神さまの左手 1

 これは本当に、いい拾いものをした。
 フィレンツェ出身の画家・レオナルド・ダ・ヴィンチは、ミラノへの帰途の荷馬車の上で、こっそりとほくそ笑んだ。
 ミラノの領主、ルドヴィコ・スフォルッツァ、通称イル・モーロの命により、パヴィアの街にドゥオモ建設の調査をしに来ていた彼が、“拾いもの”とゆきあたったのは、ひと月半ばかり前のこと。パヴィアの街中で、かれのつれから財布を掏ったこの“拾いもの”を捕まえたのだ。
 捕まえてみれば、その子ども――まったく、子どもと云うしかない、かれはまだ十歳だった――の骨格が、とても美しいことに気がついて。
 まわりが止めるのを振り切って、レオナルドは、この子を引き取ることに決めたのだ。
 子どもの生家は、あまりよろしくない家柄で、父親だと云う男も、レオナルドから金をせびり取ろうと云う思惑が、あからさまにその態度に見えた。
 その父親の云うがままに金を払ったのは、そう、やはりこの子どもに魅せられていたからだろう。
 埃の下から現れた、美しい濃淡の巻き毛、秀でた額と通った鼻梁、焦げ茶の中に、鮮やかに紺碧の筋の入った、美しくも不可思議なその双眸――少女のようなやさしげな面ざしを裏切るように、そのまなざしは鋭く、強い。男女の美質を、一身に備えたかのような、その美しさ。
 いずれは美しい青年になって、レオナルドの眼を楽しませるモデルになるだろうと思って引き取ったのだ。
 ――まぁ、手のかかる子供ではありそうだが……
 何しろ、この子は手癖が悪い。拾ってからほんのひと月の間に、さまざまの悪戯はするは、見習いに来ていたマルコの鉄筆は盗むは、小銭はくすねるは――まったく、この先が思いやられることだ。
 だが、それ以上に、この子は頭の回転が早く、勘も良い。レオナルドの仕事を見て、質問してくる様など、とても学のない子どもとは思えぬほどだ。
 うまくすれば、この子はきっと、良い助手にもなるだろう。
 と、馬車ががくんと揺れて、停まった。
 ミラノの市中まではまだ遠いが、馬車はここまでだ。この先は、歩いてミラノ城市まで入らねばならぬ。
 レオナルドは、隣りで熟睡していた子どもの肩を、そっと揺さぶってやった。
「ジャコモ、起きなさい、ジャコモ」
「……着いたの?」
 と、子どもが、寝ぼけ眼をこすりながら、そう問い返してきた。
「まだだ。これからは歩いて行かなくてはならん。起きなさい」
「うーん……」
 大きく伸びをして、子どもは荷台からぽんと降りた。
 子どもの背は、長身のレオナルドの腰ほどまでしかない。その小さな子どもが、かれの身体には不釣り合いなほど大きな荷物を背負って、こちらを見上げてくる。
「なぁ、マエストロ、ミラノってどんなとこ?」
 こまっしゃくれたもの云いが、どこか背伸びをしているようで、思わず微笑をこぼし、レオナルドは小さな手をとった。
パヴィアの街よりも大きくて、大きな城のあるところだよ。ミラノのドゥオモは一風変わっている。あれより立派なものは、フィレンツェのドゥオモと、ローマの法皇様の御座所くらいのものだろうな」
「へぇ……」
 子どもは、さして興味もない風で、だが、かすかな好奇心に目を煌めかせて見上げてくる。何と云うか、いっぱしにレオナルドと駆け引きをするかのように。
 賢い子だ、とレオナルドはまた思う。学はないが、しかし、それはかれ自身とて同じこと、ならば、ミラノの工房に戻った時に、何がしかの役に立たぬとも限るまい。まして、成長したならなおのこと。
 ――さてさて、先が楽しみだ。
 レオナルドは、髭の下で笑みを浮かべ、子どもの手を引くと、ミラノ市中への道をゆっくりと歩み出した。



 初めて見た時は、神さまが目の前に現れたのだと思った。
 ジャコモ――ジャン・ジャコモ・カプロッティは、手を引かれて歩きながら、隣りをゆく人の顔を、こっそりと眺め上げた。
 高い背と波打つ茶色の髪と髭、はしばみの瞳は盗みを咎めだてる厳しさに満ちて、その美貌とあいまって、まるで神であるかのように、ジャコモには思えたのだ。そう、時折掏りをしに行った先で見た、教会の祭壇画の神のように。
 その美しい“神さま”が、実は遠いフィレンツェから来ている画家だと云うこと――もっと云うなら、今は、ミラノ領主であるイル・モーロのもとにあるひとだと云うことを、ジャコモは数日のうちに知った。
 ご領主の、画家。
 それでなのか、“神さま”の住む部屋が、自分の家――とは云え、そこに帰ることなど、ほとんどありはしなかったのだが――よりもはるかに清潔できちんとしていたのは、そこに出入りする人々が、自分が盗みを働く相手のように裕福な風であったのは、“神さま”が、王侯ででもあるかのように美しく、立派な態度であったのは。
 フィレンツェと云う街がどんなところであるのかを、幼いジャコモは知らなかったが――しかし、かれですらがその名を耳にしたことがある程度には、その遠い街の名は、広く鳴り響いていたのだった。美しい都、絵や彫刻を生業とするものたちの目指すところ、かれらを養う大商人たちの住まうところ、それこそがフィレンツェであるのだと。
 かれを拾った“神さま”――“マエストロ”と呼ぶように、と“神さま”は云った――が、どれほどの地位の画家であるのかはわからなかったが、しかし、その腕前は、芸術の素養のないジャコモですらも、目を見張るほどのものだった。
 “神さま”の左手が赤チョークを握る、すると、紙の上には咲き誇る花の姿が、まどろむ猫の姿が、あるいはジャコモ自身の横顔が、本物と寸分違わぬかたちで描き出されていくのだ。紙の白とチョークの赤、それだけの色しかないはずだと云うのに、しかもただの薄っぺらな紙の上であると云うのに、花や猫やジャコモの姿は、不思議にくっきりと、そこに存在しているように見えた。
 ――神さまだ。
 聖書では、神さまは言葉によってすべてを創ったのだと云う。
 だが、この“神さま”の使うのは、一本の筆と、その優美で力強い左手だ。ただそれだけのものが、紙の上にすべてを生み出し、息づかせる――父なる神の御技のように。
 その“神さま”が、自分を拾い上げてくれたのだ。
 ジャコモは、自分の見目がかなり整っていることを知っていた。そのために、父が、いずれ自分を、男色趣味のある金持ちにでも、高く売りつけようと考えていたことも。
 そのことについて、どうこう思ったことなどなかった。ジャコモのまわりにいたのは、そんな境遇の子どもたちばかりであったのだし、容色が劣っていれば、底辺で人足などとして働くことしかできないだろう。それは結局、このどん底の暮らしから這い上がることができないということを意味していたから、己の容貌が美しいことは、救いと云って良かったのかも知れない。
 だが、買われた先で待っているのは、男妾としての立場であり、そうであれば容色が衰えれば捨てられる定めであることを考えると、一時栄華を味わった分だけ残酷な運命が待っていると云うべきなのかも知れなかった。
 それに、相性の良い相手に買われたのならば良し、そうでないのならば――死ぬより悲惨な未来が待ち受けていないとも限らないのだ。
 ジャコモは、そんな未来を諾々と受け入れるつもりなどなかった。だから、ほんの小さなころから路上に出て、掏りやかっぱらい、小さな盗みなどを犯して、なるべく家から離れて暮らしていたのだ。もしも父が、本当にかれを、誰か裕福なものにでも売り払おうとしたならば、さっさと逃げ出して、ひとりで逞しく生きていけるように。
 だが、この“神さま”に拾われたことは、どうなのだろう? この美しいひと、ミラノのご領主に仕える画家であるひとに拾われたと云うことは?
 ジャコモは、画家と云う職業のひとが、どんなことをして暮らしているのか、そもそもどんな人間たちであるのかを知らなかった。
 もちろん、画家の描いた祭壇画などは見たことはある。このパヴィアの教会にも、古の画家の描いた祭壇画があって、ジャコモもそれを目にしてはいたが――実際に“画家”と云う人種を目にしたのは、ほとんど初めてであったのだ。
 それなのに、これから自分は、その神のようなひととともに暮らすのだと云う。
 もちろん、この“神さま”とは、このひと月半ばかり一緒に暮らしてはいた。だが、“神さま”は、様々なひとたちと相談したり、出歩いたりで忙しく、あまりジャコモの傍にはいなかったのだ。
 ミラノでは、違う。
 ジャコモは、“神さま”の弟子として工房で働くことになる。もちろん、寝起きも一緒だ。このひとがどんなひとであるのか、そのそばで知ることができる。もしかしたら、ずっとそのそばにあり続けることも。
「……どうした、疲れたのか?」
 “神さま”が、振り返ってジャコモを気遣う、そのはしばみの瞳のやさしい光。
「……うぅん」
 かぶりを振って、大きなあたたかい手を握り返す。“神さま”の、その奇跡の左手を。
 ――この幸福が、いつまでも続きますように。
 祈りにも似た気持ちで思いながら、ジャコモは歩を揃えて、ミラノへの道を歩んでいった。


† † † † †


さてさて、はじめてみました、ルネサンス話。
鬼の次は先生って、どんだけ(以下略)と云われても仕方がないなァ、と思いつつ。いいよ、なるしーだもん(←自棄)。


ルネサンスの“画家”って、今の“画家”と随分違うので、その辺もきちんと書いていけたらいいなァ。先生じゃないけど、「鍋も直せるよ、発明もできるよ」だもんなァ。鍋を直す先生――余計な機能が付いてきそうだ(笑)。でも、彫刻はできないの。
対照的なのはミケちゃんですね。「私は彫刻家だ!」(by「ライオンは眠らない」六.田.登)――そんな感じ。でも、ミケちゃんみたいなのが特殊なんで。ルネサンスの芸術家は、みんなアルティザンでアーティストだもんなァ。鍋の修繕も、教会の設計も、絵も彫刻も、何でもできるよ。


えーと、このお話は「レオナルドの薔薇」と云うシリーズの、出会い編になります。って云うか、出会い〜「最後の晩餐」完成まで、と云うか。若(そうか?)先生とサライの話。38歳と10歳のコンビ――歳離れてんなー。それでも“友”です。友か?
ちなみに、このシリーズの番外が、本館Historyの「左手の聖母」です。こっちはミケちゃん視点。
今回はW視点、先生+サライで進みます――ちょっと鬼の話とかに較べると読みづらいかも知れませんが、っつーかそれ以前に、ニーズがアレか。
まァ、さくっと行きたいと思いますので、宜しくお付き合いのほどを。


あ、重要事項がひとつ。
このお話は女性向け表現を伴いますつまりは男同士のアレコレ、と云うヤツですな。
まァ、基本ぬるいとは思うのですが、マジでヤっちゃってるシーンがある場合は折り畳みます。その手前(キスとか何とか)は畳みません。
ので、畳んであった時は、忌避感を感じる方は閲覧しないで下さい。一応、その回ごとに表記はしますがね。閲覧は自己責任でお願い致します
じゃあそんなシーン書くなよと云われそうですが、仕方ないじゃん、先生、ホントに男色だったんだからさ。
まァ、エロ中心の話ではまったくありませんので(でも、話の展開上、そういうシーンが必要)、宜しくご寛恕願います。


そう云えば、注文出してた勝さんの『解難録』(原書房)が入ってきた……! S43年発行で¥3,150-って、今の物価だと¥6,000-くらいは平気でするよな。
実は、こないだ中野の古本屋で『解難録』の収録された本が¥780-で出てたのですが。原書房のは、日記の抄録、『夢酔独言』(勝パパの回顧録みたいな)抄録、などが入ってて、ちょっとお買い得。中野のは『氷川清話』とか『海舟語録』とかだったもんなー(←どっちも持ってる)。
そして、それとは別に、学研M文庫の『史伝・伊達政宗』も買っちゃった――BASARAと無双のせいで高騰してたんですが、比較的安いのが出てたので。……どんだけ(以下略)なの、自分……


この項、終了。
次は新撰組の阿呆話――再編通り越して、どうなっていくのやら……