小噺・牧野忠雅の儀

「土方さん、土方さん、今そこで、俺ァすげェもん見ちまいましたぜ」
「あァ? 何だ、また斉藤が、厨房の水瓶ん中からでも飛び出してきたってェのか?」
「違いますよ! それァ大したことじゃねェでしょう。何でそうくるんですかい、牧野さんですよ!」
「(大したことじゃあねェのかよ……)あ? 牧野さんがどうしたって?」
「ほら、あんたが溜めてた書類の山、あったでしょう。処理しねェで山にしてたやつ」
「……人聞きの悪ィこと云うねィ、俺ァきちんきちんと処理してるぞ」
「嘘云いなせェよ、今だって、未処理の紙束が、文箱からあふれそうになってるじゃあねェですかい。――いや、だからそうじゃなくって、もう一方の、譜代やら何やらからぐだぐだと、できるわけのねェ案件連ねて寄越した書類ばっか入れてた、あっちの方でさァ」
「あァ、あっちか……で、牧野さんが、それをどうしたって?」
「や、あん人が、その紙の束を持って、厨房に入ってこられたんですけども」
「あァ」
「ずかずか竃んとこまで来たと思ったら、こう、ばさーっと」
「あ?」
「燃したーッ!! って」
「燃やしたのか!!! あの書類を!!!!!(驚愕)」
「えェ、もう景気よくねェ。流石の俺も青くなって、“燃しちまっていいんですかい”ってェ訊いたんですけども」
「あァ」
「“こんな益体もないことを書き連ねたものを、書類とは云わん”とかおっしゃいましてねェ。でも、一応機密なんで、屑屋には出せねェってんで、火にくべたらしいんですけども」
「(それで燃やすのかよ……)――俺にァ、とてもできねェなァ……」
「普通はできませんよねェ! で、牧野さん、その後全部に、これこれこういう理由で飲めませんってェ返事を書かれたみてェですが――それもそれですげェですよねェ、牧野さんじゃなきゃあ、とってもできませんや」
「……阿部さんは何ておっしゃってたんだ?」
「牧野さんが“これは書類じゃないでしょう”ってェ云ってたら、“あぁ、書類じゃないね”ってェ、にっこりなさってましたぜ」
「――阿部さん……」
「昔もこんなことなすってたんですかい、ってェお訊きしたら、牧野さん、“そんなわけはない、だが、一度こうしてみたかったのだ”とかおっしゃいましてねェ」
「やってみたかったのかよ……まァ、お気持ちはわからねェでもねェが……」
「まァ、実際、老中務めてらしたころにあれをやったら、大変なことんなってましたでしょうからねェ。――まァ、いいじゃあねェですかい、お蔭であの紙の山が消えて、あんたも気分的に楽になったんじゃあねェんですかい?」
「……却って、回ってくる書類が増えたような気がすんのァ、俺の気のせいか……?」
「あァ、それァあれでしょう、牧野さんがさくさくと仕分けして、処理して下さるんで、今までより迅速に回ってくるようになったってェだけでさァ。量は増えてねェってェ、崎さんなんぞァ云ってましたぜ」
「……そうかよ……」
「そうですよ。牧野さん、中島さんを下っ端に使ってますからねェ。余計に速いんでしょう。俺ァ、あんなに真面目な顔で働いてる中島さん、本当に初めて見ましたぜ」
「牧野さんァ、中島さんより、歳も立場も上だからなァ。そりゃあ、容赦なくお使いんなるだろうさ」
「そうでしょうねェ。何だかんだで、大鳥さんも使われてますからねェ」
「鳥さんもか」
「えェ。何しろ牧野さん、阿部さんにも“だらだらしていないで、そろそろ仕事なさい”とか云ってましたからねェ」
「……で、阿部さんは」
「やァ、にこっと笑いながら、ふぅっと消えなさるんで。牧野さん、舌打ちしておられましたぜ」
「それァ……何て云うべきか……」
「ま、でも阿部さんも、牧野さんがいらしてから、いろいろ情勢に気を配ってはおられますぜ。仕事ァなさいませんがねェ」
「まァ、それァ阿部さんの気が向いた時になさりゃあいいのさ。……って云うか、俺ァこないだ、阿部さんが、崎みてェな目つきなさるのを見ちまったんだがな」
「崎さんみてェってな、どんなですよ?」
「奴が何か企みごと思いついた時の、あるだろう、こう、目が横にふぅっと流れて、考えこむみてェな顔しやがるの。あれと同じような目つきさ。で、俺が見てんのに気づかれると、にこっと笑いなさるのさ」
「俺ァまだ、そいつァ見たことがねェですねェ。――それよりも土方さん、あんたァ、阿部さんに、暇そうにしてたら、俺をいいように使って構わねェとか云いませんでした?」
「あー……」
「云ったんですね?」
「まァ、おめェ実際、暇そうにしてやがるからなァ」
「お蔭で俺ァ、しょっちゅう阿部さんの遠乗りにつき合わされるんですけど!」
「いいじゃねェか、遠乗りくらいつき合ってさし上げりゃあ」
「……あんたァ、阿部さんの馬ん乗り方知らねェから、そんなことが云えるんでさァ。あん人の乗り方ったら、一度ついてった安富さんが涙目んなるくらい、飛ばすわ荒っぽいわなんですぜ」
「……そんなか」
「えェ、もう、昔のおつきの人たちァ、さぞかし大変だったろうなァってェ、思わずにァいられませんでしたぜ。万が一、阿部さんが落馬でもなさろうもんなら、即切腹ですからねェ」
「……だがまァ、俺たちで阿部さんにしてさし上げられんのァ、遠乗りのお供ぐらいなんだから、つき合ってさし上げろ」
「……あんたァ……(と、遠くで馬の嘶きの声、に続いて馬蹄の轟き)」
「……あ? 何だあれァ?」
「(馬上の人影を見て)……阿部さんだ!」
「供のものは!」
「いるわけねェでしょう! あァ、もう! (云いざま、駆け出す)」
「おう、しっかり行ってこいよ!」
「畜生、他人ごとだと思って! ――(牽かれてきた馬に飛び乗り)阿部さん! お待ち下せェよ!!」
「(みるみる遠ざかる馬影を見送りながら)……あァ、確かにありゃあ大変か……まァ、居眠りさしとくよりゃあ、外聞もいいだろうさ、頑張れよー」


† † † † †


阿呆話at地獄の三丁目。
今回は牧野さんの話。もちろん、阿部さんもこみで。長いな〜。


っつーか、本来的に、牧野さん新撰組とは直接関係ないはずなんだけどね。次席の老中だから、雲の上の方なんですけどね。活躍の時期も違う、って云うか、牧野さん亡くなったの、安政二年(享年六十歳)なんで、そのころの鬼なんか二十歳くらいだよ。青二才、青二才。
しかしまァ、普通書類は燃やさないよね。“何云ってやがんだ、ふざけんな”的コメントつけて送り返すことはある(出庫依頼のFaxとかね)んですが――何かアレですよ、もう異動しちゃった上司(♂)の名言「お買い上げ戴かなくて結構です!」(対顧客Tell)みたいなカンジ……それ、あんたの立場じゃなきゃ云えねェよって云う。流石、老中様は違いますね!
中島(三郎助)さんが唯々諾々と従ってるのは、中島さんがまだ浦賀奉行与力だったあたりに、既に牧野さん&阿部さんは老中だったからです。鳥さんも、この二人が亡くなったあたりに、ようやく適塾を退塾してるくらいだもんなー。キャリアが違いますよ、キャリアが。


で、阿部さんの遠乗り好きは、本当のお話。羽村にある陣屋に視察に行った時とかに、結構なスピードで馬を駆ったらしいと云う噂話が。
まァ、連日政策会議ばっかだったわけだし、若い愛人(長命寺の桜餅の店の看板娘らしい)作っても、そうそう会う暇だってなかったんじゃないのかなー。
で、ストレスは遠乗りで発散、と。あれだ、ハンドル握ると人格変わる的な感じ。現代なら、休暇にはドイツのアウトバーンで、フ.ェ.ラ.ー.リとかで飛ばすと云う。時速200km over平気で出しそうだ……


そうそう、関係ないのですが、(やっとこ)歴史群像の『幕末諸隊録』買いました。ついでにリバイバルで出てたので、安倍公房の『榎本武揚』(中公文庫)も。戯曲じゃない方です。
『幕末諸隊録』は、うーん、ざっとした内容だったなァ……個人的には、ますじと鳥さんの適塾人脈話と、勝さん絡みの長崎海軍伝習所話が買いですかね。
安倍公房は、これからきちっと読みたいと思います。が、まァお話だからなァ。
阿部さんに飢えてるんだけど、とにかく本がない! 新潮新書の『幕末バトル・ロワイアル』1・2でも買うかなァ……


この項、終了。
次は鬼の北海行。今度こそ、上陸!