北辺の星辰 30

 開陽丸での合議とも云えぬ合議ののち、蝦夷地への上陸は十月二十日、まずは選ばれた三十名ほどのものが行うことに決まった。
 一斉に上陸する案もなくはなかったのだが、このあたりにどれほどの集落が存在しているかもわからぬうちに上陸すれば、最悪、戦ならで、冬将軍との戦いに敗れて死ぬことにもなりかねなかったからだ。
 翌二十一日、先発隊が、鷲ノ木村――浜からほど近い集落は、そのような名であるのだと、後に聞いた――の会所を借り上げ、その後に、まずは陸軍兵のうち、約半数が上陸を果たした。
 大江丸に乗り組んだものたちは、船内で一夜を明かし、二十二日になって、やっと蝦夷の土を踏みしめることになった。
 蝦夷の土は白く凍てつき、足袋に草履のかれらの足を、その冷気で苛んでくる。昨夜までの風も凪ぎ、雪も止んで、過ごしやすいはずだったのだが――もともとの気温の低いのには、なかなか慣れることができない。兵たちは、出立を待つ間、その場でひたすら足踏みをして、身体が冷え切ってしまうのを防いでいた。
 船中での協議で、陸軍は二手に分かれ、内陸を行く本道は大鳥が、海辺を行く間道を歳三が、それぞれ行軍することになっていた。
 だが、歳三は間道を行くが、新撰組は、大鳥に従って本道を行く。
「そんな! それでは、副長の身辺は、誰がお守りすると云うのですか!」
 それを知った島田たちが、抗議の声を上げてきた。
「おめェらがいなくとも、額兵や陸軍の連中がいるんだ。守りに不自由はねェだろう」
 歳三は片眉を上げて云ってやったが、島田たちは承服しかねる様子で、なおも食い下がってきた。
「ですが、額兵隊や陸軍隊は、申し訳ありませんが、場数を踏んでいないではありませんか。そんな兵ばかりで、万が一の時に、副長をお守りすることができるとは思えません」
「だが、陸軍隊には、相馬や野村もあるんだ。あいつらなら、ちったァ場数も踏んでいるんだし、そうそう大事にァなるめェよ」
 正直に云えば、島田たちの心配ぶりが、歳三には若干鬱陶しくもあったのだ。
「女子供でもあるめェし……」
 自分の身くらいは自分で守れる、と嘯くと、島田はきっとこちらを睨めつけてきた。
「副長が、おん自ら飛び出して行かれるのでなければ、我々とて、これほど心配など致しません!」
「――そう云われると、耳が痛ェなァ……」
 戦いとなればじっとしていられない歳三には、島田の危惧を一笑に付すことはできなかった。実際それで、宇都宮の攻防の折には、右足を負傷することにもなったのだ。
「……わかった」
 暫の後、遂に歳三は折れた。
「だが、無論、新撰組をこちらの隊に組み込むこたァかなわねェ。その代り、おめェのいいと思う連中を何名かだけ、俺の馬まわりにつけることにする。――これでどうだ?」
「……結構です」
 島田の返答に、歳三は心底ほっとした。
 新撰組を本隊に組み込むことは、渋る大鳥を説き伏せて、ようやくかなったことであったから、今さらそれを覆したくはなかったのだ。
 今の新撰組の隊長は、森常吉であったし、そもそも名こそ“新撰組”を冠してはいたものの、その実は、旧来の新撰組隊士など、三分の一にも満たぬ有様だ。むしろ、歳三の下に置かぬ方が、森も隊内をうまくまとめられるだろうと考えての処置だったのだ――もちろん、そればかりが別働の理由ではなかったけれど。
 島田は、新撰組本隊へと一旦戻り、やがて、数名の隊士たちを連れて、歳三の許へやってきた。立川主税、蟻通勘吾、沢忠輔など、いずれも古参の隊士ばかりだ。
 ――何て云やァいいか……
 苦笑がこぼれ落ちる。
 姫君か何かのように護衛をつけて、御大層なことになったものだ。
 歳三の行くのは間道で、敵襲の予想されるのは本道の大鳥隊だったので、護衛は必要あるまいと考えていたのだ。
 これで島田の気が済むなら、好きなようにさせてやろうとは思ったが、それにしても、この様は、額兵隊や陸軍隊のものたちの目からは、どのように見えるものだろう。大層偉ぶって、取り巻きを連れ歩いているようにでも見えるのだろうか。
 正直に云って、柄ではない。が、この幕府陸軍の次席とも云うべき身となれば、このくらいの護衛は、あってもおかしくはないとも云える。ただ、歳三が落ち着かないだけなのだ。
 それに、いずれはかれらも、歳三と離れてゆかねばならなくなる。その時に、あまりに傍ちかくにあったことが、別れの妨げになるのではないか、それもまた気がかりであったのだ。
 島田たちはと云えば、歳三の胸中など知らぬげに、きびきびと指示を飛ばしては、馬まわりのあれこれを整えているようだった。
 ――まァ、しばらくは好きにさせてやるか。
 どのみち、今後は新撰組も、諸隊の一部とならざるを得ないのだ。歳三はこののち、大鳥を補佐しての任務が増えてくるだろうし、そうなれば新撰組も、他の隊との共同作戦になることが増えるだろう。今はまだ先のこととしか思えないが、いずれ薩長がこの蝦夷地へ攻めてくれば、新撰組がどうのと云っている暇はなくなるのだ。
 ともかくも、大鳥の本隊、及び歳三の率いる別動隊は、鷲ノ木を発し、箱館府のある五稜郭を目指して進軍を開始した。
 歳三の行く間道は、海沿いに砂原を経て、川汲峠を越え、湯ノ川から五稜郭に入るという道筋だった。
 本隊と別動隊は、森と云う集落まで同じ道筋を進み、そののち、本隊は内陸の峠下、七重方面へと、別動隊は海沿いに砂原と云う集落へと、それぞれ軍を進めていった。
 鷲ノ木から砂原まではおよそ五里ばかり、冬場でなかったなら、あるいはせめて積雪が酷くなかったなら、二刻もあれば踏破し得る距離である。
 だが、冬のこの時期、蝦夷の地は雪に埋もれ、雪混じりの風の叩きつけてくるような気候だった。凪の時もあるとは云え、当然、風に押されて、兵たちの歩みも遅れがちとなる。
 新雪と、その下で凍る根雪を踏んでゆく先鋒の足取りは遅く、続く後ろはさらにつかえつかえの進軍だ。当然、待つ間は、その場で足踏みなどすることになるのだ。
 朝のうちに鷲ノ木を発したにも関わらず、結局、砂原まで辿りついたのは、夕刻近くになってからのことだった。
「これは堪りませんね」
 と云ったのは、赤い隊服に身を包んだ、額兵隊隊長・星恂太郎だった。
「仙台も、江戸に較べれば大分と雪深いところだと思っておりましたが――これは、ものの比ではありません、この先が思いやられます」
 星はそう云って、少女のようだと揶揄されることの多いその整った顔を、疲れたように歪ませた。
「そうだな……これで、どこからか敵襲でもあれば、大変なことになりそうだ」
 こちらは土地勘がない上に、雪中の行軍で疲弊しきっている。対する箱館府松前藩のものたちは、幕軍の兵たちよりは、はるかにこの土地の起伏や気候に慣れているだろう。
 否、敵は武士ばかりとは限るまい。この砂原の集落の民ですら、いつ何時、物陰から恐ろしげなまなざしを向けてくることを止め、兇徒と化して襲いかかってくるやも知れぬのだ。
 例えば、これで宿陣した集落のものたちが、敵と化して襲いかかってくれば、あるいはそうでなくとも、街道筋に待ち伏せた敵に襲撃されれば、いかな歴戦の兵たちとは云え、ひとたまりもあるまい。
 歳三たちは、用心に用心を重ね、間道をゆっくりと進んでいった。斥候を出しては前方の状況を確かめ、それでも周囲に気を配りながら進んでゆく。
 その甲斐あってか、別動隊は鹿部村、川汲峠と順当に進軍していった。途中、峠越えのあたりで、箱館府兵と思しき数名と交戦した。だが、これも戦うと云うもおこがましいほどの小競り合いで、数発の銃声の後、敵は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。その後は、敵らしき影すらも見ることはなかった。
 十月二十五日には、別動隊は予定通り湯ノ川に着陣し、いよいよ五稜郭まで一里ほどに迫ったのである。


† † † † †


鬼の北海行、続き。もう30。
鉄ちゃんの方は、この章で終わったのに、こっちはまだ蝦夷地上陸……どんだけ……
とりあえず、雪中の行軍は、映画『八甲田山』のイメージからです。って、あれほぼ全滅だったんじゃね……?


えぇと、本日は静嘉堂文庫に行ってきました。あれです、収蔵品の刀がずらっと並んでるらしいとの記事を、新聞で見ていたので。
国宝、重文等々、30本の刀剣と、24種の刀装具などがずらっと並んでいて、中々に壮観でした。
今回のではっきりわかりましたが、個人的には刀は2尺3寸〜2尺3寸5分(標準サイズ)、切先はあまり短くもなく、鎬に溝のない、反りの少ない刀(新々刀に多いタイプ)が好きらしい、自分。肌は梨地、匂出来、乱刃(灣)が好み。ぶっちゃけ、和泉守兼定(鬼のあれね)タイプですね。ははははは。
しかし、やっぱ長さは2尺4寸超えると抜き難いし、2尺2寸以下だと間合いが短い感じ。反りが大きいと突きには向かないし、鎬に溝が彫れるような刀は若干重い。肌と刃紋は好みですね。
沖田番は、2尺2寸程度で、私の好みより若干切先が長めが好き。
ちなみに、私の好みの脇差は1尺5寸くらい、沖田番は1尺7寸、もうちょっとで大脇差〜。
しかしまァ、大したコレクションですね、岩崎弥太郎さん。拵えとかも、半端ないラインナップでしたよ。っつーか、どっからどう捲き上げたのか、その辺かなり気になります。
ロビーあたりに展示してあった茶碗や水指も、かなりいいものだった……お金があるってすごいねェ。
とりあえず、美術館のまわりの緑も欝蒼としてて良かった――ちょっと世田谷とは思えませんでしたよ。うちの近辺より、よっぽど緑が深かったです。ちなみに、うちのあたりは、江戸期には尾張徳川家の御狩場があったらしいです。御成橋とか、地名にわずかに残ってるくらいですが。


あ、そうそう、¥105-で出てたので、広瀬仁紀の『新選組風雲録』戊辰編・函館編を買いました。
今書いてるあたりの参考にしようと思ったんだけど――何かこう、メジャーネーム出しゃあいいってもんじゃあねェだろって云うか。そんなことを思っちゃうくらい、いろんなひとが出てますねー。っつーか、からす組の細谷十太夫ってどんな人だったんだ……
洛中・激斗・落日篇もGetしましたが――さて。
あれこれいろんな小説読んでますが、蝦夷での戦闘とかに関しては、どれもあんま参考にならないんだよねェ……
とりあえず、阿部さん目当てで迷ってた『花の生涯』(舟橋聖一 祥伝社文庫)は、やっぱ井伊殿が主役なので止めました。ははははは……


この項、終了。
次はルネサンスで。