北辺の星辰 1

「今、何て云った!」
 土方歳三は、目を剥いて叫んだ。
「……俺は切腹する」
 近藤勇は、低い声で云った。
「何を云い出しやがる!」
 また叫んでから、歳三は、隊士たちの耳目を慮って、声を落とした。
「……馬鹿なことを云うな、それでは無駄死にだ」
「だが、この人数では、とても外の連中を迎え撃つことはできめぇ」
 下総・流山、新撰組の屯所には、かれらの他には、わずかの人数しかいなかった。他はみな、野外演習で出払っていたからだ。
 そして、屯所のまわりをおし包むのは、薩長連合の大軍。
 新撰組に恨みを持つかれらは、ここにいるのが局長・近藤と副長である歳三だと知れば、なだれ込んできて、この首級を上げるに違いなかった。
 だが、だからと云って、ただ腹を切れば済むと云うわけでもないのは、近藤にもわかっていると思っていたのだが。
「それでも、だ」
 歳三は、苛立ちをどうにか押し殺して、言葉を続けた。
「あんたが、今ここで死んだら、あんたを慕って入ってきた隊士どもはどうすりゃいいんだ。あんたについていくと決めて、大坂から落ち延びてきた連中は!」
「おめぇがいるじゃねぇか、歳」
 近藤の唇が、卑屈に歪んだ。
「俺がなくとも、おめぇがいる。おめぇなら、こののち新撰組を率いて、うまくやっていくことだってできるだろう」
「近藤さん!!」
 歳三は叫び、隊士たちの目があることに、今さらながらに気がついた。
「……ちょっといいか。こっちで話そう」
 近藤の袖を引き、いくつか置いた部屋まで、かれを連れて行く。
「いいか、何度も云わせるなよ。あんたが、新撰組の局長なんだぜ。局長が、戦いもせずに腹ァ切るなんざ、許されるもんじゃねぇだろうが」
 そう云いながら、歳三は、己のなかに、この男を案じる心がどれだけあるのだろうかと、すこし醒めた気分で問うていた。
 近藤は、変わらず唇を歪めていた。
「だが、俺たちには勝ち目はあるめぇ。それならば、俺がここで、この腹掻っ捌いてやれば、薩長の奴らは兵を引くのじゃああるめぇか――そうは思わねぇか、歳よ」
 “歳”――懐かしい、昔、多摩で、試衛館で、近藤が自分を呼んだ名だ。
 だが、その声音の、何と弱々しく、また卑屈なことか――これが、あの近藤なのか。歳三がかつて、守り立てていくのだと誓った、同じ男であると云うのか。
新撰組はどうするんだ!」
 思うよりも先に、怒りの言葉が口を突いて出た。
「俺たちの旗幟のもとに集まってきた隊士たちは! 彼らを見捨てて、自分だけ楽になろうってぇのか! それじゃあ、何のために――何のために、ここまで来たんだ!」
 かつての仲間たちと袂を分かち、ここまできたのは何のためだ。江戸のあたりを転々としながら、隊士を募り、組織を組みなおして戦うためではなかったのか。
 第一、それならば、
「ここで今さら投げ出すってェ云うんなら、それなら何で、山南さんを斬ったんだ!」
 京で斬った、かつての友の顔が、脳裏を過ぎる。
 道を違えたかつての友を、歳三は、計略によって、切腹に追いこんだのだ。暫く距離をおいて、頭を冷やして、この先を語ろうと云っていた友を――裏切りによって、死に追いやった。
 それは、かれと近藤の作り上げた“新撰組”を守るためではなかったのか。
「……あん時、山南さんを斬ったのは何故だ。伊東を殺し、藤堂たちを陥れて斬ったのは――何もかも、新撰組のためだったはずだ! それを、今さら……」
 あの時、山南を斬ることを望んだのは、他ならぬ近藤であったはずだ。山南の分離によって、新撰組が分裂することを怖れ、先手を打って山南を脱走したことにしたのは、すくなくともその案に肯首したのは、近藤自身であったはずだ、それなのに。
「……ああまでして守った新撰組を、あんたは、あんたひとりの都合で潰そうってぇのか!」
 己のせいではないと、その罪を忘れた振りで、そうしながら、負うべき責さえ投げ打つつもりなのか。
「だが……時流はもはや、俺たちのがわにゃねぇ」
 そう云った近藤の顔は虚ろだった。
「それがどうした!」
 苛立ちとともに、歳三は叫んだ。
 それがどうしたと云うのだ。今さら何を云っているのだ。
 そんなものは、鳥羽・伏見の戦いで、骨身に染みてわかっていた。
 新撰組は、薩長の持つ、最新の洋式銃に打ち勝つことはできない。鉛弾の一発が、剣の閃きよりもはやく命を奪う、そんな様は幾たびも見た。その死の一撃が、かけがえのない人々を刈り取ってゆく様も。
 だが、それでも、ここで腹を切るのは何かが違うと、歳三は猛る腹の底から叫んでいた。
「そんなことが何だってェんだ! 俺たちは、幕臣になったんだろう! 武士は二君に仕えずと云うじゃねぇか! それならば、最後まで幕府を支える力となるのが、本当の武士ってぇもんじゃねぇのか!」
 武士になる、それがかつての自分たちの夢ではなかったのか。
 だからこそ、“士道不覚悟”などと称して、隊士たちを処断してきたのではなかったのか。
 それを、今さら。
 だが。
 近藤は、沈黙したままだった。その顔は、もはや敗者のそれでしかありはしなかった。
 ――こんな男だったのか。
 歳三は思った。
 薩長に取り囲まれたからと云って、生命を投げ打ち、新撰組局長という責を投げてしまえるような――その程度の男でしかなかったと云うのか。
 ――その程度の男のために……
 自分は生命を賭け、山南を斬り、数知れぬ隊士たちを斬ってきたのか。この程度の男を担ぎ続けるためだけに。
 暫の沈黙ののち――
「――良かろう、あんたは楽になってもいい」
 歳三は、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。煮えくり返るはらわたを、そうやって腹腔に押し留めるように。
「ただし、腹は切らせねぇ。あんたは、やつらの陣へ下るがいいさ。あんたを、新撰組から解き放ってやる――その代わり、この先は、俺が新撰組の指揮をとる。最後の一人になるまで、俺が戦って、新撰組を守るさ」
「歳……」
「総司にゃ悪ぃが」
 軋る歯の間から、声を絞り出して、近藤に告げる。
 歳三と近藤の仲を心配していた、病に倒れた青年剣士を思いおこす。かれがこの場にいたなら、一体何と云っただろう。かれらふたりの仲違いを、総司はきっとひどく悲しんだだろう。
 だが、もう駄目だ。近藤とは、ともに生きることなどできはしないのだ。
「俺は、もう、あんたと一緒には行かねぇよ。――ここで、おさらばだ」
「歳……!」
 近藤が声を上げるのを背中で聞きながら、歳三は部屋を出た。


† † † † †


はじめちゃった、鬼の北海行。


ちなみに、このタイトルは“ほくへんのほし”と読ませます。
何か、蝦夷(北海道、ではなく)の夜空って、月より星のイメージなので。月ほど動きがはやくないイメージ。風でもないな――そんなにはやく吹き抜けるものでもない。
あれかな、鬼はきっと、北へ向かうため、北極星とかずっと見てたんじゃないかと思うので、それで星のイメージなのかなぁ――江戸とか京都だと、月夜に大体動くもんね、灯りがあんまいらないから。


前に本館参謀(おようさん似/爆)に「逃げないで、鬼視点で書けばいいのに」と云われてたのと、下の考察で筋道が定まったのとで、スタートさせてみました、鬼のみちゆき。
鉄ちゃんは、かれの死まで(鬼の死亡シーンはなし)書きますが、こっちは鬼の死まで続きます。
そしてスピリチュアル系ではありません。鉄ちゃんの話とは、完全に裏表の関係になりますが、こっちは転生とか何とかはまったくなし。だって、鬼が気がつかないままだったから。
ので、まぁ、そんな感じで進めていく予定です。


そろそろ、ここのログを本館のHistoryにHTMLファイルとしてUPしたいんですけどね……


えーと、この項一応終了で。