真言双山行 3

ってわけで、高野山とか東寺とか、最終日。
お暇と興味がおありの方は、下からどうぞ〜。


最終日の朝も6:00起床。
6:20になると梵鐘(?)が鳴らされ、お勤めのはじまりが知らされます。
が、清浄心院は、朝のお勤めは完全自主性なので、お迎えとか声かけとかはございません。
ばたばた走って、6:30の開始の鐘ちょっと後に滑りこみますが、まず先客がひとりしかいない――しかも外国の男性。三人でこそこそ入りこみますが、お坊さんたちは我々とは関わりなく普通に読経してる――ああ、ここの読み方も、何かちょっとまた違うカンジだなァ。
床にホットカーペットが敷いてあって、そう云う意味では恵光院より温かいんだけど――何だろう、このちょっとひんやりした感じ……何か、淋しい、みたいな?
お勤めに出てるお坊さんは3人だったのですが、うち一人は輪袈裟(確か)をかけた年配の方で、お務め後に他の(普通の袈裟をかけた)二人から挨拶されてたってことは、そのお坊さんは助っ人だったんですね……
結局、お勤めが終わるまでに、他に3人ほど参加してましたが、日本人は我々だけ……日本人他にも泊ってたろ!
何かいろいろ切なかった……


お勤めの後、そのまま昨日と同じ部屋に案内されて、ご飯です。やっぱり美味しいし、朝から手がこんでる! いや、シンプルはシンプルなんだけど……
しかし本当に、何かこう、ここのいろいろが早く片づけばいいのに、とは思われてなりませんでした。
高野山の(今は亡き)お坊さんたちは、「本人の心の持ちようです」って云うかもしれないけど、こっちが切ないんだ! いるひとは頑張ってるし、それが見えるだけに、切ないんだよ……おばあちゃん泣ける……思い入れが過ぎるのかもしれないけど、でもでも、そういうのに心動かされない人間にはなりたくない!
まァ私はずっと“二度と女の腹から生まれてこない”人間にはなれませんわね。だって、生まれてこなきゃ世界は動かせないのだ。それがどんなに小さなことだったとしても、できることなら動かしたい。中々実行はできませんが。
でも、だから大乗仏教なのだな。悟らず何度でも苦界に現れる菩薩の方が、世界と一体になった如来より好き。あ、明王も好きだけどね、不動明王以外がね! (あんまお不動さん好きじゃないのです……普通すぎるからか? 見た目が)
過剰なアレコレで申し訳ないが、清浄心院の方たちが、次に泊ったときにもっと幸せそうでいてほしいなァと思います。って云うか、その背くらい押してくれたっていいじゃん、(今は亡き)お坊さんたちのケチ! 菩薩になるんじゃないのかよ!


朝食後、荷物をまとめてさくっとチェックアウト。
今日は、これから京都に行って、最後に東寺にいって〆たかったので。真言宗三昧ですよ。
10:00ちょい過ぎのケーブルカーで極楽橋まで下り、そこからは(こうやのちょうどいいのがなかったので)急行で新今宮まで戻ります。
新今宮から大阪に移動、そこからは京都線で。13:00ごろには京都に着きました。
新幹線口に近いところでロッカーに荷物を突っこみ(たまたま大きいのが一個空いてた)、駅中でランチをしてから、東寺まで歩きます。
実は、過去幾度も京都に来ているにもかかわらず、東寺は今回が初めて。2回の修学旅行でも、その後の普通の旅行でも、東山とか嵐山とかはよく行きましたが、駅の南っ方は全然だったもんなァ――南で行ったのって、東福寺とか伏見とか淀とか宇治とかだし。
地図はないのですが、フィーリングで歩いて、無事に東寺の門に辿りつきます――おお、14:00だ。


えーと、ただ今東寺は、秋の宝物館公開時期で、いろいろ見れるはず! 「空海(中略)展」行ったけど、他にも宝物はあるはずだ!
受付に行くと、共通拝観券(東寺、宝物館、観智院)をGet。しかし、拝観時間――東寺は〜17:00だが、他の二ヶ所は〜16:00らしい。
なら、まずは観智院から! 山南役の生まれ年の本尊が虚空蔵菩薩なのですが、観智院には五大虚空蔵菩薩があると云うことなので。東博にも、うち二体が来てましたね。
外の阿闍梨像にかるくお参りし、中に入ると、まずは鷲の障壁画の前で案内の人に捕まります(←そうとしか云いようがない)。この鷲の絵、宮本武蔵が描いたのだそうで――いろいろと蘊蓄を傾けて下さる。が、正直あんま武蔵興味ないんだよな……絵的にも、人物的にも。まァ、絵そのものは、確かに気迫のこもったものだったと思いますが。(っつーか自分、基本的に障壁画あんま好きじゃないのかも。金剛峯寺のもそんなにだったし、前の二条城のも凄かったけども、ねェ)
有名らしい庭の説明も受けたら、いよいよ五大虚空蔵菩薩


しかし――
何と“五大”虚空蔵菩薩は、三体しかなかったのでした。何ィ!!
「東京に行ってて、まだ帰ってきてないんですよ」とはガイドさんの言葉ですが、そんなかかるんか、発送! (かかるか、普通の荷物と違って、梱包も、保険とかも半端ないだろうし……それ用の特殊なトラック使うしね) 終わったの先月じゃん、って、まだ十日くらいしか経ってないか……
山南役はがっかりだが、まァいいじゃん、他の2体は東博で見たじゃん、と云いつつお参り。
何か、京都では、七五三よりも十三参りと云うのが重要視され、その時にお参りするのが虚空蔵菩薩なのだそうですが(そう云えば、司馬遼も、あとがきかなんかでそんなこと書いてたような)――あんまり関東ではなじみがない気がする(関東は、観音様とお不動さんが多いように思います――気のせいか?)仏様ですが、ちょっと身近になったかな?
ところで、この五大虚空蔵菩薩を唐から請来したのが、入唐八家のひとり・恵運と云うお坊さんなのですが――この恵運、高野山の怪しげな(電波)情報によると、前に謎だった夜の闇の彼方の“ちしょう”(“智照”と書くらしい)の本当の名前らしい――確かに、ちぃ=智泉の亡くなる前年に実慧に弟子入りしてるし、唐の話もしてるっぽいからアレなんだけど……そんな偉かったの、ぽやぽやしてるのに! 天台の“母”(こっちは下っ端大師の弟子で“増命”と云う名前)に、子どものように構われてるのに!
とりあえず、もうちょっと虚空蔵菩薩が身近になった、かも。


虚空蔵菩薩の隣りの愛染明王にお参りして、ガイドさんの説明は終了。
とりあえず、もう一度虚空蔵菩薩にお参りし(脳内補完して“五大”にする)、愛染明王のおみくじ(縁結びだったが気にしなーい)を引く。袋入りでかわいいのですよ。クリアケースの中にそれがいっぱい入っているので、外から見えるのです。私のはアレしかない、と思った袋をとる。山南役は柄をひたすら選んで、しばらくかかってた……
その山南役、一文字“愛”ってでかでかと書いてある――それ、こないだの腕守りと同じメッセージじゃね? “人を大事にしなさい!”って、どんだけ云われてんの!!! 私は“努力すれば叶えられます”的な――高野山奥の院で引いたのと同じ、って云うか、いっつもこれですね。努力かァ……女子力方面はともかく、してないかしら。いや、いわゆる“努力”はできないんだけど。好きなことならいくらでもできるが、そうでないとね……
ともかく、お茶室(二つある)とか書院とかをまわって、次は宝物館です。


えーと、意外にコンパクトでした、宝物館。流石にたくさんの僧房から宝物を預かってる高野山の霊宝館とは規模が違うか……とりあえず、巨大な観音菩薩足利義政の花押をガン見しました。結構古文書が多かった――まァ、古いお寺だもんね。
で、大師堂に行って、お参り。上に上がっては見ましたが、阿闍梨像は見れませんでした――何かこう、阿闍梨像には縁がない旅行だ、今回。萬日大師は見れたけどさ。
同じエリア内の大日堂には普通に外からお参りして、いよいよ講堂&金堂へ!


えーと、受付に近いので講堂から攻めたわけですが。
……やっぱり戻って来てませんでしたよ、あの辺とかこの辺とか。
でもまァ、お蔭で普通は見れない奥のひと(“ひと”……?)も良く見えましたが。軍荼利とか金剛夜叉とか見えましたが、やっぱ降三世と大威徳の方が好き。不動はどうでもいい(←……)。
四天王と梵帝両天は好きだな。菩薩も、ここのはちょっとどうでも……いやいやいや。
いろいろガン見して、金堂に移動。
こっちは薬師三尊――えーと、若干大味? とか思ったら、こっちは桃山時代の作だそうで……台座の十二神将とかは確かに細かいんだけど、何かこう……平安中期くらいまでの仏像が好きだなー(←我儘)。
講堂の中にはあんまり人が溜まってなかったんですけど、こっちには壁際のベンチに腰掛けた人が何人もいました。何だろう、この差。立体曼陀羅は圧迫感あり過ぎ? ベンチがないから? よくわからん。
ざっとお参りして、外へ。


五重塔あたりで、またしても写真大会。
YASHICA、またしても大活躍。って云うか、赤外線ライトつけて太陽を撮ると、不思議な光の模様が写って面白いですね。ちょっと曼荼羅を思い出します。
五重塔を掴むような写真撮ったりとか、モノクロ調の写真撮ったりとか、遊びまくり。金堂や講堂の甍の端から光がこぼれる様を撮ったり、充分堪能。
でもって、最後に山南役の御朱印帖――食堂で戴けると云うことなので移動します。
が、東寺は御朱印が七種類(あれ? それとも九種類だっけ?)もあって、悩む山南役。最終的に、阿闍梨と虚空蔵かなんかにしてたはず。


で、外に出るともう17:00ですよ。
門(来る時にくぐった慶賀門)は閉まってるので、駐車場の出口から出ます。
後は帰るだけ〜。
途中のイオンで山南役が晩飯を物色するも、イマイチそそらぬようで、瓶詰め雲丹を購入の沖田番を待って、駅に移動。
駅のスーパー的なところで、山南役はお弁当を、私は土産のちりめん山椒をそれぞれGet。私どものお弁当は、駅弁買うよ。それが楽しみなんだ、旅の醍醐味だ!
でもって、18:15くらいののぞみで帰宅。うちには22:00ごろに着きました。
とりあえず、やはり遠距離の旅は、沖田番と二人が楽だ――頻繁に旅行してる分、お互いのタイミングも掴みやすいし、歩くのも苦にならない同士だし。
次の冬の京都(予定)は、そう云う方向で!


† † † † †


で、帰って来てから中村元の『古代インド』(講談社学術文庫)を読んだのですが――
何か、アヌラダプラのアバヤギリ・ヴィハーラ=無畏山寺に、金剛智と不空三蔵がいたことがあったと書いてありました。シンハラと真言密教にそんな繋がりがあったとは! 縁は異なものと云いますが、異なものすぎるよ!
そもそも、古代シンハラ王国のあれこれが載ってたらなー、と云う程度で読み始めたのですが、流石原始仏教の権威だった中村元、それ以外の部分も面白く読めました。
しかし、上座部――やっぱ大地主なんじゃん。全然民衆に密着してねェ上座部。そう云や、タイとかの南方仏教のお坊さんは托鉢するけど、スリランカのはしないそうですね。そりゃ上から目線にもなるわな上座部
夜の闇の彼方で、徳一さんや良弁さん、勤操さんとかが上座部毛嫌いしてた(般若心経の講義の時に、ことあるごとに“上座部の云うような実体などなく”って云うし)のは、そう云うあたりを聞いてたからでもあるんだろうか。


そう云えば、例のタイムラインが拡張されました。
アショカ王とアッシュールバニパル王です。アショカ王は、同時期のプトレマイオス一世(アレクサンドロス大王の部下の)と一瞬迷ったんですが、プトレマイオスのあまりの世渡り上手っぷりに、これは違うだろうということになって、アショカ王に。仏僧に対する布施のし過ぎで幽閉、ってどんなか。仏教好き過ぎると思います。
アッシュールバニパル王は、はじめにヒントがあったので――前7cのメソポタミア近辺って、もう他にいないだろう。
ってわけで、タイムラインは鬼→(仏革命関係者?)→暴れん坊将軍→伊達の殿→先生→十郎元雅→観阿弥→(時宗?)→佐殿→御堂関白殿→阿闍梨聖武天皇聖徳太子→カッサパ王→劉備ハドリアヌスアショカ王→アッシュールバニパル王、です。一番最初は誰だ!
そう云えば、白水社から出た『ハドリアヌス』(アントニーエヴァリット)面白かったです。一番生き生きとハドリアヌスが描けてる本じゃないでしょうか。塩野七生より全然面白かった。その分“駄目だこのひと”ってところも多かったけどね! 高いですが、興味のおありの方は是非!


さてさて、やっとこ旅行記終了。
次こそ、鬼の北海行で!