北辺の星辰 55

「――それでは、斬りこみは高雄乗船の神木隊に任せるということですな」
 動きだした回天の甲板で、歳三は、厳しい表情のままの荒井に向かって、そう確かめた。
「そうするより他ありますまい」
 荒井は、そっけない口調でそう答えてきた。
「既に、小笠原賢蔵君には、甲鉄艦奪取後の艦長として、高雄に乗りこんでもらっております。――ともかくも、甲鉄艦を奪わなければ、箱館府に未来はないのですから……」
 焦りの滲む表情で、荒井は拳を握りしめた。
 確かに、歳三の知る限りにおいても、開陽の穴を埋め得る軍艦は、甲鉄艦を措いて他にはない。荒井が作戦を成功させようと必死になるのはよく理解できる話だった。
 だが、この作戦は、よほど運に恵まれないものであるようだった。
「荒井さん、大変だ、高雄から信号が」
 甲賀が引きつった顔でやってきて、早口で告げてきたのは、高雄が機関損傷のため、これ以上の航行が難しいと云う知らせだった。
「で、では、作戦は……」
「……回天のみで行うよりありますまい」
 厳しい声でかわされる言葉に、歳三は目を見開いた。
 回天のみで接舷攻撃を行うとなれば、当然実行部隊は野村や相馬などと云うことになる。
 血気盛んな野村などは、己が斬りこみの実行隊となることを喜ぶだろうが――しかし、回天乗組の陸軍のものの中で、実際に斬りこみを行ったことのあるものは、野村と相馬くらいなものであったのだ。
 その上、その一方の相馬ときては、ただ今は船酔いで甲板に這いつくばっているような有様だ。他のものも、さほど酷くないのかも知れないが、多かれ少なかれ似たような状況であろう。
 気構えも何もしていない状態で、しかも船酔いで体調を崩しているものも多い中での斬りこみ攻撃――これが陸の上のことであったなら、歳三は一も二もなく、出直して態勢を立て直し、その上で再度仕掛けるべきだと主張しただろう。
 だが、
「そんな悠長なことをしていては、甲鉄艦は青森まで航行してきてしまいます!」
 荒井にそのように云われては、歳三には返す言葉がなかった。
 確かに、陸戦のように、すこしばかり間道の方に逸れて陣を立て直し、場を選んで再度攻撃を仕掛ける、と云うことは、この洋上では不可能なことだった。
 相手もこちらも、小さな艦船の中に押し込められ、進路も船の動き得る速度と範囲でしかままならぬ――日を継ぎ夜を継いで駆け通し、形勢を逆転させることもできぬ。
 その上、艦船の操舵に関しては、歳三は門外漢で手も足も出ないのだ。
 そうである以上、ここは海上が専門の荒井や甲賀に決定を委ねるより他にない。
「――では、回天のみの決行と云うことで宜しいですな」
 荒井の強い声があたりに響きわたった。
 それに否を唱えられるものなどあるはずもなかった。
 陽は刻々と傾いてゆく。その傾きゆく日差しの中を、回天はゆっくりと北上してゆく。
 その船内で、回天乗組の陸軍兵たちは、緊張した面持ちで装備の点検を行っていた。
 皆、もはや船酔いでよろめいているものなどはない。そのようなもの、斬りこみにゆくのだと云う緊張感と高揚感とで、どこかに吹き飛んでしまったのだろう。
 否――蒼褪めた面持ちで、佩刀を抜いては収めしているものもある。大方、斬りこみの経験が浅いか、まったくないものなのだろう。
 無理もない、これまでの戦は、銃や大砲によるものがほとんどだった。鳥羽・伏見の戦いよりこの方、銃以外で戦闘を行う局面などほとんどなかったと云っても良かったからだ。昨今の戦いは、ほぼすべてが銃器による集団戦であり、個人の剣の技量を問われる場面などありはしなかった。
 だが、今回の作戦は、狭い船の甲板を主戦場としておこなわれるものだ。甲板の上は、敵味方入り乱れての混戦状態となるは必定。当然、同志討ちを避けるためにも、銃器の使用を断念せざるを得なくなる。
 となれば、やはり刀剣の出番となるわけだが――
 旧来の新撰組隊士である野村利三郎、相馬主計の両名の他に、果たしてどれほどの人間が、刀剣による戦いに耐え得る気構えを持っているのだろうか。
 不安だった、が、それを口にするわけにはいかなかった。
 指揮官が、己の使うものたちの技量を信じてやらなければ、かれらもまた、自身の力を信じることはできないからだ。歳三の不安がかれらに知れれば、それを払拭しようとしてがむしゃらな突進に繋がるか、あるいは伝播した不安に立ちすくむか――いずれにしても、良い結果につながるとは思えなかった。
 ともかくも、頼みの綱は旧来の新撰組隊士である野村と相馬、と云うことになる――この二人に頼むこと自体が、そもそもかなりの不安の種ではあったのだが。
 野村は、陸軍隊の春日とのことを引き合いに出すまでもなく、猪突猛進に傾きがちな男だった。目の前のことに夢中になるあまり、周囲が見えなくなる、と云うのだろうか。一拍置いて考えると云うことが苦手なようで、それが、この男の引き起こす様々な騒動のもとになっていた。
 対する相馬はと云えば、生真面目なのは長所であっただろうが、それが嵩じて、ややもすると己の足を縛ることになりがちである、と云っても良かっただろう。己の過誤に長く引きずられがちで、そこから浮上してくるのにまた長い時間を要するのだ。
 この二人は、ともにいる時間が長いようであったが――お互いの長所短所を考えると、ともにあることが、双方の欠点を補うかたちになっているのかも知れなかった。
 ――そう云う意味では、この二人が揃って回天乗組だったのは、良かった、と云っても良いのかも知れねェなァ……
 鬱々となりがちな相馬の気分をやや軽佻な野村が引っ張り上げ、盲進しがちな野村を生真面目な相馬が引き止める――それは、このようなふたりの関係としては、あるいは最良のものではなかったか。
 ――こいつらが、この調子で、他の連中のことも引っ張ってくれりゃあいいんだが……
 とは思うものの、そこまでの牽引力は期待できそうになかったのだが。
 せいぜいが、野村の勢いに巻きこまれてくれる連中が幾人かいるだろう、そのことに期待するだけのこと。しかも、野村もさほど腕が立つわけでもないときているのだ――もちろん、それでも他隊のものたちに較べれば、数段ましではあったのだが。
 ――どうにもこうにも、心許ねェなァ……
 溜息をつく。
 だが、結局のところ、選択の余地などありはしなかった。今、この回天に乗り組むものたちで、何とか甲鉄艦を奪取せねば――箱館府に未来はなくなってしまうのだ。
 仕方がない。
 歳三は溜息をついて、暮れゆく空を仰ぎ見た。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
今度こそ宮古湾、に入れなかったわ……(泣)


ううう、書きはじめてはみたものの、やっぱここらへん、すっごい書き辛い……
あんま楽しいとこじゃないからな、二股口とかは超↑楽しく書けると思うんだけどな。
アレだ、先生の話の“馬”並に書き辛いですよ……は、はやく終わらせて、二股口に出撃したいなァ……
あ、その前に鉄ちゃん追い出し大会があるんだっけか。まァ、あれの方がここら辺よりはなァ……


あ、そうそう、今月末で『夏草之賦』『黒猫』通販終了します。
もしもまだご希望の方がございましたら、“通販、する?”をご覧の上、当方までメール下さいませ。


そう云えば、今号の『一個人』新選組特集ですね!
まァまァ内容は良いんじゃないかと思うんですが……
しかし、いっつも思うんですけど、箱館新撰組関連のアレコレ読むと、皆さん、森(常吉=彌一左衛門)さんのことをするっとスルーなんですけど、何でなの? 確かに最後の隊長は相馬だけど、相馬の前は鬼じゃなくて森さんなんだぜ!
正直、鬼だったら、相馬みたいなメンタルの弱い奴に隊任せたりはしないと思うわ……だって、ホントにメンタル弱いんだもん。強けりゃ切腹なんかしないだろうからね。
っつーか、相馬のことはどうでもいいんだけど、森さん……皆、ちゃんと認識してあげて下さいよ……(泣)


でもって、はっきりきっぱり『大奥』(よ.し.な.が.ふ.み)のお蔭で、徳川吉宗を調べてみたくなってきた――いや、1巻読んだ時から、あの上様がどうも他人とは思えずにいたので。
何か歴代将軍のエピソードは、史実のネタをそのまま使ってることが多いそうなので、えーと、もしかして? 的なカンジなのでございます。
でも、小説いろいろ出てるけど、そっち読む気にはならないので、まァまァ、ゆるゆるいろいろ読んでみますさァ。
聖徳太子もちょみっと小波が来てるのかな? ってカンジなので、引き続き。
聖武天皇もいろいろ探してるのですが――もう、「続日本紀」とか読むしかないのかしら。しかし、ノイローゼはねェだろ、っつーか、あの東国行幸が佐殿の奥州征伐と同じパターンであることに、生ぬるく(笑)。
聖武天皇の話とか孝謙天皇の話、井上内親王の話とかは、いつか書けたらいいなァ――対抗馬いなさそうだしね(笑)。


さてさて、この項終了。
次は、源平か、ルネサンスか――迷うわ……