北辺の星辰 65
南軍の部隊が天狗岳を急襲したと云う知らせがあった時、歳三は、台場山で胸壁の点検をしているところだった。
むろん、既に遠く銃声の響くのは聞こえていたが、本格的な交戦に入ったと聞くのは、いよいよだと云う気分にさせられる。
「敵襲か!」
叫んで、大川を振り返る。かれはただ頷いて、伝習隊と衝鋒隊の隊士たちに、戦闘の準備をするように指示を出した。
兵士たちが、慌ただしく銃を引き寄せ、弾をこめる。かれらにとっては、久々の戦闘だ――そう、昨年末の松前攻略以来になるだろうか。そのためだろうか、緊張に指先を震わせ、手許を狂わせて弾ごめに失敗するものもある。
――何とか時間を稼いでくれればいいが……
天狗岳で押し戻してもらえればそれに越したことはないが、しかし、彼我の数の差を思えば、そんなことがあり得ないと云うことぐらいは承知していた。
案の定、天狗岳は陥落、前衛のものたちは、挟撃にあいながらも幾たりかが落ち延びて来、歳三の前で膝をついた。
「てっ……天狗岳の前哨隊っ……潰走致しました……!」
悔し涙を滲ませて報告してくる。
だが、全滅せず、本体に合流してきた、そのことを称賛してやるべきだろうと、歳三は考えた。
「うん、だが、よくやってくれた――お蔭で、本隊は奴らを迎え撃つ余裕ができた」
肩に手を置きそう云ってやると、涙で潤む両目を、擦れた袖口がぐいと拭った。
それににこりと笑いかけてやり、後ろの兵士たちを振り返る、
「よォし、次はこっちの番だ! 南軍の連中をぶっ潰してやろうぜ!」
「応!!」
銃を抱えた兵たちが、声とともに拳を振り上げる。その様に、歳三はかるい満足感をおぼえていた。
斥候兵が、街道の奥の方から合図をしてくる。どうやら、敵の隊列が近くまで進んできたようだ。
「銃の用意はいいな? 来るぞ……」
胸壁の間を歩いて回りながら、兵たちに声をかける。足許に落ちていた枝を拾い上げ、軍配の代わりに握りしめた。
と、斥候がまたしてもこちらを見た。潜んでいる岩の向こうの街道から、敵が姿を現したのか。
斥候の合図に、歳三は頷き、枝を振りかざした。
茂みの向こうに、黒光りする南軍兵の笠を認めた、次の瞬間。
「――撃てェっ!!」
枝を突き出すように振って、歳三は叫んだ。
途端に、雷鳴のような銃声が響き渡った。
隊列の頭を歩いていた兵たちが、倒れ伏すのが見えた。
――成功だ!
嬉しくなって、さらに枝を振り回す。
「やれーッ! 」
銃声が響く、と、相手方は足を止めて、射程から外れようとしたようだった。
隊列が止まっている。と云うことは、後方へこちらの存在を知らせ、反撃の準備をしていると云うことか。
「――来るぞ」
大川に云うと、頷きが返った。
「弾をこめ直せ。この後はもたもたしてる暇はなくなるぞ」
と云う先から、銃声が響いた。
いつの間にか、木々の間に南軍の兵が展開していたのだ。黒塗りの笠をかぶった兵士たちが、腹這うようにして銃を構えている。
次の瞬間、こちらの銃口も火を噴いた。
「怯むな! 撃て、撃て!!」
大川が、叫びながら胸壁の後ろを歩きまわる。
兵たちは、胸壁の陰から身を乗り出すように銃撃し、撃ち終わると身を沈める。後方へ下がって次の弾をこめる間に、もう一人が前に出て銃撃する――絶え間なく響く銃声に、耳がおかしくなりそうだった。
――胸壁は、何とか機能しているようだな。
流石に“三段撃ち”とはいかなかったが。
敵が左右に展開しづらい地形であるのが幸いした。川と山に挟まれた狭い街道沿いは、待ち伏せには格好の場所だ。しかも、敵の部隊も展開しづらい。
だが逆に云えば、ここを抜かれてしまえば、この先は遮るものもなく、敵の進軍を許すことになってしまう。絶対に抜かれるわけにはいかないのだ。
「撃て、撃て!!」
叫びながら、後ろを振り返る。銃弾はたっぷりと補給してあるはずだが、この戦いが終わるまでに、どれほどが消費されているのだろうか――あるいは、弾薬が尽きて、撤収を余儀なくされるのだろうか?
いや、こんなことを考えている暇はない。今は目の前の戦いに集中しなくては。
補充の弾を抱えて、若い兵士が胸壁の間を駆け抜ける。それを掴んで弾をこめ、撃ちこむとまた次の弾を。
むろん、こちらからの銃撃ばかりが勝っているわけではない。敵方からも銃声と銃弾が雨のように降りそそぐ――耳が、おかしくなるのではないかと思うほどだ。
と、
「――奉行!」
大島が、こちらを見て叫んだ。
「何だ!」
「銃身が熱くなって、触れんほどなのです!」
それは困った。
替えの銃などないし、そもそも、多少あったところで、すべての兵にいきわたるほどでなければ意味がない。
だが、銃に触れぬほど熱い、となれば、最悪、銃身が変形して、銃撃そのものに支障が出てくる事態ともなりかねない。
歳三はしばらく考えこみ、やがて
「――桶はあるか?」
そう問いかけると、胸壁の間を走り回っていた少年兵の一人が、向こうから幾つかの木桶を抱えて持ってきた。
「もう幾つか用意できますが――これで何を?」
問いかけてくる大島、そして近くにいた安富にも、桶を渡して川の方を指す。
「川の水を汲み上げて、銃身を冷やすんだ」
「しかし、熱したものを急に冷やして、罅が入ったりは致しませんか」
「刀を鍛える時には、焼いた鋼を水に入れるだろう。――それと同じたァ云えめェが、いきなり割れたりァしねェんじゃねェのか」
それに、たとえ銃身が痛んだとしても、兵が火傷をしてしまうよりはましだ――むろん、罅が入らない程度であれば、の話ではあるが。
そう云えば、ふたりは頷いて桶を持ち、少年兵たちにも声をかけて、川べりへと下りていった。
歳三も、それを手伝いたい気持ちではあったのだが――指揮官の姿が消えたりすれば、現場の士気にも関わる。動くに動けなかった。
やがて、水を満たした桶を抱えて、大島や安富たちが戻ってくる。
「よォし。……この桶を、胸壁ごとにおいてやれ」
ひと組にひとつ配してやるほどには、桶の数は多くはない。その上、この戦闘の最中だ、幾度も水を汲みに行かせることもできはすまい。ぬるくなった水で、どれほど銃身を冷やすことができるかはわからなかったが、それでも、何もしないよりはましであると思いたかった。
「……どうだ、いけそうか」
近くの胸壁の陰で、銃身を水にひたす兵に、声をかけてみる。
罅の入ったような音がしないか、そのような衝撃が手に伝わってはいないかと、じっと手許をみつめながら。
だが、心配したようなことは、兵の表情からは読み取れなかった。
「はい、いけます」
そう云った顔は、笑みを湛えてすらいて。
「……そうか」
歳三は、ほっと小さく吐息した。
これが、人も銃も少ないこちらの真の助けとなるかどうかはわからなかったが――それでも、すくなくとも、一時しのぎにくらいはなってくれるはずだ。
あとは、敵軍が何時あきらめて撤退してくれるか、それまでこちらの気力と弾薬がもつかどうか、それらのことにかかっている。
――もってくれよ、頼むから……
ここで自分たちが負ければ、他の戦況がどうであれ、箱館は戦火に包まれることになるのだ。そうなったら、確実にこちらは敗北することになる。敗北は避けられぬにせよ、まだ早い、まだ負けるわけにはいかない。
そのためにも、ここはひとつ勝っておかなくては。
木々の向こうに見え隠れする敵兵の姿を睨みながら、歳三は、指揮杖がわりの枝をうち振るった。
† † † † †
鬼の北海行、続き。
二股口開戦! が、あんまうまくないなァ……鬼、子供みたいですね……(汗)
って云うか、局地戦の指揮取るだけとか、苦手……斬りこみのシーンとか、銃撃戦でも前出てくシーンとか、あればいいのになー……
何か、フタマタグチの神さまが降りてこないので、『箱館戦争写真集』を見ていたのですが――私、前回地理把握がおかしい、か? まァ、ぐーぐるあーすとかで見てるので、旧道とかそういうのが、ね……まァまァ、適当に処理したい、っつーかさせて下さい。
とりあえず、書き出して何か降りてきた、ら良いなァ……
そう云えば、筑摩の学芸文庫から『土方歳三日誌』が出ましたね! 内容的には『新撰組日誌』と大差ないんじゃないかと思うのですが、ともかくサイズが良い! 文庫新書は場所とらなくて良い。もちろん買いましたとも。どうせなら、資料集とかも文庫にしてくれればいいのに。
この項、終了。結局、フタマタグチの神さまは降りて来なかった……(泣)
次は最澄の話!
っつーか、最近ぴくしぶの兎虎小説に睡眠(だけじゃない)時間を削られてる件……(汗)