イタリア紀行 その2

イタリア旅行記(と云うにはそっけない)、続きです。
暇と興味がおありの方は続きをどうぞ。


3日目、ローマは今日でさようなら。
いざフィレンツェ、の前に、シエナ観光。


メディチの要塞あたりでバスを下車、サン・ドメニコ教会の前を通って、シエナ街区へ入ります。
この朝はすごい霧。見上げる教会の尖塔も、天辺の方は霧にかすんでます。
シエナの街は迷路のようだ――しかも17の街区に分かれてて、街区同士はお互いに仲が悪いらしい。街区が違うと、買物もしないそうだ。境界の道の角には、それぞれの街区のシンボルが掲げてあって、牛、犀、豹、象、鷲etc.と、そのシンボルを見るのも愉しい。
しかも、街中だけでなく、シエナフィレンツェとも仲が悪いらしい(まぁ、メディチに侵略されたりしたからな)。シエナのドゥオモは、白黒の大理石にピンクのそれを合わせてしましまにしてあるのだが、このドゥオモ、実は拡張工事をする予定だったのだそうだ――フィレンツェのドゥオモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ寺院が、シエナのよりも大きな伽藍になったから。が、拡張工事をはじめてほどなく、シエナの街でペストが流行り、人手も金も足りなくなって、計画はあえなくお流れになったのだとか。拡張工事の遺構は、今は駐車場になったりしてますよ。
シエナのドゥオモは、床のモザイクが綺麗。まぁ、後述するヴェネツィアサン・マルコ寺院には負けるけどね。このモザイクが、フィレンツェのドゥオモの床より綺麗だったので、シエナ市民は溜飲を下げたのだとか。


それから、これも有名な市庁舎前のカンポ広場。
何でも3つの丘の交わるところに、むりやり作った広場なのだそうで、市庁舎のあたりが要の、扇のようなかたちの広場です――使いにくそう。
この広場のまわりで、毎年7、8月に、競馬が行われるのだそうで。17地区のうち、籤で選ばれた10の地区が、裸馬で競馬をするのだとか。広場を3周したら勝ちなんだけど、馬だけでゴールしてもOKなので、わざと落馬して、加重を軽くしたりすることもあるそうですよ。


で、昼食後、またしてもまっすぐにフィレンツェには行かず、“塔の町”サン・ジミニャーノへ。
一般車両は街中に入れないので、駐車場で下りて、徒歩で見学。と云う名のフリー・タイム。
かつては70くらい塔があったそうですが、今は14しかないそうで。
時間が1時間ちょっとしかなく、急いで町中をまわり、町のはしっこの要塞跡へ。
曇天から光の柱がさす“天使の梯子”が見えたので、迷いなくシャッターを押す――うぅうん、イマイチ綺麗じゃないけど……まぁいいや。
あんまりよくわからないまま(イタリアって、不思議とそういう場所は少なかったんだけどなぁ)、買物をしてバスへ。


今度こそフィレンツェ
ホテルは、サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院そばのマジェスティック
夕食後、ふらっと↑へ行きました(9時ぐらいなので、もちろん中には入れません)が、正面が改修工事中でがっかり。
先生が『モナリザ』描いた(と云われている)とこなのになー、と思いながら部屋に戻る。


3日目はこんなカンジ。
続きますよ。