半色 四

※若干の男×男的表現がございます(ぬるいので畳みませんが)。閲覧の際は、自己責任でお願い致します。



 重盛と成親は、そ知らぬ顔で数日を過ごした。
 件の小冠者は――実は、既に上西門院の蔵人となっていたのだが――、小耳にはさんだところでは、あれから病に伏しており、院に参じてはいないと云うことであった。
「……少々過ぎましたかの」
 成親は、扇の蔭からそっと囁きかけてきたが――重盛は、それに頷こうとは思わなかった。
 かの小冠者は、武辺のものであると同時に、紛れもなく公家の端に連なるものでもある。武家はいくさ場で生命のやりとりをするものであり、公家は宮中にてまつりごとの駆け引きをなすものである。
 小冠者の母は、熱田大宮司藤原季範の女であり、自身も上西門院に仕える女房であったと聞いていた――ならば、宮中に身を置くと云うがいかなることであるものか、そこでの“戦い”とはいかなるものであるか、よくよく弁えてもいるはずだ。
 そのような女性の子であるかの小冠者が、このたびの事態を予期できずにいたと云うならば、それは、小冠者が愚かであると云うことに他ならず、ひいては、それを教えこんでいなかった母親が迂闊であったと云うことに他ならぬ。
「――あのこと故、とは、限りますまいよ……」
 扇を寄せて囁き返しながら、重盛は、ほの昏い愉悦に唇を歪ませていた。
 かの小冠者は、すっかり“壊れて”しまったに違いない。間違いなく、自分たちの所業故に。引き裂かれ、喰らわれ、犯し尽くされて――寝ついたと云うは、あるいは心を病んだと云うことなのやも知れぬ。
 ――憐れなことよ。
 憫笑がこぼれ落ちる。
 あわれ、あわれ小冠者――
 だが、小冠者の憐れを思いながら、真の憐憫の情などは、重盛の胸中にはわずかも浮かびもしなかったのであるが。
 ――私の往く手を妨げんとした故に、これしきは当然の報いよ。
 地歩を持たぬ武辺のものが、この宮中において、他を抑えて位階を極めようと望むのだ。そのためには、どのような手段をも辞してはならぬ。
 かつて、重盛の“祖父”忠盛が、西海を騒がせた海賊を退治に出た折には、捕えた賊がわずかでしかなかったために、地侍などを駆り集め、数を水増しして、凱旋したのだと聞いていた――そう、それをしてようやっと、院の近臣の座を手に入れ得たのだと。
 “祖父”の、また父の、そのような努力のすえに、今の重盛の地歩があるのだ。今の一の院の近臣と云う、権力の足場が。
 それを、ぽっと出てきた源氏の小冠者ごときに、あやうくされてなるものか。
 不安な面持ちであるものの、成親としても、思いは同じであっただろう。摂関家の一員たるものが、源氏の裔などに――そのようなことを、その身の誇りが許そうはずがない。
「……ともあれ、残るは水無瀬参議殿、と云うわけでございまするな」
 残る“敵”は。
「さようでございますな」
 と、言葉をかわし頷き合ったののは、しかし、いささか気が早かったようだ。
 病臥していたと聞いたかの小冠者は、半月ほどで本復したと見え、公務にも戻ってきたようだった。
 そればかりではない。
「――は、今、何と仰せに?」
 院の御座所に侍った重盛は、御簾の内よりの言葉に、礼を失することも忘れて問い返していた。
「左馬頭の、かの小冠者を、我が寝屋に呼ばんと思うてな」
 ふふ、と笑みをこぼして、院はそのように云われた。
「左馬頭には、よう申し含め置いた故にな。……ふふ、かのかわゆい子が、ようやっと我がものになると思えば……」
 院は、上機嫌でそのように云われる。
 だが。
 ――冗談ではない
 と重盛は考えた。
 院の寝屋に小冠者が侍る、それでは、何のためのあの凶行であったのか――折角、かの小冠者をいためつけて、自分たちの前に立てぬようにしてやったと云うに、院御自らのお召しとあれば、そのあれこれもすべてが水泡に帰すことになる。
 院のお召しを拒むことなどあり得まい――否、拒むことなどかなわぬと云うべきか。
 実際、小冠者の枕頭に侍るを苦々しく思う重盛自身、
「――それは良うございました」
 と応えることしかできぬのだから。
 だが、従順に応える重盛の、その態度の底にひそむ不満に、院は目ざとくも気づかれたようだ。
「嫉いておるのか」
 御簾の向こうで扇が広げられ、含み笑いのごときその御声が耳朶を打つ。
「は、いえ、決してそのような……」
 語尾を濁すのに、
「隠さずとも良い。――愛いのう」
 扇がはらりと翻される。
「したが――我は、かの小冠者を欲するのよ。無論、そなたらを手離そうはずもないがの。……我を、強欲と思うか」
「――決して、そのようなことは」
 むしろ、それでこその院であると思う。
 帝王に相応しい、傲岸と欲。
 このひとを“帝の器に非ず”と評されたと云う、亡き鳥羽の院は、一体何を持ってそのように断じられたのかと、不思議にすら思う。
 確かに、この院は、公卿のような威厳も品格も、あまり持ちあわせてはおられぬやも知れぬ。かつての村上帝や一条帝のごとき“名君”とは云い難い、そのようなところは確かにあられる。白拍子や傀儡などとまじわり、好んで今様を謡い上げる、そのような御方を、公卿の目から見て“帝の器”と云うことができぬのは、当然と云えば当然のことであったので。
 だがしかし、そうであってもなお重盛は、院こそが“帝王”であると、そのように感じていた。
 今様狂いで知られる院ではあったが、その“狂い”は、まさにただならぬものがあったからである。一体どれほどのものが、幾度も喉を潰してなお、謡を止めずにおれるものか。そのあたりの謡い手など及ばぬほどに、謡を極めることができるものか。
 そして、それだけ一事を極めることのできるこの院が、ただびとであろうはずなどなかったのだ。
 この方は誰よりも“帝王”であった――これまでの誰よりも世情に通じ、また下々の心を掴むに長けた“帝王”であったのだ。
 逆らうことなどできぬ、そのようなことなど、考えることすらできぬ。
「――思いもよらぬこと、心外な仰せにございます」
「……まぁ良いわ」
 含み笑いの気配が、御簾の向こうであり、重盛は一層低く身を伏せた。
「ともあれ、そのように致す故に、そなたらも含みおくようにの。……いたいけな小冠者を甚振ってはならぬぞ」
「無論のことにございまする」
 胸の裡には嵐が渦巻いていたが――院の御前にて、その寵を得たものに手を出すなどと云うことが、できようはずはないのだ。
「ふふ……」
 ぱちり、と扇が院の御手のうちにて鳴った。
「守仁に譲位致して、ほんに我も身軽になった――今様を極むるも、かわゆい子を愛でるも、思うがままよ。帝位を退き院となるは、我が久しき望みであった……」
 重盛は――そしてもちろん成親も――低く低く身を伏せた。
 嫉妬の念がないとは云えぬ、だが、それでも院の意に沿わぬことなどできはしなかった。恐らくは、成親とても同じことであったろう。頭を低く垂れ、無言のままに院の意を容れることを表している。
 重盛たちが承服したことに気を良くされたものか、それからほどなくして、かの小冠者は院の寝屋に召されることになった。
 無論、そのような仕儀であるとは云え、院ただ御独りあるのみで寝屋に招じ入れようはずもなく。
 重盛や成親などの他、内蔵人の宿直のものなども、御帳台の外に控えて並んでいる。身軽くなったとは云え、院はやはり雲上の貴人、地下人の作法とはすべてが異なっているのだ。
「左近将監・源三郎頼朝、まかり越しましてございます」
 稚い声がそう云って、廂のうちへと入ってきた。
「おお、おお、よう参ったの」
 衣をくつろげた院が、気色を滲ませながらそう云われた。
「ささ、入りやれ。こなたの来るを待ちわびておったわ」
「は、では……」
 云いながら几帳をくった小冠者は、次の瞬間、凍りついた。
 そのまなざしは、院の御傍に控える成親、そして重盛の上で止まっている。
「いかがした?」
 訝しげな院の御声――だが、小冠者は身じろぎもせずにいた。
 否――
 見開かれた双眸から、ぽたぽたと落ちるものがある。
 泣いている、と云うのとも異なる、顔色の失せた頬を、ただあふれる滴りが濡らすばかり。
「おお……いかがした、いかがした」
 慌てたように院は云われ、小冠者の近くにいざり寄った。
「恐ろしゅう思うたか? ……大事ない、大事ないぞよ」
 院の御袖が、小冠者をそっと包みこむ。
 だが、小冠者は、流れ落ちる滴りを拭うことすらせずに、凍りついている。
「泣かずとも良い、泣かずとも――ああ、泣くなと云うておるわけではないのだぞ」
 いささか慌てたように、院は云われ、小冠者の頭を抱き寄せられた。
「案ずるな、案ずるな――こなたが恐れるようなことなど、何もありはせぬのだぞ」
 細い背を撫でるように抱かれ、そうして初めて、小冠者の喉から嗚咽がこぼれ落ちた。
「おお、よしよし、怯えるでない、我がこうして守りおる故に」
 院の御手が、小冠者の背を撫で続ける、と、人肌のぬくみに気が緩んだものか、やがて細い首がことりと傾いだ。そのまま、身体もずるりと崩れ落ちる。
「……やれ、まだかわゆいことよ、眠ってしまいおったわ」
 呆れたような御言葉ながら、その御声音はひどく甘やかで。
 苛、とする重盛の心も知らぬげに、院は御手ずから、小冠者の身体を褥の上に横たえられた。
「……では、今宵は如何致しましょうや」
 成親が、言外に小冠者を退出させるや否やを問いかけるが、院は首を振られ、
「よい、よい。偶にはこのようなことも宜しかろう」
 などと云われながら、御自身もそこに臥してしまわれる。
 重盛たちは仕方なく、帳台の傍らで雑魚寝することになった。
 何とも云いがたい思いで臥しながら、
 ――院は、気づかれただろうか……
 重盛たちが、小冠者になした狼藉のことを?
 そればかりが、頭のうちをめぐるのだ。
 もしも気づかれていたとするならば――それはどのようなかたちをもって、重盛たちの上に返ってくることになるのだろうか。
 そのことを思い、重盛はまんじりともせずに、その夜を過ごした。
 が、翌朝も、その後も、院よりの譴責などは特にないままに過ぎ、さては杞憂であったかと胸をなで下ろしていたのだが。
 それが大なる間違いであったと気づかされたのは、さらにしばらくの日が経ってからであった。
遠江殿!」
 慌てた様子の成親が、重盛のもとへと駆けこんできたのである。
「いかがなされました、右中将様」
遠江殿はお聞きになられましたか、かの小冠者が……!」
「三郎冠者殿が、何か」
「驚かれますなよ」
 と云って、成親は大きく息をついた。
「何と、当今の、内蔵人になられるそうな……!」
「――何と……!」
 大概のことには動じぬつもりの重盛も、これには流石に驚愕せざるを得なかった。
 当今の内蔵人、とは、かの小冠者にまったく似つかわしくない職ではないか。
 それは、清涼殿や仁寿殿など、帝の御座所に侍り、その御用を何くれとなく承る、まさしく帝に近侍する職なのである。今までの、院の御姉君にしてかつての准母・皇后宮たる上西門院の蔵人とは、まったく格が違うのだ。
 院殿上でしかない重盛には、これでそうそう小冠者に手を出すことはできなくなった――そう思ったところで、はっと気づく。
 この人事は、院の御差配によるものに違いない。重盛たちとかの小冠者との間に、何がしかの軋轢があると気づかれた院が、双方を容易に引き合わせまいと思されて、このような差配をなされたに違いない。
 ――御存知であられたのか……
 重盛は、呆然と胸の裡で呟いた。
 院は、重盛たちの所業を知った上で、なお譴責されることもなく、ただ小冠者をかれらから遠ざけるよう手筈を整えられたのか――だが、一体何故?
 疑問に思えども、院を問いただすことなどできるはずもなく。
 重盛は、胸の裡であれこれと思いを廻らせるばかりであった。
 が、その疑問の答えは、他ならぬ院御自身の御口から耳にすることになったのだが。
「稚い子が憐れに思えてならのうて、な」
 院は、宿直で侍った寝屋の内で、ふふと含み笑われた。
「そなたらも、かのものが身近におらぬ方が、心穏やかにあれるであろ? 我は、慈悲の心がないわけではない故にな」
 それだけのことで、重盛たちの所業を赦す、と、そう云われるのか。
「申したであろう、我は、そなたたちを手離す気などないと」
 院が、目の端でちらりと笑みを浮かべられる。
「かの小冠者はいかにも稚い故に、育つまで今しばらく待つと云う愉しみもあるが――そなたらは、今すぐに我の役に立つ臣である故に。どちらを手許に残すべきかなど、自明の理。……さようであろ?」
 そのように云われ、院の御手が、重盛を褥の上に組み伏せる。
 確かに、即座に院の御力になり得るのは重盛たちであろう。
 だが、小冠者の父、左馬頭・義朝は、一代にて東国の荒武者どもの棟梁となった男である。その擁する兵馬の数は、機内近隣のみを統べるばかりの父・清盛のそれよりも、格段に多いものだろう。
 平家は以前に較べ、宮中での地位も高くなった。だが、いざ戦となった時、動かし得る兵馬の数となると――ひどく心許ない、と云うのが正直なところではなかったか。
 そのような中で、院が重盛ばかりでなく、かの小冠者をも寵愛する、と云うことは――
 ――院は、平氏と源氏を秤にかけるおつもりなのか……
 だが、そのような思惟は、院の御手によって蕩かされてしまう。
 巧みな御指先が、そこここの弱いところを攻めたてられる。
「さようで――ございまするな……」
 肌の上をすべる御掌に、あ、と云う声を、噛み切れずにこぼし。
 重盛はそのまま、快楽の淵に沈められていった。



 小冠者が当今の内蔵人となって、院の御傍から離れてゆき、重盛たちもまた、一息つくようなかたちになったと云って良かっただろう。
 院は相変わらず、参議・信頼に寵愛を注ぎ、その引き立てもあってか、左馬頭・義朝が院の間近に侍る様もよく見かけはしたのだが――
 しかし、概ね内裏は穏やかであった。すくなくとも、重盛の目にはそのように見えた。
 信西入道は、その子弟を次々に要職につけ、それ故に一部の公家たちからの反発を受けてもいたのだが、それでも、かれの方策は大方の支持を受けており、その地歩は揺らぐことなどないように見えた。
 だがそれは、重盛たち平家のものが、政の機微に疎いが故の思い違いに過ぎなかったのだ。
 否、重盛のみならず、父・清盛もまた、気づくことができなかったのだ――この時、宮中がいかなる嵐の気配を孕んでいたのかに。
 それ故に、父はこの大事な時に、わずかばかりの供のもの――基盛、宗盛のふたりの弟と、郎党十五名ばかり――を連れたのみで、熊野参詣の途に出ていってしまったのだろう。
 だが、かのものどもは、まさしくこの機会をこそ伺っていたのだ。
 父が発ってしばらく経った、十二月九日――
 信西入道とその一族を、参議・信頼率いる一団が襲撃したのだ。後に云う“平治の乱”のはじまりであった。


† † † † †


鎌倉(っつーか源平)話、続き。
今回は、まァまァ生ぬるいアレコレで。


しかし、これを書いてる最中に、沖田番から「打城丸」キャストに訂正が入りまして。
えーと、後白河は、高橋克実じゃなくて伊武雅刀の方が近いそうな。――でも、雰囲気的には高橋克実で間違ってないよな?
と云うことなので、今回登場の後白河院は、顔=伊武雅刀、雰囲気=高橋克実、と云うことで宜しくお願い致します。
伊武さんがちっさい佐殿をよしよししてるとやや犯罪チック(失礼)ですが、高橋克実なら若干微笑ましいような気が……って、気のせいかしら(汗)。


でもって、これから先のこの話は、いよいよ平治の乱に突入していきます。
結構この辺、政治状況が見えてないのですが、まァ佐殿が小さかったからだよな、っつーか十二であの難しい派閥構成がわかったら、それはそれで気持ち悪いかも、って気がしないでも。
まァまァ、最近の学説に寄りかかって、適当に書き上げたいとは思いますが――重盛はイマイチカッコよく書けないかも……だって、そんなカンジじゃん。
義平兄は頑張ってカッコよく書きたいです、が、朝長兄は多分あんまり書かない、っつーか全然出番なさそげなカンジで。


ところで、先日の「歴史秘話ヒストリア」ご覧になりまして?
九郎たんが! っつーか“義経 in the dark”って! うはははは!! 沖田番と笑い転げてましたよ。
しかし、九郎たんのあれやこれやを取り上げてましたが、例の23人の妻の話はするっとスルーでしたね――流石にあれは、女子の九郎たんスキーさんが恐ろしかったのかしら……ふふふ。
沖田番が「逃げ続けてれば死ななかったのかなァ」と云っておりましたが、まァ無理だろう、逃亡生活って疲れるよ?
とりあえず、佐殿批判がなかったので、個人的には胸をなで下ろしましたが。


えー、御堂関白殿→聖武天皇聖徳太子徳川吉宗、と続いてきた変遷ですが、ただ今何と観阿弥清次に突入中。これで、伊達の殿と鬼の間、と、佐殿と先生の間、が埋まってきたかも?
しかし、世阿弥関連の本は結構あるけど、観阿弥関連はあんまりない……
とりあえず梅原猛の「うつぼ舟」読んでますが。……うん、この人アレだ、すごく魅力的な説をぶち上げるけど、やや基盤が危ういようなカンジがしないでも。まァ、観阿弥は普通に面白いけどね、伊賀論争とかね。
他にもいろいろ読んで、昔考えた遊行芸能民の話(オリジナル)に生かしたいなァ……欲望だけはでっかいんだけどねェ……(苦笑)


この項、終了。
次は多分ルネサンス〜。