北辺の星辰 66

 日が暮れるあたりから、戦場には雨が降り出していた。
「参ったな……」
 雨が降れば、弾薬が湿気て、使い物にならなくなってしまう。敵方もそれは同様だろうが、何しろこちらは補給も薄い、あるものは無駄なく使いたい。そのためにも、弾薬を濡らしたくはなかったのだ。
 ――真冬でないってのは、こう云う時にはありがたくねェなァ……
 真冬であれば、空から降るのは雪のみであり、この極寒の地にあっては雪もそうそう融けることはなかったから、却って濡らさなくてすんだはずなのだが。
 見れば、兵士たちは上着を脱ぎ、弾薬の入った箱の上にかぶせている。黒い上着が小山を作る、それでどれほどの雨が防げるだろうか。
「油紙でもあればよかったんだがなァ」
 油紙なら、完全ではないかもしれないが水をはじいてくれる。上着の山を積み上げるよりも確実に、弾薬を雨から守ってくれただろうに。
 第一、春になったとは云え、蝦夷地はまだまだ肌寒い季節、しかも今は、これから冷えてくる夕刻なのだ。こんな時に、上着を脱いで雨に打たれたなら、いくら壮健な人間であっても、風邪をひいてしまいかねない。そうなれば、弾薬云々でなく戦力の低下に直結する。
 まったく、様々な意味でありがたくない雨だった。
「――暗くなってきましたね」
 安富が、陰鬱な調子で云う。
「ああ――参ったな、よもや同志撃ちはねェと思いたいが、夜になっちまうと、なァ……」
 手許の暗さを補うために明かりを灯すと、それが相手にとっての恰好の目印になってしまう。
 いや、そもそもこの雨の中、ランプなど満足に配れないし、がんどうなども数は揃っていないから、明かりを灯すこと自体が困難ではあるのだが。
「胸壁の蔭で明かりを灯せば良いのではありませんか」
 大島が云う。
 確かにそのとおりだが、戦地では蝋燭などはない、明かりをつけると云うことになれば、それは必然的に焚火、と云うことになる。
 そして、焚火となれば、胸壁の蔭で光を遮ることができる程度の灯で済むはずもなく。敵の大規模な攻撃を覚悟しなければならないのは明白だった。
「せめてあちらさんも、松明でも燃やしてくれりゃあ、あいこになるんだがなァ……」
 こう云う時、胸壁などに拠って戦うことの不利を感じる。行軍中であれば、たとえ松明を掲げていたとしても、移動することによって、すこしは標的になり難くなると思うのだが。
 幸いなことは、敵がとにかく細い道を行軍してくるので、こちらの布陣がわかったとしても、全面展開して襲ってはこれない、と云うことくらいだろうか。
 それに、この雨の中では、松明も役には立たないだろうから、もうここはがむしゃらに、撃って撃って撃ちまくる以外に戦法などありはしないのだ。
「撃てーっ!!」
 そして実際、大川はそのような作戦でいくつもりのようだった。
「撃て、撃て、撃てーっ!」
 胸壁の後ろを歩きまわりながら、抜き身の刀を振りかざして叫んでいる。その髪の先からは、ひっきりなしに雨の滴がしたたり落ちている。
 兵たちは、懐を押さえるようにしながら、銃を撃っている。
「……あれァ、何を押さえてるんだ?」
 不思議に思って問いかけると、
「あれは、雷管を肌であたためて乾かしているんです」
 との答えが返ってくる。
 そんなもんで乾くのか、と思わないでもなかったが、気休め程度だろうとしないよりはまし、と云うことなのか。
「……ああ、本当に、この雨ァ最悪だ」
 歳三は憂鬱に呟いて、髪から滴る雨を手で払った。
 銃声は、途切れることなく続いている。あちらとこちら、双方から。撃ち方を止めれば、そこで負ける。お互いにそうわかっているからこそのことなのだが――逆に云えば、止めざるを得なくなった時、つまりは弾薬が尽きた方が負けと云うことだ。
 あたりは一層暗くなってきた。雨雲で空が覆われて、当然のことながら空には月もない。灯りも点けられないから、一寸先は闇だ。
 こう云う状態で銃を撃つことを考えると、ぞくりとせずにはいられない。胸壁は、後ろ側は開いている、つまりは無防備だ。そして暗い中で銃撃をすると云うことは、目標も見えないままに、とにかくひたすらぶっ放すと云うことである。
 そんな時に、もしも銃口を向ける先がすこし下がってしまったら? 下手をしたら、銃弾は、味方の頭を直撃だ。そんな惨事は願い下げだが、残念ながら絶対にないとは云い切れない。
「――早く終わっちまえばいいのに」
 それも、向こうの銃弾が切れた状態で。そんな都合のいいことなどあるはずもないが。
 第一、それ以前に、この雨で弾薬がすべて駄目になってしまうと云う可能性もあるのだ。いや、いっそその方がいいのだろうか――すくなくとも、誤射で味方が死ぬと云う可能性だけはなくなるから。
 ここにいるのが、旧新撰組の面々であったなら、自分は雨で弾薬が駄目になった後で、夜闇にまぎれて斬りこみにやるのだが――ああ、だが、それはひとつの策ではあるかも知れない。密やかに、敵の背後に廻りこみ、台場山にばかり気をとられている敵を急襲してやれば、勝てそうな気はする、が――
 ――問題は、こいつらの中に、どの程度斬りこみをやる度胸のあるのがいるかってことだなァ。
 伝習隊と衝鋒隊では、斬りこみをやったことのあるものなどいるわけもなく、それ以前の問題として、そもそも剣の握り方も怪しいものも多いのだ。まあ、剣の握り方については、歳三も他人のことをどうこう云えた義理ではないが――しかしすくなくとも、自分は場数だけは踏んでいる、と歳三は考えた。
 ここで斬りこみのできそうな人間は、一体どれほどだろう――自分と安富はいいとして、大島はどうだ、あるいは大野右仲は? 考えてみても、いけそうな人間は片手にすこし余るほどでしかないように思われた。
 ――いよいよ駄目なら、やるしかねェか……
 何日も何日も交戦し続けるわけにはいかない、弾薬が尽きる前に、敵の行軍を止めなくてはならぬ。
 最終手段を頭の中で組み上げながら、歳三は前髪から滴る雨を、乱雑な手で払い上げた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
二股口はまだ続く……


ってわけで、あけましておめでとうございます。←松の内だし、まだセーフだよね?
6回目のお正月! オンで話書き出してからは、何と10周年なのですびっくりだ自分でも。このブログも丸5年を越えたわけですね。すごいすごいと自分で云っとく。
今年は大河も源平だし(でも清盛)、そっちも更新したいなァしかしぴくしぶが(略)ですが、頑張っていきたいです宜しくお願い致します。


ところで、一発目からアレなんですけども、去年買って放置してた『土方歳三日記 下』を読んでたら――何と、二股口開戦当初、鬼、現場にいなかったんじゃん! そりゃ何もわからねェわ、ははははは。
まァ、話的にはいた方がいい(いなくてはじまると、がっかりだもんな……いなかったんだけど)&もう書いちゃったからこのまま行くけどね! ……ははは。何だかもう。カミサマ降りてこないはずさ、書きようがねェ!!
とりあえず、今回から史実に合流したいと思いますよ。多分、二股口と市渡が二里程度の距離ってことは、徒歩で往復四時間くらいか……戦端が開かれてすぐに伝令は市渡に走ったはずだから、日暮れくらいには台場山についてたと思いたい……


しかし、ホントに今回滞った……すみませんぴくしぶのせいはでかいですね……(汗)
いや、やっぱ閲覧数カウントされるのがね! ぶくまとか評価とかつくしね! 反応がはっきり見えるのって大きいですやっぱ。
でもまァ、その分見失うものもあったりするので、初心を忘れずやっていきたいです、って、こんだけ滞らせてさ……
が、頑張ります……


ってわけで、この項終了。
次は最澄の話だ! 打ち込み頑張らんと!