神さまの左手 41

「おにいさん、おひま?」
 声をかけてきたのは、派手々々しい色合いの安っぽいドレスを身にまとった、見るからに娼婦とわかる女だった。
 レオナルドが、イル・モーロの晩餐会に呼ばれていってしまい、暇をもてあましたサライは、ミラノの街中へふらふらと出てきていたのだ。
 ミラノの街中は、既にサライにとっては庭のようなものだったが、その庭の中で、こういう種類の女に声をかけられたのは初めてのことだった。
「ひまだけど、何?」
「ひまなら、あたしといいことしない?」
 紅を厚く塗った唇が、何とも云い難い風に大きく歪められた。
 “いいこと”――その意味合いが、多分に性的なものであることは、そう云う場数を踏んでいないサライにも感じ取れた。
「あー……いいや、俺、好きなひといるしね」
 かるく手を振って、応える。
 好きな相手がいなければ、もしかしたらサライだって、こう云う女相手に溜まったものを吐き出していたのかもしれないが、生憎と云うか、そう云う事態には陥ってはいない。
 だが、女はそれを聞くなりけたけたと笑いだした。
「ばッかねぇ、好きな人がいるからこそ、あたしみたいなのと寝るんじゃない!」
「そりゃ一体どう云うこと?」
「あたしは場数を踏んでますからね、いろいろ知ってるってわけよ、手練手管をね」
 手練手管。
 それは確かに、サライに足りないもののひとつだった。
 サライのそちら方面の経験と云うのは、すべてレオナルドとのものであって、初めての時からかれこれ四年になるが、そう云えば、いつも同じようなあれやこれや、しかやっていないような気もする。
 ――レオが飽きたら厭だなぁ……
 もしもレオナルドが、サライと寝ることに飽きてしまったなら、そうしたら、かれはサライを捨ててしまったりはしないだろうか?
 ――そんなのは厭だ!
 サライはぶるりと身を震わせた。
 飽きっぽいレオナルドが、サライのことは長く気に入ってくれている――何しろ、興味を持っても、早い時は数カ月で気持ちを移してしまう人間なのだ――のは。十二分にわかっている。わかっているが、長く愛されているからと云って、それが永遠に続くわけではないことも、サライはよくわかっていた。
 永遠などない、と云うのは、それこそレオナルドがよく口にしている言葉だった――となれば、かれの愛が永遠に自分の上にある、などと云うのは、この場合、妄想以外の何ものでもない、ということになるだろう。
 永遠はない、だが、永遠に近づけようと努力することはできる。
 そうして、この場合、手練手管を会得することは、レオナルドとの関係を永遠に近づける、そのための手段になるのではないか。
 ――ま、変化があった方が楽しいよな、レオも、俺も。
 そう考えて、うんと自分に頷いてやる。
「……決めた?」
 女が、誘うように肩に触れてくる。
「ああ」
 決めた。
「……で、いくら?」
「早いわね!」
 女は、またけたけたと笑った。
 そうして告げられた金額に、サライはすこし眉を寄せる。
「安過ぎねぇ?」
「おまけしてあげるわよ、坊やじゃあ、そんなに持ってないんでしょうからね」
「……まぁ、確かにそうだけど」
 砂糖菓子だって買いたいし、いくら勉強になるとは云え、こんなことにそんなに金をつぎ込みたくないと云うのも本音だが。
 それにしたって安過ぎる。ただより高いものはないと、昔パヴィアで構ってくれた、年老いたこそ泥は云っていたではないか?
「疑り深い坊やちゃんねぇ!」
 女は、溜息まじりにそう云った。
「はっきり云うとね、あたしも、安く寝ようって値切ってくる、薄汚い男ばっかり相手にしてたくないってこと。坊やはすっごく綺麗だし、そんなにすれてもいない風だし。……まぁつまりあれよ、あたしだって偶には自分で選びたいなってこと!」
「あ、そうなんだ」
 なるほど、女の方にそう云う理由があるのなら、サライ的にも安いに越したことはないに決まっている。
「んじゃあ、商談成立ってことで」
「じゃ、ついて来なさいよ」
 女はサライの手を取って、細い路地裏の部屋へと連れこんだ。
 狭くて薄暗いその部屋で、サライは女と“寝た”。
 結論から云えば、あまり勉強にはならなかったようだ――女が、サライの手で溶けてしまったから。
「な……なに、坊や……なんで、こんなうまいの……」
 息を切らせて女が云う。
「え、巧いの?」
 ほとんどは、レオナルドがサライにしたようなことでしかなかったのだが――その中でも、サライが“気持ちがいい”と思ったことを、集中的にやったら、こんなことになったわけだ。
 流石に女の身体の詳しいところは知るはずもないが、しかし、表面の部分のことであれば、そうそう大きな違いがあるとも思えない。サライとしては、そのあたりを活用しただけだったのだ。
「――何かくやしいわね……」
 こんな坊やに、なんて、と女は唇を噛み、
「いいわ、これはさすがにできないでしょ」
 と云いながら、気だるげに身を起こし、サライ自身に愛撫を加えてくれた――なるほど、確かにこれは、自分ではできないことだ。しかも、レオナルドだってやってくれたことはない。
 これは今度やってみよう、と思いながら、サライは金を払い、小さな部屋を後にした。
 だが、レオナルドをよろこばせようと考えたその行動は、完全に裏目に出ることになったのだ。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
黒歴史暴露篇、サライのターン。


えーと、これ、冒頭に注意書き入れた方が良かったのかな?
今回はちょっと男女のアレコレの描写が入るかも。ぬるいとは思うんですけどね。キツめになるようなら、冒頭に注意書き入れます。そうする。


しかし、今回何か文体が違う様な気がする……まァ、毎度そんなこと云ってますが、多分ほとんど変わんないんだろうな。
ぶっちゃけちゃうと、今ぴくしぶで兎虎書いてるので(しかし亀の歩み)、多少それで文体にぶれが出てるんだと思う――幕末とか源平とか阿闍梨の話とかは、割と文がかっちりしてるので戻りやすいんですが、ルネサンスは、ここで書いてる中で一番現代ものに近い感覚で書いてるので、実際に現代もの書くと、そっちに引きずられがちになるんだろうな。
うぅむ、ちょっと過去のを読みかえしつつ、なおせるところはなおしたい、なァ――と思ったら、単に前回眠かっただけだった。まァ、やっぱ文体変わってなくはないんだけど、沖田番の書き方をちょっと入れてみたのでね。


そう云えば、来年bunkamura the museumに先生の素描的なものが来るそうですね。チケット高そうだけど、きっと行く。
しかし、ここ数年、先生のあれこれがよく来てますよねー。どうせだから、「ジネヴラ・ベンチの肖像」も来ないかなー。あの絵割と好き。元職場の先輩ハー様に似てるんだ、雰囲気とか。「白貂」は前に来てたしねー。「岩窟」とか「ヨハネ」でももちろんいいですが。
あと、アトランティコ手稿のファクシミリ版出して下さい、岩/波さん。あと、あれとレスター手稿で日本語訳はコンプじゃない? 出ないかなー。もちろん買えるわけがないので国会図書館ですよ! (利用登録したもん!)


この項、終了。
すみません、年末ぎりぎりだ……次は鬼の北海行にします。ホントは御堂関白殿の小噺にでもしようかと思ってたんですけどね……『権記』の現代語訳も出たことだし。
とりあえず、今年もありがとうございました。来年は、ぴくしぶにのまれないように気をつけつつ、とりあえず北辺の完結まで行きたい……! が、頑張ります、宜しくお願いします。
それでは皆様、良いお年を!