箱館戦争紀行 その4

蝦夷箱館、追っかけ紀行、最終日。
暇と心の余裕のある方は、続きをどうぞ〜。


最終日は曇り。
朝食後、またしても碧血碑へ――私のみ。
足をやった沖田番は、谷地頭温泉へ行って、朝風呂しながら待つことに。
まァ、正直2回行ったって、何も変わりゃしないんですが。気分の問題です、気分。
ひとりでがつがつ歩いて、石碑の前へ。やっぱり何か――お参りとかそういう気分じゃなかった。けど、今日が最終日だし、また来るという意味も込めて、一礼。うん、必ずまた行くよ。


でもって、戻り道にふと思ったんだけど――碧血碑の手前に、妙心寺ってお寺がありますよね、日/蓮/宗の。何か微妙に、碧血碑から函館の間に建てられてるみたいな風に感じたのは、学生時代に(何故か国文の)授業で聞いた、“霊的闘争=プシコマキア(ギリシア語でψυχσμαχια)”ってののせいなのかな? 碧血碑にこもった(と解釈される)旧幕軍の“怨念”(そんなもんあるのかなー)を、新しい“函館”に流入させまいとしているかのような。
明治の世に、時代錯誤なって思いますかね? でも、明/治/天/皇が還御の直前に、崇徳院を祀る儀式を行ったくらいだし、そういう“霊的封じ込め策”を絶対にやらなかった、とは云い切れないんじゃないかな?
明治期の日/蓮/宗がどういう位置づけだったかは知りませんが、日/蓮/宗ってのは、そもそも開祖からして政治的活動をしていた宗派なわけで、そう考えると、あながち穿ち過ぎた考え、とも云えないんじゃないのかしら。さて、どうでしょう。
とりあえず、妙心寺の前の道路からは、海がよく見えましたが、碧血碑からはまったく見えませんでした、とは云っておこう。でも、私は碧血碑のあるあの場所はすごく好きだけどね――木立の感じとか、開けた頭上とか、好きだなァと思います。蚊がいなければ尚いいな(笑)。


でもって、もと来た道をがつがつと歩き、市営谷地頭温泉へ。沖田番と別れてから20分くらいで着きました。
着くと、沖田番は湯船に浸かっている――が、他には誰も入ってない。


「……おぅ」
「あァ、おかえんなせェ。ここ、すっげェ熱いんで、向こうのジャグジーから慣らした方がいいですぜ」
「そんなに熱いか?」
「滅茶苦茶熱いですぜ」
「……どれ」


と、手を突っ込む――熱い。45℃いってないか、“低温”のはずなのに。
ともかく、まだしも低温のジャグジーに入り、身体を慣らして“低温”浴槽へ。……でも熱い。


「……露天風呂のほうがマシなんじゃねェのか?」
「そうかも知れませんねェ」
「行くか」
「そうしましょうか」


案の定、露天風呂は温度が低かった――43.5℃くらい、前日は44.8℃くらいだったのにねェ。
朝風呂なので&沖田番は結構長く入ってるので、今回は早めに切り上げる。
が。


「……何か」
「あ?」
「足が動かねェんですけども」
「痛ェのか」
「や、歩こうとすると、膝が落ちるんで」
「……大丈夫か」


どうも、今までは、膝で落ちかかる足を支えて何とか歩いてたらしいのですが、「身体が、歩くのを拒否する!」んだそうで、本当にマジ限界! になったらしい。


「……ホテルまで一旦戻るか」
「うぅうぅ〜(痛)」
「タクシー捉まえるから、ちょっと待て」


とりあえず、チェックアウトしたはずのホテル(まァ、引き続き荷物預けてたんですけども)に戻り、そこで湿布を貰って張る。が、もちろん移動不可。


「あんた、朝市行くって云ってたでしょう。行ってきなせェよ。俺ァここで待ってますんで」
「あァ。……何か要り用なもんァあるか」
「土産用に、松前漬頼みまさァ」
「わかった」


と云うわけで、ホテルのロビーに沖田番を残し、市電で市役所前へ、朝市にGO。
「お姉さん、何探してんの?」と声がかかる――どうやら、ここでは私は女に見えるようだ(イタリアでも男に見られてたからなァ)。
適当に聞き流しつつぐるっとまわって、“よりどり三本¥2,000-!”の文字に惹かれ、塩雲丹2本+いくら一本を自宅用に。数の子入(要は、目に見えるくらい大きい数の子が入ってるってこと)松前漬二箱を、沖田番の土産用に、それぞれGET。後で五稜郭タワーの土産物屋で見たら、何だかんだで朝市で売ってた方がかなり安かった……流石に朝市、だけど、ほとんど土産物屋化してるんだけどねー。


でもって、また市電に乗って帰り着くと、沖田番が、昨日のビストロ=Bons Amisでランチにしようと云う。
……そりゃあ美味しかったけどさ、あそこ、ホテルから5分くらいあるぞ?


「俺ァね、痛ェのァ我慢できるんですけど、痛ェののせいで、やりたいことができねェってのァ、我慢ならねェんでさァ」
「……例えば、美味ェもんを喰いそびれるとかか」
「そうでさァ。これで、あそこで昼飯が喰えなかったら、俺ァずうぅっと悔やむことになるんですぜ、足の痛ェのくらいで喰いそびれたって。それなら、痛かろうが何だろうが、這い蹲ってだって、俺ァ絶対にあの店に行きますぜ」
「……そうかよ」


そこまで云われたら、行かないわけにァいくめェさ(これで行かないと、ずーっと後まで云い続けられるので)。
と云うわけで、荷物を引き取ってフロントの人に(湿布のことも含めて)お礼を云い、ホテルを出る。沖田番は歩くのに専念するので、私がふたり分の荷物持ち。……キャリーバッグを重ねて持って、ずるずる引っ張る。


何とかお店に行き着くと、おお、女の人が応対してくれた。と云っても、ウェイトレスではなく、多分シェフ(サブの)かパティシエだと思うんですが。
店の奥の方から、子供の声がする――おぉ、我々以外にもお客さんがいるようだ。
沖田番はAランチ、私はB(サラダか前菜盛り合わせかの違い)、メインは、沖田番が仔羊のメンチカツ、私はカレー風味のスパゲティ・ボロネーゼ。
うまうまでしたよ! 来てよかった! ドルチェも美味でコーヒーついてAが¥1,350-、Bが¥1,850-(確か)ですが、うん、これは美味しかった。
お会計のときに聞いたら、シェフはもとは東京の方なんだそうで――そうか……惜しいなァ、こっちにあればなァ、と真剣に思いました。函館に行ったら、また食べにいこう。


で、店を出てタクシーを拾おうとするも、中々目当ての会社のが通らず――仕方なく、函館駅前まで市電に乗り、そこで拾うことにする。
が、そこにも目当てのところのはなく、見かねたよその会社の運転手さんが、チケット使える会社の車を呼んでくれました(そうやって使うのね……←阿呆だ)。
その運転手さんが、最後まで付き合ってくれるというので(しかし、ずっと一緒と云うのもビミョー)、五稜郭タワーで下ろしてもらい、時間を決めてまたきてもらうことに。3回目の五稜郭タワー……だって、時間つぶしにいいんだもん。
えーと、私またガチャに挑戦。山南&総司にはまた振られ。木札のは、「これで釜さんがきたら面白いのになァ(笑)」と云ってたら、本当にきた……こっちは(2回しかやらなかったので)鬼はきませんでした、つーかこられても。釜さんの木札は……職場の結束切り(安全カッターと世間では云うらしいですね)にでもつけるかな……


でもって、しばらくぼーっとした後、タクシーにまた乗って、今度は函館空港の先の牧場へ。ここのソフトクリームが美味しいのだと、運転手さんが教えてくれたので。
うん、確かに美味しかった――これで気温がもうちょっと高ければ! さ、寒くってさ……(多分、最高気温16℃くらい?) まわりに菜の花が咲いてたりしたのでそれを撮ったり、津軽海峡方面を撮ってみたり。
で、その後は空港へ――ってもすぐ。本当にすぐ。
午後5時発のAIR DO(男性のフライトアテンダントがいた!)で羽田へ――余談ですが、AIR DOは安全確認用のVTRがないらしく、フライトアテンダントが実演で救命胴衣や酸素マスクのつけ方をレクチャーしてくれるのです。昔はみんなこうだったよな! 何か懐かしかったですよ……


羽田着は6:40ごろ。
足が駄目な沖田番、到着ゲートまで車椅子のお世話に――しかし、あとは(足を引きずりつつも)帰りました。最寄り駅までは私が荷持ちで。
とりあえず、今回の教訓――風邪薬と湿布は、沖田番と旅行するときには必ず持参。と云いつつ、次の旅行では、また必要なものが変わるに違いないのだが……


あ、23日現在、沖田番の足は完治(本人談)しております(相変わらず治るの早いよな……)。
が、奴は阿呆なので、昨日開催された古馴染み連中の剣道大会で、左肩を負傷して痛がっておりました。まァ、昔異種格闘の試合やってた時よりは軽傷、か……
とりあえず、奴は決勝まで進んで、永遠のライバル(笑)に判定で敗れたそうです。まァ、とりあえずお疲れー。


† † † † †


さてさて、やっと旅行記は終了。
次は鬼の北海行か――早く書きたいわ!