同居バトン 休日編 9

 日野高校のバス停近くのコンビニであたたかい飲み物を買いこみ、そこから曲がって、東へ歩いてゆく。
 このあたりは、やはり昔からの住民が多いものか、割合に一戸の区画の大きい家が多い。「土方」の表札もちらほらと見受けられるが、大体が「土」に「ヽ」がついている。
「あの“圡”って漢字使うの、このへんだけなのかな?」
 と首をひねると、
「さァてなァ。まァ、つけたりつけなかったり、その時の気分だからなァ」
 との鬼の答え。
 そんなんでいいのか、と思わないではなかったが、考えて見れば、江戸の人びとは、結構記名に関してアバウトなのだった。そこを歩いている総司にしてからが、自分の名前を「総二」と書いていたりする。変名偽名で、元々の名前すらどんどん変わっていった時分のことであるのだし、そうであれば、読み方さえ合っていれば、表記には頓着しなかったと云うのが実情か。
「――そんなんだったら、今みたいな年金記録問題とかあったら、大混乱なんだろうなァ……」
 「総司」が「総二」だったり、「歳蔵」が「歳三」になったりすれば、今なら大変な騒ぎになる――実際、顧客の名前の漢字を間違えて記入して、大変なクレームになったこともある――だろうが、昔のひとは大らかだったようだ。
 ――まァ、子供のころと大人になってとじゃあ、名前も全然変わっちゃうんだしなァ。
 その上、通名(「総司」とか「歳三」とか)と諱(「房良」とか「義豊」とか)があるのでは、本当にややこしくて仕方がない。それに雅号などが入ると、今の人間にはお手上げだ。まァ、現代人にも“ハンドルネーム”なんぞと云う、新たな通名があるものもあるけれど。
 目立たない道標を案内に、石田寺へと歩く。
 ごく小さな用水の横をてくてくと歩いてゆくと、向こうの方、榧の木の下に、瓦屋根の乗った白塀をめぐらせた、小さな寺――あれが石田寺だ。
 人気のない境内に入りこみ、まずは本堂に手を合わせる。
「ちょっと休憩しようよ」
 と、榧の木の真下のベンチを指させば、鬼も総司も沖田番も、一も二もなく頷いてきた。
 4人でおしくら饅頭のように坐りこみ、先刻買った飲み物を開ける。ミルクとコーヒーの入り混じった甘い香りが、ほわりと鼻をくすぐった。
 陽は、すっかり西に傾いて、あたりの空気を朱に染めている。風が、ひやりと吹き抜けて指先を冷やすのを、ペットボトルの熱で温める――身体の内と外から。
「結構冷えてきたね〜」
 沖田番が云って、ホットミルクをこくりと飲んだ。
「陽はすこし長くなってきたけどな。本格的に寒くなるのはこれからだろ」
「うぇへぇ〜」
 寒いのが大の苦手な沖田番は、厭そうに首を縮めている。
 と、鬼がくっと笑いをこぼした。
「だらしねェな、そんなんじゃあ、とても蝦夷の冬にゃあ耐えられねェぞ」
「冬の北海道なんか、行かないもん!」
「だけど、冬の旭山動物園だと、確かペンギンの行進が見れるんじゃなかったか?」
「あぁッ!」
 動物好きの沖田番、寒さとペンギンの究極の二択に頭を抱えている。
 総司が、不思議そうな顔で問いかけてきた。
「“ぺんぎん”ってなァ、何なんで?」
「ずーっと南の果てにいる、飛べない鳥だよ。代わりに、海の中を泳ぐんだけど、寒いところにいるから、もこもこしてて可愛いんだ」
「……ずーっと南なのに、寒いんで?」
 ……しまった、総司たちの知識には、地球が丸いだとか、南半球は季節が逆だとか、まして南だろうと極地は寒冷だとか、そう云った知識はないのだった。
「……えぇっと、うん、南も、果てになると寒いんだよ」
 理屈はこの際うっちゃって、端的に云ってやると、総司は「そうですかい」と頷いた。本当にそれでいいんだろうか。
「――しかしまァ……」
 と、鬼が呟いて、頭上の榧の木をふと見上げた。
「この木も、随分とでっかくなっちまったもんだなァ。俺が餓鬼だったころァ、よくこれに登って、墓守に怒鳴られたもんだが」
「そう云やァあんた、俺んことも唆して、こいつに登らせましたよねェ」
 総司が、ココアをちびちびと飲みながら云う。
「お蔭で、俺まで大目玉でさァ。まったく、あんた碌なことしねェんだから」
「煩ェよ」
 云いながら、鬼はカフェオレをぐびりと飲んでいる。
 鬼も総司も、よくここで遊んだと云うのなら、当然土方の家の墓がどこにあるかは知っているはずだ。この木のすこし南側、今坐っているところからはちょうど右後ろすぐのところに、土方家の墓が建っているのだ――そして、その隣りには鬼の墓も。
 だが、彼らはそれを問うどころか、振りかえりもしない。賊軍となった自分たちには、入る墓などないと思っているのか、あるいは、そもそも墓などに興味も関心もないものか。
 そうだ、かれらは今この時が、自分たちの生きていた時から遙かに遠く隔たった時代であると知っているのだ。もちろん、自分たちが既に死んでいて、その行蔵が一定の評価を下された後であるのだと、よくわかっているはずなのだ。
 だが、だからこそ、彼らは敢えて、自らの最期を知ろうとはしないのだろう。願ったことが、誓ったことが、見事果たされたかどうか、知ってしまえば、ここから戻って後の自分のこうどうに影響がでるだろうと、そう考えて、知ろうとせずにいるのだろう。
 だから、こちらも、何も口にするまいと思う。
 彼らが何を思い、何を抱えてあの動乱の刻を駆け抜けたのか――それは、本人たちにしかわからない。不完全な記録をもとに推察しようとしても、決して本当のところにはいきつけはしないのだから。
 陽が落ちてくる。振り返った西の空は、赤く染まっている。明日も晴れるだろう。
 と、鬼が立ち上がり、無言で榧の木の木肌を撫でた。愛おしむような仕種だった。
「――さて」
 やがて、きっぱりと手を離し、こちらへ向いてくる。
「暮れてきたし、そろそろ帰るか」
「えー、もう帰るの〜。晩御飯食べて帰ろうって思ってたのに〜」
 と、沖田番が不満そうに云う。
「……まァ、一応“晩御飯いらない”とは云ってきたけどな」
 大体、沖田番と出かけて、夕食を食べずに帰る方が少ないのだ。親からは「半日以上出かけっぱなしだ」だの何だのと云われるが、もうそういうことになっているのだから仕方がない。
 それを聞いた沖田組が、
「やたっ!」
「外飯ですかい。何食べるんで?」
 途端にうきうきし出すのに、苦笑がこぼれる。
「肉! やっぱ肉だよ肉〜!」
「肉って何の肉で?」
「牛! ねぇボス、焼肉行こう、ぎゅうかく〜」
「……だってよ。どうする?」
 鬼を振り返ると、微妙な面持ちで考えこんでいる。
「俺ァ構わねェが――財布の中身ァ大丈夫なのか?」
「……そんなことを考えてくれるたァ思わなかったなァ」
 使うばかりかと思っていたので、正直それは吃驚だ。
「俺だって、それくれェのこたァ考えるさ」
「そうかい。――うんまァ、今日は火曜だし、平気。食放があるからな」
 これが土日だったら、きっぱりはっきり違う店を選んだだろうが――まァ、偶には甘い顔をしてやってもいいか。
 沖田組は、それを聞くと、踊り上げるようにして喜んだ。
「やったー! 肉々!」
「旨いんですかい?」
「旨いよ! うまうまだよ!」
「それじゃあ楽しみですねェ」
 そう云いながら、もう足は境内の外を向いている。
「……“ぎゅうかく”とやらの、場所ァどこなんだ?」
「――お不動さんの参道ん中」
「……じゃあ、行くか」
 こちらも、きゃわきゃわと騒ぐふたりの後について、石田寺を出る。
 黄昏に沈みつつある石田を抜けて、浅川を渡って、高幡不動へ。
 今日の休みはこれでおしまいだけれども、このあたりにはまた来るだろう。鬼も総司も、きっと自分たちの時代でここにきて、今日のこの日を思い返すことだろう。その時、各々がどんな気持ちになるのかはわからないが――ともかくも今日のことは、共通の思い出として、心の中に残るのだ。
 それを抱えて生きていって、いつか、遠い時の向こうで会った時には、懐かしい話として語りあおう。
 それを楽しみに、この先の長い、あるいはほんの刹那の時を生きていこう。
 すこし面映ゆくそう考えながら、肩を並べて歩いていった。



 が。
「カルビ! 上カルビひとつ!」
「ベーコン!」
「大蒜と玉葱も追加な!」
 入った焼肉屋のテーブルで。
 大騒ぎで注文しては、ハイエナのように食い尽くされていく皿の数々に、
 ――これ、ホントにいい思い出なのかな……
 すこし遠い目で思ったのは、本当は内緒の話だ。


† † † † †


同居バトン休日編、続き。休日編は、ここでおしまい。
あァッ、環境依存漢字の「圡」は、ちゃんと表記されるのかな……


えェと、次がEDで、バトンは終了できそうです。その次は、一拍置いて(っつーか、溜まり過ぎたネタを消化したいので)阿呆話を書いたあと、鬼の北海行→ルネサンスで。
書こう書こうと思ってるルネサンスですが、ニーズがイマイチだろう上に、鬼の連載始めるのと同じくらい手が鈍る――はじめちまえば、多分さくさくと書けるんだけどなァ。まァ、適当にお付き合い下さいませ。
そうそう、本館の方に、このバトンの6までのLogをUPしましたよ(阿呆話ひとつと鬼の北海行は未UPで)。前のページを見るのが面倒な方は、宜しければそちらをどうぞー。


そう云えば、こないだ出た「大人のWalker」が、東京・東海・関西・九州と全部幕末の旅特集でしたよ……(うちは全部入ってくる) 迷って中身を較べてみたら、ページ割どころか一言一句違わぬ記事で「何じゃそれァ!!」。とりあえず、他の記事が使える東京をGet致しました。
萩の記事が載ってるので(こと×っぷとかには、萩がない……)、秋〜冬に考えてる門司・下関・萩ツアーに活用したいですね(萩は高校の修学旅行で一度行った)。
あと、例の『歳三の首』も買っちまいました――さくっと読み終わりましたが、えェと、時代小説の文体って、こんなんなのか……あんま好かんなァ。っつーか、どうもラノベに慣れてる身としては、この話淡々と進み過ぎ。もっとこう、緊迫感が欲しかったなァと思うところが随所にございました。視点がいろんな人に移るのも、若干辛かった……ぱっつぁんはカッコ良かったので(鉄ちゃんも、今までで一番イメージに近い)、まァそれだけでいいのかも知れませんが。読む人は選ぶかもね。


この項、終了。
次はいよいよ、バトン全体のEDで。