致しました。
そう考えると、やっぱ六田登(「ライオンは眠らない」)とかかわぐちかいじ(「COCORO」)とかって巧いよなァ――史実との違いをねじ伏せる力があるよね。


この項、終了。
次は――すみません、また考察で〜(汗)。