狐面を買いに。

……いや、そもそものお出かけの主旨が、私の誕生祝い(夏目漱石の、新暦換算の誕生日と一緒)の狐面を買いに行く、というものだったので。


えぇと、いつもの通勤利用駅で、沖田番と待ち合わせ、小金井公園内の江戸東京たてもの園へ。そこのショップに狐面があると、去年の夏に行った時に見てチェックしてたので。
ちなみに何で狐面が必要かと云うと、夏に書くつもりのSSの小道具に、狐面があるからなのです。本当は黒いのが良かったんだけど、それはレアらしいので、普通の白で。
で、公園まで1kmばかりなので、てくてく歩くことに――沖田番の散歩も込みだからな。
小金井街道へ出て、てくてく歩く、と、途中に回転寿司屋が――朝食はトースト1枚の私&お茶漬け一杯の沖田番、一も二もなく入ることに。食い意地はってますから(笑)。
1人5皿食べてアウトだったのですが、カレイの縁側があって美味しかった……♥ いや、函館で食べたのには較ぶべくもなかったのですが、しかし、やっぱり美味しいですよ。まァ、寿司ネタとしてはやや外道だと云う話らしいんですがね(御徒町の寿司屋(回らない)には、確かになかったもんなー)。美味しけりゃあ、何でもよし。


でもって、腹も膨れたしと、またてくてく歩いて公園へ――が、その手前、小金井街道を挟んで公園の右手、に、えらく立派な建物が。駐車場も広いのがあるし、車寄せも立派だし、今どきの鉄筋コンクリートでもない。
何だろう、あれもたてもの園の一部かな、と云いながら、門のあたりを見てみると――「小金井カントリークラブ」の文字が。ええぇっ、じゃああれ、ゴルフ場のクラブハウスかい!
しかしまァ、ホントに立派なつくりだった――遠目だったけど、きっと慶喜君の駿府でのお屋敷よりずっと立派だったよ! すごいな、現代のゴルファーって。まァ、小金井C.C.は、会員権高いので有名なんですがね(うちの親父は買えませんでしたよ……)。


ともあれ、公園内を横切って、やっとこ江戸東京たてもの園へ。
実はここの入口の建物、戦中に行われた皇紀2600年祭のための建物を、昭和16年に移築したもの。昔の名前を「光華殿」と云います。
一人¥400-でチケットを買い、建物の裏から園内へ。この後日野に行く予定があるので、急ぎ足での観覧です。
沖田番が見たいと云うので、まずは園内東側の子宝湯へ。ここは、じぶりの「千と千尋〜」の舞台のモデルになった湯屋とのこと。そう云えば、受付に、宮崎氏と顔なしが写ってる写真が置いてあったなー。
何か懐かしい感じのする風呂屋でした――私が子供のころ行った風呂屋って、そういやこんな感じだったよな、って云うような。今の家の最寄り駅そばにも、飲み屋街のはずれにこんなお風呂屋さんが残ってますが、最近はスーパー銭湯流行りで、めっきりこういうとこ減ったよなァって云う。富士山の壁絵とか、低い仕切りとか、高い天井とか、何か懐かしい気分でいっぱいになりました――見たのは男湯だったけどね(笑)。


でもって、居酒屋「鍵屋」(夏のお祭り時には、本当にここでお酒出してた)とか、醤油屋とか荒物屋(ここも、夏祭り時には、おもちゃ売ってた)、小間物屋の中を見物しつつ、さて西っ方へ――と思っていたら、天明家と云う、元大田区にあった農家(江戸後期)が気になり、もそっと寄り道。長屋門のある立派なお家です。
中に入ると、ちょうど囲炉裏に火を入れているということで、のそっと上がりこむ。火にあたりつつ、園内の八重桜で作ったと云う桜湯(塩漬けの桜の花にお湯を注いだもの)を戴く。
でもって、ボランティアの方々のお話を伺っていると――何故か話が今の「鞍馬天狗」の話になり。「新撰組のキャストが酷い」と云う流れに……そうか、ここも多摩のうちだもんな。
しかも、うちお一方(♀)は鬼のファン(30年来ですって!)だそうで、沖田番と一緒に「新撰組はあんなに弱くない!」と、熱の入ったトークを繰り広げてました――そうですか……ちょっとここでは、「桂さんはあんなに悪党面じゃない!」とは云えない空気……
とりあえず、黙っておきましたが。


で、西エリアへ移動して、八王子千人同心組頭の家(結構質素)を見た後、時間もないのでさくっと移動。バスで中央線・武蔵小金井駅へ出て、そこから電車で13分で日野到着。
降りて、さっさと行きゃあいいのに、まずは駅前で鯛焼きGET。昔ながらの、皮が薄くてぱりぱりのやつ(やっとこのついた金型みたいなので焼いてました)が、ひとつ¥120-。一枚ずつ買って、歩きながら食べる。焼き立てで熱々。うまうま。
八坂神社のところから甲州街道を外れ、長い坂をひたすら上る。歩きながら、古馴染み連中の馬鹿話をし続ける。息切れするけど、気合いで。
坂の上、左折する角の酒屋の中に、「海舟」の文字を見つけて狂喜乱舞。しかしながら、今から先があるのに+この後、高幡不動で夕飯と思っているのに、この場所で酒瓶ひっさげてはちょっと……と云うことで、そのままスルー(泣)。新撰組のふるさと歴史館へ。
今回は「新撰組 戊辰戦争の中で」と云うことらしく、慶応4年〜明治2年の箱館陥落までのあれこれ中心。


今回はとにかく相馬の手記! と思ったのですが、確かにあったんだけど、内容の解説とかは一切ありませんでした。まァ、明治4年に一度書き上げ、翌明治5年に追記をしているようなので、相馬が死んだのは明治5年暮れ〜明治6年くらいの話なんだろうな、と云うことはわかりましたが。
日野市の所蔵だと云うことなので、その内全文訳付きで出してくれるんだろうな、と期待しているのですが。
とりあえず、相馬の字は、何かこう、きちっと読みやすい+若干堅苦しい感じ(罫線入りの紙に、きちっと左右の余白をとって、読みやすいように書いてある)のする文字でした。鬼のみたいに跳ね上がったりとか、総司のみたいに崩れてったりとかしてませんでしたよ。ふふふふふ……


館内に展示されてた天然理心流の演武の写真を見(宗家・宮川さんと源さん(違う)の演武の写真はきっちり重心が落ちてたけど、若い人たちのはやっぱそこまではいってなかった)、演武のビデオが流れてたので、それも見、歴史館を出る。次は高幡不動
いつもと違うルート(日野駅行きのバスが通ってました)を通り、バイパスから左折して、あとはいつものとおりで。最近気に入りの、あどまちルート(まァ、親水遊歩道)を使って駅のコンコースを抜け、お不動へ――5時過ぎだったので、もう店じまいしたところに、とりあえずお参り。
で、参道途中の菓子屋で「昔ながらの」のコピーに惹かれ、かるめ焼き+飴の詰め合わせを。かるめ焼き、今度は憶えてたとおりの味でした。
そののち、ちょこっと時間をつぶし、沖田番のリクで牛/角へ。食べ放で満腹になるも、時間が早いので(だって8時半)、駅のイタトマJr.でお茶。沖田番はブラッドオレンジジュース、私は生チョコセット(HOT紅茶)。
またあれこれ喋り倒し、9時半になったので、モノレールから帰途につきました。
本日はこれで終了。


† † † † †


って感じで。
あ、そうそう、今回から、カテゴリに「歴史散歩」を設けました。過去の日野行きはすべてここに。日帰りはここ、旅行は「紀行」、ホントの雑記のみ「日常雑記」で参りますよ。


さてさて、次は休日編の続きを書きますよ〜。