京都幕末紀行 その2

本日はメインイベント! 西本願寺行きです――っつーか、大谷廟への納骨がホントのメインなんですが。


ホテルで朝食後、タクシーで西本願寺へ。
只今、御影堂が改修工事中で、阿弥陀堂とかだけの見学。っつーか、一応門徒なんですが、アレですね、盛んなお寺、と云うべきかどうか。地方からの団体の信徒が多く、何て云うか、限りなく俗っぽい、けど確かに宗教施設と云う――変な感じ。
現役バリバリのお寺さんなので、もちろん境内には新選組のしの字もありません。島田を偲ぶどころの話じゃない。
ちなみに、西本願寺の屯所のあった場所には、何とか会館みたいな事務所っぽい建物が建ってました。太鼓楼は残ってるけど、トイレと↑の会館の後ろで、境内のメインのところからは見えず。とりあえず、遠くからでも写真は撮りましたが。


で、その後シャトルバスで大谷廟へ。今度こそ納骨。
ここの受付は、郵便局の貯金窓口がずらっと並んでるような混み具合。っつーか、ここホントに仏閣か?
受付のそばに、「ご遺骨詰め替え所」なるブースがあったり、骨壷が売ってたり、愉快な(ってのはアレか)空間でした。
祖堂納骨(何て云うんでしょ、ばら捲いちゃう感じ?)なので、一括(六家くらい)で永代経の読経を受け、その後納骨。
終わったのが十一時半くらいで、その後鳥野辺(大谷墓地と云うやつ)→清水(前をスルー)→三年坂でお昼を。南禅寺にもある奥丹で湯豆腐を。昔のお茶屋を転用したらしきお店でGood。二階に通された(眺め良し)のですが、何かこう――誰か(鬼とか一ちゃんとか)が娼とこういうとこで逢い引きしてそうだよな、と云う。
湯豆腐はまぁまぁでしたよ。


で、昼食後はイノダコーヒーでコーヒーを戴き、そこで解散。
両親は知恩院へ、弟は四条河原あたりの繁華街へ――でもって私は、霊山歴史ミュージアムへ。
が、両親とは方向が一緒なので、ずらす意味も含めて、沖田番とちょこっと電話。
霊山ミュージアムへついたのは、午後一時――幕末志士のお墓ももっそりあるのは知ってますが、桂さんや杉だけならともかく、薩長や水戸なんかの墓がずらっと並んでるとこになんぞ、恐ろしくて行けませんよ(同じ理由で、かっしーとか平ちゃんとかのお墓にもお参りしてません)。
が、えーと、霊山ミュージアムは、しょ、しょぼ……(汗) いや、何と云うか、幕末関連は、どうもしょぼしょぼとしがちなのは何でなんだか――まァ、でかいアレコレ、宮.内.庁とかが握ってるからか。
10分ぐらいでたらりと見(修学旅行と思しき女子高生が、「土方さん」「土方さん」連呼してたのに生温く笑い……)て、維新の道とやらを下り、そのまままっすぐ東大路へ。次の目的地は黒谷。


手持ちのガイド('07年夏発行)には、高台寺あたりから真如堂の方へ抜けるバスが路線図にあったのですが、うまく見つけられず。そのまま結局黒谷まで歩く。五条から丸太町まで――かなり遠い……しかも、丸太町で東に折れた後もさらに歩くんだ。
でも、1時半くらいに東山安井のバス停を出たのですが、2時ちょい過ぎにはついてた気がします。鬼足なんで(笑)。
えぇと、黒谷、っつーかお寺の名前は金戒光明寺、は、幕末当時の会津藩の本陣でした。小説でよく「黒谷へ呼ばれて」云々と書いてある、あそこ。浄土宗の大きなお寺で、塔頭もいくつもある、本当に立派なところです――うちの今おかんの実家は浄土宗ですが、おかんは黒谷知らなかったよ……でも、晩ご飯食べたお店の仲居さんは知ってた。まァ、全国的には知名度低いのかも。
会津がここを本陣に定めた時に、塔頭のひとつ(どれだろ)を除いて、すべてを会津藩に明け渡したのだそうで、結構会津、と云うよりは徳川宗家と縁が深かったんだろうなァ、と思いながら回りました。


他所のサイトで読んで、すごく広いと云うことは知っていたので&地図で見ても広そうだったので、御影堂だけ見て帰ろうと思ってたのですが、時間があったので(何しろ2時――親との再度の待ち合わせは6時半)、じゃあ会津藩士のお墓にもお参りしとこうかなァと、墓地の階段を上がって、まずは(参道を外れてたのですが)三重塔へ。これも立派。
写真をちょこっと撮った後、ぐるっと回って、会津藩士の墓へ。
戊辰戦争のお墓がメインですが、卒塔婆なんかは結構新しいのもありましたね。あまりにも墓碑がたくさんあるので(地方の小さな寄せ墓くらいはある)、慰霊碑(新しく建ててある)に一礼し、敷地を出る時にもまた一礼して、本当の参道を逆に戻る。
途中に塔頭がひとつあり、この佇まいが良く&梅が咲いてたので、ちょこっと写真を撮ってから、参道を下る。
と、途中の(廃止にした墓石を寄せてある)階段のあたりから、京都の街が一望に。これか、これが、会津がここを本陣にした理由か、と、何となく納得しながら墓地を出ました。


さて、次は壬生。
丸太町通に出たところで、バスがちょうどやって来た! しかも、四条河原町を通るらしい。
やった! と思って乗りこむと、どうもこれ、循環バスらしく、四条河原→四条大宮あたり→北野白梅町銀閣寺あたり、をぐるぐるまわっているらしい。
何だ、阪急に乗るつもりだったけど、これ一本で行けるじゃん、と、疲れた足を暫休ませ、四条大宮で下車。まずは光縁寺。
大宮通をすこし下り、一本目の辻、綾小路を進んだところに、光縁寺はありました。小さいお寺で、門は開いているけれど、柵があって入れない――と思ったら、横の木戸に、「お参りの方は、こちらの戸を入って下さい」とある。しかも木戸のところに「山南忌」の貼り紙が――ええぇぇえ!
っつーか、この運の宜しくない私をして、こういう日に訪ねさせるとは、もしかして、呼ばれてましたか、今日。
つーか、大体、あのバスの来るタイミングとかもおかしかったんだ。あんな絶妙に、壬生を通るバスが来るだなんて!
ちょっとどきどきしながら木戸をくぐると、住職と思しき方が「お参りですか、初めてで?」と訊いてくる。
「は、はい」って、声上ずってるよ自分! 供養料の¥100-を箱に入れ、「今日って、あの、命日なんですか……?」恐る恐る訊くと、「そう云うわけではないんだけれども、近いあたりのお日柄のいい日を選んで供養している」とのお答え。……そそ、そうですか。どきどき。
まずはお墓から、と、裏手の墓地へまわり、墓碑の前へ――ちっさいね。
大石造酒(鍬の弟)や、松原君、田内知なんかの名前も見つける――そっか、この辺が一緒に埋葬されてるのか。
山南さんと、この辺の墓の前で、礼。合掌はちょっと違う感じなので。
でもって、本堂にも上がりこみ、設けられている祭壇にお参り。こちらでは合掌。だって、仏前なんだもん。
住職にお礼を云って、光縁寺を後に。次は壬生寺


綾小路をどんどん行って、坊城通を越え、ちょっと下ったところが壬生寺ですね。
ぶっちゃけ、自力で(つまりは修学旅行以外で)京都に来るようになって、かれこれ15年くらい経ちますが、そもそもこのエリアに足を踏み入れるのも初めてです。
ともかくも、まずは本堂にお参りして、その後さくっと壬生塚へ。やっぱり合掌ではなく一礼して、芹鴨とかのお墓にも(かるく)礼。昔の管長さんの碑には合掌、かっちゃんの像はスルー。
で、そのまま、今度は八木さん宅へ。お茶+お菓子とガイド付で¥1,000-は、安いのかどうか。
日曜だからか、前はみっしりつまってました。が、ガイドは結構どうでもいいので、部屋の中だけ見て回る。ははァ、芹鴨殺られたのって、この部屋だっけ。
何か、やけに庭が小さいような気がする、が、まァ時も移ろってるし、いろいろ持ち堪えられなかったんだろうなァと勝手に想像しつつ、ガイドは聞かずに出る。
休憩所(?)で、お茶とお菓子(屯所餅)を戴き、さくっと退散。どうもこの辺苦手。
通りすがった旧前川邸では、やはり山南忌をやってるらしく、その旨を記した貼り紙が門のところにありましたよ。


でもって、四条大宮まで戻り、そのまま阪急で四条河原へ。
寺町を散策、狙ってた田丸印房で、和風スタンプを山のようにGET。山南役とかへのお土産に。
寺町と壬生には、新撰組のピンズのガチャがあったのですが、日野での勇気は今はなく、泣く泣くスルー。南さんと総司への道は遠いわ……
あ、あと、見かけたシルバーの店で、ピアスを3つほどGET。リング型のと、多分ラブラドライトのと。
で、浅草橋に本店のあるビーズ屋で、アクアマリンのそろばん型(?)のと、ラブラドライトの丸を――アクアマリンはロザリオブレス用、ラブラドライトはしてたネックレスの増量用に。
新京極へ回りこみ、四条へ下ったところで、時間もいいので、待ち合わせ場所へ。


夕食は、木屋町にある露庵 菊乃井。元の菊乃井は丸山公園にあり、こっちは別コンセプトのお店になってます。
えーと、とりあえず美味しかったですよ、つーか、あれで美味しくなかったら問題と云うか。
流石に仲居さんはきちっとしてる(いろんな意味で京都の人だ……)、手は思いっきり込んでる料理(見た目と食感とお味のバランスが)、お店の作りもとてもよい(後で聞いたら、数奇屋建築の第一人者のひとが設計したのだとか)。まァ、出すもの出してりゃ当たり前、なんですけども。
もちろんこういうお店はいいに決まってますが、個人的には、もっとくだけたところが好きだなァ――安いからってのもありますが(苦笑)。サービスはいいけど――どうも、鄙者のせいか、いろいろ勘ぐっていけませんよ……
でも、美味しいのは本当に美味しかった。また行きたいかと云われると……まァ、高いしねェ(苦笑)。


でもって、四条河原からタクシーでホテルに。
部屋に戻って、ビールと、昼間三年坂で買った七味屋のチーズ(一味&山椒のミックス)を戴く。


この日はこれにて終了。
最終日に続きます。