小噺・だんだら羽織

「……総司」
「はい?」
「何でェ、そりゃあ」
「懐かしいでしょう、昔の隊服でさァ」
「それァわかってる。そんなもん、どっから出てきたんだってェ訊いてるんじゃねェか」
「や、こないだ店屋でみつけたんで。“新撰組だんだら羽織”って、ちゃんと書いてありましたぜ」
「……どんな店屋だ、それァ」
「土産もの屋でさァ。他に、近藤先生の虎徹の拵とか、変な根付とか、局中法度の染めてある手ぬぐいとか、いろいろありましたぜ」
「おかしなもんを扱ってる店もあったもんだなァ。……それァともかく、何でェ、この妙ちきりんな色と、ぺらっぺらな生地は?」
「仕立てもお粗末ですぜ。それにしても、すげェ空色ですよねェ、こんなもん着てたら、本当に俺たちァ大うつけですねェ。――でもま、“隊服”だってんですから、どうです、土方さん」
「……な、何だよ」
「着てみませんか、これ(にっこり)」
「ば……馬鹿云うねィ! 俺ァ絶対、そんなもんにゃ袖通さねェぞ!」
「何云ってんです、“新撰組副長”のくせに。大体、この隊服、あんただって賛成したことになってるんですぜ」
「だ、誰がそんなこと云ってやがんだ!」
「や、いろんな話みてると、ねェ」
「(だから、どこで見てんだよ)……俺ァ、そんな阿呆なもん、絶対賛同したりァしなかったぞ?」
「まァ、あんた、頑として着やしませんでしたもんねェ。紺のでいい、だんだらだったらわかるからって。……でも、紺のだんだらだってそんなに着やしなかったじゃねェですかい」
赤穂浪士だか何だか知らねェが、そんな野暮ったいもんなんぞ、着られっかよ!」
「え〜? 一ちゃんは、結構いそいそと着てましたけど? 大体、近藤先生と芹沢先生で決めて作ったもんだったってのにねェ」
「知るか! あの色(=浅葱)にしたのなんぞ、それが一番安かったからだろうが! 俺ァ反対したぞ! 反対したんだからな!」
「まァ、猛反対してましたよねェ。幹部用にってェ、紺のだんだら作るくらいにねェ。――でも確かに、あの浅葱の羽織ァ、不評でしたよねェ。返り血浴びると一発で駄目んなるし、これほどじゃあねェですけど、生地も悪かったし」
「あんなもんを作るために、あちこちの商人んとこに押し借りにいったと思うと……(溜息)」
「それで、早々にお廃止にしたんですかい。そう云やァ、二つ目の隊服ァ、あんたの趣味ですよねェ。鴉みてェに真っ黒で(笑)」
「威圧感があっていいじゃねェか」
「そうですねェ。あと、返り血浴びても目立ちませんしねェ。平気で寄り道もできまさァ。まァ、血なまぐさいんで、やっぱりばれちまいますけどね」
「……おめェ」
「何ですよ?」
「“寄り道”ってなァ、どこに寄ったんだ」
「や、菓子屋とかですけど」
「(やっぱり!)……斬りあいの後でかよ」
「菓子屋だけじゃあありませんぜ。餅屋とか、蕎麦屋とか……」
「おめェって奴ァ……」
「何ですよ、いいじゃねェですかい。斬りあいすると、腹が減るんでさァ」
「そうかよ。――ところで、そのうつけ羽織ァ、いつまで着てるつもりだ」
「えー? (考え中)……とりあえず、源さんたちに見せてきまさァ」
「よさねェか!」
「はははは、行ってきま〜す!(駆)」
「総司! ……それにしても、何度見ても本当に恥しいもんだな、あの羽織ァ……」


† † † † †


阿呆話at地獄の三丁目。今回は例の羽織の話で。
話中の“隊服”(みやげもの)は、よくあるすげぇブルーのアレでお願いします。地はサテン系で。ぴらぴらするアレです、アレ。


つーか、昨今“だんだら羽織”とか云ってるのの色って、あれ浅葱じゃないでしょう。浅葱って、中公文庫の子母澤寛新撰組三部作の背表紙みたいな色(こんなの)で、よくあるこんなのじゃなかったはず……つーか、この色で羽織って、すげェ恥しい……これだって、かなり恥しいんですけどさ……
でもって、ふたつめの隊服(黒づくめ)は、あんま知られてないですよね。まァ、今の感覚から云うと、あんまり普通だからかしら。あの当時は、黒ずくめってあんまりなかった(当時の喪服は黒じゃなかったはずだし)から目立ったと思うんだけど――今なら、葬列みたいだもんなァ。
つーか、誰だよ、あの羽織考えたの……赤穂浪士のだって恥しいと思うけどさァ……浅葱色……恥しいよな……


あ、そうそう、内容検索で“中島三郎助”で出てきたので、買ってしまいました『幕臣たちと技術立国』(佐々木譲 集英社新書)。
中島さんと釜さん+αが載ってますが、とりあえず中島さんだけ読みました。
おかしかったのが、黒船に乗ってたアメリカ人の記録。中島さん、「でしゃばり」って3回も書かれてるよ(笑)。あと「気難しい」とか「頑固」とか「粗野」とか「好感が持てない」とか。ははははは!
まァ、技術屋さんなせいか、中島さん、すごく好奇心は旺盛らしいですね。興味をもつと、目がきらーんとするんだって。可笑しい。
あと、何か勝さんが軍艦操練所を追い出されたあと、中島さんが後任に入ったらしいんですけど――1年足らずで「健康上の理由で」辞めてます。思うんだけど、絶対なるときは意気揚々としてたと思うんですよね。勝さんができなかったのを、“俺はきっちりやってみせるぜ”くらいな勢いで。でもさ、この時期の幕府の官僚って、どこも今の役人みたいなカンジで、やる気のあるタイプってつま弾きだったor相手にされないカンジだったから、ヤんなって辞めたんだと思うんですが。病気持ちだから、「健康上の理由で」って云えば、経歴に瑕もなく辞められたろうしね。ははははは。
まァ、いろいろと面白いので、中島さんに興味のある方は、ご一読を。


さてさて、次は鉄ちゃんの話。宮古湾海戦、のあとさき。わァ、じきに五稜郭脱出だなァ……