北辺の星辰 8

 勢いに乗る“官軍”は、翌二十三日、早速攻勢に転じる。
 戦いは朝の九時ごろ、壬生街道から宇都宮城へと続く六道ノ辻ではじまった。
 野津道貴・大山巌率いる薩摩藩の一軍が、六道口の陣に来襲、猛攻の末にこれを陥落させた。
 さらに薩摩藩兵たちは、城下を抜けて城の南西部、松ヶ峰門へ進攻、城攻めを開始する。
 しかし、さすがに焼け落ちても難攻を謳われた宇都宮城である。城内からの砲撃により、薩摩藩兵は輜重を失い、攻めるに攻められず、引くにも引けない窮地に陥った。辛くも六道口まで引いたものの、それ以降は、攻め進むこともできず、壬生城に戻ることもできずにいた。
 実は野津・大山両名は、“官軍”指揮官・河田左久馬の命に背き、独断でこの宇都宮城攻めを敢行したのだ。そうであれば、もとより、援軍を求めて逃げ帰ることなどできなかった。
 彼らはおそらく、この時死を覚悟しただろう。指揮官の命に背いて独断で敵地に攻め入り、その挙句多数の兵の犠牲を出しながら、ここで生命果てるのかと。
 だが、時はやはり彼らにあったものか。午後三時ごろには、薩摩藩伊地知正治率いる援軍が、壬生城より江戸街道方面より来襲、予備の砲弾を六道口の部隊に送り、自身もそのまま城南方面を攻撃する。
 さらに夕刻には、河田率いる部隊も到着、形勢は一気に“官軍”優位へと逆転することになる。



 歳三はこの日、野津・大山の部隊による攻撃がはじまると、城の北側にある明神山――二荒神社を擁する――に布陣するよう指示され、桑名藩兵とともに出てきていた。
 ――どうも、警戒されているようだな、俺ァ……
 苦笑まじりに思ったのは、その指定された布陣の地が、今現在激しく戦闘の行われている場所からはひどく離れていたからだ。
 明神山は、宇都宮城の城郭の外にあり、大鳥率いる本隊の駐留する本丸あたりからは結構な距離のある位置での布陣となる。この位置では、たとえ伝令を走らせたとしても、意思の疎通をはかるには時間がいる。そうあっても構わない、どうでもよい立場であるのだと、歳三に暗に示しているのではないか――そう勘繰っても仕方のない配置だった。
 しかしながら、それは当然の心理であったのかも知れぬ。歳三は、幕臣に取り立てられたとは云え、もとは多摩の百姓の子、しかもこれまでの経緯も、新撰組などと云う、幕府直参の侍たちから見れば、何とも胡散臭い集団を率いて成り上がってきているのだ。
 同じ成り上がりであっても、播磨の医者の子で、漢学、蘭学を修め、その頭脳を買われて抜擢された大鳥などとは、出自からして違っている。警戒するなと云う方が無理な話だろう――歳三自身も、そう思う。
 いくら勝の紹介があったとは云え――いや、そもそも陸軍においては、海軍畑出身の勝も、部外者と云うに等しいのだ。まして、勝は恭順派として知られている。実際、先だっての江戸開城の折も、薩長側の指揮官である西郷南洲と親しくしていることによって、無血開城を成し遂げているのだ。抗戦派である大鳥たちからすれば、勝は、幕臣中の裏切者であるに違いない。
 その勝から送りこまれてきた、名高い人斬り部隊の長、と云えば、大鳥たちならずとも用心はするだろう。自分たちを後ろから斬りつけはしないか、あるいは薩長と呼応して、幕軍を内側から崩壊させるつもりではないのかと。
 だが、
 ――そんなことなんざ、思ってもみねェのになァ。
 歳三は、ほろ苦い思いで唇を歪めた。
 自分はただ、自分の作り上げた“新撰組”と云う組織を、どんなかたちであれ、無事に終わらせてやりたいだけなのだ。無事に、皆がおさまるべきところにおさまって、隊が消滅する、そのための猶予を得るために、この脱走軍に参加したのだ、それだけであるのに。
 ――俺ァ、よくよくはぐれものの定めだってェことか。
 多摩でも、京の隊務の中でも、この幕軍の中にあってすら。
 自分を理解し、ともに歩んでゆくものなど――ほんの一握りのものしかありはしなかったではないか。
 今までは、それでいいのだと思っていた。新撰組と云う組織を維持していくためには、誰かが憎まれ役にならねばならぬ。一糸乱れぬ動きを組織としてするために、厳しい隊規で縛らねばならぬ――そのためになら、どれほど憎まれても、どれほど怖れられても構わないと、一握りでも己の心のうちを知るものがあればよいと、そう思ってやってきたのだ。
 だが――
 淋しい、と、不意に思う。こんな心持になど、もう何年もなったことなどなかったと云うのに。何故、今さら、こんな時に、こんな心持になると云うのか。
 そう考えて、ふと気づく。
 ――ああ、そうか……
 自分を気遣ってくれるものたちが、今まではまわりにいたからだ。気遣って、甘やかして、時には叱りつけて――そうやって、独りではないと思わせてくれる人間があったからだ。
 ――総司、源さん、およう……
 病の身を置き去ってきたもの、死に別れたもの、ともにゆくことはできぬと別れを告げたもの――
 かれらの、様々な言葉や行動が、いつも歳三を励ましてくれた。だからこそ、歳三は、これまで独りであることなど感じずにここまで来ることができたのだ。
 けれど、今、自分のとなりには誰もない。己の心を見透かし、行く先を指し示すものも、道を誤りそうになった時に戒めてくれるものも、束の間の休息を与えてくれるものも。
 自分は、独りだ。だがそれは、他ならぬ歳三自身が選んだみちでもあるのだ。
 ――まァ、いいさ。
 自嘲の笑みが、唇を歪めた。
 もはや、後戻りはできないのだ。己が選んだみちを、そうと定めて戦いとってゆかねばならぬ。
 そうとも、それが、どれほど孤独なみちゆきであれ。
 どのみち――自分が必要とされる時は、必ずくるだろう。その時に万全の態勢で望み、勝の信頼を裏切らぬよう、今は、それだけを考えていればいい。
 歳三が、何とかそう心を定めたその時に。
「隊長殿!」
 桑名藩兵のひとりが、まろぶように駆け寄ってきた。
「どうした」
「大鳥総督より、伝令が! 敵兵優勢になりて、至急援軍を寄越されたしとのこと!」
「――わかった」
 歳三は、佩刀を握り、すっくと立った。
「一番隊、出陣せよ。俺とともに、城内へ戻れ」
「副長!」
 控えていた島田が、声を上げた。
「御自ら出向かれるおつもりですか! それでは、明神山の守りは、いかが相成りましょうや!」
「おめェがいるじゃねェか、島田。これくらいの人数、指揮がとれねェわけァなかろうさ」
「ですが、隊長はあなたです!」
「何心配してやがるんだ」
 歳三は、片頬を歪めて笑った。
「なァに、そうも経たずに戻ってくるさ。それまでは、こっちはおめェに任せた。――一番隊、出るぞ!」
「応!」
 すっかり統率が取れるようになった、桑名藩兵たちの応える声に。
 歳三は頷きを返し、上着の裾を翻した。



 歳三率いる桑名隊一番隊は、入城するや、城の南東部への援護に回るよう指示された。
 そこは、先日、歳三自身が攻略した下河原門から南館門に通じる一角であり、一帯は竹薮におおわれ、あるのは水のない堀ばかりの、極めて守るに難しい場所だった。
 ――呼び戻されたと思やァ、今度はこんな難題を……
 苦笑が浮かぶが、戦況は刻一刻と悪化の途にあるのは明白だった。
 野津道貴率いる薩摩・大垣藩兵などからなる一軍が、下河原門より来襲、それとは別に、大山巌率いる薩摩・大垣混成軍が、空堀づたいに南東部へと攻め込んできたからだ。
 桑名隊一番隊は、南東部の竹林のひとつで、大山率いる部隊と戦闘に入った。
 竹薮の中は見通しが悪く、その上、飛んできた弾が竹に当たるとその破片が跳ね、針のように襲い掛かってくる。弾とともに、それをも避けて斬りこんでゆかねばならぬ――危険極まりない戦いだった。
「伏せろ! 地に伏せて撃て!」
 歳三は叫び、白刃を振りかざした。
 率いてきた兵たちのいくたりもが、既に敵の弾と竹片とに撃たれて倒れている。前にも後ろにも、敵味方入り混じって、累々と続く屍の列。
「撃て、撃て! 」
 向こうからも、兵を励ます叫び声が、銃声にまぎれて聞こえてくる。
 だが、敵も、この竹薮での戦闘を制しかねているようだった。
 さもあろう、竹薮の中は、無数の笹の葉が散り敷かれ、ひどく滑りやすくなっている。
 これでは、遠くから銃撃することはできても、斬りこみにゆくには足許が心許ない。その上、絶え間なく飛来する銃弾を、密集する竹とともにかわしてゆかねばならぬのだ。
「撃て! 撃て!」
 そう号令することしかできぬのは、どちらも同じことだった。
 弾薬が尽きた方が負ける。
 どうにかして、こちらの被害を最小限にとどめ、敵方の弾薬を早く消尽させるか――それが、この戦いの勝敗をわけると、歳三にもわかっていた。
 ともかくも、相手方の弾を使わせなくてはならぬ――歳三は思い、兵たちの間を、刀を振り上げながら駆け回った。
「撃て、撃て!」
 かれの方へ銃弾をあつめ、すこしでも無駄に弾薬を費やさせようと。
 近くの竹の節が、敵弾を受けて爆ぜ、細かい刺が兵たちの黒い笠に降りそそぐ。砕かれた竹が、あちこちで倒れるのが見える。
 伏せさせているにもかかわらず、味方の兵のいくたりかが、肩や、運が悪ければ頭にも弾を受け、倒れ、そのまま動かなくなるのも見えた。
 だが、相手方も人数を減らしつつある。
 ――ここを踏みとどまれれば……!
 勝機はある、と思った次の瞬間。
「……!!」
 右足の甲の先に、灼熱を感じた。
 ずるり、と足が滑り、枯れた笹の葉の上に、無様に倒れ伏す。
「隊長殿!」
「大丈夫だ!」
 兵の声に叫び返すが、立ち上がることができなかった。
 否、立てるが、これでは――斬りこむための踏み込みができないでは、この後どうやって敵を退け得よう。
「俺は無事だ、撃て、手を休めるな!」
「隊長殿、退いて下さい!」
 駆け寄ってきた桑名藩兵のひとりが、歳三を助け起こして、そう云った。
「馬鹿な! 指揮官が退いてどうすると……」
「まだ、ここで終わりではありません!」
 その兵は云って、歳三を後ろの方へ追いやった。
「退いてください。ここは、我々がどうにか致します。――お早く!」
「……わかった」
 歳三は頷いて、駆け寄ってきた別の兵の肩を借り、戦場を後にした。


 “官軍”の勢いはその後も衰えず、夕刻、遂に大鳥総督は撤退を決める。
 歳三を含む負傷者は今市へ先に搬送され、殿の一部隊を除き、全軍が宇都宮より退却、この後、徳川の聖地・日光を目指して行軍することとなる。


† † † † †


鬼の北海行、続き。


どうもここら辺、沖田番情報がないので、資料頼み+おぼろげな電波頼みになって厳しい……
大体、鬼に視点が固定されてる(だから、鉄ちゃんの話に厚みがないんだよ)ので、今後の会津戦なんか、本当に資料をみて考えるしかないもんなァ。だって鬼、参加してないし。
と云って、今さら『南柯紀行』だの『桑名藩戦記』だのを読むほどの気力はないので、その辺はWeb上のいろいろにかなり頼ってます。
しかし、『新選組全史(下)』(菊地明/新人物往来社)には「九ツ時、…(中略)…今市駅へ宿陣す」について、昼時に負傷した、とか書かれてるけど、これって夜の九つ、つまりは真夜中ってことじゃないのかね。未の刻(午後二時頃)あたりに援軍要請が明神山に来て、それで昼の九つに今市、ってこたァねェだろう。多分、早めに抜けたけど、今市には真夜中に着いた、ってことだと思いますが。


何か、箱館までの鬼の立場って、結構微妙じゃないか? あんまり主要な攻防に関わってないと云うか、お互い(大鳥さんとか秋月さんとかと)様子を見合ってるみたいと云うか。
あんまり団結してないカンジがしますよね、このへんの幕軍って。まだ烏合の衆と云うか。実際、戦って強かったのって――松前攻略の時くらい、って、指揮官鬼じゃん! うぅうん、ビミョー。
何か、やっぱりイマイチ幕軍のもともとの指揮官(大鳥さんたちとか、伝習隊とかの隊長格連中とか)からは浮いてたんじゃないのかな、鬼……使いようはあるけど、あんまり持ち上げたくないけど、でも使わないと勝てない、って云う――“所詮人斬りの親玉”くらいな感じだったろうしね、大鳥さんたち的には。でも、それに頼らないと勝てないって云うのもジレンマだよな。どうしてもがちゃがちゃしちゃうのは、まァ仕方のないことだったとは思います。
その不協和音が敗北のもとだったのか、それとも、もともと運がなかったのか。
まぁ、上としては使いにくい人材だったことは確かだと思いますよ、鬼って。


……はっと気がついたのだが、箱館つーか仙台からって、榎本さんが一緒だ! 榎本さん海軍畑だもんな、勝さんとも知り合いだったよな。維新後もいろいろあった(西郷どんと勝さんが図って、幕臣を新政府に組み込んだとき、榎本さんはその復帰組第一陣に入ってた)よな。
――榎本さんが好意的だったのって、もしかしてその辺か? それで、その榎本さんが推したから、箱館以降は陸軍のNo.2になったのか?
……ありそうな気がしてきたぞ。そして、ますます大鳥さんとかに嫌われるわけだ、ははははは……松平太郎さんとかも、きっと鬼のこと嫌ってたんだろうなー。海軍畑の勝なんぞに従ってる、胡散臭い(そう云や、勝さんだって譜代の旗本からみりゃ胡散臭ェや)成り上がりって。ははははは、そりゃおトモダチいないわけさー。ははは。


しかし、桑名藩兵の顔を、この時点で覚えていない(顔と名前が一致してない)ような気がする鬼……
ごめん、顔が思い浮かばないや。電波が弱い……と云うより、今だと三学期までクラスメイトの顔と名前の一致しないひとだと思うよ、鬼……


この項、一応終了。