めぐり逢いて 4

 敗走した新撰組からは、ますます隊士が脱走するようになった。
 勘定方として江戸に残っていた、鉄之助の兄・辰之助も、そのひとりであった。
「大垣へ帰ろう、鉄」
 兄は、鉄之助の目を見つめて、そう云った。
 甲州へ出向いていた、局長、副長が江戸に帰参した、その夜のことだった。
薩長軍は、錦の御旗を掲げて官軍と称し、いよいよ江戸へ入ってくる――このまま隊に残っては、逆賊の汚名を着るばかりだ。俺たちには、家名を再興させるというしごとがある――大垣へ帰って、もういちどはなからやり直そう、な?」
「――俺は、隊に残ります」
 鉄之助は、言葉に迷いながらも、きっぱりと云い切った。
「俺は、副長付の小姓なんですよ。そんな人間が、いきなり脱走なんて、できるわけがないでしょう。それに……」
 この心持を、兄に向かって何と云えばいいのだろう?
 自分は、副長や沖田とともにいなければならないのだと――それこそが、生まれる前から定められた、自分に与えられた使命なのだと、そのように感じるこの心を?
「それに、何だ鉄」
「……きっと、云ってもわかりませんよ」
 兄にはわかるまい、鉄之助が、どれほどの決意と覚悟とで、この新撰組に入ったのかを――今も心を苛む、罪の意識と、贖罪の誓いを。
「俺は、あの人たちと一緒に行かなきゃならないんです。――家名は、兄さんが再興してください。俺は、残ります」
「馬鹿なことを云うな!」
「馬鹿なことはどっちです。局中法度じゃ、脱走は切腹だ――だけど、兄さんが行くと云うんなら、俺は止めません、ただ、俺は残る」
 本当は、局中法度も何も、どうでもよかったのだ。
 ただ、副長のそばにいたかった。そして、沖田のそばに。
「……鉄!」
「行って下さい。きっと、副長はお怒りにはなられませんよ」
 あの人は、きっともう、“新撰組”が崩れていることを知っている。局中法度に、以前ほどのちからが残っていないことも、こうして抜けようとするものが多いことですら。
 知りながら止めようとしないのは、あるいは、新撰組を解体しようとしているからかも知れない――もはや、朝廷は薩長につき、幕府の大義は失われた。その上でなお幕府に殉じよとは、あの人には云えなかったのかも知れない。
 だが――副長は、おそらくこのまま幕府に、新撰組に殉じるみちを選ぶだろう。
 そのとき自分は、自分くらいは、あの人のそばにいなければ――沖田総司とともに。
 兄は――何か云おうとして、口を開きかけ、だが果たせずに、身を翻した。
 ひそやかな足音が、廊下を去ってゆく。やがてそれは、裏木戸を出て、江戸の夜闇に消えてゆくのだろう。
 鉄之助は、目を閉じて、その音が聞こえなくなっても、じっと耳を澄ましていた。



「――行かなかったのか」
 朝起きて、副長のもとへ行くと、呆然とした様子で、そう問われた。
 それではやはり、副長は、兄の脱走をわかっていたのだ。
 だが、鉄之助は、もはや驚きはしなかった。
「はい。俺はここが居場所だと心得てますから」
 にこっと笑って応えると、副長は、真剣な顔になって云った。
「わかっているのか、市村君。新撰組は――本当に、先がないんだぞ」
「わかっています。――入隊の時にも、副長はそうおっしゃって、俺を止めてくださいましたよね」
 ――君の熱意はわかったが……ここだけの話、新撰組に今さら入ったって、さきなんぞねぇ。君はまだまだ若いんだ、こんなところで散るわけにゃいかんだろう。
 懇々と諭してくれた副長に、それでも鉄之助は、入隊すると訴えたのだ。
 ――俺は絶対に入隊します!
 入隊させてくれるまでは梃子でも動かないと踏ん張る鉄之助に、副長が笑って云ったのが、
 ――君は、すこし沖田に似ている……それに免じて、採ってやろう。
 と云う言葉だったのだ。
「……あの時、副長は、俺を沖田さんに似ているっておっしゃいましたよね。でも、それで入れて戴いて何ですけども――俺のどこが、沖田さんに似ているんですか?」
 鉄之助は、沖田のような、人形じみてととのった顔ではない。どこから見ても子供っぽい、目ばかりが大きな、ただの少年であると云うのに。
 そう問うと、副長はわずかに苦笑した。
「……あの時、君はまっすぐに俺を見て、“絶対に入隊する”と云っただろう。――その顔が、昔の総司にそっくりでなぁ」
「沖田さんに?」
「あいつ、昔は結構きかん気が強くって、俺や近藤さんが遠出するのに、ガキのくせについてくるって聞かなかったのさ。ガキの時分の七つの差ってのはでかいもんだ――それなのにあいつときたら、意地でも一緒に来たかったらしい。足にまめができても、泣き言ひとつ云わずに歩いてやがったよ。……あの時の目が、君の目とそっくりでな」
「……それで、採ってくださったんですか」
「俺の感傷だよ。――だが……今度は、もう後戻りできねぇぞ。それでいいのか?」
「はい」
 そのために、ここに残ったのだ――副長と、命運をともにするために。沖田とともに、この人を守るために。
「家は――兄が守ってくれるでしょう。俺は、どこまでも副長にお供します」
「――そうか」
 鉄之助の言葉に、副長はもはや、何も云いはしなかった。
 ただ、すこし唇を歪めるように微笑んで、肩をぽんと叩いてきた。
 それが、赦しだった。
 鉄之助は、ぴっと背を伸ばし、感謝とともに、深々と頭を垂れた。


† † † † †


鉄ちゃんの話の続き。並べ換え済み。


と、とりあえずこんな感じで……
次、次こそは流山……