北辺の星辰 9

負傷した歳三は、宇都宮敗走の翌日昼、島田魁などわずかな人数とともに今市を発った。やはり負傷した秋月登之助も、幾人かの伝習隊士とともに同道した。
 二十六日には、会津領内の田島へ入る。ここは、秋月の父親が代官を務める陣屋があり、かれを実家で養生させるために、一行はここに立ち寄ったのだ。
「――登之助……この馬鹿者が……」
 一行を迎えた代官・江上又八は、そう云ってその場に立ち尽くした。
「父上……」
 秋月が、照れたような、どこか拗ねたような顔で、それだけを云う。
 江上は、黙ったまま息子の顔をかるくはたき、今度は歳三に向き直って、深々と頭を下げた。
「愚息がお手数をおかけ致しました。大したおもてなしは出来ませんが、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」
「いや、我々は……」
 歳三は、片手を上げて制しかけたが、よく考えれば、急ぐみちゆきでもない。すこしばかり江上の言葉に甘えたとて、ばちはあたるまい。
「……それでは、お言葉に甘えさせて戴きます」
 そう云って頭を下げる。
 江上は微笑してそれを受け、家人に秋月を中へ運ぶよう指示すると、自分は歳三たちの先に立って、陣屋の中へと入っていった。
 歳三は、中島登の肩を借り、その後に続いた。
 ――父子ってなァ、ああいうもんなのか……
 先をゆく江上の、すっきりと伸びた背中を眺めながら、歳三はぼんやりと思う。
 歳三は、父を知らない。実の父は、かれが生まれる前に逝き、それからは長兄の為次郎、家督を継いだ次兄の喜六、姉・のぶの夫である佐藤彦五郎などが父親代わりとなってくれていたが――本当の意味での“父親”と云うものへの憧憬は、いつでも歳三の中にあったのだ。
 歳三は、すこし秋月が羨ましくなった。かれには、帰っていけば、叱責しつつも受け入れてくれる父親がある。だが、歳三にはない。
 これまでは、かれのまわりには、親のない人間も多かった――例えば、やはり幼くして父をなくしている沖田などがそうだ――ので、こんなことを考えることはなかったのだ。考えずに済んだのだ。
 歳三には、もう、帰る場所などない。帰っても、兄や姉に迷惑をかけるだけだ。帰れるはずなどない。
 ――いよいよ独りだ。
 家族のように思っていたものたちとも生き別れ、死に別れ。
 だが、まだ自分には残されているものがある。新撰組だ、新撰組をどうにかして終わらせなくては――それだけが、今の自分に残された、唯一とも云える“戦い続ける意味”なのだから。
 江上は、陣屋の中でも奥まった一室を、歳三のために用意してくれた。
 部屋の中に落ち着けば、開け放った障子の間、縁の向こうに、会津の山々が見える。緑の色を深めつつある山を、歳三は、久方ぶりに穏やかな心で眺めやった。
 考えてみれば――今は春なのだ。
 ここ暫くの間、ずっと季節など感じる暇もなかったように思う。いつからか――昨年の暮れ、鳥羽・伏見の戦いの折からか、あるいはもっと前の、高台寺党分離のあたりからか。
 目まぐるしい日々だったと思う。
 だが、それらの日々は、ただ目まぐるしいだけの日々ではなかったはずだ。戦場を駆け回って、友軍の不甲斐なさに歯噛みしながら、それでもあの日々は、確かに何かが漲っていた。敗戦し、江戸へ引き上げてくる船の中ですら――それが、怒りであったのか、それとも他の何かであったのかはわからないが。
 ふと、取り残されたような気持ちになる。
 あの怒濤の日々の最中のように、何かに追われるように動き続けていられるうちは良かった。何も思うことなく、ただ目の前のことにあたるだけで精一杯であったうちは。
 立ち止まり、振り返る余裕ができてみれば――この、足許に奈落の広がるのを知ってしまったような心地は、どうだ。
 春だというのに、歳三は、ひどく寒々しい心地になった。
「――副長、養生なさって、はやく復帰なさってくださいね。会津では、斎藤先生や安富先生もお待ちですよ」
 部屋の中をあれこれと整えながら云う市村に、笑み返して頷いてやりながら。
 歳三は、冷え冷えとした空漠の中に己がいることを感じて、小さくその身を震わせた。



 歳三たちが田島を発ったのは、二日後の四月二十八日のことだった。
 このまま残る秋月と別れを告げ、歳三は、駕籠に乗せられて出発した。
 身体が、ふわふわとしているように感じる。弾の残る右足は鈍く疼きつづけているが、どうもそこから発熱しているものらしい。目を閉じていると、横を歩く島田や中島、市村たちの話し声が、どこかぼんやりと聞こえてくる。
会津では、斎藤先生は……」
「大鳥総督が、日光に到着されたと……」
 幕軍の状況を話す声も聞かれたが、歳三には、どうでも良いもののように思われた。
 自分は、戦線から脱落したのだ。この後、養生して、復帰したとしても、幕軍の中に居場所があるかどうか。
 甘かったのか、と思う。幕軍に参加すれば、とりあえず新撰組は存続することができるのだと、そうして得た余裕の中で、最終的に新撰組の解体をすればいいと、かるい気持ちで考えていたのか。
 だが、こうして脱落してしまっては、それも儘ならぬのだ。
 会津にいるはずの斉藤一は、かれに率いられている新撰組はどうしただろう――あるいは、安富に率いられてやはり会津を目指した、新たに募った隊士たちは。
 会津に行くと決めたのは自分だと云うのに、その自分が、こんなところで脱落しようとは。
 ――皆、すまねェ……
 熱に浮かされた頭の中で、ぼんやりと呟く。
 どうすれば、もっとうまくやれたのだろう。どこで誤った道を選んでしまったのだろう。
「――副長、お加減はいかがですか」
 駕籠の外から声をかけてくる島田たちに、ひどく申し訳ないと思った。
 自分などに従っていなければ、かれらとて、もっと違う道が選べたのであろうに。
 ――すまねェ……
 駕籠に揺られながら、歳三は、ただそればかりを思っていた。



 四月二十九日、一行は会津城下に到着する。
 だが、新撰組本隊はまだ会津城下に入ってはおらず、かれらとの再会は、暫くのちのこととなる。


† † † † †


鬼の北海行、続き。


何であたしは、秋月さんとそのパパの再会をうっかり書いてるんだろう。
でも、何かこれは、すごく印象に残ってたんだと思うので。――と思ったら、そうか、鬼は父親が死んだ後で生まれてるもんなァ。こういうやりとりはしたことがなかっただろう(兄貴は、どうあっても兄貴だもんなァ)から、それでなのかな。
何か、印象に残ってるっぽいので、そっと書いておきますよ。


ところで、ちょっと最近鳥さんがかわいいかも、と思いはじめてます。
いや、勝さんみたいに燃えはしないんですが(笑)、“ったく、しょうもねェな、あんた”みたいなカンジ?
あのひと、やっぱり戦時の指揮官向きではないよね。いいひとだけど、いいひとだから、本当に向かねェなァと思います。そういう意味では、脱走しなかった方が良かったんじゃと思いますよ。
とりあえず、『南柯紀行・〜』(新人物往来社)を客注で取ってみる――なけりゃ、ウェブセン(N版在庫のオンライン発注システム)に在ありだったので、版切れならそっちから取ろう。昨日、某版元から戴いた図書カードがあるので、それを購入費の足しに……(Web発注品は、掛率が高いので、掛本しちゃだめなんですって)


ところで、資料見てても思ってたんだけど、やっぱり榎本さんとタロさん(松平、ね)って、ただならぬ関係だったの? だって、商売失敗したのを養ってあげるって、絶対普通のオトモダチじゃないよね!
鬼より全然苛烈だったと云う噂のタロさんの、どこがそんなによかったんだい、榎本さん……そんな美男でもないって聞いたぞ?
しかし、私はとりあえず、タロさんよりも一ちゃんが怖い――いいひとなんだろうけど、鬼の方がヤな奴(だから、『壬生義士伝』の佐藤浩市みたいなモノローグとか)なんだけど、何て云うの、大型犬(黒い)に“遊んで!”と見つめられたちびっこみたいな気分になるんだ……わかってる、襲ってくるつもりのないのはわかってる。でも怖いんだよー! ぶるぶる(震)。原田さん、永倉さんあたりは怖くないんだけどなー……むぅ。


この項、とりあえず終了。