北辺の星辰 24

 蝦夷地に渡ると決まってからは、松平太郎の動きは迅速だった。
 まずは、各艦船の収容可能人数を割り出し、渡航可能なおおよその人数――それは、千人ばかりになるだろうとの話だった――をはじき出す。
「千人と云うと、現在の幕軍のほぼ半分ではありませんか」
 それを聞いた大鳥は、さすがに渋い表情になったが、松平は片眉を上げて見返しただけだった。
「幕府艦隊とて、決して大人数で乗りこむ船が揃っていると云うわけではない。これでも、ぎりぎりいっぱいまで収容したとしての数を出してきているのだ。それは、聞きわけてもらおう」
「ですが、それでは、この先薩長の輩と干戈を交えることとなった時に、人数の点で劣ることにはなりますまいか。ただでさえ、こちらは寄せ集めの軍であると云うのに……」
 大鳥のその懸念は、歳三にもわからぬではなかった。
 幕府伝習隊は、仏式の練兵を行った最新の部隊であると云われていたが、その実は、士官以外は無頼の徒や火消し、任侠の徒など、武士以外の出自のものがほとんどを占めていたのだ。
 もちろん、太平の世を経た今時分、生粋の武士とても怯惰なものが多いのではあるが、しかしながら、実戦を経たものの多い薩長軍とやりあうとなると――いささかならず不安を覚えるのは、当然のことではあった。
「心配召されるな、大鳥さん」
 榎本は、にこやかに云った。
「我が幕府海軍の擁する開陽丸は、最新鋭の軍艦です。開陽一隻で、日の本の近海の制海権は、我々が握ったも同然のこと。そして、本土から蝦夷地へは、海を渡らねば攻め込むことはできぬのですから」
「――榎本さんがそこまでおっしゃるのなら……」
 大鳥は、不承不承の様子ながら、頷いた。
 歳三には、海軍のことなどまったくわからない。最新鋭だと云う開陽丸の戦力も、それに薩長がどれほどの脅威を感じるのかも。
 それに、そもそも海軍と合流後の幕軍内においては、歳三は末席の立場なのだ。榎本や松平、永井や大鳥などの協議の結果に、口を挟むことなどできはしない。決定された事項に、唯々諾々と従うのみだ。
 幸い、ここで完全な降伏を選ぶことがない以上、もう一度くらいは薩長とやりあうこともできるだろう。そうなれば、ここまで来た兵たちに、戦い抜いたと云う実感を与えてもやれるだろう。
 その上で、明確な敗北を喫することができたなら――それは、最終的には、勝の考えていたようなかたちでの、遺恨のない敗北になるのではないか。そうであれば、今、ひとたびは勝の意思に背くことになろうとも、このまま榎本たちと戦い続けることが、結局は良いということになるだろう。
 ともかくも、渡航が決まったからには、即日隊士たちに選択を迫らねばならぬ。自分とともに蝦夷地へ往くか、あるいはここに留まり、仙台藩の諸士とともに、薩長の軍門に下るのかを。
 歳三が、四十六名となった新撰組隊士たちに蝦夷渡航を告げると、かれらは一様に動揺を見せ、あたりを見回し、小声で互いの進退を問い質しあった。
 やがて、
「――私は、ここに留まり、降伏致したいと考えます」
 そう云いだしたのは、近藤隼人だった。京で入隊した男で、弟の近藤芳助に曳かれて入ってきたのだと記憶している。監察方にいたこともあったが、歳三とそう親しかったわけでもない。かれのこの決断は、当然のこととも思えた。
「そうか」
 歳三は頷き、それからまた全員の顔を見回した。
「他には。他に、ここに残ろうと云うものは」
「……私も、留まりたいと思います」
 と、今度は近藤芳助が云い、それにつられたかのように、
「……私も」
「俺も」
 と手が上がり――
 結局、実に半数の二十三名が、仙台で降伏すると決めたようだった。
 歳三としては、半数の隊士が離脱することに、安堵を感じずにはいられなかったのだが、島田魁など、渡航を決めた隊士たちの中には、離脱組に対する不満が渦巻いているようだった。
「不甲斐ない連中だ、こんなところで降伏しようとは」
 島田は、温厚なかれにしては珍しく、吐き捨てるようにそう云った。
「副長、我々はどこまでもお供いたします。怯に堕したりは致しませんとも」
「……心強ェことだな」
 その言葉に、歳三は微笑を返すことしかできなかった。
 島田や安富たちの心は嬉しい。嬉しいのだが――かれらがこのまま、歳三についてくるということは、その分だけ、“新撰組”の消滅が引き伸ばされることに他ならぬ。
 しかも、蝦夷地まで渡航しようと云う面々は、いずれも――何故か――歳三に心酔しているようだ。となれば、いよいよもって、この先“新撰組”を解体する段になったとしても、まだ歳三とともにあろうとするのではないか。
 ――それじゃあ駄目なんだ。
 それでは意味がない。歳三がここまできた意味も、“新撰組”を消滅させようと云う企図の意味も。
 ただ“新撰組”と云う名がなくなるだけならば、そんなことはすぐにでもできる。新撰組はこれで終いだと宣言して、各々が各々のみちを往けと告げれば良い。
 だが、それでもこの二十二人の隊士たちは、歳三についてくるだろう。それは結局、“新撰組”の完全なる解体にならないのではないか――それが、歳三が今抱いている危惧だったのだ。
 どうにかして、“新撰組”を完全に終わらせねばならぬ。そのための猶予は、さほど残されてはいないのだ。かれらが蝦夷地に渡り、遂に薩長に敗れるまでの、ほんのわずかな間でしか。
 ――さァて、どうしたもんかなァ。
 ただ終いにしろと言葉で云って、諾と頷く連中でなし、歳三の望むような“新撰組の最期”に、どうやって持っていけば良いものか。
 と、
「――副長、桑名藩の方が、お目どおり願いたいと参られておられますが」
 いかがいたしましょうか、と小姓の市村が問いかけてきた。
「桑名?」
 歳三は、思わず首をかしげた。
 元桑名藩主・松平定敬――会津藩主・松平容保実弟である――が、幕軍とともに蝦夷渡航を考えているとは聞いていた。
 だが、松平定敬を含めた諸藩主の渡航に、榎本や松平太郎――特に後者――が難色を示し、渡航するならば随員は最低限にと云い渡していることも、また。
 それでは、今、桑名藩のものが訪ねてきたと云うのは、随員の人数に関して、榎本らに掛け合ってくれと云う要請であるものか。
 ――さて、どうしたもんか。
 歳三には、榎本らに強く進言できるほどの発言力はない。期待されても、応えようがないのだ。
 とは云え、会わずに追い返すわけにもゆくまい。
 仕方がない。
「――お通ししてくれ」
 密やかに息をついて、歳三は、少年にそう告げた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
すんごい久しぶりで、どのへんまで書いてたか忘れかけてたけど、ちょうど釜さんタロさん+甲賀さんあたりと(以下略)ので、これはこれで、ちょっとあけてて正解だったのかな。


とりあえず、思い返してみるとすごい自信だったんだな釜さん、と思わずにはいられないあれやこれや。
私にはさっぱりわかりませんが、開陽ってそんなすごい船だったの? 軍艦一隻で、それほど制海権って簡単に左右されるもんなのかなァ、と、昨今の自.衛.隊のあれこれ(インド洋とかね)見てると疑問なんですけども。北海道って海ばっかなんだし、レーダーもないんだから、回りこもうと思えばいけちゃいそうな気もするけどね。
まァ、海事についてはホントにわかんないから、あんまり断言は致しませんが。
しかし、ホント、何でそう鬼についていったかね、島田とかさ……ホントに不思議だ。やることとか何とか、やっぱ狐(しかし間抜け)なのにねェ。ホント、どうなのよ。


あ、例の鹿島出版会の「評伝 大鳥圭介」買っちゃいました。いや、中に若かりしタロさんの写真が載ってたので。私、「箱館戦争写真集」とか買ってないのでね。
しかしまァ、タロさん、そんなに“美男子”ってほどでもないじゃん(私の“美男子”基準は、桂さんと山川大蔵さんですからね)。っつーか、あの性格の悪さの滲み出た表情はどうなの――写真屋も、もっと表情のつけさせようが、って、今の写真屋と違うから、事細かな指示(「もっと前傾姿勢、で胸張って、顔上げて!」「もうすこし斜めに傾けて、顔は笑顔!」……無茶云うもんなー)は出せなかったか。
と云うか、この本で初めて(『南柯紀行』ちゃんと読んでないんだよ)、投獄時に相馬とタロさんが同じ蚊帳に入ってたと知りました。大丈夫だったのか、このふたりで、と云ってたら、沖田番に「口きかなかったんでしょ」と云われ、納得。そうね、それなら喧嘩もしようがないよね。
しかしこの本、かなりの部分が戊辰戦争関連なので、建築とか工学書のコーナーに置いといてもどうなのかなァ。まァ、鳥さん一般的にはマイナー(失礼)だから、その辺担当者もわかんないんだろうなァ。そして、知らせてやるほど親切でもない私。ふふふ……


この項、終了で。
さて、今度は小噺か、それともいよいよルネサンスか……